この映画を観て思い出すのは、デヴィッド・リンチ版『デューン』(1984)でもドゥニ・ヴィルヌーヴの過去作でも、さまざまなSF映画でもなく、半世紀以上前にハリウッドが製作した『アラビアのロレンス』(1962)や『ベン・ハー』(1959)などのスペクタクル歴史大作でした。予算をスターとセットに注ぎ込み、スクリーンいっぱいに美しい顔のクローズアップや異国の風景を映していた映画。スケール感とタイム感がそこなんですね。なので、大作と言えばスーパーヒーローもの、ハイパーアクティヴなものを見慣れている世代に、このゆっくりした荘厳さはどう映るんだろう、という興味があります。もちろんガジェットなど新機軸はあるものの、いま見ると話は昔ながらのメサイア・コンプレックスというか、選ばれし者(男性)が異文化によって目覚め、世界を救うというもの。フランク・ハーバートによる60年代の原作では植民地主義や生態系の扱いが新しかったんだと思いますが、よく考えるとヴィルヌーヴは『メッセージ』(2016)をはじめ、先鋭的な原作をオーソドックスな映像美で見せるのがうまい監督。なので今回はそのバランスがかなりオールド寄りになったのかもしれません。そう考えると、今回の目玉はやはりティモシー・シャラメに代表される、いまのスター・パワーなのかも。個人的には、こういうアトモスフェリックな映画が大作として公開されるのは歓迎です。ゆっくりとその世界に没入し、現実を忘れる——というメディアの原点に立ち返る一作は、IMAX一択で!
ただ、『DUNE』における異世界に不安はない。もっと根本的で、圧倒的な衝撃を受けるのがコロンビア映画『MONOS』の世界です。冒頭は雲の中のような山岳地帯。そこに異様な石の塔がそびえ、ロウティーンの少年少女がサッカーに興じている。やがてこの子どもたちはゲリラ組織の部隊「モノス(猿たち)」で、人質のアメリカ人女性を監視していることがわかってきます。敵と味方が入れ替わるようなコロンビアの長い内戦を背景に、人を殺す訓練を受けた少年少女兵という設定。とはいえ普段の彼らはごく楽しげに遊び、セックスに耽り、仲間意識で結ばれている。その原始的、幻想的なムードに加え、ミカ・リーヴァイによる素晴らしいスコアによって、全体にリアルな夢のような雰囲気が漂っています。しかしある出来事をきっかけに、彼らは『蝿の王』もぶっ飛ぶほどに暴走していく。闇の中の戦いやジャングルの川のシーンなど、斬新な映像でトーンが変わるのにも驚かされる。一つ『蝿の王』と違うのは、彼らは大人の世界に近づくほど残酷になり、暴力のたがが外れていくのです。とにかく必見、音楽も必聴。監督・脚本のアレハンドロ・ランデスの名前を覚えなければ。
1992年の同名カルトホラーの続編、というよりはリブート(もともと2本の続編が作られているので)。いまクライヴ・バーカー原作、バーナード・ローズ監督によるオリジナル『キャンディマン』を見ると、人種というテーマ性だけでなく、スタイリッシュな恐怖を見せる点に、ジョーダン・ピールの原点となったことに納得します。とは言っても今回ピールは製作で、脚本&監督を手がけたのはニア・ダコスタ。彼女はキャプテン・マーベルの次作『The Marvels』の監督です。キャンディマンとは、シカゴの公営住宅に現れる殺人鬼。それはリンチで殺された黒人男性の亡霊であり、痛みと怒りの歴史であり、アメリカの暴力の象徴でもある。1992年版では白人女性が主人公となり、公営住宅のジェントリフィケーションを背景にしていましたが、今作はアート界が舞台。黒人アーティスト(ヤーヤ・アブドゥル・マティーン2世)とその恋人の画廊主(テヨナ・パリス)がキャンディマンに引き込まれていきます。名前を鏡の前で5回呼ぶと、キャンディマンが現れる——その都市伝説を知っているのに、人々が繰り返し実行してしまうのはなぜなのか。社会のメタファーであるのと同時に、物語の力も感じさせる一作です。
これも『ゲット・アウト』以降にある映画(ピールと組んだプロデューサーが関わっています)。監督はブッシュ+レンツというユニット名で公共広告やドキュメンタリーを手がけてきた二人の男性。彼らは私生活でもパートナーで、長編第一作になんとジャネール・モネイが主演しました。彼女が演じるのは社会学者でベストセラー作家でもあるヴェロニカと、南部で奴隷として働くエデンの二役。ヴェロニカの華やかな生活に忍び寄る影と、エデンの苦しみに満ちた日常が交互に登場します。この二つはどんな関係にあるのか、いくつかのキャラクターが共通するのは何故なのか。サスペンスフルな展開、そして俯瞰の視点が現れたときにあっと驚かされます。興味深いのは『キャンディマン』も『アンテベラム』も、現代アメリカ社会で成功したリッチな黒人が主人公であること。ある意味、人種差別の新たなフェイズとして、彼らこそがいまの恐怖を示しているのかもしれません。
夫の友人にレイプされた、と妻が名乗り出る——その対立する主張を裁くため、二人の男が真実と命をかけて戦った、中世フランスにおける最後の決闘裁判を描く一作。スキャンダラスな題材をケレン味たっぷりに演出したのはリドリー・スコット。脚本はマット・デイモンとベン・アフレックの二人が『グッド・ウィル・ハンティング』(1997)ぶりに組み、そこに『ある女流作家の罪と罰』(2018)のニコール・ホロフセナーが加わっています。ホロフセナーの存在は重要。というのも、物語は『羅生門』方式に、騎士カルージュ(マット・デイモン)、その旧友ル・グリ(アダム・ドライバー)、カルージュの妻マルグリット(ジョディ・カマー)という三者の視点で別々に語られるのです。男女によって見方はここまで変わる、というのは最近ドラマ『アフェア/情事の行方』もやっていましたが、本作はさらに辛辣。女性の視点から男社会の都合の良さ、愚かさを浮き彫りにしています。結局はマルグリットを犠牲にして、男同士のメンツの争いは「決闘」にエスカレートし、群衆がそれを見せ物として楽しんでしまう。そのグロテスクさも、レイプのシーンもかなりつらい。ただデイモンやアフレックまで男の罪を書き、演じようとしていることに、ハリウッドのいまの傾向を感じます。