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PANDA BEAR MEETS THE GRIM REAPER Panda Bear (Hostess) by YUYA SHIMIZU
JUNNOSUKE AMAI
January 15, 2015
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PANDA BEAR MEETS THE GRIM REAPER

海の底で死神と出会った船乗りが
港に戻って上げる勝利の凱歌

アニマル・コレクティヴが傑作『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』をリリースした2009年、ブラインド・マンズ・カラーというアニマル・コレクティヴそっくりなバンドが現れて秘かな話題となったが、先日パンダ・ベアことノア・レノックスが〈ピッチフォーク〉のインタヴューで語ったところによると、彼は色盲で、緑と青と灰色が混ざり合い、霞んで見えるのだそうだ。本作『パンダ・ベア・ミーツ・ザ・グリム・リーパー(パンダ・ベア、死神と出会う)』のジャケットのごとくカラフルなサウンドを奏でる彼が色盲だという話を聞いて、片耳の聴こえないブライアン・ウィルソンが、あれほどまでにふくよかなサウンドを作り出したことを思い出してしまったのは自分だけだろうか。

『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』を踏襲したようなエンヴェロープ型のパッケージに包まれた本作は、どこかモノトナスだった前作『トムボーイ』とは対照的に、目も眩むような極彩色のメロディと、悪酔いしそうなほどのビートが渦を巻いている。パンダ自身もゲスト参加したダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』や、愛聴しているというトッド・テリエからの影響もあったのだろう、彼のキャリア史上もっともダンサブルな作品になっているが、機能的なだけのクラブ・ミュージックとは一線を画しており、先行シングルとしてリリースされた“ミスター・ノア”を聴いていると、まるで荒れ狂う海に投げ出された船の上にいるかのように目が回り、前後不覚に陥ってしまうはずだ。その船は結局波に飲まれて沈んでしまったのだろうか、船乗りの言葉で“海の底“を意味するインスト曲“デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー”を挟んで、アルバムはどこか幻想的な色彩を帯びていくことになる。

それが死後の世界を意味するのだとしたら、彼が出会った死神の正体とは、もしかしたら彼の父親だったのかもしれない。ノアの父親は2002年に脳腫瘍でこの世を去っており、2004年にリリースされたソロ・アルバム『ヤング・プレイヤー』はその父親に捧げられた、文字通り“言葉にならない祈り”のような作品だった。今回のアルバムにも父親のことを歌った“トロピック・オブ・キャンサー”という曲が収録されているが、母親がバレリーナだったというノアにとって思い入れの深いチャイコフスキーの“くるみ割り人形”からのサンプルに乗せて彼が歌うのは、父親を殺した癌さえも受け入れようとする、超然とした態度だ。自分の父親と同じように、癌細胞も生きようとしただけなのだ――常人には理解も及ばないが、そんな風に考えることで、ようやく彼は父親の死を乗り越えることができたのだろう。だからこそアルバムの後半に配された“プリンシペ・レアル”には、これまでにないほどの高揚感が溢れている。

海の底で死神と出会ったノアが最後に歌う“アシッド・ウォッシュ”は、まるで港に戻った船乗りたちの凱歌のようだ。

「海に出た/一艘の船が/波を切るように/大声をあげて/君は闇に/打ち勝ったから」

文:清水祐也

バンドとソロのキャリアが交差する場所に残された自身の足跡を、
参照し、捉え直し、新たな着想と結びつけることで得た音楽的充実

アニマル・コレクティヴの作品とソロの作品は“異花受粉”の間柄にある。そう語るパンダ・ベアことノア・レノックスにとって、両者のディスコグラフィの間には類似性や近接性が意識されていると言い、たとえば2007年のソロ『パーソン・ピッチ』と続く『トムボーイ』について、アニマル・コレクティヴの前作『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』の両隣に置かれたブックエンドのような関係と説明していたのが印象深い。なるほど、その3枚のアルバムにはレノックスのヒップホップやダブ、あるいはアンビエントに対する関心が通奏低音のように思慮深く脈打って感じられた。アニマル・コレクティヴの作品とは、いわくその時点のメンバー各々の音楽嗜好が隣り合う分岐点を反映したものである。基本的にはその民主的なスタンスを崩さない彼らだが、たとえばアニマル・コレクティヴの最新作『センティピード・ヘルツ』がその情報量が多くコラージュめいた音の造形において、むしろもう一人のメイン・ソングライターであるエイヴィ・テアことデイヴ・ポートナーのソロや昨年のスラッシャー・フリックス名義の作品との類似性や近接性を意識させるのに比べ、その3枚のアルバムは、どこかレノックスによる連作とでも呼びたい響き合う趣を漂わせたものだった。

一方、アニマル・コレクティヴにおいて、ライヴでの演奏が実践的な創作の機会として曲作りのプロセスに組み込まれていることはご存知の通りである。彼らのライヴでは、たとえアルバムのリリース・タイミングであってもセットリストの大半を未発表の新曲が占めて観客を当惑させた、なんてエピソードに事欠かない。最近ではそこまで極端なケースはないようだが、つまり、彼らにとってライヴとは単なる楽曲披露の場ではなく、いわばリハーサル・ルームの代替か延長として捉えられていると見る方がふさわしい。そして、話を戻せば、そうした一種のワーク・イン・プログレス的な過程も積極的に含んだアニマル・コレクティヴのディスコグラフィと応答し合い、かつ、それとグラデーションを描くような連続性の上にパンダ・ベアのディスコグラフィが(少なくともレノックス自身の中で)位置づけられていることは、やはり留意しておきたいポイントだと思われる。

