SIGN OF THE DAY

スワンズ再評価5つの理由:90年代篇
不遇の時代に残した遺産がその種を蒔いた
現行US地下シーンの活況と再評価の機運
by JUNNOSUKE AMAI April 22, 2014
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スワンズ再評価5つの理由:90年代篇<br />
不遇の時代に残した遺産がその種を蒔いた<br />
現行US地下シーンの活況と再評価の機運

「既存のロック・フォーマットを覆すパンクの暴力的なエナジー」「力で精神と肉体を圧倒する音楽」とは、マイケル・ジラがロサンゼルスで最初に属したバンド、リトル・クリップルズを結成した際に掲げたテーゼだったらしいが、その後ニューヨークに渡り、前身のサーカス・モートを経てスワンズがアンダーグラウンド・シーンを伸し上がったピカレスク・ロマンのごとき80年代における活動と比べると、90年代におけるスワンズの活動はインパクトに欠いた印象かもしれない。何より、1997年の活動休止という事実がそのイメージに影を落としているというのもあるが、実際、90年代の中頃には「窓のない小部屋で過ごしているようだった」とジラがニューヨークを離れるなどバンドの求心力が緩やかな下降線を見せたことは否めず、また、USオルタナティヴ/グランジの時流に抗うようにアンダーグラウンドに留まり続けた頑なさが、同時代からの評価や関心を受ける機会を遠ざけたことも事実だろう。それこそ、80年代の初頭に「Savage Blunder Tour(凶暴でいいかげんな一行)」とジラが銘打ちアメリカ・ツアーを共に周ったかつての盟友、ソニック・ユース(サーストン・ムーアはスワンズの最初期にメンバーを務めていた)の90年代と比べたとき、スワンズが浴びたスポットライトは不本意なほど対照的と言わざるを得ない。

が、結論から言えば、この90年代における徹底抗戦、傍から見れば暗中模索なくして、2010年代におけるスワンズの復活はあり得なかった。代名詞だった「インダストリアル」や「ノイズ」がオーヴァーグラウンドへ浮上する波頭を割って潜行着手された音楽的なトランスフォーム、加えて同時進行したジラを中心とする課外活動を通じて築かれた90年代の遺産こそ、現在のスワンズが拠って立つ礎になっている。きわめて乱暴に言ってしまえば、90年代のスワンズが試みたハードコアやドローンとフォークやルーツ・ミュージックとの止揚がサッドコア/スロウコアに先鞭をつけ、さらにその敷衍された結果が後のフリー・フォーク~ニュー・ウィアード・アメリカの雛型となったように、以降活況が引き続く現在のUSアンダーグラウンド・シーンにもたらした影響というのは計り知れなく大きい。そうした経緯が2000年代における再評価の機運を呼び、ひいては2010年代における再結成の舞台を用意したことを考えれば、スワンズにとって(のみならず)90年代の活動がきわめて重要な意味を持つものであったことがわかるのではないだろうか。

そんなスワンズにとって「90年代」とは、単純にディケイドで区切るのではなく、80年代にその起点を見るのがスワンズの音楽史的には適当かもしれない。具体的には、途中加入のジャーボーをリード・ヴォーカルに並べるとともに初めてアコースティック楽器を導入したとされる4作目『ホーリー・マネー』を経て、決定的な音楽的転回が図られた翌1987年の『チルドレン・オブ・ゴッド』から、活動休止前の最後のスタジオ・アルバムとなった1996年発表の10作目『サウンドトラックス・フォー・ザ・ブラインド』までの約10年間を、ここではスワンズの「90年代」として捉えたい。

Swans / In My Garden

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その音楽的転回とは、ジラいわく「トラディショナルな曲構造をもった、内省的な高揚感を誘う本物のメロディ」の追求。つまり、スロッビング・グリッスルやSPKに啓発された前身時代の名残を色濃く継ぐ結成初期のドゥーミーでインダストリアルなノイズ・ロックから、アコースティック楽器を積極的に取り入れ、ギリシャ音楽や中近東のドローン、さらにはジャーボーの背景にあるオペラや賛美歌の影響も反映したいわゆるソング・オリエンテッドな作風へ――そうした志向が強化されたのがスワンズの「90年代」と言えるだろう。

