SIGN OF THE DAY

【ANOHNI interview 後編】実現不能な(?)
調和の世界を夢見る現代の『キッドA』、
今年最初の傑作『ホープレスネス』を巡って
by SOICHIRO TANAKA June 15, 2016
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【ANOHNI interview 後編】実現不能な(?)<br />
調和の世界を夢見る現代の『キッドA』、<br />
今年最初の傑作『ホープレスネス』を巡って

もしかすると、3パートに分けたアノーニとの対話――前編、中編に目を通してくれた読者の中には、どこか既視感を持った方もいるかもしれない。特に、アノーニ自身が語る、資本主義とエコロジーとの関係に関するやり取りの部分に。

【ANOHNI interview 前編】多幸感に満ちた
サウンドに告発を忍ばせたトロイの木馬、
今年最初の傑作『ホープレスネス』を巡って


【ANOHNI interview 中編】政治的な主張を
ふんだんに含んだ(?)怒りのレコード、
今年最初の傑作『ホープレスネス』を巡って


「資本主義とエコロジーとの関係」について、繰り返しその作品の中で取り上げてきた作家にレディオヘッドがいる。97年の『OKコンピューター』に端を発し、それは現在も変わらぬ彼らのテーマのひとつ。特にナオミ・クラインの著作『No Logo: Taking Aim at the Brand Bullies(ブランドなんか、いらない――搾取で巨大化する大企業の非情)』が思想的ミューズのひとつでもあった『キッドA』以降は言わずもがな。

ここ最近の目立ったトピックとしても、2015年12月にCOP21(アノーニとの“4ディグリーズ”を巡る対話でも話題に上った、気候変動枠組条約第21回締約国会議)がパリで開催された際にも、トム・ヨークとレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーはナオミ・クラインの最新の著作『This Changes Everything: Capitalism vs. The Climate(これがすべてを変える 資本主義と気候の対決)』における主張について語るべく、フランスのTV番組に彼女と共に出演している。

ナオミ・クラインとアトムス・フォー・ザ・ピース

ナオミ・クラインの最新の著作での主張を少しばかり乱暴にレジュメするとするならそれは、地球環境におけるエコロジーの問題を解決することこそが最終的にはもっとも最適な世界経済の建て直しに繋がるというもの。勿論、こうした視点は広範囲な領域でシェアされているものではない。だが、もしあなたがこうした議論について理解を進めたいと思うなら、以下のリンクが参考になるかもしれない。

エコモダニスト対エコラディカル

そして、勿論、こうした議論は、アノーニが本作『ホープレスネス』を作った背景にも繋がるものだ。あるいは、アノーニとの50分の対話の中で彼女が語った、多国籍企業が牽引したグローバルな経済システムからは誰もが逃れられないという認識。これもレディオヘッド諸作と相通ずるものがある。

2001年のアルバム『アムニージアック』のアートワーク、あるいは、「これはカニバリズムについての作品だ」という本人たちの言葉を思い出して欲しい。『アムニージアック』のアートワークの中、古ぼけた赤い本の表紙で泣いているクリーチャーは、ギリシャ神話に登場するミノタウロス――工芸と建築の神ダイダロスが作った迷宮ラビリンスに幽閉され、生贄の少年少女を貪ることで生き長らえてきた牛頭人身の怪物を戯画化したものだった。

レディオヘッド(とスタンリー・ダンウッド)は、このミノタウロスをグローバル経済が行き届いた現代社会に暮らす、すべての人々のアナロジーとして使った。つまり、ミドルクラスの生活、身の回りの小さな幸せを大切にすることがそのまま地球の裏側で暮らす人々を死に至らしめている、どうあがこうと、このカニバリズムの迷宮からは抜け出すことが出来ない――このクリーチャーをそんな象徴として描いた。

こうした視点は、アノーニによる「私が言っているのは『私はアメリカ人だ』ということ。そして、どうすれば自分はこのシステムから脱け出せるのか」という視点とやはり近しいものがある。某雑誌によれば、今は政治の季節らしい。確かにここ10年、世界経済が袋小路に陥ることで政治的なイシューが世界中で前景化することになった。だが、アノーニやレディオヘッドは目の前の10年、目の前の政治的なイシューに積極的にコミットしながらも、これからの100年、これからの200年先も続いていく、より深刻な問題に目を向けている。自分や自分の子供たちだけでなく、もっと先の世代の子供たちの未来を見ている。

