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NOTES ON A CONDITIONAL FORM The 1975 (Universal) by TOMONORI SHIBA
RYUTARO AMANO
September 08, 2020
NOTES ON A CONDITIONAL FORM

人は「誰かである」ことを諦められない、
だからこそひとつひとつの鍵を開け、旅を続ける

全22曲、81分というボリュームを持つ本作『仮定法に関する注釈』。筆者はそれを旅のようなアルバムと受け取った。とは言っても、どこか外の世界にトリップするわけじゃない。むしろ内面へのパーソナルな旅。記憶を辿り、感情をひとつひとつ確かめ、自省や迷いを形にして、自分自身のアイデンティティを再発見して、再構築するための物語。そういう足跡のひとつひとつのピースとして楽曲がある。

なので、長尺であること、サウンドのスタイルがヴァラエティに富んでいることは、作品のひとつの必然であると思う。インダストリアル・パンクも、UKガラージも、シューゲイザーも、オルタナ・カントリーも、アシッド・ハウスも、ソウル・ポップも、80’sニューウェイヴも、必要なパーツとしてそこにある。もちろん、これを散漫で統一感のない作品だと思う人もいるだろう。でも、そう感じるかどうかは、いわば“聴き手”の問題だ。ここに吐露されている内的な分裂と混乱にチューニングが合うかかどうかだけの違いだと思っている。

The1975のマット・ヒーリーは、昨年にリリースされた『ネット上の人間関係についての簡単な調査』と本作『仮定法に関する注釈』を2部作として位置づけている。ドラッグや、メンタルヘルスや、セクシャリティや、信仰や、さまざまな体験と心情を吐露する本作を、The 1975のキャリアにおける「ミュージック・フォー・カーズ期」と位置づけ、その終わりを告げる作品だと告げている。

「ミュージック・フォー・カーズ期」とはなんだろうか。

そもそも「ミュージック・フォー・カーズ」とは、彼らがデビュー・アルバム『The 1975』をリリースする前の2013年にリリースした3枚目のEPのタイトルだ。そして、その3曲目に収録されたアンビエント・ナンバー“HNSCC”がオーケストラによる再構築を経て本作の3曲目に“ジ・エンド(ミュージック・フォー ・カーズ)”として収録されていることを踏まえても、EPと本作には直接的な繋がりがある。アンビエント・ミュージックの要素は初期からの彼らの音楽性の大事な側面であり、それが今作の一つのキーにもなっている。

実際、今作の楽曲にもアンビエントのテクスチャーが巧妙に用いられている。たとえば“プレイング・オン・マイ・マインド”の最初の3秒。たとえば“アイ・シンク・ゼアズ・サムシング・ユー・シュッド・ノウ”の最初の16秒。ドラムのフィルから始まる“ゼン・ビコーズ・シー・ゴーズ”などの数少ない例外を除いて、ほとんどの楽曲は数秒のアンビエンスから始まる。たとえば“ザ・バースデー・パーティ”はゆったりとしたモダン・カントリーで“ハヴィング・ノー・ヘッド”はトランシーなダンス・ミュージックだが、二つの曲の最初の5秒だけを聴き比べたら、そこに同じモチーフが忍ばされていることがわかるだろう。冒頭の“The 1975”でグレタ・トゥーンベリの声の背後に張り巡らせられたサウンドのテクスチャーと共通のモチーフだ。

アンビエントという手法と「ミュージック・フォー・カーズ」というキーワードからは、多くの人がブライアン・イーノの『アンビエント 1/ミュージック・フォー・エアポーツ』との類推を思い浮かべるはずだ。そして、ここで重要なのは「車(カーズ)」と「空港(エアポーツ)」との対比だろう。

70年代のブライアン・イーノは文字通りの意味で「空港のための音楽」を作った。空港という場所の音響的、空間的な特性を意識して、その環境に機能するための音楽としてのアンビエント・ミュージックを提唱した。そこでのポイントは、空港は基本的にパブリックな特性を持つ場所である、ということだ。エリック・サティが提唱した「家具としての音楽」と対比させると、そのことがさらにハッキリする。空港は訪れる誰もが一時的な滞在をする場所としてデザインされている。

一方で、車は、基本的にプライベートな空間だ。空港と同じく移動のためのツールだが、場合によっては、家以上に一人になれる空間でもある。「ミュージック・フォー・カーズ」とは、そういう前提を踏まえた上での「車のための音楽」。つまりは私的な環境で旅をするための音楽という位置づけなのではないかと考えられる。

