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WANG 王舟 (Felicity) by RYOTA TANAKA
JUNNOSUKE AMAI
July 15, 2014
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WANG

シーンからもっとも渇望されたデビュー・アルバムは
期待の押し売りもなんのその、ただ飄々と日々に弾む

王舟と書いて“おうしゅう”と呼ばれるシンガー・ソングライターが8曲入りのCDR『賛成』をリリースしたのは2010年3月のこと。全てが本人の演奏による、エクスペリメンタルな趣の強いデビュー作だった。そして、その4ヶ月後という短いスパンで4曲入りの『Thailand』が発表。うってかわって、こちらの作品には、両作のリリース元であるレーベル〈鳥獣虫魚〉界隈のミュージシャンが多数参加。開放的なムードのフォーキー・ポップス作となっていた。2作とも10年代の国内インディを振り返る上で、決して見落とせない作品ではあるが、やはり『Thailand』こそ彼のソングライティングの才を表現しえた名作だろう。内省的な『賛成』から快活で躍動的な『Thailand』へという、表現者としての振り幅にもまた、驚きや興奮を得たことを覚えている。しかし、それら2作の矢継ぎ早のリリースからすると意外なまでの長い時間、初のアルバム『Wang』の発表までは、なんと4年をも費やすこととなった。

『Thailand』以降リリースこそなかったが、インディ・シーンにおける王舟の存在感は着々と増していったと言える。〈Tonofon Festival 2011〉で200枚のCDRを売り切ったという武勇伝こそあるものの、あくまで自身の地場を尊重しつつ、飄々とした活動の果てにいつの間にかその支持層があちこちへと拡がっていったという印象だ。音楽家としてのホームグラウンドは、やはり〈鳥獣虫魚〉を運営している八丁堀のギャラリー七針となるのだろう。今作でも、岸田佳也、mmm、フジワラサトシ、柱谷、さらにoono yuuki、kyooといった〈鳥獣虫魚〉作品に参加することが多く、これまで王舟のバンド編成にも度々加入してきた面々がパーソネルとなっている。王舟自身もいくつかのレーベル作品でミックス/マスタリングを担当したり、muffinのバックを努めたりと、七針を拠点としたミュージシャンの交流において、その不可欠な一要素であることは特筆しておきたい。

また、今作の参加ミュージシャンを追っていくと、王舟の軽やかな越境が浮き彫りとなる。共通点はこの4年で一度でも王舟バンドへ参加した経験があるということだろうか。いくつか名前をあげていくなら、伴瀬朝彦は、片想い、ホライズン山下宅配便のメンバーであり、ceroやVIDEOTAPEMUSICなどとも深い絆を持つ武蔵野の音楽集団とんちれこーどの要人。なお、ceroの高城晶平とシャムキャッツの夏目智之が交流を深めるきっかけとなったのも王舟で、彼が取り組んでいる映像プロジェクトKING FILMに2人の即興での共作模様が収められている。そのかすがいたるや!さらに前述した七針オールスターズとでも呼びたくなる面々に加え、Quattroの潮田雄一、森ゆになど異なる基盤を持つミュージシャンらの名前も並ぶ。前述した2作のCDR作品は僅かな店舗での販売であり、決してアクセスしやすいパッケージではなかった。だが、この数年で王舟という存在は、東京のインディ・カルチャーに一歩踏み込もうとすれば、それがどんな角度からであってもまず当たってしまう名前となっていたのは間違いない。ceroやシャムキャッツ、ミツメらの状況の加速とも比例し、次は王舟とのシーンの期待も膨れる一方だった。

