ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したと聞いて、もともとは詩人で小説家だった、この人の顔を思い浮かべた人も多いことだろう。ディランより7つも歳上ながら、シンガー・ソングライターとしては遅咲きで、33歳でデビューしたレナード・コーエン。寡作で知られていたが、2012年の『オールド・アイデアズ』以降はコンスタントにリリースを重ねている彼が齢82にして発表した最新作が、『ユー・ウォント・イット・ダーカー』だ。今年の7月、“さよならマリアンヌ”や“バード・オン・ア・ワイヤー”といった自身の名曲のモデルとなった元恋人のマリアンヌ・イーレンを亡くし、「自分も死ぬ覚悟は出来ている」と語ったコーエン。誇張し過ぎたとしてすぐに撤回しているが、アルバムのタイトル・トラックであるこの曲を聴けば、あながち冗談でもなかったことがわかる。地を這うようなシンセ・ベースと賛美歌のようなコーラスをバックに、ヘブライ語で“ヒネニ、ヒネニ(私はここにいます)”と繰り返すこの曲は、デヴィッド・ボウイの『ブラックスター』と並べて語りたい、ひとりの芸術家によるスワン・ソング(辞世の句)だ。
レナード・コーエンのキャリアの中でも異色なのが、ビートルズ関連作品で知られるフィル・スペクターをプロデューサーに迎えた1977年の『デス・オブ・ア・レディース・マン(ある女たらしの死)』。そんなアルバムを連想させる“レディース・マン”なるタイトルの曲で幕を開けるのが、LAのサイケ・ポップ・デュオ、フォクシジェンのジョナサン・ラドのガールフレンドでもあるジャッキー・コーエンのミニ・アルバム『タコマ・ナイト・テラー』だ。最近では〈4AD〉からデビューした兄弟デュオ、レモン・ツイッグスのプロデュースも手掛けているジョナサンだが、本作にはそんなレモン・ツイッグスのダダリオ兄弟が演奏とアレンジで参加。この“マディ”はスティーヴィー・ニックス時代のフリートウッド・マックを思わせる名曲だが、ダダリオ兄弟の弟マイケルによる、後半の暴走ドラムが聴きどころだ。
今年の5月、英音楽雑誌〈モジョ〉の付録として発表されたボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』全曲カヴァー・アルバムで“我が道を行く”を取り上げていたのが、ホラーズの弟分的存在のUKバンド、S.C.U.M.のフロントマンだったトーマス・コーエン。2012年にブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフの娘ピーチーズ・ゲルドフと結婚した彼は2人の息子に恵まれるが、一昨年そのピーチーズをヘロインのオーヴァードーズで失うという悲劇に見舞われる。失意のままアイスランドに向かい、現地のミュージシャンたちとレコーディングしたのが、最愛の次男のミドル・ネームを冠した1stアルバム『ブルーム・フォーエヴァー』。ペダル・スチールなどを取り入れた本作には、バイク事故から復帰した後のディラン作品のような、不思議と穏やかなムードが漂っている。
来日も楽しみなディアフーフの元ギタリストであり、16歳の時にソニック・ユースの“シンデレラズ・ビッグ・スコア”のミュージック・ヴィデオに出演したこともあるクリス・コーエン。アリエル・ピンクやキャス・マコームズの作品に参加したり、最近では女性シンガー・ソングライター、ワイズ・ブラッドことナタリー・メリングの新作もプロデュースしていた彼の、4年ぶりのソロ・アルバムのタイトル曲がこちら。低予算ながらアイデアを生かしたミュージック・ヴィデオも素晴らしいが、ステレオラブやブロードキャストのようなクラウトロック風のビートとスペーシーなシンセ使いは、彼が在籍していた頃のディアフーフの名曲“ランニング・ソウツ”を思わせる。そういえばディアフーフとツアーで共演するミツメの川辺さんも、最近このアルバムがお気に入りなんだとか。
ここまで読んでくれた人なら、もう気づいているかもしれない。今回紹介したミュージシャンたちが、全員「コーエン」姓だということに。そんなコーエン・ブラザーズたちのトリを飾るのが、サンフランシスコのロック・バンド、フレッシュ&オンリーズのフロントマンでもあるティム・コーエン率いるマジック・トリックだ。現在は生まれたばかりの娘とアリゾナで暮らしているという彼の最新作には、ビーチ・ハウスのドラマーのジェームス・バロンや、ボニー・プリンス・ビリーとの共演で知られるギタリストのエメット・ケリーが参加。そんなエメットのサイケデリックなギター・ソロが聴けるこの“ピュアレスト・シング”は、間違いなくアルバムのハイライトだ。そのワイルドな風貌からは想像もできない、包容力のある歌声とメロディ──彼こそまさに、コーエン界のイクメン・ゴリラと呼ぶにふさわしい。