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KALEIDOSCOPIC ANIMA New House (Second Royal) by AKIHIRO AOYAMA
JUNNOSUKE AMAI
September 17, 2014
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KALEIDOSCOPIC ANIMA

世界中の豊かな音楽を今・自らのサウンドに溶け込ませ、
雄大な歴史と慎ましい現在の交差点を思い描いた新境地

サイケデリックな意匠の向こうにフォーク・ミュージックの温もりを感じさせる、幻想的でありつつも牧歌的なオープニング・トラック――“ザ・リヴァー・シンガーズ”を聴いて、頭に浮かんだのは映画『オー・ブラザー!』のワンシーンだった。それは脱獄囚の主人公3人が道中でバプテスト派の集団と出くわし、宗徒たちが“ダウン・トゥ・ザ・リヴァー・トゥ・プレイ”を口ずさみながら洗礼を受けるために河へと入っていくシーン。“ダウン・トゥ・ザ・リヴァー・トゥ・プレイ”はアメリカで1860年代頃から歌い継がれてきたトラッド・ソングで、アリソン・クラウスによるカヴァーを収録した『オー・ブラザー!』のサウンドトラックは大ヒットを記録し、その後のアメリカーナ・リヴァイヴァルに多大な貢献を果たしたのは有名な話である。

何百年もの間、人々によって受け継がれてきた音楽的遺産を現代的なポップ・フォーマットに取り込み再興する手法は、特に2000年代以降の英米インディ・シーンにおいては数多く試みられてきたが、この『カレイドスコーピック・アニマ』でニュー・ハウスが志した新たな方向性もそれと近いものがあるように思う。ただ、英米のアーティストの多くが自らの血筋に流れる「ルーツ」に意識的なのに対し、現在と地続きの民族的な音楽ルーツを持たない日本人の彼らはもっとカジュアルで自由だ。

本作の影響源の一端として、彼らはアフリカや中東のフォーク・ミュージック、南米のフォルクローレといった非西洋圏の音楽を挙げている。チャントのようなコーラスが繰り返される“ブロウ・ウィンド・ブロウ”やフォルクローレの笛に似た上音がノスタルジックな“サンセット・ミラージュ”、エレクトリックな“pt1”と同じギター・フレーズをアコースティックにアレンジした“ユア・カレイドスコーピック・アニマpt2”等々、それらの要素が顕著に垣間見えるトラックも多い。とは言え、それはあくまでさりげなく、自然な形でニュー・ハウスの音楽の中に溶け込んでいる。ブルックリン周辺を筆頭とするUSインディ・シーンから譲り受けたトリッピーなポップ・センスはそのままに、より豊かで地に足の着いた、有機的なサウンドへ。前作『バーニング・シップ・フラクタル』がアニマル・コレクティヴを参照点として自らのインナースペースに深く潜航しようとした作品だとすれば、本作はもっと日常的で生活の傍らにそっと寄り添うような、広い意味でのフォーク・ミュージック的な色合いを強めた1枚とも言えるだろう。

ここで彼らは、河や山、木々や岩といった大自然のイメージと、他愛もない楽しみに彩られた市井のイメージを混在させた詞を歌う。“ナチュラル・ブレッシング”で繰り返される「A hundred years becomes a moment, A moment becomes a hundred years.(百年が瞬間になり、瞬間が百年になる)」というフレーズがとても象徴的だ。悠久の時の流れの中で育まれてきた世界各地の音楽を受け継ぎながら、今この瞬間を生きる自分の音楽を鳴らすことが、また新たな百年へと繋がっていく――。この『カレイドスコーピック・アニマ』でニュー・ハウスが思い描いていたのは、雄大であると同時に慎ましくもある、歴史と現在の交差点についてなんじゃないだろうか。

