SIGN OF THE DAY

イースト・ロンドン今昔物語。部外者であり
当事者でもあるボー・ニンゲンのタイゲンが
語る「ホラーズと英国シーンの10年」:前編
by SOICHIRO TANAKA October 02, 2017
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イースト・ロンドン今昔物語。部外者であり<br />
当事者でもあるボー・ニンゲンのタイゲンが<br />
語る「ホラーズと英国シーンの10年」:前編

5つ星の満点を与えた〈ガーディアン〉によると、「これまでのベスト・アルバム」。控えめに言っても、『プライマリー・カラーズ』以来の傑作――そう位置づけても差し支えないだろう。ホラーズのニュー・アルバム『V』は、2000年代後半におけるイースト・ロンドンの象徴的存在だった5人組が、再び絶頂期を迎えたことを高らかに告げている。

もちろん強烈なリード・トラック2曲が公開された時点で、『V』が傑作になる予感は確実にあった。その当時の興奮については、こちらの記事で確認してもらいたい。


拡張するインダストリアル。また更新された
ポストパンク。ホラーズ新作『V』は世界が
英国シーンの今を発見する決定打となるか?


リード・トラックの“マシーン”で予告されていた通り、このアルバムを特徴づけているのは、インダストリアルに肉薄するマシーナリーなビートと、エクスタティックなノイズをまき散らす生々しいギター・サウンド。言わばナイン・インチ・ネイルズとストゥージズの融合だ。しかも、〈ガーディアン〉でアレクシス・ペトリディスが評しているように、「『V』は、少なくとも潜在的には、メインストリームでの大ヒットみたいに聴こえる」。つまり、音楽的アイデアとしては尖鋭的でエクストリームだが、ポップ・ソングとしての強度も兼ね備えているということ。まさにこれは理想的なアルバムだと言っていい。

彼らがこのような傑作を手にしたのは、プロデューサーであるポール・エプワースの影響も大きいのだろう。過去二作はセルフ・プロデュースに挑戦したせいか、アルバムで表現したいアイデアの輪郭がややボヤけてしまう傾向があった。それが『V』では、今やアデルやU2といった超大物も手掛けるまでになった売れっ子の助力を得て、細部までびっしりとフォーカスが合った状態で具現化されている。それこそ『プライマリー・カラーズ』でジェフ・バーロウを迎え、クラウトロックとポストパンクとシューゲイザーの接合というアイデアを完璧にものにした時のように。

と、ここまではホラーズというバンドの歴史を縦軸で追った話。だが、シーンという横軸で考えると、また違ったアングルが生まれる。

ホラーズの評価を決定づけた初期二作が送り出された2000年代後半は英国インディの全盛期であり、イースト・ロンドン・シーン最後の最盛期。2010年代に入ると英国インディの停滞が長らく続くことになるが、やや見過ごされがちな二作『スカイング』(2011年)、『ルミナス』(2014年)はその間に送り出されたアルバムだった。そしてこの『V』は、サウス・ロンドンを震源地として再びロンドンのシーンが活気づき始めたタイミングで送り出されている。つまり、孤高の存在のようにも思われているホラーズだが、その歩みは奇しくも英国シーンの変遷とパラレルなのだ。

そこで我々が考えたのが、ホラーズのデビューから現在に至る約10年の歩みと英国シーンの変遷を並べ、改めて振り返ってみること。それによって、ホラーズと『V』に何かしらの新しい視点や文脈を与えることは出来ないか、という試みである。

このテーマの語り手としては、ホラーズ本人たちよりも、バンドとシーンに対して適度な距離感を持ち、客観性と当事者性を兼ね備える第三者がふさわしい。そこで話を訊かせてもらうことにしたのが、ボー・ニンゲンのタイゲン・カワベである。2007年にロンドンで結成されたボー・ニンゲンは「ホラーズ以降」の英国シーンを体感してきたバンドであるし、実際にホラーズとも親交が深い。そして、以下の対話でも語られているように、そもそも英国インディに距離を感じていたタイゲンは、シーンに対してドライな視点も持っている(もちろんイギリスで活動する日本人という「部外者」であることも関係しているだろう)。結果、その特異な立場だからこそ語り得る、ひとつの興味深い歴史観が立ち現れることとなった。

そして、当然これは、ホラーズとイースト・ロンドンの物語であると同時に、ボー・ニンゲンというバンドの現時点までのキャリアを総括するものにもなっている。それでは、まずはタイゲンが渡英したところから話を始めよう。(小林祥晴)




●タイゲンくんがロンドンに行ったのは何年くらいですか?

