まず確認しておきたい。「何を表現したか?」よりも「どう表現したか?」の方が遥かに重要だ。つまり、映画や小説では表現出来ない何か、それを表現した音楽がもっとも素晴らしい。あらゆるアートフォームにおいてもっとも重要なのは、個々のアートフォーム独自の「形式とニュアンス」だ。音楽でしか映画でしか小説でしか表現出来ない形式やニュアンスーーそれを極め、それを更新した作品こそが何よりも称賛に値する。その理由は簡単。人類を進化させる最大の要因は「言語」だから。ケンドリック・ラマーの『DAMN.』のナラティヴやリリリシズム(の一部)を映画や小説に翻訳することは不可能ではない。2010年代のサウスに暮らすブラックの生活や日常的なジョークを何よりも的確に伝えるドラマの脚本のネタとしてはミーゴスの『カルチャー』は最適かもしれない。だが、これまでの大半のフューチャー作品を映画や小説に置き換えようとしても無理。恋愛とドラッグとファッションを巡るありきたりな三文小説にしかならないだろう。つまり、彼の圧倒的なフロウと歌詞のデリバリーが生み出す唯一無二の「ニュアンス」は、ラップ/音楽という「形式」でしか表現出来ない。他の表現には置き換え不可能なのだ。90年代半ばにアンドレ3000やシーロー・グリーンといったサウスのラッパーたちが始め、それに続いたドレイクが一般化させたラップと歌の融合/混在。その結果、R&Bとラップの境界はどこまでも曖昧になり、今やポップ・ミュージックのディフォルトのひとつになった。そんな時代にサウス最強のラッパーが作った「ポップ・アルバム」。ここには誰も作ったことのない「歌」がある。我々がこれまで感じたことのないフィーリングがある。アルバム6曲目“フレッシュ・エアー”ーーこの曲の冒頭1分だけでも、ビートルズの最高傑作“ツイスト&シャウト”と同じくらい、いや、それ以上の価値がある。シンギュラリティの先にある2045年を待たずとも人類はいまだ急速に進化を遂げている。(田中宗一郎)
モーゼスは10歳の時に生まれ育ったカリフォルニアからガーナに移住する。そこでクラスメイトにアメリカ訛りを揶揄われてから、彼は孤独感に苛まれるようになり、シャイな人間になった。彼の囁くようなヴォーカル・スタイルはその性格からきているという。そんな彼は、デビュー作のテーマに「アロマンティシズム」=非ロマン主義を掲げる。運命の相手と結ばれることが本当の幸福なのだという旧来的なロマンティック・ラヴ・シンドロームへの抵抗。孤独が表現の核にありながらも、本作は実に多くの音楽家たちの貢献によって成り立っている。例えばサンダーキャットがベースを弾く“クオレル”は、ブランディー・ヤンガーのハープとジャマイア・ウィリアムスのドラムも重要な役割をしており、現代ジャズが醸成している音色やリズムが最新のインディ・ミュージックに介入した楽曲といえる。この曲にはキングのパリ・ストローザーがアレンジメントを手掛けていることも付け加えておこう。他にもミゲル・アトウッド・ファーガソンやyMusicのロブ・ムースといった才能溢れる音楽家たちが本作に参加しており、コラボレーションの充実という意味では2017年屈指の作品だ。(八木皓平)
質としても商業的な結果としてもゼロ年代に栄華を極めたUSインディ、その発火点はどこか。言わずもがな、それはレディオヘッドの『キッドA』と『アムニージアック』の2枚のアルバムだ、という歴史観がある。曰く、そこへの対抗意識がブルックリンに火をつけ、それが北米全体に広がった。だが、そうした音楽的進歩主義がSpotify時代のポピュリズムの前で敗北を喫したのが2010年代半ばのこと。だが、それ以前に、グラス・アニマルズのような一部の例外を除くと、そうした音楽的進化、あるいは、世界的なメインストリーム・トレンドについてこれなくなった大方の英国ロック・バンドは表舞台から姿を消した。The 1975やミューズ、コールドプレイにおいてきぼりを食ったカサビアンやリアム・ギャラガーは英国演歌歌手としての道を選んだ(ことを思うと、やはりノエル・ギャラガー新作は称賛に値する)。