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ON MY ONE Jake Bugg (Universal) by KENTA TERUNUMA
SHINO OKAMURA
September 22, 2016
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ON MY ONE

リアリティを失った男のリアル
君の名はそれでもやはりジェイク・バグ

君の名はジェイク・バグ。最初っから君のことはうさん臭く感じていたよ。あの時期のイギリスにおいて、いきなりメジャーとサインしてデビューしたって時点でね。これといって目立つ活動もせず、どうしてそんなルートを歩めるのか? デビュー・シングル『トラブル・タウン』こそ自主制作だったけど、それも言い訳っぽく感じたよ。それに続くデビュー・アルバム『ジェイク・バグ』は顔写真が前面に押し出された、なんともむず痒いパッケージ。もう叫ばずにいられなかった。「出たぞ、ニセモノが」って。

でも、音楽自体は悪くなかった。好みですらあった。ボブ・ディランやリー・メイヴァースを引き合いに出される、しわがれた不遜なアティテュードを感じる声。ブルーズを基調とした、シンプルながらフックに満ちたソングライティング。まあ、イギリスのワーキング・クラス云々という文脈は「ハハン、出たぜおい」なんて思ったけど、金持ちの子どもしかサッカー選手にもミュージシャンになれないような2016年から振り返れば、それはそれで悪くなかった。

デビュー作で全英1位獲得という大成功を収めた後は、アメリカに渡りリック・ルービンと2ndアルバム『シャングリ・ラ』を制作。あっけらかんとアメリカに向かい、開き直るように聖地メンフィスを旅してロックンロールに向かう君の姿は、プラスチックなイギリス人ミュージシャン然としていてむしろ爽快で最高にカッコ良かったよ。

でも、君の表情が陰りはじめたのは、その『シャングリ・ラ』が賛否両論になった頃からだろうか。アメリカナイズされたアルバムだし、少なくともイギリスで叩かれるのは目に見えていたはず。アークティック・モンキーズが大丈夫だから自分だってと思ったのかもしれないけど、QOTSAというイギリスにおける免罪符が彼らにはあるからなあ……。いや、違うな。多分それよりも、ノエル・ギャラガーにレーベルから押し付けられたソングライティング・チームとの共作を批判されたのが効いているんだろう。君は信頼していたミュージシャンに裏切られたと思い、孤独を感じた。そして、君の売りのひとつだった「リアリティ」というパブリック・イメージを失って、アイデンティティに悩むようになった。

だから、こんな『オン・マイ・ワン』というタイトルからしてセルフ・プロデュース感を全面に押し出したアルバムを作ったのだろう。でも、どうだろう? 好きじゃないと言っていたはずのストーン・ローゼズ風“ギミ・ザ・ラヴ”はともかく、しょうもないラップに挑戦した“エイント・ノー・ライム”1曲だけでアルバムの印象最悪だよ。そして一部の楽曲ではレコーディングも自分でやったらしいけど、わざわざそんなことする必要あったのかな? プロのソングライターと共作してきた君なら、プロの仕事というものを分かっているはず。エンジニアリングは誰かに任せて、自分にしかできないことに集中すべきだったのでは? そして、それは楽曲の共作をやめたことにも言えるんじゃないかな。ノエル・ギャラガーの批判を受けて「コラボは持ちかけられた場合にだけ対応する」なんてインタヴューで言っていたようだけど、君は「うるせえ! そんなの知るか!」と叫んでワン・ダイレクションと楽曲を共作すべきだったんだ。何故なら君の名はジェイク・バグ。最後に君が歌いさえすれば、それは君の作品になったんだから。

「共作するならバンドを組め」とノエルは言っていたようだけど、一蓮托生の人間としかいっしょに曲を書いちゃいけない理由なんてどこにあるっていうんだろう。そもそも今は2016年だろう。じゃあ、カニエ・ウェストやケンドリック・ラマーは何だっていうんだ? フェイク? まさか!

