2016年前半はとにかく素晴らしいリリースが目白押し。もしかしたら、今年は5年か10年に一度の大豊作になるかもしれないと思えるほど。しかも、今年はただ傑作が多いだけではありません。錚々たるビッグ・ネームのアルバムも立て続けに送り出されています。年明けから間もなくしてリアーナやカニエ・ウェストの新作がドロップされたかと思えば、つい先日はビヨンセの新作『レモネード』が急遽リリース。そして、約2年前からリリースの噂があったドレイクのニュー・アルバム『ヴューズ・フロム・ザ・6』は、いよいよ4月29日に送り出されると言われているのですから。
しかし、そんな並み居る強豪たちを抑え、2016年の最重要作になるのではないか? と我々〈サイン・マガジン〉が鼻息荒く盛り上がっているのが、アノーニの『ホープレスネス』。これがもう破格の傑作なのです。
と言われても、いや、そもそも「アノーニって誰?」という人も少なくないはず。なので、まずはそこからご説明しましょう。
アノーニとは、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズなどでの活動で知られるアントニー・ヘガディの「新しい名前」。彼女がアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ名義では5枚のアルバムを出しているのは勿論、ハーキュリーズ・アンド・ラヴ・アフェアにシンガーとして参加していたのを覚えている人も多いでしょう。
アノーニは数年前からプライヴェートでは既に使っていた「スピリチュアル・ネーム」ということですが、この新作からアーティスト・ネームにも適用することにしたそう。バンド名なのか人名なのか、男性なのか女性なのか、俄かには判別がつきにくいアノーニという言葉を選んだのは、彼女がトランス・ジェンダーであることと、おそらく無関係ではないはず。
そして、これを機に――というわけではないでしょうが、アノーニの音楽は、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ時代とは何から何まで違う、まさに生まれ変わったような、とんでもないメタモルフォーゼを遂げています。とりあえず、昨年末に公開された“4ディグリーズ”を聴いてみて下さい。衝撃的ですから。
まず度肝を抜かれるのは、これまでの密室的なチェンバー・ポップから一転し、壮大でアンセミックなエレクトロニック・サウンドが鳴り響いていること。既にご存知の方もいると思いますが、今回のアルバムはハドソン・モホークとOPNの共同プロデュース。そう、これは、現行のエレクトロニック・ミュージックの世界において有数の才能を誇る2人がタッグを組んだ、とんでもない作品でもあるのです。
『ホープレスネス』は、リリックの面でも大きな変化を見せています。これまでのリリックは内省的なテーマが多く見られたアノーニですが、今回は社会的/政治的な問題に正面から向き合っている。たとえば、先ほどの“4ディグリーズ”(=摂氏4℃)は、地球の温暖化問題に言及したもの。冒頭でいきなり発せられる、「私は見たい/この世界が煮えるさまを/気温が4度上がるだけでしょう」というフレーズは勿論、反語的な表現。ですが、これは人間の愚かさと欲深さを自分自身にも突き刺さる形で表現した言葉でもあるのでしょう。
そして、ナオミ・キャンベルのMV主演で話題となった“ドローン・ボム・ミー”は、タイトルからも想像出来る通り、アメリカがアフガニスタンにドローン爆撃機を飛ばしていることについての曲。神々しいまでの美しさを持つこの曲はしかし、アフガニスタンに暮らす少女の視点から、「私にだって罪はあるから」という言葉を投げかけることで、聴き手である私たちにも考えることを迫ってきます。
そう、この驚異の傑作『ホープレスネス』に込められているのは、荘厳で、強烈なカタルシスを感じさせると同時に、どこか不吉なムードが漂うエレクトロニック・サウンド。そして、自分自身を含む人類の愚かさに対する怒りと絶望にまみれたアノーニ自身の痛切な歌です。これは、極めて中毒性の高いポップ・レコードでありながら、今という時代の黙示録のようなレコードだと言えるでしょう。
まだ2016年も前半ですが、これは間違いなく、今年を代表するアルバムの一枚になるはず。あなたも必ず手に入れて、その凄まじさに一刻も早く触れてみて下さい。
【ANOHNI interview 前編】多幸感に満ちた
サウンドに告発を忍ばせたトロイの木馬、
今年最初の傑作『ホープレスネス』を巡って