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SOLAR POWER Lorde (Universal) by MARI HAGIHARA
TATSUMI JUNK
October 04, 2021
SOLAR POWER

スポットライトから抜け出て、陽光のユーフォリアへ。
『ソーラー・パワー』はロードの脱ポップ・スター宣言か

郊外の町から都会、そして世界へ出ていったニュージーランドの少女は、いま陽光が差す浜辺に戻ってきた。そこで鳴るのはドラッグとセックスでブーストされた喧騒ではなく、ハッパでまどろみながらアガるような音楽(注:マリファナはドラッグではありません)。3枚のアルバムでロードは次々とサウンドとアプローチ、そのテーマを変えたが、それは変化のための変化ではなく、劇的に移り変わる人生のフェーズの反映なのだろう。

9年間で3枚。それは16歳の女性が24歳になる間の数として、多いのか少ないのか。もちろん一概には言えないが、若さへのフェティッシュがある業界からすると、もっと作ってほしかったのが本音だろう。ただ、やはりそれはロードと、彼女の音楽にとって必要な時間だった。生き急がないために、燃え尽きないために。13歳でレコード会社と契約を結び、2013年、デビュー曲“ロイヤルズ”とアルバム『ピュア・ヒロイン』で鮮烈に登場した彼女は、確かに新しいポップ・チューン、新しいポップ・スター像を提示していた。ビートとヴォーカル中心、しかも自身のハーモニーの多重録音というアプローチは、まさに彼女の「声」とイマジネーションを増幅するものだった。そうして始まった10代のスターダムを描く2017年の2nd『メロドラマ』。タイトル通り、そこではハイもロウも極端なナイトライフが綴られる。痛々しいのは、「おまえはお荷物」というラインが繰り返される“ライアビリティ”だ。「おまえは手に余る、と言って彼らは別のプランを練りはじめる/わかってる、私はお荷物」。自分はそのへんの王侯貴族よりロイヤルなんだ、と宣言した少女は明らかに自信をなくし、傷つき、疲れていた。

それから4年近く経って発表された新作、『ソーラー・パワー』。本当はもう少し早くリリースされるはずだったが、ロードは愛犬の死を悼んでいたという。しかし、ここには新しい力が宿っている。ニュージーランドに戻り、スポットライトやネオンライトとは違う光源を見出した彼女はまるでトリッピーなヒッピーのようで、ギターやドラムといった楽器で自分のサウンドを再構築している。リラックスはしていても、デビュー以降を振り返る歌詞はときに悲しく、痛烈だ。「オキシコドンの年に生まれた10代のミリオネアは、カメラのフラッシュで悪夢を見る/救世主を探してるなら、私じゃない」と歌うオープニング・トラック“パス”。プライマル・スクリームというよりはジョージ・マイケルを思い出すタイトル・トラックでは、携帯なんて海に投げ捨てて楽しもうよ、と呼びかける。“カリフォルニア”で描かれるのはキャロル・キングに名前を呼ばれたグラミー賞授賞式の夜だ。「またあの黄金の像をもらえるならホテルやジェット機に大金を払ってもいいけど/私の頭に向けられた毒矢はもういや/あのカリフォルニア・ラヴはいらない」。メディアの狂騒はもうたくさん、という宣言だ。

当時の恋人を「誰よりコカインやってた人がマリファナ吸ってニューエイジだなんて、変な感じ」と茶化す“ドミノズ”は最高だし、静かな高揚でアルバムを締める“オーシャニック・フィーリング”もいい。ただ私がいちばん好きなのは、“シークレッツ・フロム・ア・ガール”でロードに飛行機の搭乗案内をするロビンの存在だったりもする。インディなエレクトロニック・ポップの先輩は、軽やかにこう告げるのだ。「悲しみへようこそ/エモーショナルな手荷物は後ほどお引き取りください/くれぐれも愛する人の上に落っことさないように/最終目的地に着いたら、ご自由に/ユーフォリアの夜明けを見にいきましょう」。デビューからすでに数十年分生きてきたようでいて、入り口に立ったばかりとも言えるロード。さらにひとり進んでいく不確かな未来を、もうロビンは祝福しているように思える。

文:萩原麻理

「サッドガール」よ太陽に還れ

ロードが帰ってきた。「サッドガール」ブランドどころかセールスまで投げ捨てるように、聴いてるうちにまどろんでしまいそうなリラクシング志向のポップ・フォークを「太陽の力(ソーラー・パワー)」と名づけて。

