1%の富裕層が支配していることがもはや誰の目にも歴然となったプルトノミー社会に暮らしていることが嫌というほどわかっていながら、だが自分一人だけでもこの競争に勝ち抜けるという望みを100%断ち切ることは可能だろうか。この10年、富と名声、愛の成就という煌びやかなゴールに突き動かされ、気がつけばドラッグ・アディクトと不必要なセックスまみれになり、その渦中でひたすら他人を傷つけ、何よりも自分が傷つき、誰よりも打ちひしがれ、後悔し、再びその出口の見えない円環から抜け出そうと成長を誓う、そんなストーリーだけをひたすら紡ぎ続けてきたザ・ウィークエンドとは誰か。彼の音楽が描き出すそんなペルソナは、現状の不平等な社会システムを根本から変えていかねばならないという思いを抱きながらも、日常的には旧来の競争社会の規則に飲み込まれ、やがて破滅の道を辿るしかない、パンデミック後の世界でもいまだ加速し続ける資本主義社会に暮らす我々そのものだ。生産と交換を基盤にした社会においては本来なら存在し得ないはずの「消費者」という偽りの神話に飲み込まれることで、我々アートの観客はいつの間にか「傍観者」に堕してしまう。だが、OPNの力を借り、かつての「2010年代のサウンドを最初に作った男」という称号をかなぐり捨て、再結成ロキシー・ミュージック、ホール&オーツ、後期プリテンダーズ、アハの意匠を借りながら、デ・パルマやコッポラ、スコセッシの犯罪映画、ニコラス・ウィンディング・レフンやギャスパー・ノエ、サフディ兄弟が描く欲望と暴力の世界に触発され、か弱き傷心のエルトン・ジョンのペルソナさえも引用し、TikTokのような新たなプラットフォームを誰よりもフル活用する――世界No. 1のポップ・スターたる執着をいっときも忘れることのない尽きせぬ欲望に突き動かされたこのレコードは、二日酔いの朝のひどく醜い顔を映し出したひび割れた鏡のように、観客を「当事者」としての場所に引き戻し、今も人間の愚かさは少しも変わらないという事実を否応なく突き付ける。だが、それと同時に、このレコードはそんな愚かさを(少しだけ)批判的に肯定する。嗚呼、喜ばしきこの退廃。格差や差別、殺戮と搾取を利用することで発展と安定を担保してきた人類の歴史が根本から変わらない限り、これから先も彼はずっとすべての愚かな欲望を肯定し続けるだろう。そして、それは1ミリも間違ってはいない。欲望を去勢するシステムは必ず瓦解する。命が持つひたすら無軌道な欲望というパワーを何か別なものに変換するシステムを生み出さない限りは。どす黒い鼻血をドクドクと流し続ける顔中アザだらけのエイベル・マッコネン・テスファイがあなたに向かって薄笑いを浮かべている。国家や行政が自粛を叫ぶこの週末でさえ、またあなたは夜の街に繰り出していくだろう。意気揚々と。その欲望は誰にも否定出来ない。(田中宗一郎)
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フィービーは「悲しみと退屈」について曲を書く、とザ・ナショナルのマット・バーニンガーは言った。それはたぶん、どんより曇った未来を持つ世代の感情。昔ならパンドラの箱の底に希望があったけれど、いまのグダグダな世界にはその二つが残っているのかもしれない。ただ彼女は遠くのものや大きな何かを見ようとはしていない。描かれるのは身の回りのこと、自分が知っていること。その歌は親密でほの暗く、曖昧なユーモアもある。夜空の星を見つめようとしても見えるのは中国の人工衛星で、祈りも届かない(“チャイニーズ・サテライト”)。憧れていた日本をツアーで訪れても、本人はその体験から切り離されていて、覚えているのは公衆電話で地球の裏側にいる人と交わした会話だ(“キョート”)。そして恋人と別れた部屋に差すのは、ディストピアな朝の光(“ICU”)。そうした物語を淡々と歌うフィービーの声が、アコースティックなバラッドやアップテンポなバンド・サウンドに乗り、曲によってちょっとずつ違う表情を見せる。そしてアルバム最後を飾る6分近いロック・オデッセイ “アイ・ノウ・ジ・エンド”の終盤で、彼女はそっと思い出したように告げる、そうそう、世界はもう終わってるよ、と。「終末はもうすぐだ、と書かれた看板/振り返っても何もない/つまり、たぶんこれが終わり」。そしてそこには、悲しみと退屈が残る。(萩原麻理)
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出自や国籍、資産や学歴といった社会属性によって規定された社会的な存在と、無軌道な命という名付けられることのない記名性との間を24時間の間ずっと行き来している不可思議な存在、それが人だ。唯物的に見れば、前者は幻想以外の何ものでもないにせよ、我々の日常の意識の大半は前者にがんじがらめに縛られている。だが、社会学的見地に立てば、行動や意志とはすべからく環境の産物であり、そこには自由意志は(ほぼ)存在しない。実際、この文章を書いているのは田中宗一郎ではない。自分を取り囲む環境の奴隷としての我々は、だからこそ社会の変革を求める。あなたの苦しみや悲しみの大半はあなた自身の責任ではないから。と同時に、それが瞬間的な錯覚だと呼ばれようとも、すべての社会属性からの完全な解放を求める。あなたの社会属性の大半は望まなくして与えられたものでもあるから。それは逃避主義ではない。