ここ最近のタイム・ループもの、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014)や『ハッピー・デス・デイ』(2019)、『パーム・スプリングス』(2020)などには暴力的な死や自死がカジュアルに頻出し、それにちょっと違和感がありました。せめて『ロシアン・ドール』(2019)くらいには死の意味が掘り下げられていいんじゃないか、と。そんななか、30分の短編『隔たる世界の2人』は「死んでもすぐに生き返る」というプロットに新たな意味とアプローチを加えています。なにせテーマはいまアメリカでもっとも紛糾している「黒人が警官に殺される」という事象。一夜の出会いとセックス後の朝、愛犬が待つ自宅に帰ろうとするカーター(ジョーイ・バッドアス)は、路上で白人警官(アンドリュー・ハワード)に呼び止められ、揉み合いの末死んでしまいます。なのに、はっと気づくと、またもやベッドの中。カーターは同じ結果を避けようと知恵を絞りますが、悪夢はただ繰り返し、彼はホームに戻れない。そこからやがて一つの真実が浮かび上がります。プロットのどんでん返しも鮮やかながら、やはり圧倒されるのは、このタイム・ループが並行世界ではなく、繰り返される歴史であることに気づく瞬間。ジョージ・フロイドやブリアナ・テイラーの体験が映像化され、クレジットが流れだすと、フィクションがBLMに接続します。オスカーでは見事、短編実写映画賞を受賞。
こちらはオスカーで短編ドキュメンタリー映画賞候補になった一作。1991年にコンビニエンス・ストアで殺され、ロス暴動の一因にもなった15歳のラターシャ・ハーリンズを追っています。とはいえ作風はドキュメンタリーというカテゴリーからかけ離れ、実に美しく詩的。事件の背景を追うというより、ラターシャという少女がどんなふうに社会を見、どんな夢を持っていて、どんな女性になろうとしていたのかが親友やいとこの言葉で綴られます。そこから立ち上がるのは、センセーショナルに取り上げられた少女の姿ではなく、ラターシャという一人の女性の未来像というべきもの。とともに、それを失った周りの女性たちの喪失感も伝わってきます。BLMでは「彼女/彼の名前を言え」とスローガンが繰り返されますが、ソフィア・ナーリ・アリソン監督はその精神を19分の映像に結晶させました。ラターシャは事件の被害者ではなく、いま生きているべき人間だったのだ、という静かな怒り、悲しみがどのシーンにもこもっています。
アレサ・フランクリンが1972年にゴスペル・クワイアとともに教会でレコーディングしたアルバム『アメイジング・グレイス』。このドキュメンタリー映画はその録音風景をそのまま撮影したもので、当時の監督はシドニー・ポワチエ。とはいえ素材は映像と音の同期ができなくなり、お蔵入りになっていたとか。のちにプロデューサーのアラン・エリオットが買い取って完成はさせたものの、長年アレサが法に訴えて公開を差し止めていました。それが彼女の死後、日の目を見ることに。アレサ自身は納得していなかったのかもしれませんが、いま見ると彼女の神がかったパフォーマンス、満員の教会に溢れる感動、当時の風俗まで目撃できるコンサート・フィルムとなっています。ロサンゼルスでの録音は二日にわたって続き、二日目の観衆にはミック・ジャガーとチャーリー・ワッツの姿も。音楽のライヴ体験がますます危うくなっているいま、本作と『アメリカン・ユートピア』の上映は貴重なものになりそう。
東ドイツのボブ・ディランと呼ばれたフォーク・シンガー、ゲアハルト・グンダーマン。戦後の東独で、昼は採掘場でパワーショベルを動かし、夜はステージに立って歌っていた彼。やはり東独出身のアンドレアス・ドレーゼン監督が描きだすのは、グンダーマンの素朴な性格と歌の数々、そしてもう一つの顔との葛藤です。というのも彼は秘密警察シュタージの協力者として、コンサート活動を利用しつつ、人々の行動を密告していたから。シュタージの手先という軽蔑され、非難されるべき存在でありながら、この映画の不思議なユーモアからは、東独の監視網がいかに日常的でありふれたものになっていたかがわかります。報告する側にも、される側にも滲む「お仕事感」。でももちろん密告の犠牲になる人々はいて、庶民の代表として歌うグンダーマンは悩み、ときには自己正当化しようとする。もしかすると、その矛盾こそが彼の創作の原動力だったのかもしれません。グンダーマンだけでなく、妻との関係や採掘場の先輩の女性など、それぞれに生活感と悲哀があり、社会主義国家のもとでの人生が垣間見える。ある一家のドイツ戦前・戦後を描きだす重厚なドキュメンタリー『ハイゼ家百年』とはまた趣の違う、ペーソスとノスタルジーに溢れた一作です。
大ヒットした一作目と二作目にガイ・リッチーが回帰。イギリスの怪しげな世界で生き抜く男たち、「ギーザー」の抗争を、実に楽しげにビッグ・ネームの俳優にやらせています。上流階級と繋がって大麻ビジネスを築いたアメリカ人にマシュー・マコノヒー。その相棒にチャーリー・ハナム。大麻ビジネスを買い取ろうとするユダヤ人に『サクセッション』のジェレミー・ストロング。加えてコリン・ファースやヒュー・グラントも、カリカチュアされた役をコックニー訛りで熱演。それぞれの思惑がぶつかり、絡み、反発し、はちゃめちゃな局面を迎えるのもガイ・リッチー印です。ここはもうゆったり構えて、彼のハッタリにノリましょう。ロンドンのエミレーツ・スタジアムなど意外なロケーションも登場し、仕掛けに不足はありません。それにしても気になるのは、いまや本作、それにもっと過激なハーモニー・コリン映画『ビーチ・バム』など、アクの濃い役しかやらなくなったマシュー・マコノヒーの行方。「マコノサンス」と呼ばれたキャリア復活劇も終わり、ここからニコラス・ケージのような怪優路線になるのか、それとも本当に噂通り政界入りするのか。注目です。