オープニングは、これまでのロードと地続きと言える。「あなたが救世主を探しているなら、それは私じゃない」(“ザ・パス”)と告げるように、デビュー早々「天才少女」と祀り上げられた彼女が、ファンに対してすら自分含むセレブリティへの崇拝、有名人たちが人生の答えを教えてくれるといった盲信をやめるよう諭しているのである。そのかわりとして、太陽を初めとする大自然の尊さに目を向けるべきだ、と呈するがために、アルバム丸々すべての曲が「太陽を感じられる」サウンド仕様。そこから、グラミー賞やMETガラといったショービズの栄光を振り返り、Supremeに長蛇の列ができたりするカリフォルニアから距離を置き(“カリフォルニア”)おだやかな生活を始めた彼女が本当にそれでよかったのかなどと思索にふける(“ストーンド・アット・ザ・ネイル・サロン”)。気候変動危機への憂慮(“フォーラン・フルート”)や愛犬の死の悲しみ(“ビッグ・スター”)も経て、ルーツたるニュージーランドの青き自然を祝福する“オーシャニック・フィーリング”に行き着く……要するに、いい話。自然を礼賛しながら少しずつ前進せんとする、成熟と安寧のスピリチュアリティ詩情である。

にも関わらず、どこか居心地の悪い変なアルバムでもある。予兆はリード・シングルであり表題曲“ソーラー・パワー”からあった。ミュージック・ヴィデオでは、海辺に集まった人々が太陽崇拝のようなダンスを始め、ロードを字義どおり祀り上げていく。ヒット映画『ミッドサマー』と重ねられることは明らかなカルト・モチーフによって不穏な不気味さを放っているのである。つづく2ndシングル“ムード・リング”ではあからさまになる。これは、フラワー・チャイルドやニューエイジと今日のライフスタイルに「スピリチュアリティ、疑似スピリチュアリティ、ウェルネス、疑似ウェルネス(への依存)」といった共通項を見出したロードによる風刺曲なのだ。太陽礼拝や超越瞑想にいそしむ白人女性たちが不気味に映されるビデオ、浅慮な自分探しとしての東洋かぶれ、セレブのゴシップを読み漁りながらビタミン剤をむさぼる皮肉など、特に白人文化的な「健康志向」ライフスタイルの痛いところを突きまくっている。かと言って、そうした生き方が糾弾されるわけでもない。むしろ、ロードは、この厳しい世相において「どこかに行きたいと願いながらそれがどこかもわからず苦しむ女の子」に共感と思いやりを示しながら「サッドガール、みんなで歌おう」と歌うのである。

この“ムード・リング”がエンディング前に位置していることが『ソーラー・パワー』をなかなか曲者なアルバムにしている。本作は、セレブリティへの崇拝を絶たんとする志のもとに立っている。一面としては「ロードがアルバムを出してくれれば人生の指針を授けてくれる」と期待するコア・ファンに向けられた作品だ。そうした依存気味のリスナーたちは、アルバムを聴き始めた時点では、スピリチュアリティに染まろうとしていたかもしれない。でも、そんな志向を風刺する“ムード・リング”が到来するわけだから、素直かつカジュアルに染まるには居心地が悪すぎる。同時に全否定もされないせいで、余計にすがる対象としての「指針」はこぼれ落ちて消えていく。感動的フィナーレの直前に置かれることで、この風刺曲は、崇拝や依存の対象を求めるファンに釘を刺す機能を果たしているのではないか……対象とされた「サッドガール」というか「サッドリスナー」目線で考えると、厳しいアルバムでもある気がする。結局、一人一人が地に足をつけて生き方を模索するしかない世知辛さすら襲いかねない。そんな現実をわかっていても人生が厳しく険しいからこそ「サッド」たるわけだが、じゃぁどうしようとなると、まぁ、ひとまずアルバムの初心に戻るのはどうだろうか。ロードの言う通り、大自然に目を向けるのだ。別にスピリチュアリティに同調できなくてもいい。我々ヒトは日光を浴びるとセロトニンが分泌されるらしいので、基本的にはいい気分になれる。これぞ「太陽の力(ソーラー・パワー)」である。オール・ヘイル・ザ・サン!

文:辰巳JUNK

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