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CHROMATICA Lady Gaga (Universal) by MARI HAGIHARA
TOMONORI SHIBA
July 10, 2020
CHROMATICA

自由は私たちの権利、私たちはそのダンスフロアのために闘う。
痛みと傷を抱えて踊るためのダンス・ポップ『クロマティカ』

本人がパンデミック下のリリースを躊躇い、一時発売延期になった6thアルバム『クロマティカ』。だが結果的に、この現状においてレディ・ガガという人が前面にいて、逐次発言しているのはとても頼もしい。アイデンティティのアンセム“ボーン・ディス・ウェイ”を生み、“エンジェル・ダウン”で銃殺された高校生トレイヴォン・マーティンについて歌った彼女は、「この国で声を上げる勇敢な人々に拍手」とBLMに絶対のサポートを表明。若者たちへのスピーチでは、建国時からアメリカに蔓延るレイシズムの深い森を変えるのは、新しい種=あなたたちだ、と語りかけた。まさにそのZ世代であるビリー・アイリッシュがインスタグラムで爆発させる怒りに気持ちを動かされながらも、レディ・ガガという理性の声も大勢の人たちが必要としている、と思った。

もちろんそんなパブリック・フィギュアとしての彼女だけでなく、偶然にせよ『クロマティカ』自体も「いま、ここ」と共鳴する作品となった。そもそも本作は、ポップ・スターとして新奇なコンセプトやパッケージを次々打ち出してきたガガが、カントリー路線の5thアルバム『ジョアン』や主演映画『アリー/スター誕生』でいったん「素顔路線」を通過してからの、ダンス・ポップ回帰作。しかも今回コンセプトはあっても新しさを追うのではなく、自分をそのまま打ち出すためのダンス・ポップになっている。どちらかというと重め、硬めのビートとサウンドに寄っていた過去作に比べ、曲調はハウスっぽく軽快で、ファンキーに聞こえることさえある。そこにごく個人的なメッセージを乗せながら、バラッドは一切なし。全43分の短さもいい。

社会が激動しているときは、たとえ実際には複雑なプロセスを経ていても、核心を突くストレートなものが求められる。『クロマティカ』でもっとも輝くのは、ダンス・ポップで痛みや脆さを歌うというロビン的なフォーマットだ。最初の曲、暗い穴に落ちていく“アリス”の主人公は「それでも私はワンダーランドを探しつづける」と決意する。“ドント・レイン・オン・マイ・パレード”を連想させるアリアナ・グランデとの共演曲“レイン・オン・ミー”は、ずぶ濡れになっても「私は生きてる」ことを確かめる。傷が人目に晒されてきた二人の女性のステートメントだ。名声の重圧についての“ファン・トゥナイト”は、鏡の中の自分との対話として描かれる。それは「楽しくない夜」の過ごし方についてでもある。

つまり、どんな人も苦しんでいて、当たり前に手に入るものはないということ。“フリー・ウーマン”の女性は自由について、「これは私が闘ってきたダンスフロア」と宣言する。「ダウンタウンは私たちのもの、私たちのサウンドに耳を傾けろ」と。レディ・ガガにとってのダンスは逃避でも享楽でもなく、勝ち取るもの。欲しいのは、自由になれるダンスフロア。いまみんながそのために闘っているのを、彼女は知っている。

文:萩原麻理

啓示は突如として降ってくる、
痛みを乗り越えるための正弦波と共に

COVID-19のパンデミックで外出自粛が余儀なくされた2020年。日常の中で聴く音楽の傾向が変わったという人は少なくないのではないだろうか。筆者の場合は、あきらかにダンス・ミュージックを聴く機会が増えた。

平日の朝、犬を連れて、多摩川の河川敷に出かける。見渡す限り誰もいない広い原っぱに到着すると、そこでリードを外して、走ったり、あてどなく身体を揺らしたりする。そういうときに、インナーイヤーのワイヤレスヘッドホンでダンス・ミュージックを鳴らす。いわば“一人サイレントディスコ”のような状況。傍から見たら滑稽なんだろうけれど、そういうことは気にしないことに決めてる。メンタルの調子がよくて想像力が上手く働けば、フォートナイトの中のバーチャル・ライヴのように、だんだん遠くの方にある橋とかビルの上に架空のステージやDJセットを幻視できるようになる。ダンス・ミュージックはもちろんクラブとかパーティーのための音楽だけれど、けっして社交の場だけでなく、人が個として存在している場所でも機能することができる。そういう実感がある。

レディ・ガガの『クロマティカ』を最初に聴いたのも、その場所だった。だから、アルバムに込められた「ダンス・ミュージックによって傷を癒やす」というモチーフは、聴取体験として自然に受け止めることができた。2013年の『アートポップ』以降、トニー・ベネットとの共演によるトラディショナルなルーツ・ミュージックへの傾倒や『アリー/ スター誕生』の俳優としての開眼など表現の幅を広げてきた経験を経て、久々にダンス・ポップの音楽性に回帰した新作。そういう意味では初期の音楽性に戻ってきたとも言えるのだが、富と名声をモチーフにしつつ確信犯的なスタンスで話題性を獲得しにいったデビュー当初とは真逆の内容となっている。ワンダーランドを探していると繰り返す冒頭の“アリス”。PTSDに苦しむ心的な傷を吐露する“リプレイ”。自分の最大の敵は自分自身と歌う“911”。アリアナ・グランデを迎えた“レイン・オン・ミー”も、悲しみに立ち向かう曲だ。“クロマティカ I”などのインストゥルメンタル曲が幕間の役割を果たし、アップリフティングなビートに乗せて内面の闇を吐露していく曲が並ぶ。

アルバムのハイライトになっているのが、エルトン・ジョンを迎えた14曲目の“サイン・フロム・アバヴ(Sine From Above)”だ。この曲で歌われる「Sine(=正弦波)」は、つまり「Sign(=啓示)」のことだろう。二人の強力な声で、しかも言葉をきっちりと区切って歌われる「空からひとつのSineが聴こえた」というフレーズ。それがアルバム全体のひとつのピークポイントになっている。徐々にビルドアップで高揚感を高めていくプログレッシヴ・ハウスのビートをぶった切って後半でドラムンベースに突入する掟破りの曲展開が素晴らしい。

ここで“音楽による救済”を描き切ったからこそ、ラスト2曲はとても晴れやかな響きを持っている。ラスト“バビロン”は、ゴシップや名声をモチーフにした『ザ・フェイム』の世界に、覚悟と共にもう一度飛び込むような曲。共同プロデューサーの名前を出して「BloodPop®の照らす月光のもとで」というフレーズも印象的だ。

メディアが変われば社会が変わる。少なくともセレブリティ・カルチャーは00年代のタブロイドやゴシップ・メディアから10年代以降のソーシャル・メディアへと覇権が移り変わったことで如実にその内実を変えた。それが社会全般の価値観に敷衍した。ジェンダーや人種など抑圧されている側のマイノリティが声を上げはじめた。そういう時代の変化を牽引していったアーティストの一人がレディ・ガガだった。

社会が大きな軋みをあげ、それが個人の内面を締め付ける今の時代。レディ・ガガの示した「Sine」はとても大きな意味を持っている。

文:柴那典

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