本作がアコースティック主体の歌もの作品であることから、過去にリリースされた『セヴン・スワンズ』と比較されることがどうやら少なくない。まだスフィアンが『ミシガン』、『イリノイ』でブレイクする前、04年に発表された『セヴン・スワンズ』は、スフィアンがバンジョーやアコースティック・ギター、シンセ、打楽器など様々な楽器をこなし、また自身も参加していたことがあるダニエルソン・ファミリーのメンバーもコーラスなどでバック・アップ。音数が少なく、音量、音圧も小さい、かなりミニマルかつミニマムなアコースティック作品として、リリース当時から静かな話題となった一枚だ。スフィアンのキャリアが語られる際、この作品が大きくとりあげられる機会は多くないが、実は彼の音楽家、作家としての原点、思想がストレートに反映された重要作であることは間違いない。表面的な音の作りにおいて安易に比較されることには抵抗があるものの、本作の礎になっている作品のひとつが『セヴン・スワンズ』ということは確かに明らかだろう。
なぜなら……と理由を説明する前に、閑話休題、実はこの『セヴン・スワンズ』と同名の映画がある、ということに少し触れておきたい。
その映画とは、1917年にアメリカで制作、公開された『七羽の白鳥』。残念ながら筆者は見たことがないが(時代からしてもサイレントだったことは間違いない)、奇しくもスフィアンが最も影響を受けた時代とされる20世紀初頭のアメリカで作られたものだ。しかも、あらすじを探ってみると、J・サール・ドウリーが原作者とされてはいるものの、どうやらグリム童話『6羽の白鳥』に材を穫ったもの。ディテールに違いはもちろんあるが、昔々のある王国において、継母の身勝手から白鳥に姿を変えられてしまった兄たちのために、末娘が沈黙を守りながら兄たちが人間の姿に戻るための着物を織り、最後は無事に人間に戻すことができる……というおおまかなストーリーは確かに共通している。
そこで、貴方のお手元にあるスフィアンのアルバム『セヴン・スワンズ』のブックレットを改めて見直してみてほしい。裏に描かれているのは6羽の白鳥。正しくは2羽の大人のスワンと4羽の子……それは親子と思しき6羽が浮かんだ素描である。タイトルは7なのに6とはいかに?……と招く疑問の謎を解くカギはここにあると言っていいだろう。これは同名映画と、その背後にある、7羽ではなく6羽の白鳥をモチーフにしたグリム童話を伏線とする作品なのではないか、と。
スフィアンが自分が生まれる遥か昔に発表されていたこれらの童話や映画を実際に下地にして『セヴン・スワンズ』の構想を練り、楽曲制作に入ったかどうかはわからない。だが、ヤーコプとヴィルヘルムによるドイツのグリム兄弟が、民話収集家、文学者としてキリスト教の影響を強く受けていることは有名だ。また、『6羽の白鳥』を含めた多くの作品は、様々な神話や寓話の出自についての取材を重ねた末に誕生していること、非現実的なまでの魔術的要素をあくまでメルヘンとして還元させる手法をとっていることでも知られている……。そう、もうお気づきだろう、これはスフィアンの音楽家としての、作家としてのスタイル、思想と酷似してはいまいか。
実際に『セヴン・スワンズ』はリリックにおいて、多くの部分でキリスト教思想を怪奇小説さながらのメルヘンへと落とし込んだ作品だ。そして、そこから約11年を経過して届いたこの新作『キャリー・アンド・ローウェル』は、『セヴン・スワンズ』で編んだ7(6)羽の白鳥の物語をよりパーソナルに……いやパーソナルとするのもひとつの視点だろうが、むしろ、個人の体験をあくまでモチーフとし、これまで様々な罪や過ちを正当化してきた米国の歴史に対する正しい認識や現在抱える社会背景までもを貫こうとしたとてつもなくジャーナリスティックでクリティカルなアルバムであると断言できる。
映画『7羽の白鳥』とグリム童話『6羽の白鳥』、そしてスフィアンのこの『キャリー・アンド・ローウェル』とを繋ぐもうひとつの重要なファクター。それは、義理の親という存在が子供に与える違和感と畏怖である。その2作品では先妻との間に誕生していた王様の子供たちが継母によって白鳥に姿を変えられ山の奥に幽閉されてしまう。ただ一人難を逃れた末娘もまた兄たちを救うために口をきくことも許されないという不自由さ……。
さてこの状況設定を、本作『キャリー・アンド・ローウェル』における“ぼく”に置き換えてみよう。継母ではないが、まだ幼い“ぼく”は実母の再婚相手である義理の父との暮らしをある時期から強いられる。まるでヴィヴァルディの『マンドリン協奏曲』のあのお馴染みの第一楽章を思い出させる美しいギターのアルペジオに始まる一曲目“デス・ウィズ・ディグニティ”の歌い出しはこうだ。「僕の沈黙の精よ/おまえの声が聞こえる……」。そして、母さんを許すよ、ぼくを見つけて、と呟いた上で、こうしたフレーズで閉じられるのだ。「5羽の赤いメンドリは二度と僕らに会うことはないだろう」。