『チルドレン・オブ・ゴッド』の制作と前後してジラはその頃すでにアコースティック・ギターで曲作りを始めていたといい、驚きのメジャー契約作『ザ・バーニング・ワールド』(1989年)を挟んで90年代最初のスタジオ・アルバムとなった〈ヤング・ゴッド〉からリリースの『ホワイト・ライト・フロム・ザ・マウス・オブ・インフィニティ』は、とりわけ「歌」への意識の高さ、ソングライティングにおけるハーモニーやコード進行の比重の大きさを顕著に感じられる作品だ。ゴールデン・パロミノスやペル・ウブを渡り歩いたアントン・フィアのパーカッシヴなドラムや随所に「ノイズ」や「インダストリアル」な音色を留めながらも、ジラが敬愛するレナード・コーエンの面影も浮かぶ“フェイリャー”や“ホワイ・アー・ウィ・アライヴ?”のゴシック・アメリカーナ、ストリングスが飾るジャーボーの優艶なバラード“ソング・フォー・デッド・タイム”など、そこにはかつて“世界一やかましいバンド”と評判をされ、バースデイ・パーティやフィータスと覇を競った威圧的で強迫観念めいたスワンズは見る影もない(ちなみにフィータスのジム・サーウェルがエンジニアの一人に名を連ねている)。“ソング・フォー・ザ・サン”など、スワンズのパブリック・イメージからすればほとんどポップ・ソングと言ってしまってもよさそうだ。

Swans / Why Are We Alive

Swans / Song for Dead Time

Swans / Song for The Sun


ジラは後年、このスワンズの音楽的転回について「もしもあのまま初期の方法論で突き進んでいたら、しまいには『Cartoonish(漫画的、滑稽)』なものになりかねなかった」と〈ヤング・ゴッド〉のウェブで語っている。そして、まさにその意趣のメルクマークとなった『チルドレン・オブ・ゴッド』と同時期にジャーボーとの“歌もの”プロジェクト、スキン(ワールド・オブ・スキン)を結成するなどスワンズとは異なる活動を80年代から併走させてきたジラは、1995年に初のソロ名義作となるアルバム『ドレインランド』を発表。より「歌唱」に焦点が置かれフォーク色を深めた内容の同作は、演奏のサポートをスワンズ人脈が務めたことによる影響が色濃いものの、活動休止後のジラのメイン・プロジェクトとなるエンジェルズ・オブ・ライトの始動(1998年~)へと導線を引く重要な契機となった。

一方、そうしてジラが自身の活動に見通しをつけたということもあるのか、それともやはりバンドとは複雑な力学が働いた多面体ということなのか、はたして異形の深化を見せるのがスワンズのディスコグラフィである。転回後のソングオリエンテッドな趣向は引き続き追求されながらも、端的に言ってスワンズがここで披露を始めるのは、ある種の揺り戻し。トラディショナルとアヴァンギャルド、コンポーズとインプロヴィゼーション、ノイズとハーモニー、インダストリアルとアコースティック……つまり、ある起点を境に異なる音楽的志向に引き裂かれた二律背反のスワンズを折り合わせることで新たなトランスフォームを進めようとする、錬金術的な試みとも呼ぶのがおそらくふさわしいかもしれない。具体的には、テープ・ループ/カット・アップや、自身のライヴ素材からフィールド・レコーディングスまで蒐集されたサンプルの多用。モノローグやポエトリー・リーディング等の「声」のヴァリエーション。オーディオ・エフェクトへの傾倒、反復の強化……さらに、『チルドレン・オブ・ゴッド』以降バンドを離れていたアルジス・キジス(B)とテッド・パーソンズ(Dr)の復帰も、リズム・セクションとロック・アンサンブルの再構築に欠かせぬ要因だったに違いない。