何故なら今この瞬間もあなたは社会の規律や庇護から完全に食み出した野卑かつ無垢な命としても存在しているからだ。間違いなく。そして、社会的な存在としての責任を果たすことを鼓舞することと同時に、そんな誕生する以前の場所にも似た感覚を観客に促すこともまたアートの役割にほかならない。だからこそ、優れたアートは常に他者として立ち現れる。その出会いは、観客のアイデンティティを根こそぎ破壊する新たな言語として言語を獲得する以前のまったく足場の存在しない危険な場所へと引き戻す、理想的なセックスにも似た体験だ。果たしてそれ以上の快楽など存在するだろうか。アイデンティティすなわち帰属意識とはすべからく社会によって植え付けられた幻想だ。トラヴィス・スコットやザ・ウィークエンドがロザリアを客演に呼ぶ理由は、彼らが優れたカルチャー・ヴァルチャーだからだけではない。そこには自らのアイデンティティを拡張したいという欲望があるはずだ。望まずして英語圏では「アフロ・ライフ」と名付けられたこのレコードには、いまだ名付けられる以前の赤子の産声のような歓喜のフィーリングがある。ワンデー・コールやウィズキッド、ダヴィド、オラミドといったナイジェリアの先達たち、アフロ・ビートという歴史、グローバル化されたR&Bやダンスホールという形式、胡弓が似合いそうなアジア風メロディ、英国のフォーク歌手パッセンジャーやジョン・ベリオンのような欧米圏の音楽、ダン・ブラウンやオスカー・ワイルドといった英語圏の文学、ディズニー映画『リメンバー・ミー』――そんな偶然の出会いが折り重なった、だが間違いなくグローバル社会という環境に規定された結果の、ようやく立ち歩きが出来た一歳児の艶やかな肌のようなみずみずしさときめ細かさがある。新たなアイデンティティの萌芽。間違いなくかつて誰もが(幾度か)経験したはずの落雷のような体験。誕生と再生。誰もが自らの日常を再定義することを余儀なくされた2020年に最も相応しいサウンドトラックとして、このみずみずしい誕生のヴァイブスを湛えたレコード以上の作品はないだろう。(田中宗一郎)
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冒頭、“シャット・アップ”の室内楽風のアレンジから屋内的なイメージが強調される。ピチカートを駆使しながら愛撫のように肌を滑っていくストリングスが彩るのは、昼下がりの、夕方の、あるいは深夜のベッドルームだろう。愛しいひとの髪を撫で、頬に触れれば、ゆっくりと口づけが交わされる……。『サンキュー、ネクスト』が痛みを手放すために告げられた切ない感謝だったとするならば、その「次」に待っていたのが新しい恋人とのめくるめくメイキング・ラヴだったというのは温かい話だ。もちろんそれはアリアナ・グランデというスーパー・ポップスターがたどってきた物語性を孕んだものではあるのだが、パンデミック下における人びとの親密な性愛を祝福するものでもある。トラップ・ポップやマイクロハウスへのリファレンスはじつに巧みなものだが、それ以上に本作のムードを決定づけているのは、多くの曲でドリーミーに響くストリングスだろう。それは夢見心地のエロスを表現する。女性が性の主体になることの重要性が強く訴えられたときを経て、では、ベッドルームではどんな実践が繰り広げられるのか。グランデは“ナスティ”で「今夜、わたしは淫らになりたい」と囁き、そしてアルバムを通してたくさんの「positions(体位)」を試そうと誘っている。終わらない愛とセックスの冒険を。(木津毅)
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客演のFKAツイッグスやジェイミーxx等との相性を試した、フレッド・アゲインとの共作にして8作目のミックステープ『ギャング』に続くヘディ・ワンのデビュー・アルバム。1曲目が、USドリル調フロウの1stヴァースから次のヴァースでUKドリルにシフトする構成なのは、アルバム全体の方向性を象徴するかのよう。フューチャーやドレイクの参加ヴァースの出来よりも、参加した事実のほうに意味がありそうだし、客演陣ならエイチとの掛け合いやマへリアの歌のほうが記憶に残る。とはいえ、UKドリルの覇権や優位を見せたいわけではないようだ。ワンダーガール制作による2曲からは、ポップ・スモーク仕事経由というよりも、元来の器用さを理解されての起用であることがわかるし、1時間超の本作内で聴くと、ケニー・ビーツが“F・U・ペイ・ミー”で試したのは、もしもその5曲前の収録曲をよりへヴィなキック主体にしたら、的な面白さがある。音楽表現のヒントとしてのUSのサウンドだ。本作は『ギャング』に比べたらドリルなアルバムだが、「こんなのドリルじゃない」と言われそうな面もある。表現の可能性を探り続ける水準を維持した作品を続けて出してきたのは(年頭の服役中に)自分を見つめ直せたからだろうか。ちなみに本作の表題は、3歳の時に死別した彼の母親の名。1曲目で彼は、彼女の思い出を辿るのではなく、教えを乞い、不在の生む触発力を信じている。(小林雅明)
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2020年 年間ベスト・アルバム
1位~5位
2020年 年間ベスト・アルバム
11位~20位
2020年 年間ベスト・アルバム
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