本作は、悪魔に呪いをかけられ、足に枷をつけられ、感情を押さえつけられた、かつての“ぼく”による、母親とその再婚相手、そして新たな暮らしへの複雑な思いが逡巡される一人語りのスタイルをとっている。いみじくも、一曲目“デス・ウィズ・ディグニティ”で想起させられたヴィヴァルディの『マンドリン協奏曲』は、母親が出て行った後の父と子の姿を描いたアメリカ映画『クレイマー、クレイマー』のテーマ曲でもあったが、実の親とその子供、そしてそこに加わる義理の親という決してスムーズにはいかない家族関係をモチーフにし、自身の体験から赤裸々な心理を綴った作品、というのが一般的な解釈になるだろう。また、義理の父と迎えた新たな家庭で、言いたいことも言えずただ萎縮するしかなかった小さなぼくという状況が、『6羽の白鳥』『7羽の白鳥』で描かれた末娘とかなり似たアングルであることから、そうしたメルヘン的叙情を好むスフィアンの創作性が発揮された作品とすることも間違いではない。
だが、神の啓示を受け、兄たちを救うために黙々と特殊な織物を準備し、最終的に兄たちを解放させた『6羽の白鳥』での末娘と、解放されたい思いをキリスト教の思想に求めたものの、結局は「十字架の影の中に隠れる場所などない」と気づく(“ノー・シェイド・イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・クロス”)本作での“ぼく”との違い。スフィアンはこの差異にキリスト教思想への讃歌と同時に限界を描こうとしたのではないか。「ジーザス、あなたが必要です」(“ジョン・マイ・ビラヴド”)と叫ぶ一方、「きみを人生に欲しいときだけは讃えるものを探す」と信仰心を揶揄までしてしまうスフィアン。ここがキリスト教のバックグラウンドにあるヨーロッパ神話を元にして徹底的にその思想を美化したグリム童話との大きな違いであるような気がしてならない。
キリスト教思想は確かに多くのヨーロッパの国々、またはそこからの移住者によって誕生したアメリカという国家を大きな存在へと導いた。だが、その結果がこれだ。高い離婚率。減らない私生児。なくなることのない人種差別と格差社会。“God Bless America”という、時にご都合主義とさえ思えるフレーズをタテに、先住民族を虐殺し、アフリカから黒人を奴隷として連行させて歴史を歪ませてきた挙げ句に、世界貿易センタービルに飛行機が突っ込まれた事実を我々はどう受け止めるべきなのか。筆者には本作の彼方にそんなスフィアンの本音が透けて見えてしまってならないのだ。
「ぼくらは平和に争えるだろうか/ぼくの歴史が終わるまで」と綴られた“ジョン・マイ・ビラヴド”という曲を、そういうわけで筆者は“ぼく”と義理の父との関係だけのことを歌ったものであるとは到底思えない。ペガサス、ペルセウス、イカルス、ポセイドンといったギリシャ神話のモチーフをさも救世主のように散々登場させた末に、最後の曲で「赤旗をあげた時は、神様、ぼくに稲妻で触れてください」と信仰の身勝手さをあざ笑う本作を、だからこそ筆者はパーソナルなだけの作品とは絶対に言い切りたくない。
ロバート・ジョンソンのブルーズのようなアコースティック・ギターのフィジカルなグルーヴさえ穏やかな生音の中に感じることができる本作だが、その中に僅かな電子音やノイズが消化し切れずに異物感を残しながら挿入されている事実。スフィアンがそこに与えようとした意味は決して小さくない。異文化、異分子との共存、共栄によってもたらされるべき真の調和とは何なのか。それは果たして“ぼく”も時としてそこに依存してしまう信仰心なくしてはなしえないものなのか。
今のアメリカにはスフィアン・スティーヴンスという素晴らしい音楽家、作家、リベラルな歴史認識者がいる。本作のあまりにも奥床しい仕上がりは、それだけで十分だと言わしめるものかもしれない。けれど、本作が世に産み落とされた事実を我々がどう受け止めるかによってこれからの歴史はきっと変わっていく。優れた表現者の存在とはそうしたものだ。