かように今作『Wang』は、近年稀に見るほど待望されてきたアルバムだ。だが、いざ耳を通してみると、大げさな煽り文句はモジモジと舞台袖に引っ込んでしまった。あまりにさらりと、そして軽やかに流れていく音楽に、正直最初は拍子抜けしたほどだ。作風としては、それが紆余曲折を経ての回帰か、長い時間をかけての熟成なのかはわからないが(おそらくその両方ではないか)、『Thailand』と地続きとなっている。『賛成』ではメランコリックなフォークトロニカ然としていた“瞬間”が、『Thailand』以降のライヴでのパーカッシヴなカーニバル・アレンジで収録されていることからも、今作の方向性がうかがえるだろう。さらに『Thailand』に収録されていた2曲“tatebue”、“Thailand”のリメイクで、そのねらいは明確となる。ラフな録音が生々しさとして魅力になっていたCDR時と比して、今作はより輪郭のはっきりとした音像で、丁寧に音が紡がれていることがわかる。あっさりした耳辺りがとても心地よい。そして、王舟の歌声は今まででもっとも穏やかだ。ともすればお風呂での鼻歌かと思わんばかりに、歌うことの気持ちよさが滲み出た彼の歌唱にはどうにも頬の緩みが収まらない。

8曲目に挟まれたインスト小品のタイトル“My first ragtime”が象徴的に思える。フォークにカントリー、ニューオリンズと大陸的なサウンドが基調となっている作品だが、ルーツ探求という泥濘の道を突き進むのではなく、楽しく伸びやかに、文字通り初めての経験であるかのように音を鳴らしているアルバムだ。もしかするとこの4年間は王舟にとって、そしてそれ以上に自分のような古参リスナーにとってこそ、彼の音楽を気負いなく受け止めるために必要な時間だったのかもしれない。数年前、現在の国内インディ・シーンが初期衝動的な混沌にあった時期ならば、このなんてなさへと拍子抜けしたまま、あれまと消費してしまった恐れさえある。各々のバンドが次のステップへと足を伸ばし始め、シーンとしては少し落ち着きつつある今こそ、このシンガー・ソングライターの柔らかさはしっくりと馴染む。

もちろん今作で初めて彼の音楽と出会うなら、そんな身構えは一ミリたりとも不要だ。そばを通るだけで耳を奪われてしまう声とメロディがある。聴きとれるままにぼんやり口ずさんだり、お風呂で鼻歌で歌ったりすればいい。和やかで優雅なアンサンブルにあわせ、楽しく踊ることだってできる。今年屈指の名盤とか、シーンの最重要作とか、そういった言い方もできるだろう。だが、僕にとってこのアルバムは今ここにあることへと、ささやかに感謝したくなる音楽だ。そして、この2014年においてはいっそう、『Wang』は生活に執着する手段のひとつとなっている。

文:田中亮太

いまの“東京”を代表するひとりのシンガー・ソングライターが、
待ち望まれた1stアルバムで描き出す、愉しくも贅沢な音楽百景

王舟のライヴを初めて見たのは4年前、2枚目のCDR『Thailand』のレコ発だった。レーベル〈鳥獣虫魚〉を運営する東京八丁堀のアートスペース、七針に初めて足を運ぶと、こぢんまりとした空間にぎっちりと詰めたセプテットの居住まいに、まず耳より先に目を奪われたことを思い出す。oono yuukiやミーマイモーを始めとした顔ぶれがサポートを務め、賑やかな食卓を囲むように音楽を酌み交わす、それは愉しくも贅沢な室内楽を思わせた。以来、さまざまな編成やシチュエーションで演奏を見る機会があったが、王舟の音楽を聴くとき、その歌や楽器の連なりは自分の中であの光景の記憶と共にあり続けている。そして、思い返せばその日を境に、日本の若いミュージシャンの演奏の場に足繁く通うようになった自分にとって、あの光景はそれから目にすることになるすべて、の原風景だったと言っていい。

実際に作品を聴いたり演奏を見たりすることはもちろん、たとえばレコードを買うために街までバスで出かけ、その際目にした車窓を流れる景色、耳にした人々の会話等まで含めた“手触りの記憶”として、デジタル以前の時代への郷愁と共に自身の「音楽体験」を語っていたのはベックだった。たしか『ソング・リーダー』発表時のインタヴューだったはずだが、その記事の中でベックは、音楽のことを「vehicle(乗り物)」と形容し、ベックにとって音楽が、(移動目的であると同時に)それを聴いたり見たりするための場所へと自分を運ぶ「移動手段」でもあった、という実感が語られていたことが印象深い。そして、話を繋げれば自分にとっての王舟も、どこかこの「乗り物」のようなものだった気がする、と言ったら個人的な語りに引き寄せすぎだろうか。けれど、たとえば王舟のライヴで客演/共演者として知り得た演奏家、その演奏家を追って訪れた場所、その先での新たな音楽との出会い……といった体験や記憶と、王舟の音楽は自分の中で分かち難く結びついている。さらに言えば、そうして王舟の音楽に誘われるようにして移動を続けることで、点と点が線で結ばれ、その線が絡み合って像を結ぶ蜘蛛の巣のような図形こそ、あえて言葉を選べば“東京のインディ・シーン”と呼ばれるものの個人的な実感に近い。

