2010年代もあっという間に折り返し。かつてない活況ぶりを見せてきた東京近郊のインディ音楽シーンは、ここにきてあらたな局面に突入しています。大まかにいうと、それは「2010年代前半を切り開いてきた者たちの躍進」と、その先駆者たちに触発された「新世代の台頭」。あるいはその世代交代とともに、各バンドの明暗があきらかに分かれ始めたのが、いわゆる東京インディの現状といえるでしょう。
そうした激動の2016年にあって、今こそ改めてスポットを当てるべきインディ・ミュージシャンといえば、勿論それはスカート。つまり、澤部渡をおいて他にはいません。
いや、スカートはもうとっくに高く評価されてるし、ファンだって大勢いる。そんな風に思っている人もいるでしょう。たしかに澤部本人も「出世作」と語るアルバム『ストーリー』がリリースされた2011年あたりから、この2016年にいたるまで、スカートが常に注目される存在であり続けてきたのは、まぎれもない事実。
でも、スカートの評価はこの程度のレヴェルで留まっていていいわけがない。というのが私の見方です。なぜなら、スカートは単なる「東京インディの一角」に収まる器ではなく、2010年代日本のインディ・シーンのオリジネーターの一人として、ceroやシャムキャッツやミツメなどと肩を並べるくらいのリスペクトと称賛を受けて然るべきアーティストなのですから。
そう、スカートの活動を追いかけてきた人には言うまでもありませんが、ここ数年の「東京インディ」的な在り方を体現してきた音楽家は、他の誰でもなく、澤部渡でした。
まずはその活動姿勢を振り返ってみましょう。これまでのスカートの作品はすべて澤部が自ら主宰する〈カチュカ・サウンズ〉を通しての自主リリース。そういえば、かつて澤部は新作CDをリリースする際に、そのパッケージの梱包作業をネット上で配信していたこともありましたね。そのメンタリティはまさしく「インディ」を地で行くもの。つまり彼は、かなり初期の段階から東京インディのハードコアなDIY精神を体現していたアーティストの一人なのです。
そして、ファンならばご存知の通り、澤部はマルチな演奏家としても非常に優れた才覚をもっています。その実力を買われ、いまや彼はドラマー/パーカッション奏者としても活躍の場をひろげており、近年では川本真琴withゴロニャンずや、トーベヤンソン・ニューヨークの一員としても、そのしなやかなドラミングを披露。今はなき昆虫キッズに、澤部がサポート・メンバーとして参加していた時期もありましたね。要するに彼は、横のつながりが強く、一人のアーティストが複数のバンドを掛け持つような東京インディ特有のネットワークの中で、常に重要な役割を果たしてきたプレイヤーでもあったのです。
では、その音楽性やソングライティングの実力に関してはどうでしょうか? ここ数年、都内近郊のインディ界隈からはいくつもの優れた才能が発掘されてきましたが、少なくとも作詞作曲の技巧においては、間違いなく澤部渡こそがナンバー1。そこに異論の余地はさほどないはずです。
たしか『ストーリー』をリリースした頃だったか、澤部は自作のコードブックを発行していたことがありました。そうした動きにも表れているように、彼の生み出す3分前後のポップ・ソングからは、西欧の音楽史を踏まえたロジカルな思考が見出せます。それと同時に、幼少の頃から母親の影響でプリンスを聴き、スタイリスティックスなどもフェイヴァリットに挙げる澤部の楽曲には、通底してブラック・ミュージックへの愛も込められている。
彼のこうした資質は、スカートの楽曲では勿論のこと、たとえば(((さらうんど)))に提供した“Neon Tetra”や、編曲を手がけたNegicco“裸足のRainbow”、ヴォーカルとプロデュース役で参加した住所不定無職“ムーンライト・シティ・トーク”などにおいても存分に発揮されています。
ブラック・ミュージックからの影響を基盤とした洒脱なソングライティングのセンスは、2010年代の「シティーポップ」と呼ばれる音楽を先駆けていた、と言ってもさほど暴論には聞こえないでしょう。少なくとも、近年のインディ・ムーヴメントにおいて、澤部渡のソングライティング・センスがいかに重要だったのかは、これまでの楽曲提供の経歴からも十分に理解してもらえるはずです。
繰り返しとなりますが、スカートは、2010年代日本のインディ・シーンの非常に優れたオリジネーターの一人。しかしながら、「2010年代前半を切り開いてきた者たちの躍進」には後れを取ってきましたし、その先駆者たちに触発された「新世代の台頭」も歯を食いしばりながら横目で眺めてきたはず。そう、これまでスカートは、決してその実力に見合った形で報われてきませんでした。
だからこそ、スカート3作目のフル・アルバム『CALL』が〈カクバリズム〉から発表されることは、やはり我々ファンにとっても感慨深いものがあります。
そして、勿論そうした環境の変化は、『CALL』という作品の内容にも影響を及ぼしている。それは先行公開された“回想”を聴くだけでも明らかでしょう。
カメラ=万年筆の佐藤優介がアレンジを手がけた優雅なストリングスもさることながら、各パートの音色をきめこまやかに捉えたクリアな録音は、あきらかにこれまでの作品とは一線を画すもの。語弊をおそれずにいうと、このサウンドにはいわゆるインディっぽさがほぼ見当たらないし、むしろ、メインストリームのフィールドでも映えるような華やかさがあるのです。いや、これは文句なしでしょう。いまだ最新作『CALL』未聴の方も、この“回想”一曲の手応えだけで、アルバムに手を伸ばさずにはいられなくなるはずです。
時折スカートが披露する歌謡曲~Jポップのカヴァーを耳にしても感じていたことですが、澤部の才能はインディだけでなく、日本のポップ・シーン全域で発揮されるべき。このたび満を持して発表された最新作『CALL』を聴いた後では、さらにその思いを強くせずにはいられません。
この作品こそが、2016年のインディ・シーンにおけるもっとも重要な一枚。いや、それどころか、澤部渡の歌声がお茶の間でも響きわたる日は、きっとそう遠くないうちにやってくるはず。『CALL』を聴いていると、ついそんな気がしてきてならないのです。