そう考えると『ネット上の人間関係についての簡単な調査』と『仮定法に関する注釈』の2部作としてのそれぞれの位置づけについても、一つの仮説が立てられる。それは“ソーシャル”と“プライベート”。すなわち、関係性と内面性をそれぞれのモチーフの中心に置いているということだ。

新作『パニッシャー』も素晴らしかったフィービー・ブリジャーズとデュエットした“ジーザス・クライスト・2005・ゴッド・ブレス・アメリカ”など、フラジャイルに揺れ動く心の旅を辿るアルバムは、バンドを組んだ喜びを歌う“ガイズ”に辿り着く。マット・ヒーリーの私的なストーリーでありながら、そこには同じ時代を共有する沢山の人々を揺さぶる響きがある。

文:柴那典

目を覚ます時間だ。さあ、カードを選んで

どうにもならないと思われた状況からこそ、突然に、あらゆることがふたたび可能になる。
――マーク・フィッシャー

1.
あなたは今、指先でつまめるほどの小さなイアフォンを着けて、両方の耳の穴をふさいでいる。2つの装置とあなたのスマートフォンは、Bluetoothという目に見えない線でつながれている。

そのイアフォンは、2万円はしただろうか。YouTuberのレヴュアーがレコメンドしていたもので、もちろん、ノイズ・キャンセリング機能がついた新しいモデルだ。バッテリーも長持ちする。

都市とそこでの生活は、あまりにもノイズが多すぎる。これは、今この状況においてクレイジーにならずに、日々の労働やなんかをやりぬくための、ひとつの処世術でもある。

でも、今は、数か月前と比べると、街の喧噪が減ったようにも思う。


2.
イアフォンからは、穏やかで抽象的なピアノの響きが聞こえてくる。それから、10代だろうか、それとも少女? とても若い女性(と思われる)の声が、あなたになにかを訴えかけている。

膨大な数の人々にとって無言の苦しみを伴う大きな災害に、わたしたちは直面しています
そして、今この時は、できることやできないことを礼儀正しく語っている時ではありません
はっきりと語るべき時なのです
気候変動の危機を解決すること、それは、人類がこれまで対峙してきたことの中で、もっとも巨大で複雑なこと
しかしながら、主要な解決方法はとてもシンプルで、小さな子どもにも理解できることです
温室効果ガスの排出を止めなければいけません

それは、アジテーションなどではけっしてない。とても真摯な、落ち着いた口ぶりの、しかも理路整然とした、けれどもエモーショナルな語りだ。

こんにち、わたしたちは約1億バレルもの石油を毎日消費しています
しかし、これを変えるための政治は存在しません
石油を地中に留めておくためのルールもありません
なので、ルールに従って行動していれば、世界を救うことはもはやできません
なぜなら、ルールを変えなければいけないから
すべてを変えていく必要があります
そして、それは今日から始めるべきです
みなさん、今この時は、市民的不服従の時です
今この時は、反抗の時


3.
重たい8ビート。フィードバック・ノイズ。

「起きろ! 目を覚ませ!」。

マッティ・ヒーリーは、あなたの耳元でわめき散らしている。なぜ「目を覚ま」さなければいけないのだろう? なぜなら、「今この時は、反抗の時」だからだ。

「月曜日の朝だぞ! おれたちに月曜日の朝は、あと1,000回くらいやってくる!」。

本当に? もしかしたら、「月曜日の朝」がやってくることは、数えられるくらいの回数まで減っているかもしれない。なにせ、グレタ・トゥーンベリが言っているように、今は「緊急事態」なのだから。

念のために断っておくと、これはCOVID-19のパンデミックのことを言っているのではない。

マッティは、なおもあなたの耳元でわめき続けている。ヴォーカルはやけにひずんだ音で、その歌いかたはやけっぱちである。

「先がないって感じているだろう!/それに、あんたは一文無しだ!/おれたちはクソみたいなベストを尽くすしかないんだ!」。

「合法大麻のサウナで生きている」だなんて、あんまりな皮肉だ。

「人々は人々が好きだ/みんな、生きている人々をお望みなんだ/若く、驚くべき人々」。

そのとおり。ソーシャル・メディアの興奮をドライヴさせるための燃料は、日替わりの生贄なのだから。どこかに攻撃対象は落っこちていないだろうか?