文:青山晃大

海外インディや国内シーンとの文脈を踏まえた上で、それでもなお
彼らの才気が十二分に窺える、名刺代わりに聴きたい2nd

彼らの1stアルバム『バーニング・シップ・フラクタル』について、アニマル・コレクティヴが引き合いに出されるのも無理からぬ話に思える。先の記事で紹介されたような「シーン」が存在することを自分は知らなかったが、ともあれ、リリースされた2012年の時点で『バーニング~』が、アニコレやイェーセイヤーを始めとした2000年代のUSインディ発モダン・サイケデリアに対する日本/東京からの応答として格好のサンプルだった、という評価は理解に容易い。それこそ、アニコレでいえば『フィールズ』以降『ストロベリー・ジャム』前後の惚けるような高揚感と陶酔感、あのエレクトロニクスとパーカッションが寄せ返すとめどないうねりの反響を、『バーニング~』には確かに聴き取ることができる。そして、その屈託や衒いのなさは、彼らの最大のチャームポイントでもあるのだろう。

2000年代のUSモダン・サイケデリアの背景には、フリー・フォークも経由した担い手らのアメリカーナやルーツ音楽への深い造詣があった。そういう意味では、同じ東京でも彼らとは毛色の異なる“東京インディ”のSSWやコレクティヴの何組かの方がむしろ、2000年代のUSモダン・サイケデリアとは素養的に親和性や連続性が高いように思える。かたや『バーニング~』には、アメリカーナやルーツ音楽の痕跡は表立って見当たらない。そこからさらに3年前のデビューEP『ウォント・アローン・バット・ヘルプ・ミー』ではプレッピーなニューウェイヴ風情のギター・ロック・バンドだった彼らは、どのようにしてあの深く彫り込まれたサイケデリック・サウンドを手に入れたのだろう。ふたつの作品の間には「トロピカル」「アフロ」といったワードで導線を引くこともできるが、同時に大きなミッシングリンクを意識させる。逆に言えば、そこが個人的に好奇心を引かれるところであり、今回の2ndアルバム『カレイドスコーピック・アニマ』に寄せられる期待と注視のひとつではないかと思う。

『カレイドスコーピック~』は音楽的に、前作『バーニング~』の延長線上にあると言っていい。“ナチュラル・ブレシングス”や“アルマ・アルバ”に顕著なようにカラフルで陽性のサイケデリアは健在だが、ただし、アルバム全体のテンションはいくぶんリラックスした様子で、ペースもスロウ・ダウンした印象を受ける。“ザ・リヴァー・シンガーズ”や“ユア・カレイドスコーピック・アニマ・Pt2”で聴けるアコースティック楽器の瑞々しい音色、“サンセット・ミラージュ”のまったりとしたヴァイヴにそれは特徴的かもしれない。たとえば『バーニング~』のサイケデリアが鬱蒼とした緑地帯とするならば、本作のそれは太陽の光が感じられる浅瀬のイメージ。結果、エレクトロニックなレイヤーやダビーなエコーで覆われていた彼らの“唄心”のようなものが、本作ではありありと感じられるようだ。

そして、“ブロウ・ウィンド・ブロウ”や“ランドスケープ”の躍動感あふれる楽器のアンサンブルと溌剌としたジャムは、彼らが「バンド」であることを思い出させてくれる。あるいは、ギター・インストゥルメンタルとヴォーカル・ハーモニーだけで魅せる“ユア・カレイドスコーピック・アニマ・Pt1”は、『バーニング~』収録の“コラージュ・オブ・シーズン”に連なる、アンビエントやドローンを彼らなりのマナーで提示したナンバーだろうか。その音楽的な参照点を包み隠さぬような雑食性はそのままに、それでも前作を「習作」扱いにするだけの音楽的な錬成、ソングライティングの熟慮が実を結んでいることを本作は実感させる。たとえば本作のマスタリングを前出のアニコレ作品やムームの最近作も手がけたアラン・ドーチェスが務めていることも、さもありなんだが、あくまで結果論に過ぎなく思えてこなくもない。

ニュー・ハウスという存在を外野にも周知させる作品。『カレイドスコーピック~』のリリースは後々振り返った時、そういうトピカルな出来事となるのではないか。それは言い換えれば、海外インディ・ロックとの同時代性や、国内シーンのトレンド云々といった相対的な文脈から引かれた評価の線を自身の手で引き直す、という機会にほかならない。

文:天井潤之介

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