スフィアン・スティーヴンスの代表作である2003年の『ミシガン』と2005年の『イリノイ』は、“アメリカ50州をアルバム化するプロジェクトの一環”として紹介されることが多い。それはある意味では正しいが、ある意味では間違っているのかもしれない。なぜなら、彼は土地にまつわる歴史上の人物や出来事について歌っているように装いながら、結局はいつも自分自身のことを歌っていたからだ。その証拠に、彼の生まれ故郷であるミシガン州と、それにほど近いイリノイ州についてのアルバムを残した後、アメリカ50州にまつわるアルバムのリリースは途絶えている。
そんなスフィアンの新作『キャリー&ローウェル』は、“デス・ウィズ・ディグニティ(尊厳死)”という曲で幕を上げる。そのタイトルを聞いて、昨年11月、脳腫瘍で余命6ヶ月と診断されたアメリカ人女性のブリタニー・メイナードさんが法律で尊厳死の認められているオレゴン州に移住し、自ら死を選んだニュースを思い出す人も多いだろう。他にもティラムックの山火事や、オレゴンの州鳥であるマキバドリ、シー・ライオン・ケイヴといったオレゴン州にまつわる固有名詞がいくつも登場するこのアルバムは、もしかしたら『オレゴン』にすることもできたのかもしれない。実際、本作のミックスを手掛けた友人のトーマス・バートレットに説得されるまでスフィアン本人もそのつもりだったそうだが、結局彼は自分を偽ることはできなかった。なぜならこれはオレゴン州そのものではなく、ジャケットに写るキャリーとローウェル、彼の実の母親と、その再婚相手についてのアルバムだからだ。
スフィアンが1歳の頃に夫と子供たちを捨てて家を去った彼の母親キャリーは、ほどなくして高校時代の恋人だったローウェル・ブラームスと再婚している。5歳から7歳まで、毎年夏になると二人の暮らすオレゴン州のユージーンを訪れていたというスフィアンだったが、そんな束の間の幸福もキャリーとローウェルの破局によって終りを迎え、深刻なアルコール中毒と躁鬱病、統合失調症を抱えていた母親とその子供たちは、以降ほとんど連絡を取ることもなくなっていたという。そんなスフィアンが母親と久しぶりに再会したのは2012年。末期癌に冒された彼女が横たわる、病院の集中治療室の中だった。母親の死に直面した彼に残されたのは、哀しみではなく、“恥”の感覚だったという。「母親と疎遠だったことを恥じているのか?」とインタビュアーに訊かれた彼は、こんな風に答えている。
「いや、僕は彼女のことを恥じていた」
一方で、母親と離婚した後も、義父であるローウェルとスフィアンの親交は続いていた。厳格な父親に育てられ、音楽やTVから遠ざけられていたスフィアンにビートルズやストーンズといったロックンロールを教えてくれたのがローウェルであり、のちに自主レーベルである〈アズマティック・キティ〉を共同で設立するまでに至るのだが、アルバムで歌われている「僕に泳ぎを教えてくれた人」というのも、もしかしたら彼のことなのかもしれない。アルバムではそんなキャリーとローウェルにまつわる記憶が、オレゴンの美しい大自然の風景を通して、叙情的に描かれていく。私的な内容ではあるが、神話などのモチーフを折り込んだその歌詞はイマジネーションに溢れ、単なる私小説には堕していない。にも関わらず、“なにか新しいことを表現したり空想したりすることがアートなら、本作はアートではない”と、彼は繰り返し強調している。
自身の作品を「自分の感情の松葉杖として使ってきた」と語り、エレクトロニカやヒップホップなど、作品を重ねるごとにその誇大妄想と、音楽性を膨らませてきたスフィアン。しかし「もはやアートでは自分を支えることができなくなった」という彼は、本作でアコースティック・ギターとピアノを基調とした、シンプルでフォーキーな作風に回帰している。前作『ジ・エイジ・オブ・アッズ』に収録されていた25分の大作“インポッシブル・ソウル”で、「僕らはもっと一緒にやれるはず/不可能なんてないんだ」と自らを鼓舞するように歌っていたスフィアンだが、本作は現実に対する芸術の敗北を意味しているのだろうか。彼の背中に生えていた、想像力の翼は折れてしまったのだろうか。
いや、決してそうではないだろう。これもまたひとつの想像であり、アルバムという作り物の世界の中でだけ、彼は自分を捨てた母親を理解し、許すことができたのだ。アルバムのラストを飾る“ブルー・バケット・オブ・ゴールド”は、オレゴン州にかつて存在したとされる、失われた金鉱の名前に由来している。そこでスフィアンは「右手を上げて/あなたの人生に僕が必要だと言って/もしくは赤旗を上げて/僕があなたを必要としているだけなら」と歌っているが、彼にとっての失われた金鉱、そこにあったはずなのに確かめることが叶わなかったものとは、他ならぬ母親からの愛情だったのかもしれない。彼の魂もまた、母親のもとへと戻ってきたのだ。巣に帰って羽を休めるマキバドリのように。