ああ、なんて騒々しいのだろう。おまけに、不快だ。これじゃあ、街のノイズを聞いているほうがましじゃないか。


4.
『ノーツ・オン・ア・コンディショナル・フォーム』は、あなたを飽きさせないアルバムだ。ここでThe 1975の4人は、あらゆるジャンル、スタイルにどん欲に取り組んでいるし、だからこそ目まぐるしくて、せわしない。

いっぽう、マッティのリリックは、彼自身の内面に深く潜り込んでいって、そこからどろどろとした薄汚いものや、明るいよろこびのようなものを汲み取ってみせたかと思えば、突然そのカメラのレンズはパン・フォーカスして、この世界を鋭く客観的に見据えてもみせる。

しかし、アルバムはあくまでも小川のように静かにストリームしていて、シームレスで、あなたにとってストレスのない一定の流れをかたちづくっている。


5.
一転して、柔らかいアンビエンスに包まれたUKガラージ/ダブステップのビートの上で、マッティは歌っている。

「外に出る?/なんだか難しそうだ」。

「外に出る」ことがこんなにも「難し」い状況になるなんて、この曲をつくった時のマッティは考えもしなかっただろう。

「もろい状態の心」という題がつけられたこの曲について、彼は「不安についての曲で……。すごく憂うつなんだ」と語っている。しかし、「リアルな悲しみからリアルな多幸感へと」移り変わっていく曲でもある、とも言う。


6.
フォーク・ロック調の「誕生日パーティー」ではこうだ。

「ぼくはグレッグに会った/彼はこんなことを言うんだ/『誕生日パーティーできみの友だちに会ったよ/パーティーが始まる前からひどいことになっていた/パイングローヴのショーに行くっていうんだ/おかしなことになっているなんて、誰も知らなかった』」。

これはきっと、パイングローヴのエヴァン・ホールの事件を暗にほのめかしている。彼は性交を強要したと、ある女性から訴えられ、それをFacebookで告白した。バンドはその後、活動休止したのち、調停を経てアルバム『スカイライト』をインディペンデントでリリースしている。2020年、バンドは〈ラフ・トレード〉と新たに契約して新作を発表した。

「すべてのThe 1975の曲がそうであるように、この曲もオピニオンを表明したものではない。ただ、じぶんの周囲で見たことを指し示したいだけなんだ」と、マッティはパイングローヴのラインにまつわるあれこれを否定している。けれども、「パイングローヴのショー」というフレーズを聞いたリスナーの多くは、胸の中でざわっと波が立つなにかを感じたことだろう。アメリカやイギリスのインディ・ロックの事情にちょっと詳しいあなたも、きっとそうであるはずだ。

マッティの歌い口はどこまでも穏やかである。「今はクリーンなんだ」とこのアルバムで何度か繰り返す彼の歌は、ヘロイン中毒だったじぶん自身の過去に柔らかい光を投げかけているかのようだ。その光は、ホールとパイングローヴをめぐる状況にも届いているのだろうか。

あなたの心を波立たせたマッティのリリックが、糾弾や攻撃、ましてやキャンセルを目的としたものではないことを、このアルバムを聞いたあなたは知っている。


7.
時計が時を刻むような音と、またもガラージふうのビートに乗って、こんなフレーズが聞こえてくる。

「時代が変わったように感じる/今までと同じだなんて思えない」。

このラインは変調され、カットアップされたうえで再配置され、逆再生される。

「いなえ思てんなだじ同とでま今/るじ感にうよたっわ変が代時」。

「カードを選んで」と、マッティはあなたに言う。さあ。この中からカードを選んで。なぜなら、今は決断の時だからだ。いや、「今」もなにも関係ない。一瞬一瞬が決断の時であって、それがあなたの、この世界の未来と命運を決めていく。

それが、あなたの選んだカード? それは正しい? それとも、まちがっている? あるいは、その選択が正しいかどうかは、少し時が経ってからわかる?

あなたはどうだろう? 「時代が変わったように感じる」? 「今までと同じ」だと思う? 2020年の、今この時。


8.
「2005年のジーザス・クライスト、神よアメリカに祝福を」でマッティは歌う。あたたかいホーンと、アコースティック・ギターのシンプルなコード・ストロークをバックに。

「ぼくはジーザス・クライストと恋に落ちた/彼は素敵なんだ」。

次のヴァースでは、「男の子と恋に落ちた/でも、その思いは誰にも見せることができない」というラインが付け足される。さらに、フィービー・ブリッジャーズが歌う。

「隣に住んでいる女の子と恋に落ちた/彼女の名前はクレア/彼女がいないときにマスターベーションをする」。

キリスト教における神への愛と、同性への愛は、両立するものなのだろうか?