翻って、言うまでもなく王舟自身もまた、さまざまな人や場所に巡り合い移動し続けた、この4年間だったのだろう。2011年にトクマルシューゴが主催した〈Tonofon Festival〉への出演は、王舟の名前を広く知らせるきっかけとなったが、そうして活動の機会を広げ、編成も流動的に形を変えながら、その音楽は時間をかけてゆっくりと深い綾を織り上げてきた。たとえば“tatebue”や“Thailand”といったそのスタンダード・ナンバーが、演奏を重ねる中で表情を微妙に移ろわせていく様子は、時々にアレンジを加えたりフレーズを持ち寄ったりすることで長く歌い継がれてきたブルースやフォークの伝統を連想させておもしろい。

王舟の音楽が喚起させる情感は、自分の場合“旅情”のようなものに近い。もっとも、「上海出身の東京生活者」というプロフィールに浪漫めいたものを必要以上に感じてしまっている部分もあるのかもしれないが、日本語と英詩を織り交ぜ撹拌したような独特の歌い口には、クレオール的と言ったら変だが、薫(くゆ)るやわらかな歌声と相まってどこかエキゾチックな響きも聴こえる。たとえるなら、ボサノヴァのサウダーヂにも似た感覚だろうか。そして、この1stアルバム『Wang』にクレジットされた共演の演奏家の名前を眺めながら、それぞれの楽曲がここにたどり着くまでの4年間の道程について想像する。そのレコーディングに参加している顔ぶれの多くは、自分がこの4年の間に足を運んださまざまな機会に知り得た演奏家の名前でもある、という個人的な感慨もあるのだけど、それにしても本作に編まれた賑々しい音楽を聴いていると、それらが生まれた場所やそこで過ぎた時間について想いを馳せずにはいられない。

前述のセプテットのメンバーも含む総勢15名の演奏家と、色とりどりの楽器を乗せて、アメリカーナ的音楽風景を悠々と巡る。先々で乗客を降ろして新たな乗客を迎え、積み荷も入れ替えるようにして楽曲ごとに異なる編成と楽器でアルバムが続く様子は、もちろん「舟」もいいが、個人的には「駅馬車」がイメージにふさわしい。そして、“tatebue”で始まり“Thailand”で終わる初期の代表曲で挟まれた構成からは、円環を一周するように今日までのキャリアを辿る足取りも浮かび上がる。カリブ海を遠くに望む海岸線を進み、ルイジアナの酒場を抜けてアラバマの田園地帯へと視界が開けるような“瞬間”から“dixi”、“boat”への眺め。あるいは、19世紀末のディープ・サウスと70年代のサンフランシスコを往来するような“My first ragtime”と“windy”の奥行き。そうしてさまざまな景色を映し出しながら、そこには、ベックが話したような王舟の「音楽体験」がありありと感じられる。本作『Wang』は、まさに現時点で王舟の集大成と呼べる作品だろう。

中盤に置かれた“New Song”も素晴らしい。3年前にユーチューブで公開された演奏風景の映像では11人の大所帯だったが、今回はどのような編成で録音されたのだろうか。王舟らしい、愉しくも贅沢なチェンバー・ポップの新たなクラシックだ。

次のアルバムは4年後、ということはさすがにないだろう。けれど、ここに収められた新たな楽曲が、この行く先々でどのように演奏され、経年変化のように表情を変えていくのか、興味が湧く。『Wang』は集大成と書いたばかりだが、そういう意味では、あくまで“移動”の途上を捉えた一枚のスケッチに過ぎない、のかもしれない。

文:天井潤之介

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