まあいいや、話が長くなってごめんね。ジェイク、僕が君に感じていた、うさん臭いという印象や、「本物」じゃないという直感は当たっていたよ。でも「本物」である必要なんかないんだよ。見上げてごらん、あの空に輝く真っ黒い星を。

もう一度だけ言うよ。君の名は……いや、俺の名前だって、きっとジェイク・バグなんだ。だから、血迷ってくれてありがとう。

文:照沼健太

伝統的なフォークは黒人音楽を発展させる重要なファクター
そこに気づいた時、本作はより一層の輝きを放つ

この夏、この新作『オン・マイ・ワン』に収録されている“ビター・ソルト”のPVが、全編東京の町で撮影された内容であることが話題になった。ジェイク本人と日本人女性とが直接的な絡みはないものの、新宿、渋谷、新橋といった夜の繁華街をタクシーに乗ったり歩いたりしながらさまようもので、ややヘヴィな曲調も相俟ってマフィア映画のような風合いを醸し出している。そこで思い出したのは、やはり東京ロケで作られたボブ・ディランの“タイト・コネクション”のPVだ。女優の倍賞美津子が出演していたこともあり日本では当時とても話題になった。ジェイク・バグがこのPVを意識していたかどうかはわからない。いや、ディラン好きのジェイクは一度くらいなら見たことがあるかもしれない。勿論ディランのPVの方が明確なストーリー仕立てになっているし構成もちゃんとしていて、対してジェイク・バグの方はイメージ・ヴィデオのような急造感はどうしても否めないが、同じように夜の都会……それもエロスや犯罪の匂いもする繁華街の裏道を捉えた映像という点での共通点は確かにある。まあ、他国の人から見てトーキョーのイメージがこの30年以上の間全く変わっていないことを証明したとも言えるのかな。

ちなみに、“タイト・コネクション”が収録された『エンパイア・バーレスク』というアルバムは、ディランにとって決して良いシーズンの作品とは言い難い。ジム・ケルトナーやアル・クーパー、ロン・ウッドやミック・テイラーら豪華なゲストを迎えてはいるものの、85年リリースという時代ゆえか、やけにシンセを多用し、低音の厚みも弱く、ヴォーカルと演奏のバランスも決していいとは言えない仕上がりになっている。いや、今聴くと、案外いい。だが、その後89年の『オー・マーシー』以降今に至るまでの、やや神がかったフルスロットル状態を考えると、迷走の時期の作品として語られることもある、そして、その時期を象徴する曲、PVとして“タイト・コネクション”が何かと取り沙汰されるのはある程度はやむなし、という気もする。そりゃディランくらいに活動時期が長ければそんな時が一度や二度あっても不思議ではないわけだけど……閑話休題。

そこへいくとジェイク・バグはまだ本作が3枚目。ディランに置き換えたら『時代は変る』(64年)にあたるわけで、彼がまだプロテスト・フォークを歌っていた頃、キャリアの序盤も序盤だ。だが、ジェイクは本作でそれまでの2作品から大きく飛躍しようと自身にかなり深くメスを入れている。それをハッキリ伝えるのがまず2曲目“ギミ・ザ・ラヴ”だ。フォーク、ブルーズ、カントリーといった彼の音楽をこれまで構成してきた文脈を一端横に置くかのように、目線を広いフロアに向け、ダンス・ビートをかなり強調させたダイナミックな仕上がりは、デジ・ロックとかダンス・ロックというような、今はもはや誰も使わないような言葉を思い出したりもして、最初は相当に違和感を覚えたのが本音である。だが、6曲目“ネヴァー・ワナ・ダンス”と8曲目“エイント・ノー・ライム”を聴いて、なるほどこの方向を目指しているのか、とだんだんワクワクするようになった。“ネヴァー・ワナ・ダンス”はいわゆるUKソウル、ブルー・アイド・ソウル的な感触を伴った曲で、“エイント・ノー・ライム”はラップにも挑んだヒップホップ・チューン。その他も1stのようなブルーズ、フォーク100%全開の曲は少なく、どの曲にもブラック・ミュージックとしての側面からかなり意識的にアップデートをかけている、そんな印象だ。

どこからの影響なのか、どこにリファレンスがあるのかはわからない。だが、本作によって彼が「伝統的でオーセンティックなフォークに根ざしたアーティスト」というだけではなく、「黒人音楽を進化させるアーティスト」という側面を強く外に見せつけることが出来たことは間違いないだろう。そして、「伝統的でオーセンティックなフォーク」というのが、当たり前なことながら、ブラック・ミュージックのルーツの一つであること、そしてそれは一定のディレクションへと発展するものではなく、時代と共に変化しながら上書きされていくもの、それこそがブルー・アイド・ソウルであることを彼は身を以て伝えることとなった。

そういう意味では、この3作目、2012年のデビュー作を聴いた時のような飛びつきたくなるほどの熱い思いを得ることはなかったものの、聴けば聴くほどに、そして時間をおいたり時代性を考慮しながら丁寧に紐解いていくと、つくづく重要な作品であることに気づく。少なくとも前作にあたる2013年の『シャングリ・ラ』での迷走(?)があればこそ。長い目で見た時に、ジェイク自身のキャリアで重要な1枚にカウントされることになるだろう。

文:岡村詩野

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