やっぱり、2010年代の音楽事情を語る上で、EDMはどうしても外せない。というのは誰もが認めるところでしょう。勿論、好き嫌いは別にして。ヨーロッパやアメリカでは、EDM系のフェスに何十万人というオーディエンスが集まっているのはよく聞く話。かつてはオルタナの祭典だった〈ロラパルーザ〉が、昨年はEDMに大きく舵を切ったのも象徴的な出来事だと言えます。
ただ、あまりにもEDMが巨大になり過ぎ、あまりにもその音楽フォーミュラが定型化し過ぎてしまっているため、それに対する魅力的なオルタナティヴを如何に提示出来るか? というのが、今のアーティストの課題として重要性を増してきているのも確か。そう思いませんか? なにしろ、これまでEDMを牽引してきた二大ビッグ・ネーム(「世界でもっとも稼いでいるDJ」の一位と二位ですね)、デヴィッド・ゲッタとカルヴィン・ハリスでさえ、昨年のアルバムではそれぞれEDMと自分との距離を測り直そうとしていたんですから。
実際、カルヴィン・ハリスが思いっきりアシッド・ハウスに目配せしたその名も“スロウ・アシッド”には度肝を抜かれましたよ。まあ、アルバムは王道のEDMバンガーだらけでしたけど、リード・トラックで敢えて意表を突くことをやった方がいいと彼が判断するくらいに、今は屈託なくEDMに乗っかるのはクレヴァーではない、というわけです。
では、そんなEDMに対する魅力的なオルタナティヴを提示しようとする動き――言わば「非EDM」とでも呼べる動きは、EDMの内部以外からも実際に起きているのか? 答えは勿論イエスです。やはり、EDMの猛威を一番身近に感じてきたであろうエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーには、それを明言する人が少なくありません。
たとえば、カリブーがダフニ名義のアルバム『ジャオロン』(2012年)をリリースした際に、「スクリレックスみたいにマッチョな音楽ではなくて、フェミニンな音楽を作りたい」と言っていたのは、今思えば明確な非EDM宣言(当時の日本ではEDMという言葉が今ほど浸透していなかったんです)。また、昨年最新作を出したシミアン・モバイル・ディスコやロイクソップも、「EDMを選択しなかった自分たちが、何を提示するのか?」ということに意識的でした。ただ、彼らのようにアンダーグラウンドとメインストリームの中間項として機能してきた希有なプロデューサーたちが、非EDMを標榜する際にアンダーグラウンドへと潜る傾向があるのは、やや歯痒いところですが。
そう考えると、やっぱりダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』はすごかった。と言わざるを得ません。同作が非EDMを標榜していたのは今さら言うまでもないですが、彼らの場合はポップへの意志も明確にあった。おまけに、あのアルバムを起点とした、メインストリームにおけるひとつの流行まで生み出してしまったんですから。
たとえば、ファレル・ウィリアムスの“ハッピー”やマーク・ロンソンの“アップタウン・ファンク”――あるいは、テイラー・スイフトの“シェイク・イット・オフ”、メーガン・トレイナーの“オール・アバウト・ザット・ベース”まで入れてしまってもいいんですが――まるで音の余白をデザインするかのようにスカスカのアレンジを採用し、シンプルなリフ一発で4~5分引っ張っていくこの手のポップ・ソングのアイデアの原型は、やはり『RAM』にあったはず。そして、これは隙間なくギッチリと音で塗り込められているEDMに対するオルタナティヴなポップとしては、今のところ非常に有効だと思います。
でも、こういった音楽は、70年代~80年代のディスコ/ファンク/ソウルを引用しているという意味ではレトロスペクティヴと言えなくもない。最新型のポップスと呼ぶにはちょっと躊躇してしまうところもあります。「じゃあ、これほどメジャーじゃなくても、もっと最新のサウンドでポップを目指すものがあってもいいんじゃないの?」と問いたくなるのは当然の話。
そこで本稿の主役の登場です。マット・ヘールズが一度は封印したアクアラング名義を5年ぶりに復活させた『テン・フューチャーズ』は、こういった見取り図の中で位置付けるとすれば、EDMでもレトロでもない、2015年の最新型ポップ・ソングを自分の手で作るんだ、という野心に燃えたアルバムだと言えるでしょう。なにしろ、全10曲入りの本作に冠されたタイトルは「10の未来」。彼が言わんとしていることは火を見るより明らかです。
こちらでも書いた通り、マットにアクアラング復活を決意させたのは、ディスクロージャーの“ラッチ”。つまり、2010年代初頭から台頭してきたハウスやR&Bの潮流を「ポップ・ソング」として昇華した音楽にマットはインスパイアされたということ。だからこそ、『テン・フューチャーズ』は、サンプリング/ループをベースに曲を構築するというダンス・ミュージックの手法を新たに採用しながらも、あくまで大文字のポップにこだわった作品になっています。もっと言えば、ディスクロージャーのファンも、マットの「美メロ」が好きな往年のファンも魅了出来る作品。実際にディスクロージャーがプロデュースで参加している“エッグシェルズ”は、そのバランスという点ではもっとも理想的なトラックではないでしょうか。
アクアラングのラスト・アルバムになるはずだった『マグネティック・ノース』がリリースされたのが2010年。その後、マットは裏方のソングライター/プロデューサーとして活躍してきました。彼の名前が作品にクレジットされているは、レオナ・ルイス、パロマ・フェイス、ジェイソン・ムラーズ、そしてマット参加作でマーキュリー賞にもノミネートされたリアン・ラ・ハヴァスなどといった錚々たる面子。さらには、アメリカのTVドラマや映画で曲が使われた経験は数知れず。これだけの成功を収めてしまえば、はっきり言って、よっぽどのことがない限りアクアラングを再始動させる必然性はないでしょう。
それでもマットはアクアラングとして帰ってきた。ディスクロージャーやソンやミッキー・エッコを始めとする、エキサイティングな現在をクリエイトしている若手たちとのコラボレーションで、未来を照らす10のトラックを作り上げるために。そして、そういったトライアルが「2015年の今」こそ意義のあるものだというのは、ここまで読んだあなたには改めて言うまでもありません。やっぱりマット、偉いですよ。
『テン・フューチャーズ』は、敢えてのアクアラング再始動に見合うだけの音楽的ヴィジョンに貫かれた作品。だと思うのですが、さてどうでしょうか?