その嚆矢となった1992年の『ラヴ・オブ・ライフ』のアートワーク――『ホワイト・ライト~』のウサギが頭部を燃やされている――は、そんなふたたび不穏な気配を漂わせ始めたスワンズの「90年代」を暗示するようで象徴的だ。さらに、前述のジラのソロ・アルバムと同年にリリースされた次作『ザ・グレート・アナイアレイター』において、その赤黒く熟れ落ちるような感覚はより深みを増していく。が、時にアーリー・スワンズの記憶も甦らせながら、重く引き摺るような音響がひり出す仄暗く静謐なサイケデリア(“ブラッド・プロミス”“キリング・フォー・カンパニー”)は、たとえばコデインやフォー・カーネーションなどスロウコア/サッドコアから、スリントやアンワウンドといったポスト・ハードコア~プレ・ポスト・ロック、それこそフリー・フォークの起点にほど近いバード・ポンドやハラランビデスまで伸びる水脈の源流とスワンズがなり得ていることをあらためて伝えて興味深い。あるいは、“テレパシー”や“アルコール・ザ・シード”のプログレッシヴな曲展開や呪術的なインストゥルメンタルに、サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンやポカホーンテッドにも通じるニュー・ウィアード・アメリカ~USアンダーグラウンドのコレクティヴにとっての青写真を重ね見ることは容易いだろう。

Swans / Love of Life

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Swans / Killing for Company

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Swans / Telepathy

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そして、おそらくは活動休止をジラが決断した最中に制作された1996年の『サウンドトラックス・フォー・ザ・ブラインド』は、まさに最後を締め括るにふさわしい、集大成とも行き止まりとも形容できそうな作品だ。2枚組全26曲、総時間約2時間半を使い切り、スワンズのあらゆる全てがここに吐き出されていると言っても過言ではない。ダーク・アンビエントやシンセウェイヴのような様相も呈すエレクトロニクス/テープ・ループと、スワンズの15年史を往来するようにサウンドを変態させるバンド演奏とが混然と織りなし、ライヴ音源やテレフォン・セックスのオペレーターもろとも纏め上げられたその異物は、なるほど、かつて彼らが「ひどい嘔吐をもよおさせる聴覚のポルノグラフィ」と『メロディ・メーカー』に評されたことを思い出させる。“ザ・ヘルプレス・チャイルド”の長大なギター・スラッジ・シンフォニー、ジョン・ケージが「ファシストの音楽」と呼んだグレン・ブランカも彷彿させる“ザ・サウンド”の暴力音響。ジョニー・キャッシュかウィリー・ネルソンのようにジラが囁く“アニマス”。“ヴォルケーノ”のインダストリアル・テクノ。“アイ・ワズ・ア・プリゾナー・イン・ユア・スカル”のドローンとモノローグはゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーのようである。ちなみに、同作と前後してジラとジャーボーは、『ラヴ・オブ・ライフ』以降顕在化したスワンズのエクスペリメンタル・サイドを受け継ぐレコーディング・プロジェクト、ザ・ボディ・ラヴァーズ(ザ・ボディ・ヘイターズ)を始動。パン・ソニックのミカ・ヴァイニオやカネイトのジェイムス・プロトキンらの参加も話題を集めたが、その辺りのアンビエントやドローン・メタルへの広がりについては、別稿に譲りたい。

Swans / The Sound

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Swans / Volcano

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Swans / Helpless Child (from Swans Are Dead)

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1998年にライヴ・アルバム『スワンズ・アー・デッド』がリリースされるが、バンドは『サウンドトラックス~』に伴う残りのツアーを消化すると1997年から2010年に再始動するまでの約13年間、長い活動休止に入った。ジラは当時のインタヴューで解散を決めた理由について語っている。かいつまんで言えば、自分たちがやりたいこと(=「90年代」のスワンズ)とバンドのパブリック・イメージ(80年代初期のスワンズ)とのズレが原因であり、そのストレスが限界に達した、と。ついには「スワンズという名前が活動を続けていく上で重荷(burden)になった」という口ぶりは、字面からもどこか淡々としたものだった。

しかし、繰り返すが再始動へのカウントダウンはすでに始まっていたことを、2000年代におけるジラの充実、そして高まる再評価の機運を通じて私たちは知ることになる。



スワンズ再評価5つの理由:00年代篇
フリー・フォークの豊かな水脈を掘り当て
世に知らしめたジラと〈ヤング・ゴッド〉
はこちら。



「総力特集:
今、どうしても知っておきたい
『スワンズのすべて』」
はこちら。

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