ただ、もはやアノーニは人類という種の側に立ってはいない。この作品が『ホープレスネス』と名付けられた理由について、もう一度、彼女の言葉を引用しておこう。「自分が残した足跡が、他の生き物にひどい影響を与えているのに気づいてしまったから」。つまり、この「犯されるべきではない神聖なもの=母と子=エコロジー」の側に立つ、という彼女独自のパースペクティヴこそが『ホープレスネス』という作品の特徴を決定づけている。

だからこそ、この『ホープレスネス』というアルバムを「ポリティカルな作品」という狭い枠に押し込めてはならない。勿論、音楽家が政治的な発言をするだけで疎んじられてしまう後進的なこの島国にあっては、良くも悪くも、ようやく訪れた政治の季節なのかもしれない。皮肉ではあるが、勿論、そうした意識の高まりは喜ぶべきことでもある。議論が進み、何かしらの解決に繋がるのであれば。だが、この『ホープレスネス』という作品はもっと大きな視野で、もっと広範囲のことについて語っている。

この50分ほどの対話の中で、アノーニは繰り返し自分自身の罪について話している。特定の誰かを非難することを出来るだけ避けようとした作品を作りながら、執拗なまでに自分自身には批判の眼差しを投げかけている。自分自身のアートを政治的な道具にしてしまったのではないか? という疑問を自分自身に問いかけている。自分自身がもはや理解出来ないと感じてしまう人々に対してさえ、「悪」というレッテルを貼るのではなく、「壊れてしまった=ブロークンネス」というアングルを与えることで、深い慈愛を持つことを自らに課す。

作品そのものを作家の立場や思想、発言に接続するという愚行を敢えて犯すとするなら、この『ホープレスネス』という作品が聴き手に与えるフィーリングの最たるものは、アノーニ自身のこうした言葉に集約されるかもしれない。「私は、私自身の失敗や欠点、自分の破壊的な部分にも思いやりを持たなければいけない」。どんな許されない深い罪を抱えた者だろうと、生きとし生ける者すべてへと振りまかれる慈愛――『ホープレスネス』の根底にあるのは、それだ。

だが、彼女はこうも続けている。「でも、どうすれば自分の破壊的な部分と和解できるのか――本当にめちゃくちゃなのに!」。自らの理性と良心がまさにその慈愛と思いやり、哀れみを持つことを根底から揺るがし、抑えきれない怒りが自分自身を焼き尽くそうとしているという苦しみ。『ホープレスネス』という作品は、こうした彼女自身の葛藤の産物でもある。

少しおさらいをしておこう。この『ホープレスネス』において、最初に鳴らされる和音はサブドミナント。甘くやるせないメジャー7thの響き。トニックという調和と安定に帰結したいというかなわぬ思いが宙に舞っている。そこは宙ぶらりんな場所。あの懐かしい調和という場所に戻りたいという願い。だが、もしかすると、もうあの懐かしい調和という場所には戻れないかもしれないという諦めがないまぜになって、すべてを運命にゆだねてしまったような響きから、このアルバムは始まる。

この『ホープレスネス』という作品は常に揺れ動いている。彼女自身の真実と現実の狭間で。理想はある。目指すべき場所はある。だが、果たしてそこに到達出来るのか、そもそもその場所を目指すことさえ可能なのか、その確信はない。だが、私はここに確かにこの作品を残した、そして、この作品に耳を傾けてくれる人々がいるに違いない。その一抹の希望から、この雨の降らない砂の惑星に『ホープレスネス』というアルバムは産み落とされた。

改めて言おう。たったひとりで十字架を背負うキリストなど誰も求めてはいない。アノーニはひとりではない。その傍らには多くの母、多くの娘たち、そして、多くの息子たちがいるに違いない。もしかすると、あなたの姿をみつけることが出来るかもしれない。




●では、あなたには、誰もが間違っていて、誰もが罪をかかえているという前提はありますか?

「いえ、別に『私たちが生来、間違ってる』ということじゃない。ただ現代の世界、自ら作り出した世界において、自分たちをサステイナブルに組織することが出来ないだけ。バランスが取れてないのよ」

●つまり、あなたの言うところの「壊れてしまった=ブロークンネス」ということですね?