「2004、2005年くらいかな? ギターのユウキとコウヘイは僕と同い年で、出身は全然違ったんですけど、ロンドンに同じ時期にたまたま行っていて。ボー・ニンゲン自体は2007年から始まってます」

●2004、2005年くらいのロンドンのシーンの印象はどうでした?

「僕は日本にいる時、イギリスの現行のシーンをあまり意識してなかったんですね。高校時代にカヴァーしてたのは、キング・クリムゾンとかレッド・ツェッペリン。ブラック・サバスもプロレスのテーマ曲になっていた影響で知ってはいたんですけど(笑)。聴いていたもので言うと、ぎりぎりミューズくらいかな?」

●大前提として、リアルタイムのイギリスの音楽にそれほど興味がなかったと。

「なので、ロンドンに行ってみて僕はわりかしガッカリだったんですよ。インディ・ロック全盛期って言われてる時期だったんですけど、イギリスの音楽シーンって、自分の思ってたものと違うぞと。今でもたまに思うことなんですけど、リズム隊がとても弱いというか(笑)。クリムゾンとかツェッペリンとかのレジェンドと全然違うな、というギャップが先に来てしまって」

●じゃあ、インディ・ロックは全然チェックしていなかった?

「ライヴはちょこちょこ観に行ったりはしてたんです。でも、あまりそこら辺のバンドにはハマれず。その鬱憤が溜まっていたのがボー・ニンゲンで出て、って感じでした」

●じゃあ、実際のところ当時のタイゲンくんたちとしては、自分たちが進むべき音楽的な軸はどう考えていたんですか?

「当時はイギリスで〈ノー・ドット・シグナル〉のイベントがあって、北欧系のノイズの人とか、ネオ・フォーク系の人が来たりとか。あとは、池田亮司さんとかメルツバウとか、ちょうどそういう音楽にハマってたんです。だから、当時の影響でいうとノイズ系が大きかったですかね。あとはサイケだったり、カンとかのクラウトロック。最初の頃はリフとかテーマだけ決めて、構成とかも決めてなかったんですよ。アルバムを作る時には曲がシェイプされていって、今の形に徐々にシフトしていくんですが。最初の頃は本当に初期衝動でした」

●ボー・ニンゲンは、特に2nd以降はベース・ミュージックの影響も感じられるじゃないですか。その辺りの音楽は、イギリスに行ったばかりの頃はそれほどチェックしていなかったんですか?

「今ではそっちの方が大好きなんですけど、当時はそれもちゃんと聴いてなかったですね。黒人のガキがすごい雑な音量と雑な音質でやってる音楽が流れてきてて、なんか怖いな、みたいな感じで。数年後、そんな音楽にハマることになるとは思ってなかったんですけど(笑)」

●きっかけは?

「2008~2009年くらいに、低音系のプロデューサーをやってる日本の友達が来て、初めて〈DMZ〉っていうダブステップのパーティに行ったんですよ。マラとか、デジタル・ミスティクスとか、一番オールドスクールな人たちがやってて。そこで僕は低音にやられてしまって。部屋で友達に聴かせてもらった時は全然分かんなかったんですけど、クラブに行ってみて分かった感じです」

●やっぱり現場でベース・ミュージックを体感すると、全然違うもんね。

「それまでイギリスのインディ・ロックにあんまり肌が合わなかったので、バンドの可能性というものがちょっと分かんなくなってたんです。でも、インディ・ロックを反面教師的に受け取りながら、近い時期にダブステップと出会って、こういう周波数というか、低音の解釈があるんだと思って。そこで初めてイギリスの現行の音楽――80年代以降の音楽と言ってもいいですけど、それをちゃんと理解したというか、興味が出始めてきたんです」

●でも、ボー・ニンゲンはホラーズやサヴェージズ、もっと上の世代だとプライマル・スクリームとも交流があったりするじゃない? そういうバンドとの交流とか、バンドのコミュニティとの接点はどのように生まれたんですか?