そんな英国産インディ・ロック暗黒時代の中、ロンドンのアンダーグラウンドを中心にいくつもの刺激的な新しいバンドが発見されたことは2017年最大のトピックのひとつだろう。英国マーキュリー・アワードにもノミネートされた、このザ・ビッグ・ムーンーー日本語にすれば、デカいケツーーはその筆頭格。プロダクション的には、グランジ革命直後、ブリットポップ前夜の、いまだ英米のロックが互いに影響を与えあっていた「93年のサウンド」。つまり、90年代前半のピクシーズ、レディオヘッド、ブラー。だが、ソングライティングとバンド・アンサンブルがあまりにもずば抜けている。つまり、10年以上続いた「プロダクション至上主義」に対する反動であり、「ソングライティング復権」の烽火を上げたアルバム。そういう意味では、偽悪的に70年代ピアノ・シンガーのパスティーシュに敢えて取り組んだファーザー・ジョン・ミスティの『ピュア・コメディ』と対になる作品だ。恋愛における共依存、そこからの解放をモチーフにしたリリックはブレグジッド時代のサウンドトラックという文脈で解釈することも出来る。メンバー4人が居並ぶ姿が醸し出す凛とした爽快感はビートルズやザ・クラッシュをも凌ぐと言っていい。蛇足だが、2017年ベスト・ロック・ドラマーの称号は彼ら/彼女たちのドラマー、ファーン・フォードにこそ相応しい。2017年随一の、最高のロック・アルバム。(田中宗一郎)
先行カットされ、本作の冒頭に置かれた曲のMVの終盤で、赤ちゃんを抱っこした若い父親の集合場面が出てきて、他のラッパーと様子が違うと思ったら、この曲は、逃げた父親に替わり、生き方の手本となった爺ちゃんについてライム、一方、ラスト曲では、母親が息子ロイルに捧げた詩を読み上げ、さらに今は亡き継父が……ジャケ写に表されているように、このアルバムは、ロイル・カーナーの家族の肖像であろうとしている。が、ケンドリック・ラマーの『グッド・キッド・マッド・シティ』のように「物語」を最優先してはいない。物語が生まれるとしても、断片しかない。そもそも、ロイルのラップが告白調というか、独り言というか、つぶやきを思わせるような、穏やかさを湛えたもので、4曲目はビートさえない。尚且つ、ビートの好みも、トム・ミッシュ客演曲のリリックに、意中の女の子に劣らぬ完全な理想の存在として出てくるジェイ・ディー(J・ディラ)に倣ったもので、ジャズ・サンプルが基本。このサウス・ロンドン出身の23歳については、「UK」のラッパーという狭い括りではなく、まずは、ヒップホップという大きな枠の中で、慎ましやかで大胆なこの個性を捉えたほうが良さそうだ。(小林雅明)
例えば、「I'm the loneliest man alive...」と始まる“911”のパンチラインに、抑鬱状態がとても説得力のある表現で凝縮されていたりして、この4作目は、全体を通じても、これまでのアルバムでタイラーの言葉がもっとも絞り込まれているように聴こえる。そのせいか、愛を希求する“シー・ユー・アゲイン”や“ガーデン・シェッド”など数曲に対しては「カミングアウト」との解釈さえ当てはめられた。かといって、何かを抑制しているわけではなく、それは自由なサウンドにも当てはまる。全曲を手掛けたタイラーのN.E.R.D好きな部分は相変わらずだが、『ビコーズ・ジ・インターネット』以降のチャイルディッシュ・ガンビーノ作品から、ここでも2曲に参加しているフランク・オーシャンの『ブロンド』へと続く流れの先に出てきたアルバム、と言ったらいいだろうか。タイラーの新たな代表作となった。本能の赴くまま進行方向を変え、「Car」を含むアルバム冒頭のラインから「drive」が出てきて、降車を知らせるSEで締め括られる本作は(フロイトが言う)「欲動(drive)」を描き出した音楽という意味でのドライヴ・ミュージックなのかもしれない。(小林雅明)
2017年 年間ベスト・アルバム
1位~5位
2017年 年間ベスト・アルバム
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