「だからこそ、まるでウィルスのように振る舞いはじめた。でも、勿論、ウィルスだって自然の一部だし、間違った存在じゃない。ウィルスも自然の一部なの。でしょう? でも、とても破壊的なのよ。だからこそ、私たちは本当にその道を進みたいのか? 選択肢は他にないのか? もう一度自分たちを見直して、方向を変えられないのか――ということなの。それも国単位とかの人としてじゃなく、種として、人類として」

●ですね。

「でも、そのためには、何千年間も与えられてきた文化の違いや分離、分断をどう乗り越えるのかが重要になってくる。人間が生きる欲求としてのコンセンサスを生むには、それが必要でしょう? もう私たちは、生き続けるためのグローバルなコンセンサスを全員で作り出さないといけないところまで来てるのよ。でも、一部の人たちは、死ぬ欲求としての振る舞いに留まり続けるはず。わかる? 私たちの行動の中に、もうすでに絶望があるのよ。それがきちんとつかめていない。それがウィルスと同じということ。ウィルスの最終的な欲求は死ぬことなの。宿主を殺してしまえば、もう生きられる場所はないんだから。だから、ウィルスの生には悲しさがある。語られることのないブロークンネスがあるの。だって、なぜ死にたいの? なぜ必要以上のものを奪おうとするの? どうして維持できる以上の空間を占めようとする? どうして私たちはこうなってしまったんだろう?――ということ。でも、私たちには、もう一度やり直すことが可能なの。もし私たちにそれが出来るとすれば、絶対に大きな変化になるはず。そして、そのために必要なスキルの多くは、世界中でこの何千間、どの文化でも抑圧されてきたフェミニティの奥深くに隠されているはずなのよ。だって、女性というのは……」

●「より弱い性」だから?

「いえ、そう言われてきたけど、でも絶対にそうじゃない! むしろその逆なの。私の頭の中では、女性って衝動的なものを司っているの。古代の本能とか、価値観みたいなもの。私にとってはそれこそが唯一、起こりうる変化に必要な強さや重さ、安定をもたらしてくれる――もし私たちがやり直せるとしたらね」

●なるほど。

「私はそう信じてるんだけど、勿論、同時に『ありそうにもない』っていうのもわかってる(苦笑)。周りの現実や私たちのあり方、自分たちがいかにシステムにパワーを与えてしまっているかを見るとね。それでも、私たちはトライしてみなきゃいけないと思う。もしかしたら、そこからヒロイックなものが出てくるかもしれない。何か本当に美しいものがそこから生まれるかもしれない」

●それにしても、この作品にはとても告発的なトーンがありながら、同時に、この作品を耳にするだろう人々の知性と良心に対する信頼もあると思うんですね。ただ、そうした信頼を持ち続けることに挫けそうになる時はありませんか?

「どういうこと?」

●私の場合、例えば、自分の理性からは到底理解出来ないような陰惨な事件が起こり、同時に、それに対する理解出来ないような多くのリアクションを目にした際に、まるで世間一般の人々の大半が無知で、愚かな人々のように思えてしまう時があります。そんな傲ったファシスト的な感覚が自分の中に芽吹いてしまうことをとても恐れているんですね。

「勿論、私もいつだってそう感じてしまう。だって、今の選挙戦を見ればわかるでしょう? ドナルド・トランプだとか、ヒラリー・クリントンだとか。なぜ彼らを支持出来たりするの? それを理解しようとするのはとても難しい」

●まさにそうですね。

「でも、“エクセキューション”という曲でも取り上げたんだけれど、私の中には『壊れてしまったものvs.悪意』という考え方があるの。もしくは、『壊れてしまったものvs.愚かさ』という考え方ね」

●出来れば、より具体的に教えて下さい。

「アメリカでは死刑が認められていて、『死刑になるのは馬鹿か、悪人』ということになってる。でも、ノルウェーでは、例えば、大量殺人をした人がいると、政府がその人に発言の機会を与えるの。そして、国中が、その人は病んでいるという見解のレンズを通して、その行動を判断するの。つまり、『病んでいる=壊れている』という理解があるのね。そして、国中が泣き、喪に服す。でも、アメリカでは――例えば、ボストン・マラソンの爆弾テロ犯に対して、国中が激怒し、犯人の少年に死刑判決が下りると、それに狂喜したりするの」