「ホラーズのファリスが〈NME〉でうちらのことを取り上げてくれたんですね。ライヴを観て、『Most exciting band』みたいな感じで。あと、それとほぼ同じ時期に、〈ヴァイス〉のローンチ・パーティに出て、若いオーディエンスやアーティストに観てもらう機会があったんですよ」

Bo ningen / Maguro (Vice Issue Launch Party 2008)


「その二つがきっかけで、クールとかファッショナブルとか言ってくれる若い人たちが周りに増えてきたし、うちらも若くて流行っているバンドと対バンする機会が少しずつ増えてきたから、イギリスのシーンが分かる感じになってくるっていう」

●それが何年頃ですか?

「2008~2009年ですね。だから、行ってから4~5年経って、やっと自分のバンドも始まって、イギリスのバンドとの交流も増えて、イギリスの現行の音楽にも興味が持てるようになったんです」

●ファリスは、どこかでたまたまライヴを観てくれてたの?

「たぶん、たまたま観てくれてたんでしょうね。以前の僕らは、月に十本でも二十本でも、演奏出来る場所があれば演奏してたんです。でも、〈ヴァイス〉のパーティに出てからはイースト・ロンドン――いわゆるクールな若者が来る場所でやることが多くなって。ロンドン(のライヴ)はポツっと飲みに来てる、みたいな感じが本当多いんで、ホラーズもそんな感じだったんじゃないかな。まだ、誰かの噂を聞きつけて、っていうくらいではなかったんで」

●〈ヴァイス〉のローンチ・パーティ以降、イースト・ロンドンで演奏するようになって、お客さんの空気感は変わりましたか?

「変わりましたね。前までは、『何やってんだ?』っていう反応しかなかったんで。でも、イーストでやるようになってからは、『何これ?! 観たことない!』みたいな反応だったり、解釈は人それぞれ違うとは思うんですけど、すごいクールなものとして捉えてもらえるようになったというか」

●じゃあ、2009~2010年辺りは、期せずして自分たちもイースト・ロンドンのシーンの一部であるかもしれない、って感じていた時期でもあるんですか?

「日本は街とかライヴハウスに根付くシーンの細分化があると思うんです。いわゆる下北系の中でも、ハコやイベントによって色があったりとか。最近ちょっと崩れてきてますけど。でも、ロンドンって意外とそういうのを感じなくて。ここにいけばこういう音があるっていうのは、曜日を選べばあるっちゃあるんですけど。文脈みたいなところでのファミリー・ツリーは、そんなに分からないというか」

●ただ、ホラーズ周りに関しては、少しはあったんじゃないですか?

「そうですね。確かにホラーズは分かりやすくて。うちらが初めて会った時は16~17歳くらいだったんですけど、スカムっていうホラーズの弟分、妹分みたいなバンドが当時いて。今だったら、トイとかですね。その辺りがファミリーみたいな感じだったのは逆に特殊だったのかな、と思いますね」

S.C.U.M / Visions Arise (2008)

Toy / Left Myself Behind (2011)


「うちらもその辺と仲良くしてもらってましたけど、そういうバンドとばかり対バンしていたわけでもないですし。そう考えると、イースト・ロンドンの界隈にはいたのかもしれないですけど、特にその中のシーンの一部にいました、っていうのは自分的には意識してなかったですね。でも、お客さんとかジャーナリストとかアーティストの間で、イースト・ロンドンの流行っているものの一部、という形で見てもらうようになったのは、確かにその時期です」

●ホラーズと一緒にツアーを周ったりしたのはいつ頃?

