「我々にはなんらかの修練(Discipline)が必要だ」—スロッビング・グリッスル“ディシプリン”より
水鳥の中でも最大で、威厳やエレガンスの象徴として愛でられる存在。一方で、ひとたび怒らせると獰猛な野性を発動させる――そんな白鳥の両面性は、エクストリームな美とパワーの融合で畏怖の念を掻き立てるバンド:スワンズにぴったりな名称だ。
しかし出身地であるLAから1979年にニューヨークに移ったマイケル・ジラが1982年にスワンズを結成した時点では、「白鳥」はむしろ反語のニュアンスが強かったのではないかと思う。この時期のNYCを、当時アングラ・クィーンとして君臨したリディア・ランチは「最終戦争が起きた後みたいだった。この街は“この世の終わり”に思えた」(『No Wave : Post Punk. Underground. New York. 1976-1980』サーストン・ムーア&バイロン・コーリー著:2008)と回顧する。ヴェトナム戦争の遺した様々な爪痕、銃撃/窃盗/レイプ他の犯罪率の高さ、その温床となる貧困~スラム化に喘いでいた70年代末~80年代初頭のダウンタウンは「No Future」なディストピアだったのだろう。
CBGBパンク、ノー・ウェイヴといったアート・ロック先達のエソスにも大きく作用したとはいえ、退廃と瓦礫、廃物と無意味が日々堆積していく現実に対するニヒリズムやレーガン・アメリカ&消費主義への憎悪をもっとも攻撃的かつダイレクトに音像化したのは80年代組だった。ハードコア、ノイズ他のインディ勢も含むこの「否定」のムーヴメントはアメリカ各地を始め世界中で様々な形で起きており、何もNYCに限った話ではない。とはいえ彼らの中でももっとも長命を誇ったソニック・ユース、そしてスワンズ――アルビニ率いるビッグ・ブラックやプッシー・ガロアらと共に一部メディアから「ジャンク・ロック」と称された――の盟友がそれぞれ「ユース(若者)」、「スワン(白鳥)」という理想的な単語を冠したのは、掃き溜めに突き刺された中指と映る。
ゆえにその美しいバンド名に反し、初期スワンズは「音楽=音の楽しみ」というタームの基盤になる調和の快楽――メロディ、コード進行、ハーモニー、アレンジetc――を脱構築し、大音量×ノイズ×テープ・ループから成る無間地獄をクリエイトしていった。バンド活動を支えるべく工事現場仕事/建築作業といった肉体労働に従事していたマイケル・ジラにとって、そのサウンドは危険な代償を伴う、しかし究極的には単調でドン詰まりな日常の反映でもあっただろう。「金(権力)の奴隷」という(ジラ自身を含む)現代人が押し込まれた檻をサド侯爵の世界観にだぶらせた陰鬱な歌詞と相まって、スワンズは異形の漆黒音楽を現出させることになる。
しかしノーマン・ウェストバーグ(G/ジラに次いで長い「スワン歴」を誇るメンバー)とロリ・モシマン(Drs/フィータス、ザ・ザ他のプロデュースで知られる)を迎えた「スワンズ最初の黄金ラインナップ」がデビュー・アルバム『フィルス』(1983)において試走させ、名作『コップ』、『ヤング・ゴッド EP』(1984)でひとつの完成をみた執拗な反復/モノトナスな咆哮/泥を引きずるビート/金属的なギター&パーカッションの痙攣(ノイバウテンばりに鎖や金属板も使われている)は、聴き手を責め立て、限界まで圧迫する「緊縛の音塊」を打ち立てた。ブラック・サバスのヘヴィネスとバットホール・サーファーズの嘔吐型ノイズ、スロッビング・グリッスルの呪術性が結託したとも言うべきその極北のサウンドは、パゾリーニの名作『ソドムの市』を耳で聴くのに近い。
女性シンガー:ジャーボー加入を経て、『グリード』、『ホーリー・マネー』(1986)の頃からスワンズはサウンドや詞世界のパレットを広げると共に音楽/プロダクション面での洗練度を増していった(この時期の彼らの音作り、特に“タイム・イズ・マネー(バスタード)”や“ア・スクリュー”はナイン・インチ・ネイルズら90年代アクトのテンプレートのひとつと言える)。転換作『チルドレン・オブ・ゴッド』(1987)、ジラとジャーボーを中心とする別プロジェクト:スキン(ワールド・オブ・スキン)の発動と、もはや単純に「ノイズ」「インダストリアル」と括りきれない音楽集団へ進化していったスワンズは、遂には“ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート”(ジョイ・ディヴィジョン)のカヴァー・ヒットで真の意味で崇高な「白鳥」へ変貌していくことになる。
「ヒップスターの趣味ひけらかし」メディアである『ピッチフォーク』すら手放しの賛辞を贈る2010年代版スワンズに、かつて「死ぬほど退屈な音楽」(『メロディ・メイカー』1984)と酷評され、ネガの象徴とされた「みにくいアヒルの子」の面影は薄い。身長2メートル近いマイケル・ジラが腰布一丁(時に全裸)でステージを徘徊し、気に入らない客に蹴りを入れることももはやないだろう。しかしジラが「俺にとっての最高のロックンロールはでかい浣腸のようなもの」(『イースト・ヴィレッジ・アイ』1983)と語ったように、モノリスめいた音の質量とインパクトという「原点」に立ち返った現スワンズは、聴き手を揺さぶり、疲労させ、粛正し、浄化する。その否定しようのない肉体性とショックは、青白いスクリーン相手に不特定多数かつ顔の無いシミュレーションで現実とコネクトし、上げ膳据え膳でエンタメを消費する今の世代が(逆に)潜在的に求めている実体とカタルシスを伴う。首をもたげた30年以上前と変わらず――いや、ある意味過去以上に――スワンズが聴き手の精神に課す「修練」はヴァイタルに響いている。
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