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IN COLOUR Jamie xx (Hostess) by YOSHIHARU KOBAYASHI
YUSUKE KAWAMURA
July 06, 2015
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IN COLOUR

もはや2010年代唯一無二のインディ・アイコン。
だが、あまりにも破綻のない模範解答

アメリカのテレビ番組『レイト・ナイト・ウィズ・セス・マイヤーズ』で、ジェイミー・エックス・エックスが“ラウド・プレイセズ”を披露した時の映像には度肝を抜かれた。勿論パフォーマンスも素晴らしかったが、もっと驚かされたのはそのバンド編成だ。アルバムにも参加しているエックス・エックスのロミーとオリヴァーがいるのは当然としても、ドラムにウォーペイントのステラ・モーツガワ、そしてコーラス隊に混じっているのはサヴェージズのジェニー・ベスとチェアリフトのキャロライン・ポラチェック。言うまでもなく『レイト・ナイト~』は世界的に高い知名度を誇る重要な番組だ。とはいえ、それでもテレビで一曲披露するために、これだけの面子が集まることは滅多にないだろう。

この出来事が象徴しているのは、いまのジェイミーは誰もが羨望の眼差しを向けるようなクールなインディ・コミュニティの中心的存在になりつつある、ということではないか。たとえば一時期のリバティーンズがそうであったように、その求心力と寄せられる信頼には絶大なものがあるのだろう。そして実際に、ジェイミー初のソロ・アルバム『イン・カラーズ』は、そうした彼の現在のポジションに見合うだけの、ほぼ完璧な素晴らしいアルバムである。ただ、ひとつだけ欠けているものがあるとすれば、それは鮮烈な新しさだ。

アルバムの幕開けを飾る“ゴッシュ”はレイヴ・カルチャーへのオマージュが込められたジェイミー流のハードコア解釈で、続く“スリープ・サウンド”は彼のDJセットと直結する夢見心地の美しいディープ・ハウス。ダンスホール~ヒップホップを取り込んだ“アイ・ノウ・ゼアズ・ゴナ・ビー(グッド・タイムス)”はアメリカ・ツアーから持ち帰ってきた素晴らしい成果であり、先述の“ラウド・プレイセズ”はエックス・エックスの新曲と言われても疑わないメランコリックで感動的なゴスペル調のハウスだ。どの曲も唸らされるほどに完成度が高い。

ベース・ミュージック以降のハウスの流れを汲むサウンドを軸としながら、ロミーとオリヴァーの助力もありポップ・ソングとして高い強度を持たせることにも成功した本作は、インディ・ロックではなくハウス・ミュージックがポップの一形態として強く求められている現在のイギリスに生まれるべくして生まれたアルバムだろう。しかも、これは、そのような英国の状況に対する考え得る限りもっともスタイリッシュの回答でもある。そういった意味では、ジェイミーとこのアルバムはとてもアイコニックであり、テレビ番組ひとつのためにあれだけの面子が駆けつけるのも頷けるものだ。

おそらく『イン・カラーズ』は、2015年のイギリスにおける、ひとつのランドマークだ。間違いなくジェイミーは、エックス・エックスのトラックメイカーとして、そして新世代のアイコンという立場から、綺麗過ぎるほど綺麗な形で期待に応えている。だが、そのような作品を無意識的にせよ作ろうとした結果、音楽性の最終的な落としどころが、“エックス・エックスの作品とソロ・シングルの中間”というまったく驚きがない場所だったことだけは、やはりもったいなく感じられる――というのは、あまりにも彼に多くを求め過ぎなのだろうか。

文:小林祥晴

UKダンス・カルチャーの総決算
しかしこの叙情性は、な、なんだ!

“アーメン”とならぶブレイクビーツ基本中の基本、リン・コリンズ“シンク(アバウト)”のドラム・ブレイクを使ったハードコア・テクノ、ジャングルのMCのサンプルが鳴り響く“ゴッシュ”でスタートする本作は、この曲がそうであるように、UKのDJカルチャーに寄り添って生まれるポップ・ミュージックの、ベース・ミュージック以降の現時点でのひとつの総決算と行ってもいいだろう。

“ゴッシュ”のレイヴ、ハードコアの香り、そしてデトロイト・フォロアーを彷彿とさせるメランコリックな“スリープ・サウンド”、エックス・エックスのフロントマン、オリヴァー・シムのブルー・アイド・ソウルなR&B“ストレンジャー・イン・ア・ルーム”。もうひとりのエックス・エックスのシンガー、ロミーを起用した“ラウド・プレイセズ”は、デイヴィッド・マンキューソのロフト・クラシックとしても知られる、イドリス・ムハマッドの“クッド・ヘヴン・エヴァー・ビー・ライク・ディス”を大胆にサンプルし、やはり彼らなりのガラージュ・ハウスに挑戦しているといえよう(“ホールド・タイト”にはホアン・アトキンスのインフィニティ名義“シンク・クイック”もサンプルされているような)。そして、ヒップホップとダンスホールが出会う“アイ・ノウ・ゼアズ・ゴナ・ビー(グッド・タイムス)”まで、とにかくUSやときにカリブ諸島のダンス・ミュージック(R&Bも含む)に影響を受けながらも自らのスタイルを獲得してきた、UKのDJカルチャーの歴史をまるで俯瞰しているかのような感覚がある。

いくつかの例外はあるが、そのサウンド、リズム・デリヴァーの中心はベース・ミュージック以降のハウスということができるだろう。それこそ、ひさびさにUKのポップ・カルチャーに向けて放たれたハウス・アルバムと言ってしまっていい。

多くのロック・ファンに関して言えば、ベース・ミュージック、そしてディープ・ハウスのような音楽への入り口として機能するだろう。ダンスフロアの創造性を物語っているポップ・ミュージックでもある。とても、とてもいいアルバムだ。

たしかに文句なしのアルバムなのだ。

だが、これを手放しで褒めるのも……というのも正直なところだ。ひとつ意地悪を言うことがあるとすれば、そのアルバム全体を包むエピックな雰囲気、ノスタルジックで叙情的すぎる感触だ。ニュー・ディスコ的なバレアリック・フィーリング=多幸感のポスト・ベース・ミュージックへの援用とも、陳腐な評論家的表現で言えばレイヴへのノスタルジー(レイヴ世代から考えればどうでもいいと思うんだけど)なのか、ともかく刺激的なリズム・デリヴァーに対して、ある種単調とも言える壮大な叙情性がアルバム全体を覆い、包んでいる。それは、ともすればプログレッシヴ・ハウス的なつまらなさに足を突っ込んでしまっている感覚すらある。それぞれを切り出せば、勿論素晴らしい瞬間を生み出すこともあるだろう。

踊り疲れ、朝が迫るダンスフロアで“ラウド・プレイセズ”を聴いたのなら……。そして、この曲はおそらく、そうした体験をした者でしか作れない楽曲だ。

しかし、ダンスフロアにしろ、日常にしろ、ノスタルジックに美しく追想する“朝”ばかりではない。その開けっぴろげすぎる叙情性、その部分は、“アルバム”のバランスとしてトータルで考えた時に、なんとも煮えきらない部分がある。

このアルバムが気にいったのなら、ダンスフロアに行ってみよう。本作の延長にありながら、ノスタルジックな叙情性よりも、もっと刺激的なリズムとサウンドの冒険が広がっているはずだから。その時、本作はきっとまた別の聴こえ方をするはずだ。

文:河村祐介

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