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UPTOWN SPECIAL Mark Ronson (Sony) by AKIHIRO AOYAMA
MASAAKI KOBAYASHI
January 27, 2015
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UPTOWN SPECIAL

著名プロデューサーの「キャリア・ルネッサンス」は
原点回帰にしてソウル/ファンク時代の今も刻む

マーク・ロンソンの名前を聞いて、あなたはどんなイメージを真っ先に思い浮かべるだろうか。言うまでもなく、彼は現在も多くの話題作に名を連ねる大物プロデューサーの一人であり、近年は著名俳優/モデルの結婚式でDJを務めるセレブDJとしての逸話もたくさん漏れ伝わってくる。ただ、大半の人にとってのマーク・ロンソンは、エイミー・ワインハウス『バック・トゥ・ブラック』のプロデュースを手掛けた人物というイメージがいまだに強いはずだ。それもある意味致し方ないことなのかもしれない。何しろ、アデルやラナ・デル・レイ、直近ではミーガン・トレイナーに至るまでの女性シンガーのレトロ・ソウル回帰に先鞭を付けた同作以降、彼のキャリアが決定的な代表作/代表曲を生むことなく今日に至っているのは否定しがたい事実だったのだから。

しかし、一人のアーティスト/プロデューサーとしての創作面での停滞期もようやく終わりを迎えたと言っていいだろう。本人が言うところの「キャリア・ルネッサンス」の発端かつ決定打となったのは、昨年末のクリスマス・シーズンにリリースされた“アップタウン・ファンク”である。ブルーノ・マーズを共作兼ヴォーカルに迎えた、素晴らしくグルーヴィなディスコ/ファンクは、英米同時一位を獲得し現在もヒット・チャートを独走中。2013年の“ゲット・ラッキー”、2014年の“ハッピー”に続いて、2015年を象徴するベスト・ポップ・ソングの座は早くも“アップタウン・ファンク”で決まりだと断言できる。

“アップタウン・ファンク”が生んだ大波に続く形でリリースされたこの『アップタウン・スペシャル』も、マーク・ロンソンのソロ・キャリア中では最良の一枚であり、今後の代表作になることが確約された充実の内容に仕上がっている。ボビー・バードが乗り移ったかのようなミスティカルの煽りが強烈なJBファンク“フィール・ライト”や、共同プロデューサーとして重要な役割を果たしているジェフ・バスカーが歌うプリンス風の“イン・ケイス・オブ・ファイア”を筆頭に、全体の印象を決定付けているのは70~80年代初頭のソウル/ファンクへのオマージュ。その象徴として、アルバムの最初と最後を飾るのはスティーヴィー・ワンダーによるハーモニカのメロディである。また、テイム・インパラのケヴィン・パーカーがマイクを取る3曲には、スティーリー・ダンを髣髴させるようなソフト・ロックのヴァイヴもあり、70~80年代のフレイヴァーにさらなる奥行きを与えている。

ジャスティン・ティンバーレイク『ザ・20/20・エクスペリエンス』やダフト・パンク『ランダム・アクセス・メモリーズ』以降、特にアメリカのポップ・シーンにおいてソウル/ファンク回帰の潮流が見られ、近年のEDMに対するオルタナティヴとしての機能を果たしてきたことは何度か指摘した通り。『アップタウン・スペシャル』もその系譜に位置するポップ・レコードとして世界的に受け入れられているのは間違いない。ただ、マーク・ロンソンがそのような批評性を込めて本作を制作したのかと問われれば、答えはノーだと思う。彼にとってのソウル/ファンク回帰は、言ってみれば自身のルーツへの回帰でもあり、試み自体は『バック・トゥ・ブラック』や『ヴァージョン』での50~60年代ソウルへのオマージュの延長線上にある。時流との合致は、マーク・ロンソンにとってはきっと偶然の産物に過ぎないだろう。しかし、それだけに本作には、小難しいことを抜きにしてリスナーの気持ちをアップリフトする、溌剌として濁りのないタイムレスなグッド・ヴァイヴがある。そして、それこそが素晴らしいポップ・ミュージックにとって何よりの必要十分条件であり、『アップタウン・スペシャル』がその条件を満たす2015年最初のポップ・レコードであることは疑いようがない。

文:青山晃大

名手マーク・ロンソンは、時流のディスコ/ファンク路線を
改めて踏襲しただけなのか? 否か?