「2012年です。ホラーズとボー・ニンゲンとトイで周ったんですよ。うちら的にも大きいバンドのサポートというのは初めての経験で、毎日2000~3000人規模のライヴが二週間くらい続くっていう。それまでも〈オフセット・フェスティヴァル〉とか、フェスでは大人数を相手にすることはあったんですけど、いわゆるハウス・ショーで大きい規模の会場でライヴをしたのは、ホラーズとトイと周った時が初めてで」

●その時の経験から何かしら得るものはありましたか?

「そうですね。音楽的に違うからこそ、お互いにすごいリスペクトはあったような気がして。彼らも、うちらの機材とか音の出し方とかパフォーマンスとか、いろいろ訊いてくれて。それがきっかけで自分たちの鎖国が本格的に解けて、文化交流が生まれたような感じがしますね(笑)」

●ホラーズは、いわゆるファミリー・ツリー以外のバンドとも交流を持っていました?

「キーボードのトムは、結構いろんなところで見かけたりしますね。この前もウォーペイントのライヴにに来てて。元キーボード組の二人(トムとリース)は、結構当時から出歩いてる印象です」

●ホラーズの外交担当だよね。

「そうですね。今はベースを弾いてるリースは、〈ケイヴ・クラブ〉というイベントをやっていて、そこでファミリー・ツリー以外のバンドもちょこちょこ呼んだりとか。お客さん自体はポスト・モッズというか、インディ界隈に来ていたオシャレな子たちで。バンドもあるけどクラブもあるよ、みたいなイベントで、ちょっとしたムーヴメントになってたんですよ。だから、その二人はいろいろやってるイメージでしたね。そこも限られたシーンではありますけど、交流はあったのかなと」

●当時の日本だと、〈ケイヴ・クラブ〉界隈に対する過剰な憧れがインディ・キッズにはあったんですよ。「〈ケイヴ・クラブ〉に行きたい!」、もしくは「日本で同じようなことをやりたい!」っていう人が東京にはそこそこいたんじゃないかな。

「その頃、ホラーズの日本への影響力もすごかったですもんね。当時はmixi全盛期でしたけど、『ホラーズの〈NME〉の記事を見て知りました』みたいなメッセージでフレンド申請があったりとか。今でいう〈バーガー・レコーズ〉系にハマッてるような大学生の追いかける対象が、〈ケイヴ・クラブ〉のファンタジーも含めて、あの時のホラーズだったのかなと」

●そんな感じがしますね。じゃあ、音楽的な部分ではどうですか?初期のボー・ニンゲンはクラウトロックにも影響を受けていたと言っていましたけど、そういった興味に関しては、ホラーズやトイともシェア出来るものがあったんじゃないですか?

「そうですね。そう言えば、ホラーズやトイとツアーをしてから数年後に、クラウトロックっていう名前だけ流行り始めまして」

●それは何年くらい前?

「2012~2014年くらいからですかね。バンドを形容する時に、やたらアシッドとか、クラウトとかが付くようになって。アーティストが影響を語る時にも、クラウトロックとかハンマー・ビートの名前を出すようになったのがその時期で。実際、そういうバンドは確かに増えたんですよ」

●それは何かきっかけがあったんですか?

「何ですかね? 〈BBC〉がクラウトロックのドキュメンタリーを作ったりもしてたんですけど。でもやっぱり、トイとかホラーズの影響は大きいと思いますね。うちらが2ndアルバム(『ライン・ザ・ウォール』、2012年)を出したくらいで、確か同時期にトイの1stアルバム(『トイ』、2012年)も出たのかな? で、トイが〈ラフ・トレード〉のアルバム・オブ・ザ・マンスになって、うちらはアルバム・オブ・ザ・ウィークで負けてしまうという、苦い歴史もあるんですけど(笑)」

●それは悔しいね。

「それで、トイががっつり来て。トイみたいなバンドを若い人がかっこいいと思って、バンドをやるようになって、っていう。だから、トイ以降って言ってもいいかもしれません。正直、トイもどこまで噛み砕けてるのか? っていうと分からないんですけど。もちろんホラーズもそういう流れはありましたし」

●『プライマリー・カラーズ』は明らかにあったからね。ロンドンでは、今もクラウトロックのブームは続いているんですか?