リリースのアナウンスと同時に伝えられたように、ニュー・アルバムの本作『パンダ・ベア・ミーツ・ザ・グリム・リーパー』では、サンプリングを曲作りの中心に据えたアプローチが再び選び取られている。その意味で、これも事前に予想されていた通り、音楽のスタイル的には『パーソン・ピッチ』に近いとひとまず見ていい。ただし、本作が異なるのは、自分で演奏や制作した音源もサンプルとして多く使われていること。『パーソン・ピッチ』では全体の9割以上を占めたサンプル・パートのうち自作の割合は10%程度だったらしく、リリース元の〈ドミノ〉が言う“彼の音の道具箱を再び開けた”作品とは、単純にいかない。

そして、アニマル・コレクティヴの近作との関わりにおいてむしろ重要だと思われるのは、本作用にレノックスが制作したサンプルについて、いわくスタジオ・プロダクションとしてよりもライヴ・パフォーマンスを意識してそれがデザインされたものであるという点だろう。昨年の〈ピッチフォーク〉のインタヴューからは、実際にソフトウェアでプログラミングされた音源をステージ上でライヴ・パフォーマンスに変換/還元するプロセスを通じた試行錯誤が、本作の制作過程でアイデア創出の大きな糧になった様子がうかがえて興味深い。たとえばそこで思い出されるのは、一昨々年の『センティピード・ヘルツ』ではライヴで音を出しながら曲作りが行われたというエピソードで、未完成の楽曲をライヴに持ち出して練るのではなく、ライヴ・セットそのものがスタジオに持ち込まれた形に近い発想が今回も敷かれたであろうことは、本作の楽曲がアルバム・リリースに先立ち組まれたツアーを通じてまず“生演奏”としてプレヴュー的に披露された経緯とも関係があるのかもしれない。ともあれ、ベッドルーム・ミュージックの変奏としてチルウェイヴの青写真も描いた『パーソン・ピッチ』からは、曲作りのアプローチやスタイルこそ似通えど大きな飛躍を本作には指摘することができる。

ヒップホップの参照項として、前作『トムボーイ』でもたとえばJ・ディラやダスト・ブラザーズのプロデュース・ワーク(ベック『オディレイ』etc)からの影響が明かされていたが、本作でレノックスは元リトル・ブラザーのナインス・ワンダーの名前をそこに挙げている。ジェイ・Z『ブラック・アルバム』へのフックアップで名を知らしめ、近年ではドレイクやケンドリック・ラマーとも仕事を共にしたトラックメイカー/DJだが、その懐深いオールドスクールなセンスと、それこそJ・ディラやマッドリブとも比せられる鋭いサンプリング・マナーを備えた彼の手業が、レノックスのインスピレーションを大いに刺激したことは想像に難くない。それも、『トムボーイ』はヒップホップと同等にギター・サウンドのテクスチャーにも関心が割かれた作品だっただけに、本作はプロダクションの部分でより焦点が絞られた感触を受ける。リード・トラックの“ミスター・ノア”が栓を抜き、そこから溢れ出すように“クロスワーズ”、“ブッチャー・ベイカー・キャンドルスティック・メーカー”と続く色彩とビートの奔流は、アルバム最初のハイライトと言っていい。あるいは、“ボーイズ・ラテン”で聴ける印象的なチャントと波打つようなエレクトロニクスとのハーモニーは、レノックスにとってアニマル・コレクティヴが大きな創造の海であり源泉であり続けていることを再確認させるが、ブリージンな“プリンシプ・リール”然り、ワームが這い回るように敷き詰められた音の細工を縫って強かに打つファットなリズムやドラム・ブレイクが、そのメロディやカラフルなレイヤーをいっそう際立てる揚力の役目を果たしているようだ。

かたや、アルバム後半に置かれた“トロピック・オブ・キャンサー”と“ロンリー・ワンダラー”の2曲。前者はチャイコフスキーのバレエ曲“くるみ割り人形”が、後者はドビュッシーのピアノ曲“アラベスク第一番”がサンプリングされたものだが、その息を呑むような美しさはどうだろう。前作『トムボーイ』では、フランク・シナトラやスコット・ウォーカーも意識した深くて力強いヴォーカルを心がけたと語っていたレノックスだが、ここではその歌唱のトーンを引き上げ、透き通るようにみずみずしく喉を震わせている。そのどこか厳かさもたたえた気配は、癌(=cancer)で亡くした父親に捧げられた11年前の2ndアルバム『ヤング・プレイヤー』を連想させるかもしれない。「死神と対峙する」という不吉なアルバム・タイトルとは裏腹に、しかしそこで表現されるフィーリングとは、ミドルエイジを迎えた一人の大人としての個人的な視点から語られる変化や祝福、人との関わり合いが大きなテーマとされたものであり、あるいは、自身の傍らで日々成長していく二人の子供に向けられた父親としての眼差しがその核となっている。そうした前向きなモチヴェーションも、レノックスが本作のサウンドにより躍動的なテイストを求めたことと結果的に何か関係があるのかもしれない。

時代の先端やシーンの象徴的な役割や期待を担わされた2000年代の頃と現在とでは、アニマル・コレクティヴ周辺を巡る状況や、彼ら自身の意識も大きく異なるのだろう。事実、本作は何か先進性や画期的なアイデアを殊更にプレゼンスするような作品ではない。しかし、前作『トムボーイ』に続きタッグを組むソニック・ブームことピーター・ケンバーとの熟味を増したプロデュース・ワークを含め、その言葉通り掛け持つディスコグラフィの類似性や近接性を意識するように絶えず自らの“足跡”を参照し、過去の達成を習作として捉え直しながら創造の途を進めてきたプログレスの歩みを、本作においても変わらず見て取ることができる。それだけで十分に、いや、だからこそ心が踊らされる感動的な作品だ。

文:天井潤之介

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