マーク・ロンソン、ズルいなあ、というか、やり方がうまいなあ。ブルーノ・マーズ客演の先行カット“アップタウン・ファンク”、歌い出しこそスヌープ・ドッグ“エイント・ノー・ファン”のネイト・ドッグと同じなのに、途中からギャップ・バンドの82年の“アウトスタンディング”みたいなメロを歌ってしまっている“アイ・キャント・ルーズ”、テイム・インパラのケヴィン・パーカーをフィーチャーし、ベースラインがレイ・パーカーJr.&レイディオみたいな“ダフォディルス”……このあたりは、まず、1980年から85年くらいまでのディスコでかかっていたような曲に馴染みのある人たちの耳を引きつけてしまう魅力を持っている。

勿論、“アップタウン・ファンク”が、目下特大ヒットを記録中なのは、これが、マーズ自身の2013年の大ヒット曲“トレジャー”で聴かせたディスコ/ファンク路線を継承している、という端的な理由が考えられる。路線継承という話になれば、アルバムでは、この曲のすぐ前に入っている“フィール・ライト”では、2012年末にカムバック曲として、タイトルのみならず、ヴォーカル・スタイルまで、ジェイムス・ブラウンの流儀を意識しまくった“ヒット・ミー”を出してみたら、評判のよかったミスティカルを起用し、今度はトラックまで本家JBの“ソウル・パワー”あたりに限りなく似せて、上書きと言うか、ダメ押ししているかのようだ。もっとも、ミスティカルとすれば、これがここに収録されることで、ラップ・ファン以外の今どきの音楽ファンにもアピールできて好都合だ。ちなみに、この曲のプロデュースには、ボーイズ・ノイズも加わっているという(いったいどの部分?)。

思いかえせば、マーズの“トレジャー”は、モデルとなったブレイクボットの“ベイビー・アイム・ユアーズ”のフレンチ・タッチな部分を大きく後退させ、ブギー感覚を活かしきったまま、ファンクのナマっぽい部分を全面に押し出したスタイルだった。それに比べて、と言ってはなんだが、今回の“アップタウン・ファンク”では、表向き、というか、ちょっと聞いたところでは、ザップやザ・タイム等の80年代初頭のファンクを参照しているように聴こえるのだけれど、曲の中ほどのブレイクで、あからさまにビルドアップしていって、サビをシャウトさせて盛り上げる作り(そして、ビルドアップ部分に選んだ音色)は(ビルドアップ後のドロップが命でもある)EDMに馴染んだ2014年以降のリスナーを無意識に意識しているのではないだろうか。そういえば、ディスコっぽく始まった“ダフォディルス”も途中からエレ・ポップ仕様の音色が勢力を増してくる(制作にシミアン・モバイル・ディスコのジェイムス・フォードが加わっていることが判明)。勿論、往時のザップやザ・タイムの楽曲も、また、“アップタウン・ファンク”に総合的に最もよく似ていると評判のワン・ウェイの85年の“レッツ・トーク”も、ドロップに向かってビルドアップなどしていない。

そう考えてみると、“トレジャー”と“アップタウン・ファンク”の向いている方向は、一概に同じとは言えない。と同時に、どちらのプロデュースにもブルーノ・マーズとフィリップ・ローレンスが関わっているのも興味深い。そこから一歩下がって俯瞰してみると、このアルバムには、後者の曲を含め、全曲、マーク・ロンソンだけでなく、ジェフ・バスカーも関わっているし、曲によってはエミール・ヘイニーも加わっている。

ロンソン、バスカー、ヘイニーの3人は、マーズのアルバム『アンオーソドックス・ジュークボックス』にも大きく(全体の40パーセント程度)関わっていた。三人は、件の“トレジャー”には全くノー・タッチだった事実を踏まえるなら、彼らには、矛盾した表現かもしれないが、マーズたちをも巻き込み、二重の意味で、100パーセント自分たちなりの『アンオーソドックス・ジュークボックス』を作ってやれ、という密かな野望があったのかもしれない。

上で触れた、3~6曲目以外では、実は本作は、ヘイニーが加わったせいなのか、どこかFKAツイッグス仕事以降を感じさせる音響と、なぜかスティーヴィー・ワンダーのハーモニカ・ソロを組み合わせたイントロで幕を開け、2曲目のケヴィン・パーカーが歌う“サマー・ブリーズ”や、最後から2曲目のアンドリュー・ワイアットが歌う“ヘヴィ・アンド・ローリング”からは、80年周辺のクリストファー・クロスやらボズ・スキャッグスやらブガティ&マスカーあたりのAORムードらしきものが感じとれる。

ただ、イントロとアウトロは、基本的には7曲目のヴァージョン違いであったり、全収録時間39分以下という、この楽曲集が、もしも本当にジュークボックスだとしたら、時の試練に耐えられる曲しか入れていない自信のあらわれなのだろうか。本作には、どこかで聴いたことがあるような、既に時の試練に耐えたフレーズやらなにかが多いのは確かだ。“リーヴィング・ロスフェリス”に、ビートルズを聴いてしまう音楽ファンも相当数いるのではないだろうか。

文:小林雅明

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