「2、3年前から、友達がクラウトロック・カラオケっていうのをやってて。うちらもよく出てるんですけど、毎回ミュージシャンを呼んで、クラウトロックの曲をすごく軽めに演奏するっていう。構成を覚えてなくてもいけるじゃないですか。何となく出来るのがクラウトロックなので、『あの曲やろうよ』っていう感じで。ホラーズのトムとか、常連ですよ。毎回、結構有名なミュージシャンがふらっと来て演奏するっていうイベントに、割と人が集まってるんですよ」

●それはどれくらいの場所でやるんですか?

「基本は小さいアングラっぽい所で、普段は100~200人くらいのパブでやってますけど、400~500人くらいの大きめのハコでやるスペシャルな時もあります。それくらい、ちゃんとお客さんも来るし、特に若い人が多いイメージで。しかも、時々、カンのダモ鈴木さんが来たり、ファウストの人が来たりだ、ノイの人が来たりして、物まねカラオケでご本人登場みたいな(笑)」

●(笑)でも、クラウトロックが流行っているのは、ボー・ニンゲンにとってプラスの部分、マイナスの部分、両方あるんじゃないですか?

「ブッキングという意味では、流行りかけているようなバンドと絡む機会が増えたので、すごくよかったです。でも、『表層だけをすくって、クラウトロックとか言ってんじゃねえぞ』みたいな気持ちもあって(笑)」

●うん(笑)。

「でも、ホラーズは、キーボード組がそういうところのオタクだったりとか。音楽をすごく好きな人がメンバーに多いので、クラウトロックにちゃんと理解があって、自分たちの作品にも表れてる感じがしますね」

The Horrors / Sea Within A Sea (2009)


●クラウトロックの影響という点で言うと、ホラーズは『プライマリー・カラーズ』が一番大きかったと思いますが、その後の彼らの作品については、どんな意見を持っていますか?

「三枚目(『スカイング』、2011年)は、シンセをフィーチャーしてて、スタジオにこもって作り込んでる、みたいな話は本人たちからも聞いてたんですけど。わりかし評価されてない感はこっちでもあるんですが、僕は好きでしたね」

●具体的なポイントとしては?

「1stアルバム(『ストレンジ・ハウス』、2007年)はもろガレージみたいな感じで、2ndアルバム(『プライマリー・カラーズ』、2009年)はジェフ・バーロウ先生のおかげもあって、すごくアンテナが広がったじゃないですか。で、『スカイング』は独自の路線に行ったというか、初期衝動から広がって、自分の色が出来たのがあの作品だと思います」

The Horrors / Still Life (2011)


「でも、その次の『ルミナス』(2014年)は、広告とかあんまり見なかったんですよ。僕は『ルミナス』は聴きやすいし、全然いいじゃんって思ったんですけど。でも、世間の反応としては、割とかわされた感じがあったんで。そんな地味ではないと思うんですけど、一般的にはそうなのか、っていう。最近でいうと、『攻殻機動隊』の実写版みたいな感じです(笑)。イギリス以外の友達もみんな言ってたんですけど、『攻殻機動隊』は酷評すらない。でも、炎上して、『こんなもん作りやがって!』みたいなアンチのクラスタも出来てない。そんなイメージですね」

The Horrors / I See You (2014)


「まあ、うちらも次が4枚目なので、こんな偉そうなこと言ってないで、自分たちのこと考えろ、って言われると思うんですけど(笑)」

●キャリア4作目ということで、自分たちと重ね合わせて何か感じるところもあるんですか?

「実際、うちらもホラーズから始まって、カサビアンだったり、TVオン・ザ・レディオとか、カルトとか、プライマル・スクリームとか、大御所の人たちがライヴや音源を気に入ってサポートに使ってくれたり、評価してくれるっていうのはあるんですけど、それがなかなか一般の評価には結びつかないっていうジレンマがあって」

●うん。

「ミュージシャンズ・ミュージシャン、玄人向けの音楽になってしまうのも、よくないことではないですけど。でも、『レフトフィールドで、一生同じ感じでやっていきます』ってわけじゃないのなら、頑張らなくちゃいけないですよね。そういう意味では、『スカイング』から『ルミナス』、そして新曲の“マシーン”っていう流れは興味深くはありますね。今話してて、うちらにとっても参考になるな、って思ったんですけど(笑)。4枚目辺りで好きなことやり過ぎて、逆に黙殺されてはいけない、っていうのは改めて感じましたね」

●『ルミナス』がリリースされたのは2014年で、ボー・ニンゲンの3rdアルバム『III』も同じ年に出てるんですよね。でも、この頃って、日本にはイギリスの音楽で「これがキテるぞ!」っていうのがそんなに情報として入って来てなかったんですよ。ただ、現地の実感としてはどうでしたか?

