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  • ヘレディタリー/継承(2018) directed by Ari Aster by TSUYOSHI KIZU November 29, 2018 1
  • イット・カムズ・アット・ナイト(2017) directed by Trey Edwards Shults by TSUYOSHI KIZU November 29, 2018 2
  • メアリーの総て(2017) directed by Haifaa Al-Mansour by TSUYOSHI KIZU November 29, 2018 3
  • バスターのバラード(2018) directed by Joel Coen & Ethan Coen by TSUYOSHI KIZU November 29, 2018 4
  • 斬、(2018) directed by塚本晋也 by TSUYOSHI KIZU November 29, 2018 5
  • 現在ホラー/オカルトが先鋭化しているのは、明らかに時代のムードを反映したものだろう。本作はなかでも決定的な一作。ある家族が住む郊外の屋敷を舞台として、メンバーが恐怖の淵に落とされていく様は伝統的なホラー映画の設定だが、どこか超越的な佇まいで観る者を圧倒する。肝心のものをすぐには見せずにゆっくりと動き続けるカメラワークに、整頓されているが何かが歪んでいる美術、そしてコリン・ステットソンの不穏だが厳かな音楽。多数の象徴や記号、伏線を散りばめながらじわじわと不快感や違和感を煽る演出は、怖い以上にもはやエレガントだ。祖母の死をきっかけに、家族がいったい彼女から何を「継承」したのかが本作のストーリーの核となるのだが、そこで背景となるのは家族間のコミュニケーション不全やうつの問題である。つまり、現在の世を覆う「恐怖」とは何なのかをじっくりと炙り出す。陰惨な描写が続く映画だが、それ自体がトラウマになるのではない。これはわたしたちが内に抱え続けるトラウマと向き合うための映画なのである。

  • 『ヘレディタリー』以外にも、最近だけでもデヴィッド・ロバート・ミッチェルの『アンダー・ザ・シルバーレイク』や萩原さんがピックアップしていた『ア・ゴースト・ストーリー』など話題作を立て続けにリリースし、注目を集めて続けているインディペンデント系スタジオ〈A24〉。本作も同社が制作したインディ作品だが、こちらは得意のホラーというよりはシチュエーション・スリラー。おそらく世界を破滅的な状況に陥れた「病気」の感染から逃れ森で暮らすひと組の家族が、別の家族と出会ってやがて疑心暗鬼になっていく様をミニマルな舞台設定で描く。外から助けを求めてやってくる家族ははっきりと移民を連想させるものであり、だとすると外界との接触を遮断する家族の姿はアメリカの現在のパニックのメタファーだと言えるだろうか。だが悲しいのは、ジョエル・エドガートン演じる父が抱く他者への強固な不信感は、どこまでも自分たちの身を守るためであるということだ。誰もが沈みゆくなか、どうすればそれでも他者を信頼し、共存することができるのか。本作の絶望的な問いは現代を生きるわたしたちに突きつけられている。

  • もちろんホラーに魅了される人間ははるか昔からいた。19世紀初頭のイギリス、18歳で『フランケンシュタイン』を書き上げたメアリー・シェリーがそこに至るまでを描く本作。演じるのは勢いの止まらないエル・ファニングだ。本作を観て驚いたのは、メアリーの父は急進的な思想家であり、母は女性の権利を訴えたフェミニズムの先駆者だったという事実だ。しかも両親はほとんどポリアモリーの実践者だったという。メアリーは両親の自由で革新的な生き方に影響され、詩人のパーシーと情熱的な恋に落ちたあとも自由な生き方を標榜する。だが、ポリアモリーと男権的な一夫多妻制との違いはどこにあるのか。男に酷い仕打ちを受ける女たちはどうすれば生きていけるのか。彼女は年若くして、そうした厳しい問題に翻弄されることとなる。監督はサウジアラビア出身の女性ハイファ・アル=マンスール。デビュー長編『少女は自転車に乗って』(12)ではサウジ社会に新しい自由を求める少女を描いていた彼女はここで、200年前の女性作家の苦悩を参照しながら#MeToo時代における愛の獲得の難しさや可能性を模索している。メアリー・シェリーは、女性として自由に生きることも愛を得ることも諦めなかった――といまの時代に向けて語るのである。

  • コーエン兄弟の新作はNetflixで。すっかりそういう時代になりましたね。とはいえ本作は少し変わっていて、6つの短編からなるオムニバスの西部劇だ。なんでも兄弟監督が25年にわたって書き溜めていた短編小説が基となっているそうだが、実際に観るといかにもそんな感じだ。すべてのエピソードが奇妙なシュールさとダークな笑いに貫かれていて、そのストーリーテリングの手際の良さはさすがである。どの短編でもあからさまに死がモチーフとなっているが、これはいまに始まったことではない。コーエン兄弟が手がける皮肉に満ちたストーリーでは死は単純に忌むべきものではなく、複雑にこんがらがった事態の解決として機能するところがどうもある。つまり物語を構成するための重要なパーツとなっており、寓話性の高さはそこに起因するものだろう。だから、何やら伝承譚のような形式となっている本作は彼らのエッセンスをかなりわかりやすく抽出するものになっていると言える。コーエン兄弟の最高傑作は『トゥルー・グリット』(10)だと思っている僕のような変人はともかく、とくに初期の持ち味であった彼らのブラック・コメディ性が好きなひとにはバッチリな一本のはずだ。ちなみにトム・ウェイツがかなり味のある役で出るので、そちらも必見。

  • 「どうしたら、ひとはひとを殺すことができるのか」。監督・塚本晋也にとって初の時代劇となる本作の入口はそんな問いにあったそうだ。戦争の極限状態を描いた『野火』(14)とはまったく異なる時代を舞台にしながら、「殺す」とはいったいどういうことなのかを突き詰める様は同様だ。江戸末期の農村。池松壮亮が演じる浪人は、農家の手伝いをしながら非常時には彼らを守るという立場で剣の訓練をしつつ暮らしていた。だがそんな折、ある剣豪に認められ京都の動乱に参加さるように誘われる。それと同時に、野盗の一味が村にやって来ることで、彼は刀をひとに実際に振るう機会と向き合うことになる……。現在の日本の安全保障と国際紛争への参加の問題をほのめかしつつも、あくまで個人が殺戮を実行することの苦悩をえぐる。だが本作が特異なのは、死の恐怖に向き合う人間の恍惚を浮かび上がらせていることだ。美しい刀が舞うソリッドな殺陣のシーンでは血しぶきが飛び、また、ひとは死の恐怖に直面してこそ深遠な官能を得る。そうつまり、塚本映画のフェティシズムを限界まで洗練させたものが本作だ。せめぎ合うエロスとタナトス、その美学が凝縮されている。なお、マーティン・スコセッシの『沈黙』で圧倒的な身体性を見せた俳優・塚本晋也は、もはや朝ドラ(『半分、青い』)でまで存在感を放つようになったが、本作ではたしかな重心となって映画全体を支えている。

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