ゼロ年代USインディと共振する京都〈SECOND ROYAL〉からの新星? 同世代のQUATTRO、シガヴェッツなど、ゼロ年代東京インディと90年代J-ROCKの狭間の徒花である非邦楽の世代の数少ないサヴァイヴァー? ヴェンチャーズ、ミッシェル・ガン・エレファント、ウィルコの3つを繋ぐミッシング・リンク? いやいや、そんな文脈だけではその実像には届かない。もしかするとはかりしれないほど掴み所のないバンドかもしれない。でも、だからこそ、その作品に触れ、ライヴに足を運び、成長を目の当たりにしたくなる。彼らを知れば知るほどに、次第にそんな不思議な感覚に陥るようになった。京都に生まれ、京都に育ち、京都で結成され、今なお京都を拠点に活動する3人組、Turntable Films。ここでは、バンド誕生の背景から、音楽性の変遷、最新アルバム『Small Town Talk』に至るまでのストーリーをリーダー、井上陽介への取材で得た話をもとに辿っていきたい。
Turntable Filmsの現在のメンバーは井上陽介(Vo、G)、谷健人(B、Cho)、田村夏季(Dr)。過去、多少の入れ替わりはあったし、今もライヴなどではサポート要員を加えた大所帯になるが、ここ数年はこの3ピースに落ち着いている。中心人物はほぼ全ての曲の作詞作曲を担当する井上。ロウ・ティーンの頃からギターのイロハを叩き込まれ、今なおブルーズ・ギターのマイナー・ペンタを弾かせるとおそらく今の日本の若手では断トツの技術とセンスを持っている井上が、このTuntable Filmsの音楽性の軸を支えていると言っていい。まずはその井上のバックボーンを紐解いてみる。
「中学の頃、ヴェンチャーズが好きな近所の知り合いのオッサンに誘われて、とにかく最初は言われるままにギターを覚えて弾いて。その後、高校に入る頃、ブルーズ・ギターを弾くようになったんです。でも音楽云々を全然意識してたわけじゃなくて、エクササイズみたいな感覚で弾いていた。大学に入ってからもツェッペリンの曲をカントリー・アレンジで弾くようなバンドに呼ばれて弾いたりしてましたね」(井上陽介。以下全ての発言同じ)
その頃、谷、田村らと共にTurntable Filmsを結成。だが、ライヴをたった1回やったのみで、25歳の時に井上はカナダに留学する。
「とにかくアメリカの音楽が好きになり過ぎて、向こうに住みたいって思って。僕としてはギタリストとしてやっていきたかったから、親にも『もう帰ってくる気ないから』って言って、ちっちゃなスーツケース一つとテレキャス1本だけ持って家を出て。トロントでは語学学校に通いながら音楽活動してました。当時、00年代後半でしたけど、〈ピッチフォーク〉とかを見てても今のUSシーンは面白いなあって思えてて。ヴァンパイア・ウィークエンドがデビューしてきたり、ダーティ・プロジェクターズがブレイクしたり……ブルックリン面白いなあって」
「そういう洋楽にハマっていたので2年の留学を終えて帰国してバンドで作った僕らの最初のミニ・アルバムは今ほどルーツっぽくなかったんです。あと、クラブ系とかのコンテンポラリーな輸入盤を多く扱っているレコード・ショップに勤めていたことも影響していたかもしれないですね」
今でこそTurntable Filmsはルーツ色強い、カントリー・スタイルをベースに持つバンドという側面があるが、井上の留学を挟んでいたこともあり、結成当初はまだUSインディの影響を強く残していた。そのため、井上の帰国後、2010年に発表された彼らの最初の作品であるミニ・アルバム『Parables of Fe-Fum』は、当時井上が心酔していたブルックリン周辺のバンドほどハイブリッドではなかったものの、シャープなギター・リフと、スマートで洒脱な風合いのヴォーカル、しなやかなアンサンブルを纏ったギター・オリエンテッド・スタイルのバンド・サウンドに仕上がっている。
結果、地元京都を中心に次第に受け入れられ、彼らより少しキャリアが長いQUATTRO、シガヴェッツ、ほぼ同期のThe fin.、遅れて登場してくるmöscow çlub、HAPPYといった、同じように英語詞で聴かせる若手バンドとの共振も見せていくことに。
そうした活動の末に、京都〈METRO〉で定期的にクラブ・イヴェントを主催し、HALFBYやHOTEL MEXICOなどをリリースしてきていた京都のインディ・レーベル、〈SECOND ROYAL〉が彼らに興味を示すようになったのも自然なことだった。
「ただ、どちらかと言うと、僕自身はカナダから帰ってきて、カントリーやフォークは新しい感覚でいくらでも上書きするってことが出来るんだって思い始めていた。俺たちが日本で上書きしてやるぜ! みたいな強い気持ちがあったわけじゃなかったけど、自分の肌とか性に合ったんです。やるならこれかな、みたいな気持ちにはなっていたんです。もともとライ・クーダーみたいなのに憧れてた渋いヤツだったんで(笑)。僕自身、ずっとブルーズが一番やと思っていたんだけど、調べていくうちに、フォークもカントリーも出自がわかってくるわけで、ずっと記号としてギターを通じて聴いていた音楽も元は一つにつながっていることに気づくんです。ウィルコに改めて触れて、あ、こんなのもアリなんや、って思えたりしてね。カントリーもいけるんや、フォークもいけるんや…って全部がオッケーになったんですよ」
「東京インディ・エクスプロージョン以前に
京都にタンテがいたからこそ今がある。
Turntable Films キャリア総括取材:中編」
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