「スクリレックス以降、ダブステップがブローステップとか言われるようになって、ロンドンでも敬遠されるようになってきたのが当時の状況で。そこで、ベース・ミュージック界隈の人たちがもう少し遡って、グライムまで行ってたんですよ。そっちの方がロンドンっぽいじゃん、って。当時、僕はイギリスの音楽として、そこにすごくハマってましたね」

●そうか、ちょうどグライムが復活し始めた時期ですね。

「個人的には、当時は日本からジュークとかフットワークを知った時期でもありました。ドイツでマウス・オン・マーズのヤンがオペラみたいな作品を作ってて、それに参加した時に、相方のアンディが車で日本のジュークをかけてて。『日本のジュークが変な進化をしてて、すごい面白いんだよね』って。食品まつりと知り合ったのも2013年くらいだったと思うので、そこらへんは新しいものとして聴いてました」

●イギリスではジュークやフットワークってどうなんですか?

「ジュークはイギリスにはそんなに入ってこなかったと思います。日本ではネット界隈で局地的に流行ってて、ドイツとかでも流行ってたみたいなんですけど。だから、ボー・ニンゲンの3rdを作ってた頃は、ダブステップとかグライムと、イギリス以外のダンス・ミュージックですね。その頃、僕も個人的にノイズとかよりもビート寄りに行ってた気がします。フィジカルって何だろう? とか、もっと考え始めた時期ではありますね」

●ただ、ボー・ニンゲンの3rdアルバム『III』は、世間が期待するものと4人が気になっているものが乖離してたのかな、っていう気もするんですよ。

「それはありますね。1stはホラーズが〈NME〉で紹介してくれたのもあって、『こんなバンドがいるぞ』っていう」

Bo Ningen / Koroshitai Kimochi (Roland Sessions)[2010]



「2ndはダブステップとかの低音以降ってこともあって、それを押し出して。ミックスがエイジアン・ダブ・ファンデーションとかプライマル・スクリームとかやってたエンジニアだったんですよ。それでビートにエクスペリメンタルなプロダクションを施して、新しい感じだと評価されて」

Bo Ningen / Henkan (2012)


「3枚目は、うちら的には2枚目を進化させたつもりだったんですけど、評価的なところでは2枚目の方が反響は大きかったですね。なので、時代感でいうと3枚目は合ってなかったんじゃないか、とはメンバーとも話したりはしてます。うちらはプロデューサーを使ってなくて、バンドでディレクションして作っていく感じだったんです。エンジニアのマックス・ヘイズが、時たまアドバイスをくれるくらいの感じで。だから、3枚目はマーケットが求めるものは考えずに作ってしまっていたところもあって。今考えると3枚目は狙いどころとしては面白いけど、求められてたものとはだいぶ違ったのかな、ってイメージはありますね」

Bo Ningen / Slider (2014)


●2013~2014年頃にタイゲンくんの関心が向いていた音楽がグライムやジュークだったとして、同じ頃にUKチャートに入ってたものって何となく覚えてます?

「FKAツイッグスって2013年くらいですかね?(話題になった『EP2』は2013年、1stアルバム『LP1』は2014年)FKAツイッグス以降、ああいう女の子増えたじゃないですか? 流行りものとエクスペリメンタルの間みたいな。その発信源ってことでいうと、彼女の存在はデカかったんじゃないかと」

●あとはThe xxが2nd『コイグジスト』を出したくらいの時期かな。

「ああ、そうですね。当時のThe xxって、もっとカッティング・エッジな存在でしたけど、今や飛行機が空港に着いた時に流れる音楽だったりして」

●もうイギリスではどこでも流れる感じ?