その問いはサスペンドされたまま、「ぼくと君、一緒の歌」でマッティはこんなふうに歌う。思いを寄せる女の子との家庭――子どもを授かって、料理をするきみを横目に、ぼくはおむつの交換――を夢見ながら。

「ぼくはちょっとクィアなんだ、ごめん」。

「OK、みんなぼくのことをゲイだって思っているんだ/でも、ぼくらは友だちだから、大丈夫/そうだろう?」。

「もう何年も、何年も彼女に恋をしている」と、マッティは甘い声で繰り返す。


9.
性愛は『NOACF』のテーマのひとつだと、ここまで聞いてきたあなたは気づく。いや、それは、マッティの、The 1975の音楽を貫くテーマのひとつなのかもしれない。

『NOACF』には、チャットガールとの逢瀬を歌った曲もある。曲調は、まるでパロディみたいな80sふうだ。コーラスがかかったギターの気持ちいいリフレイン。それに、サックス・ソロが鳴り響く。

「彼女と会うのはオンライン/いつでもそう」。

「『服を脱いでくれたらうれしいんだけど』と彼女は言う/『見たいの/考えることはやめて/恥ずかしいなら教えて』」。

オンラインでのセックスなら、避妊の必要もないし、性感染症や、もちろんCOVID-19に感染する心配もない。あなたも試してみる? FaceTimeでもZoomでも、ツールはいくらでもあるのだから。


10.
サウンドの軽薄さやブライトネスとは反比例して、『NOTCF』は、あなたにシリアスな相貌を見せていく。「人生なんて嘘みたいだ/真実であるようななにかが必要だ」というフレーズも、「車の中でファックしたことなんてない/嘘をついたんだ」という『ア・ブリーフ・インクワイアリー・イントゥ・オンライン・リレーションシップス』へのメタな言及も、どこか息苦しさをともなっている。

「不幸にも、ぼくはぼくの人生の中でこの場所にいる/腐るほど何度でも/日曜日が終わりそうだ/ただ寝そびれるだけ」。

あと数時間でブルー・マンデーがやってくる。憂うつだ。けれども、月曜日の朝があと何回やってくるかはわからない。だとすれば、あなたがやらなければいけないことは……?


11.
アルバムは、マッティと父との感動的な共演を経てから、バンド・メンバーへのラヴ・ソングでもって結ばれる。

マッティの父、ティムとマッティは、優しくあなたに歌いかける。

「心配ないよ、ダーリン/だって、わたしはあなたとともにいる/太陽は輝いている/あなたが目を覚まして、日付すらわからなくても/痛みがあなたの骨身を貫こうとも/心配ないよ、ダーリン/だって、わたしはあなたとともにいる」。

そして、再生モードをいつもループに設定しているあなたの耳には、イアフォンをとおして、またあの少女の語りが聞こえてくるはずだ。まるで、なめらかな小川の流れ(ストリーム)のように。


12.
「一人の人間の性格と同じくらいダイナミックなアルバムにしたかった、じぶんがどんな人間なのかを表現したかったんだ」。

マッティは、Apple Musicのドキュメンタリー『Behind The 1975’s - Notes On a Conditional Form』でそのように語っている。

マッティが歌った「じぶん」も、彼が歌いかけた「人々」も、このアルバムを聞いているあなたも、だれもが「ダイナミック」で、複雑かつ多様な顔をいくつももっている。それは、一面的に切り分けられない、とても入り組んだもので、しかもどんどん変化していく。

『NOACF』は、けっして楽観主義的なレコードではない。「仮定形」についてのアルバムであるし、それはもしかしたら、不可能性についてのものであるのかもしれない。けれども、『NOACF』は、逆説的に希望のレコードとしての顔をもっている。今わたしたちが生きているこの世界に、なんとか、どうにかして対峙して、そこから未来への糸口を見出して、希望を汲み上げようとしている。わたしたちの現在と未来をむしばんでいる気候変動問題、トキシックな男性性、セクシュアリティの複雑なありかた、宗教、ドラッグへの依存、オンライン上の性愛、父との愛情あふれる共演、最高の仲間たちへの賛歌などをとおして。

The 1975の音楽は、権力や資本主義のルール、その愚かさ、わたしたちのにぶさに対して、いい顔をするための処世術についてのものではない。『NOACF』が提示していることは、都合のいい一瞬のガス抜きや、快楽的な消費の方法でもない。

さあ。カードを選んで。「あなたが知るべきことがあると思うんだ」と、マッティはこのアルバムで歌っている。「知るべきこと」は、もう伝わっていることだろう。今この時がなにをするべき時なのか、もうわかっただろう? あとは、その札を切るだけだ。

文:天野龍太郎

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