「自分は何も感じない/きみも何も感じないだろう?」
エイメン・デューンズのスリーフォード・モッズとのシングル“フィール・ナッシング”のアートワークにはそんな言葉が並んでいる(歌詞には登場しない)。荒れに荒れたオリンピックにまつわる言説――というより、膨大な量の怒りや他責の言葉が飛び交った2021年の夏、自分の「感情」にもっとも近かったのはそんなものだったかもしれない。フィール・ナッシング。デューンズのこれまでのユルいサイケ・フォークはそこにはなく、スリーフォード・モッズによる英国の路上に漂うささくれ立った感覚を立ち上げるような乾いたビートがあるばかり。だけど、デューンズの声の最大の魅力であるだらしなさは不滅だ。あー、だるい、何もしたくないし、何も感じない……。
あらゆるところで停滞感を覚えた年だったのは、自分の本の作業が進まなかったのが個人的には大きかったけれど(すべて自分のだらしなさのせいです)、パンデミック以前に何となく想定されていた「未来」が失われたまま、その先の何かを思い描くのが誰にとっても難しかったからではないだろうか。身近なひとたちの何人かが心を壊し、だけど自分に何ができるというわけでもない日々のなかで、意味よりもユニークなサウンドを持った音楽をよく聴いていた。ロスト・ガールズ、ティルザ、ソー、リチャード・ドーソン、そしてシャックルトン。自分をケアしてくれるのは、いまも昔も変わらず変な音楽だ。そしてよく見れば、“フィール・ナッシング”のアートワークにはこうも書いてある。「この醜いフィーリングを許してほしい/ベイビー、長続きはしないよ」。単純なもので、そう言われると少し気が楽になる。
変な、というのは「オルタナティヴ」と言い換えることができるだろうか。本当に? それは自分にはわからないけれど、特異なタッチを持った新世代の作家の映画や作家性をテレビ・シリーズで貫こうとする監督の作るドラマに心を動かされたのはたしかだ。「未来」が失われたままなのであれば、システムや規範性を逸脱した(あるいは度外視した)アーティストの表現に可能性を見出したい。そこに自分の喜びがあるから。オルタナティヴを志向してきた/志向する者たちの実践の集積が、きっと想像したこともない場所へと連れて行ってくれるだろう。個人としては、2022年は必ず本を出しますのでよろしくお願いします。
※個人ベスト・アルバムは『ele-king vol. 28』に寄せています。
〈サイン・マガジン〉のライター陣が選ぶ、
2021年のベスト・アルバム、ソング
&映画/ドラマ5選 by 宇野維正
「〈サイン・マガジン〉のライター陣が選ぶ、
2021年の年間ベスト・アルバム、
ソング、ムーヴィ/TVシリーズ5選」
扉ページ
2021年
年間ベスト・アルバム 50