●私が先ほど話したのは、まさにそういったことが起こった時のことです。どうにもいたたまれない気分になってしまう。

「そう、この二つはまったく違うモデルだし、まったく違う感情的プロセスなの。でも、あなたが言ったような時や、誰かが破壊的なインパクトを世界に及ぼすのを目にして、まったく絶望してしまうのはごく自然な反応だと思う。私自身、そう感じるのはしょっちゅうだもの。だって、貧しい人たちがドナルド・トランプに投票するのが私には全然理解出来ないし、『ここまで来て、何故まだ操られてるんだろう?』と思ってしまうの」

●わかります。

「だって、私にはディック・チェイニーみたいな人間の精神生活が想像出来ないし、オバマがどうして毎週、ドローン爆撃の許可サインを書き続けられるのかがわからない。だって、(コネチカットの)サンディフック小学校の銃乱射事件で亡くなった子どもたちのために涙を流しながら、どうして他の国の子どもたちを殺す許可にサインできるの?」

●ただ、それが現実ですよね。

「勿論、私の中にも同じような偽善はある。もっとスケールは小さくても。私だって、偽善を見せびらかしているし、私も共犯に変わりはないのよ。だって、自分が軽蔑するシステムに加担しているんだから。自分自身の行動で解決策をオファーしていないし、今はまだ自分の希望の中にそれがあるだけ。ただ……やっぱりそこで私は、“ブロークンネス”という舞踏の素晴らしいアイデアに引き戻されるの。『壊れたものを探る』ということ自体に何かとてもパワフルなものがあると思う。そこに変化の種があるからこそ、パワフルなんじゃないかな」

●あなたが舞踏から学んだ「壊れたものを探る」というアイデアこそが、何よりもあなたのベースにあるわけですね?

「だって、それって、つまり、思いやりや哀れみを持つことでもあるでしょう? 私は私自身の失敗や欠点、自分の破壊的な部分にも思いやりを持たなければいけない。でも、どうすれば自分の破壊的な部分と和解できるのか――本当にめちゃくちゃなのに!(笑)。すごく難しいし、簡単じゃない。正直なところ、私はこのアルバムで橋の真上に立ってる気がしてるの。そういった二つのポイントの真ん中にいる気がする」

●まさに葛藤の渦中にいる作品ということですね。

「正直、この作品がどんな風に自分を助けてくれるのかさえ、全然わからないのよ。いつも自分のアートを差し出す時は、後で誰か第三者がそれを何かしらの文脈、コンテキストに当てはめてくれると信じて、差し出すものなの。『誰かがこれを一つの道における一つの石、何か意味があるものとして見てくれることもあるだろう』って。それこそが私の希望だし、与えられたチャンスを使う意味でもある。だからこそ、出来るだけ強く声を上げ、自分にとっての真実を探そうって思うの」

●政治とアートというのは決して相容れない、もっとも拮抗する立場だと感じることがあります。その理由は、結局のところ、民主主義にしろ、選挙制度にしろ、そうしたシステムはどれもマイノリティを切り捨てることを前提に機能しているのに対し、優れた表現というのは誰の味方でもなく、誰の敵でもないからです。そうした表現は、人々を分断させることなく、すべての立場に語りかける、ただそのことを可能にする見返りとして、表現者自身は時には同胞をなくし、コミュニティから阻害され、社会的に生きていく上での安定した足場をなくしてしまうリスクにさらされます。あなたがこれまでずっと、そうしたマージナルな場所に居続けることで、何を学び、何を得て、何を失ったか、教えて下さい。

「興味深いのは、あなたが『アートは誰の味方でも敵でもない』と言ったことね。というのも、アートがある意見のプロパガンダとして使われたケースはいくらでもあると思うから」

●まさにその通りです。それは歴史が証明しています。

「でしょう? 時にはアートは他のどんな文化的会話とも同じくらい、政治的な道具であったり、偏っていたりする。でも、私にとってアートは、強い願望を表すものにもなりえるの。例えば、ヨーコ・オノのように橋渡しになるものを作ろうとした人、自分たちを見直そうとしてそれをアートにした人たち」

●あなたが言うように、優れたアートというのは、異なる立場の人々を結びつけると同時に、そうした自己批判精神を持ったものだと思います。

「ただ私自身のストーリーはかなり特殊なのよね」

●と言うと?

