俳優としても知られるデクスター・フレッチャー監督は、現場が揉めまくった『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)を引き継ぎ、救った人。自作ではプロクレイマーズの曲を使ったジュークボックス・ミュージカル『サンシャイン』(2013)をすでに手がけています。なのでエルトン・ジョンの曲で、エルトン・ジョンの生涯を綴る『ロケットマン』は満を持しての大作。とはいえこんなにもケン・ラッセルやボブ・フォッシー、MGMミュージカルの影響も詰め込んだ、ゴージャスなロック・オペラになるとは。スターダムを駆け上がる高揚はファンタジックに、内面の痛みはメロドラマチックに、セックス&ドラッグはリアルに描かれるのです。スターは歌える演技者、タロン・エジャトン。作詞パートナーのバーニー・トーピン役にジェイミー・ベル、恋情も利用する辣腕マネージャーにリチャード・マッデンが配されました。エルトンという人や音楽への興味がなくても、映画自体の魅力とグラマーに没入するはず。ドラッギーで浮遊感たっぷりなシーンにも笑いました。エルトンの曲はどれも心情をベタに歌っているからこそ、こんなドラマが作れたのかも。にしても、ゲイ・アイコンは絵になる。
クエンティン・タランティーノが衣装や美術などディテールに凝りまくって、69年のハリウッドを独自に再現。『イングロリアス・バスターズ』(2009)並みの荒唐無稽をやっているのに、ハリウッドという虚々実々な街が舞台なので違和感がなく、フィクションとして再現されるさまざまな場面の面白さがぐいぐいストーリーを引っ張っていきます。もちろんワインスタインと仕事をしてきた監督として、タランティーノは本作で、毎回のこととはいえ「女性に対するウルトラバイオレンス」が批判されました。と同時に彼としては最高の興行成績も記録。タランティーノ映画は案外派手な場面よりも、親密な会話シーンが印象に残るものですが、今回も落ち目のテレビスター=レオナルド・ディカプリオと、彼の専属スタントマン=ブラッド・ピット、二人のシーンがいい。自宅でドラマ『FBIアメリカ連邦警察』を見るところなんて、めちゃくちゃ楽しそうでした。マンソン・ファミリーからブルース・リー、フラワーチルドレン、当時公開された映画やドラマまで、背景とトリビアを知っていればいるほど味が出てくるはず。注釈付きでもう一度見たい。
先日開かれたコミコンではマーベルの今後の新作映画/ドラマが発表されました。その量の多さにちょっと途方に暮れつつ、注目したいのは『エターナルズ』(2020年公開予定)の監督にクロエ・ジャオが指名されたことでしょうか。中国系アメリカ人の彼女は、長編第二作『ザ・ライダー』(2017)が話題になった人。ネイティブ・アメリカンのカウボーイを主人公にした映画は、現代のウェスタンとも言われました。最近各方面でウェスタン的モチーフが復活しているのには、アメリカのノスタルジー、もしくは男性性/フロンティアなどの見直しも関係していると思いますが、『ザ・ライダー』が見つめるのはこの青年の内面。彼は事故で大怪我を負い、乗馬を禁じられ、夢や生きがいを失った未来に直面させられます。その細やかな描写、人間の命と馬の命の並置は、アンドリュー・ヘイ監督作『荒野にて』(2018)も思わせる。俳優ではない人々を起用する演出、寡黙な繊細さ、美しく乾いた映像を見ていると、これがどうスーパーヒーローものに生かされるのか、わくわくしてきます。撮影監督は『ゴッズ・オウン・カントリー』(2017)のジョシュア・ジェームズ・リチャーズ。
マッテオ・ガローネ監督の重厚で迫力ある映像は、個人的には前作『五日物語』(2015)のようなダーク・ファンタジーのほうが楽しめる。ただ同時に、『ゴモラ』(2008)や今作『ドッグマン』で使われると、イタリアのさびれた町の物語がミステリアスな寓話の様相を帯びます。主人公のマルチェロは小さなドッグサロンを営み、町の仲間や娘とのささやかな時間を楽しむ男。けれど友人のシモーネにはいいように使われ、強引な彼の脅しにいつも屈してしまう。その構造がエスカレートしたとき、暴力はどこに向かうのか。まるで大きな円形舞台か闘技場のような街の使い方、普通の映画では主人公にはなれないマルチェロの造形もすごいけれど、人間や犬がそこで「生きていく」ことの生々しさに圧倒されます。リアルで、滑稽で、悲しい命。前半でマルチェロが犬を救おうとしたシーンなど、どう反応していいのかわからなくなりました。より動物的なのは犬か、人間なのかもわからない。ロッセリーニやフェリーニを生んだ国の才能による、新たな怪作。
ミッシェル・オスロによる夢のように美しく華やかなアニメーション作品は、ベル・エポックのパリが舞台。ニューカレドニアからやってきた混血の少女、ディリリとともに街を探検し、当時の偉大な天才たちと知り合ううち、物語に込められた現代的なメッセージに気づきます。フランスの植民地主義がピークとなった時代に、大勢の外国人が集まったパリ。女性の社会進出をよく思わない男たちは秘密結社を作り、恐ろしい誘拐事件で支配を取り戻そうとします。その事件の捜査を縦糸に、時代を作った人々がこれでもかと登場するのが楽しい。ピカソやマティス、サティといった有名な人々から、科学者のマリー・キュリー、オペラ歌手サラ・ベルナールら、それぞれの分野で頭角を現した女性まで。彼らが体現するのはおそらく、暴力や差別への抵抗のかたち。それぞれが好きな格好をし、カフェでおしゃべりして、お互いに学び、芸術や科学を生んでいく――それも闘いなのだと。まあ、いまジャネール・モネイが言う「クレイジー、クラシック・ライフ」ですね。「白人にも黒人にもなれない」女の子のディリリ、彼女もジャネール並みにキュートです。