「薬局でも、カフェでも、レストランでも流れるし、国民的な感じになってるんです。ああ、でもそう考えると、2013年頃って〈ヤング・タークス〉ですね」

●The xxもFKAツイッグスも〈ヤング・タークス〉ですからね。

「〈ヤング・タークス〉周辺の人たちは僕も好きですし、ボー・ニンゲンがチャートもののポップスとどういう接点があるのかって考えた時にも、〈ヤング・タークス〉関連の人が多いのかなって思います。でもイギリスって、日本と違って流行りものがあんまり分からなくて。イギリス人はもうあんまりテレビ見ないんですよ。僕は〈BBC〉のラジオとかもあんまり聴かないから、そういうところの流行りも分からないし。それでも、何が流行ってるのかは以前より見るようにしているんですけど。Spotifyを久しぶりに立ち上げて、〈サイン・マガジン〉のプレイリストを聴いてみたりとか」

●ありがとうございます(笑)。

「逆輸入じゃないですけど、日本に届いてる音楽として聴いてみよう、となったりするので。日本人のイギリスに対する早耳感っていうのも、アメリカとかヨーロッパから見るイギリスとはまた違って、憧れも含んでるし、本国とは違う切り口で解釈してるところがあると思うので、面白いなと思うんですね。それは、僕が今イギリスに住んでて日本を見てるのとも似てるんだと思います」

●うん、わかります。

「ファンタジーが入ることによる、ディグへのモチベーション・アップというか。あと日本人はリサーチ得意なんで、僕的には信頼してるところもありますね。実はホラーズの“マシーン”もそうで、真っ先にタナソウさんが反応してるのを見て、『これはホラーズ的にも成功してるな』というか」

●(笑)ポップ・ミュージックに対するイギリス人の解釈や評価のスタイルについてはどう感じているんですか?

「イギリス人って、けっこう批判体質なんですよ」

●うん。そこはずっとそうだよね。〈NME〉と〈メロディ・メーカー〉が二大音楽誌時代だった頃とかも、最初はそれがとにかく新鮮で、驚きでした。

「ブラック・ジョークも含めて、わりかし辛口の文化があるから、ポップスにしろ、大御所の新作にしろ、正確な評価が見えにくい。イギリスだけの評価を聞いていると、いまいち何を信じていいか分かりづらいんですよね。例えばプライマル・スクリームの新作は、こっちだと厳しい扱いだったみたいなんですよ。でも、うちらは彼らの新作のツアーで一緒に周っていて、毎日のように観ていたんですけど、すごく歴史のあるバンドだということがよく分かって感銘を受けましたし」

●プライマルとツアーを周っていて、具体的にどんな発見がありました?

「頭では分かっていたんですけど、アルバム毎に全く違うことをやって変化する、けど自分たちの芯を貫いてる、っていうところを改めて実感しましたね。歴史をただネットで遡るだけじゃ分からないところが、ライヴを観てすごく伝わったというか。サヴェージズのジェニー・ベスに感じたアジテーション能力を、もっとデカいステージで、もっと年齢層が上のオーディエンスに向けてやっている、っていう。そういうキャッチーさ、ポップさは刺激になりましたね」

●なるほど。

「あと、その時ちょうど作っている新曲があって、ライヴで試してたんですよ。そしたら、ボビーが『あの曲は絶対にシングルにするべきだよ』みたいに言ってくれて。ホラーズもそうだったんですけど、気に入ってツアーに呼んでくれた人たちからフィードバックが返ってくるのは大きかったですね。うちらには客観的に分からないことだったので、『そんなにキャッチーに聴こえるのか』みたいな。それに、『新作に参加したい』ってボビーから言ってくれてて。『意見交換したいね』って。うちら、コンポージングからプロデューサーを入れたことが全くなかったので、プライマル・スクリームのツアーで音楽的なアドヴァイスをもらえたのは、本当にいい経験でしたね」

●うん。

「あと、単純にプライマル・スクリームがいい人たちだったのも大きいです。ボビーはいかに素面の時がいいかっていう(笑)」

●それ、痛感してます(笑)。俺も、素面じゃないボビーには二回くらい、本当に酷い目にあってるから。

「日本のプロモーターの人にも話を聞いてたんですよね。それを本人にも言ったら、『あの時は本当に酷かった、子供にはそんな経験させたくない』みたいな(笑)。いかに素面がいいかっていうのを結構話してましたね」

●ハハハハッ! じゃあ、さっきも少し名前が出ましたけど、サヴェージズについても訊かせてもらえますか?