「私は11歳の時にトランスジェンダーとしてアメリカに移住した。移民として、トランスジェンダーの子どもとして、二重、三重にアウトサイダーだったの。だから、常に外から観察する立場だった。それが私のアートにおいて、そこにおける会話において、ユニークな視点を培うことになったの。そのこと自体が私の視点を特徴づけたというか。だからこそ、あなたが言うように『自分のアプローチは誰の味方でもない』と考えるのが私には難しいんだと思う。もうちょっと説明してくれる? 特に、政治とアートを比べた部分を」

●結局のところ、政治はマジョリティのためにありますよね。民主主義も選挙制度も、結局、最終的にはマイノリティを切り捨ててしまう。でもアート、そしてこのアルバムはそうやって人々を分断させるのではなくて、すべての立場に語りかけようとするものなんじゃないか、と。

「でも、このアルバム自体、一つのプロパガンダかもしれないし(笑)」

●(笑)。

「ある意味、一つの視点を喧伝してるのかも。例えば、さっきも話した“エクセキューション”でのアメリカにおける死刑だけれど……私としては確実に、自分にとってすごく不穏に思える思考回路と対決したかった。アメリカの意識においては、その人が何をしたかは関係なく、死刑の実行を正当化する思考回路があるのね。だから、私にとってあの曲における政治性を切り離すのはとても難しいし、とても偏った視点から書かれてると思う。だから……とても難しい質問ね」

●勿論、私自身にも明快な答えはありません。

「ただ一つ言えるのは、私が求めるのは平和、ピースだということ。私は調和に向かいたいの。それに私は、謎を受け入れたい。“自分が理解出来ないものを受け入れる勇気”をみんなに持ってほしいの」

●とてもよくわかります。

「つまり、自分自身が快適に感じるためには、すべてをコントロールしなきゃいけない――そういう考えから一歩退いてほしいのよ」

●わかります。

「種としての人間が持つ衝動には、私には恐ろしく思えるものがたくさんある。アーティストとしての私たちの仕事は、ほとんど炭鉱のカナリアみたいなものだって思うことがあるの。ほとんどの人が忙しくて敏感になる暇もないようなものに対して、敏感であること。だって、ほとんどの人は生きていくだけで大変だったりするでしょう? でも、幸いなことに、私には時間がある。夢を見たり、もっと大きなものと自分の関係を探ったりする時間がね。そして、その関係がいかに他のものの鏡になっているか考えたり、二つのものを繋いでいるかもしれないと思ったり。そうしたすべてを表現しようとしてるの。このアルバムについて一つだけ確実に言えることは、私は自分にとっての真実を表そうとしたということ。そして、どうやって自分の真実を語るのか、どうやってそれを歌うのか。歌うことでどう表現するのか。だって、歌って、人間におけるエモーショナルで、スピリチュアルな部分でもあるでしょう? 知的な部分だけじゃなく、もっと原始的な部分に根差してる」

●まさにその通りですね。

「それに……さっきも言ったけれど、自分は今、中間にいる気がしてるの。結論もないし、プロセスの真ん中にいる感じ。このままどこにも着地しないかもしれないし、どこかに着地出来たとしても、10年先になるかもしれない。でも、アーティストとして、私はそのプロセスに参加したいのよ」

●では、時間もなくなってしまったので、最後の質問です。このレコードがたった一人の聴き手にしか届けられないと仮定します。その場合、あなたなら、どんな人にこの作品を聞かせたいですか?

「このレコードを聴くのが、私と同じように感じていて、でも、肯定されるのを必要としている人であってほしいな。私のゴールは人の考えを変えることじゃない。むしろ世界を同じように見ているんだけれど、恐れていたり、びくびくしていたり、打ちのめされたように感じたりしている人に、その感情を表す声を与えたい。自分が感じている真実を語るよう、勇気づけたいの。だから、私が作りたいのは、誰かが自分を探求し、そのための力を手にするためのサウンドトラックね」



通訳:萩原麻理


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