「僕が知ったのは、サヴェージズのライヴを観る前なんです。ジェニー・ベスと、ジョニーっていうサヴェージズのプロデューサーが組んでたジョン&ジェンっていうユニットがあって。それが、ブリティッシュ・シー・パワーがイングランド最北のパブでやってる変なフェスに出てたんです。そこで初めて会ったんですよ。まだジェニーは坊主にもしてなくて、フォークみたいな感じで、印象は今と全然違いましたね。そこで、ジェマもギターを弾いてて。で、僕らのライヴも観てくれたんです」

●なるほど。

「それからしばらく経って、ジェニーが“Nichijyo”っていう僕らのシングルで歌ってくれて。それがよかったので、バンドとしてちゃんと何かやろうって話になって。うちらがサヴェージズのライヴをちゃんと観たりしたのは、そこからですね」

Bo Ningen / Nichijyou feat. Jehnny Beth (2012)


「そこからは公私ともに仲良くなって。で、“ワーズ・トゥ・ザ・ブラインド”っていう曲を一緒にやったのは、すごくデカかったですね。全員で楽器を持って、ベース二本、ギター三本、ヴォーカル二人、ドラム二つみたいな感じでやって。リハでコンセプトだけ決めてジャムったら、何となく曲になったんですよ。うちらはバックグラウンド的にフリーフォームな感じはありましたけど、彼女たちも感覚的というか、フィジカルな部分でパッと出来る子なんだなって思いましたね。そこで色々とマジックが生まれましたし、収穫の大きいコラボだったと思います」

Savages & Bo Ningen / Words To The Blind (2014)


●サヴェージズのライヴや作品自体はどう評価してますか?

「オノ・ヨーコさんがキュレーターを務めた時の〈メルトダウン〉にうちらが出たんですけど、その時にサヴェージズのライヴも観てて。パワフルだし、イギリスのバンドにありがちな惰性的な感じがなかったですね。平坦なグルーヴしかないイギリスのバンドの中で、そういうフィジカルなバンドは久々に観たな、っていうのが僕らの意見です。サヴェージズもインタヴューで、『今、そういうバンドはロンドンでボー・ニンゲンしかいない』って言ってくれてたんですよ。そういう意味で、仲間意識みたいなものは勝手にありましたね」

●アルバムに関してはどう?

「彼女たちは2nd『アドア・ライフ』(2016年)で、バーッと行きましたよね。実際、ジェニーのハングリーさっていうのはすごくて。海外セレブとか、他のアーティストと仲良くなったりっていう戦略みたいなところも含めて、いい意味でのハングリーさがあるんですよ。それが2ndには出てるなって思います。1st以上に頭も使ったと思うんですよね」

●もうちょっと具体的に言うと?

「ホラーズの『スカイング』からの流れとは真逆で、もっと求められてるものを出してきた感じ。分かりやすさや懐かしいレファレンスがあるというか。もちろん、『ちょっと何々過ぎない?』とか思う人もいると思うんですけど。そこで偽物になっちゃうような子たちでもなく、ちゃんとフィジカルさと彼女たちのカラーが出てるのが凄いな、と思いつつ」

●なるほど。

「音楽性も違うし、セールスも全然違いますけど、ロンドン・ベースのバンドの中では、アティチュードがうちらとすごい近い存在だとは思ってますね。『イギリスのバンド、つまんねーじゃねぇか』っていう、イギリスのシーンへのアンチというか、カウンター・カルチャー的なところも共通してると思います。それはジェニーがフランス人だってことも大きいんでしょうね」


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