今夜はエレクトラグライド。最強のラインナップ、最強のセットリストを併せ持つ、「第二の全盛期」を迎えたチック久々の大舞台が間もなく迫っている。さあ、存分に楽しもう。すべてがドロドロに溶け合うチック・ワールド。それを人は自由と呼ぶ。
さあ、今夜は〈エレクトラグライド〉ですよ、皆さん。どうやら今夜はかなり寒いようです。きっと〈エレクトラグライド〉の会場は暖房もケチってるから、さらに寒いかもしれない。なので、ニック・オッファーが半パンじゃなくてもがっかりしないように。いや、彼のことだ。きっと期待は裏切らない。て、期待するとこ、そこかよ!
というわけで、短期集中特集「チック・チック・チック最強の15曲」もこれで最後です。残すところ5曲。時間のある方は、それぞれの曲のグルーヴをしっかり身体に叩き込んでおいて下さい。そして、踊るべき曲では踊る。叫ぶべき曲では叫ぶ。一緒に歌うべき曲では歌う。ぴょんぴょんポゴ・ダンスすべき曲では縦に跳ねる。ハンドクラップすべき曲では両手を掲げ、惜しみなく叩く。曲の性質によって、しかるべき楽しみ方があるはず。思うに、それを汲み取って、最大限に楽しむのが粋ってもんじゃないのかな。だって、僕はたくさん目撃してきました――オーディエンスからの予想を超えた、しかるべきリアクションを受け取った時のパフォーマーが、どれだけ普段以上の力を発揮するものなのか。特にチックはそういうバンド。だからこそ、そんな最高の光景を見たいじゃないですか。
では、最終回はドロドロこってり、麺バリ硬でお届けしたいと思います。チック・チック・チック最強の5曲はこれだ!
5)One Girl / One Boy
まず1曲目だけはあっさりと行こう。我々がチック最強ソング第五位に選んだのが、最新作『スリラー』収録曲からのこの曲。これは間違いなく一般的に言うところの「名曲」だ。それにしても、初めてこの曲を聴いた時は驚いた。ミラーボールの似合うメロディアスなディスコ・ソング。コード・プログレッションからして、これまでに比べれば、格段にメロウ。彼らにしては珍しく4小節、2小節、2小節と次々にルートが変わっていく。しかも、なんと2分4秒からはミドルエイトが登場する。これにも驚いた。基本的に最小限のルートの上をずっと円環し続ける漆黒のファンクを得意にしてきた彼らがミドルエイトを書くなんて! リリック的にも、別れてしまった男女が互いのことを追憶するという純然たるラヴ・ソング。まずはクリップを。ニックお気に入りの、ローリング・ストーンズの『サム・ガールズ』柄の半パン伝説はここから始まった。
お次はシアトルのライヴ映像を。ここでも例の半パン。正直、この完結編では半パンのことは忘れたいのだが、お気に入りだから仕方がない。しかも、しょっぱな0分38秒からお得意の尻振りダンス。1分7秒からは謎のけんけんぱダンスときた。やはり当の本人たちも、いまだこの曲のポテンシャルを理解していないと見える。
この曲、先の来日公演では、前半の新作『スリラー』パートの一部として演奏されたが、正直、いまだセット全体の中で最適な流れで演奏されたとは言いがたかった。だからこそ、今回の〈エレクトラグライド〉では、地獄の泥沼の中に射し込む一条の光のごとく、メロウでロマンティックなムードがフロア全体に降り注ぐような、完璧な流れの中での演奏を期待したい。というわけで、もうひとつ観ておこう。地元ブルックリンでのライヴ映像だ。ゲスト・ヴォーカリストが素人丸出しだが、そこはご愛嬌。やはりニックが穿いている半パンもご愛嬌。でも、この小学生ルックで、「あの曲を聴く度に/ひとりのガールのことを考えるんだ/君のことを/この曲を歌う時はいつも/たったひとりの君のために歌うんだ」なんて歌われてもね。多分、彼女、思ってると思うな。やっぱり別れて良かった、つて。
4)Must Be The Moon
では、チック最強の曲第四位は、最高傑作『ミス・テイクス』に収録されたこの曲だ。泥沼に足をとられて、ズブズブと前に進むような粘っこいグルーヴと尋常らしからぬ熱量で押しきるドロドロに煮詰めた闇鍋のようなアルバムの中では、もっともキャッチーなトラックでもある。まずはクリップを。69年ポップ・スター風のグラマラス・ルックに身を包んだメンバーの姿を楽しむことが出来る。これはこれで貴重なものがあるので、ぜひ観て欲しい。
これまでの記事の中ではさんざニック・オッファーの半パン姿をからかってきたが、それには理由がある。それは、そもそも彼らがダンス・カルチャーの伝統に根ざしたバンドだから。ダンス・カルチャーにおいては、あくまで音楽が主役。もしダンス・フロアが何かしらの信仰の場だとすれば、ステージ上のパフォーマーはDJ同様、司祭ではあるが、神ではない。あくまできっかけにすぎない。彼らのステージを本当の意味で司っているのは、おそらくこれを読んでいる大半の読者が名前を全員思い出せないだろうメンバー5人――アラン・ウィルソン、マリオ・アンドレオーニ、ダン・ゴーマン、ラファエル・コーエン、ポール・クアトローンがたたき出す沼グルーヴにこそある。そして、彼らのライヴ・パフォーマンスは、それをきっかけに我々が踊り、時には叫び、時には声を合わせるためにある。音楽を媒介にして、最高の時間と空間を作るためにある。決してステージ上を「観る」ためにあるのではない。主役はクラウドなのだ。
思うに、ニックお得意のコミカルなペンギン・ダンスは、どうしたってカジュアルな信仰の対象になりがちな「ステージ上のポップ・スター」という概念をからかっている。十歩譲って、好意的に考えるなら、あの鼻をたらした小学生のような半パン姿もそうした状況に対する痛烈な批評に違いない。俺を見るな、踊れ。見てもいいが、好きになるな。笑え。笑う暇があるなら、俺以上に人目を気にせずに踊れ、というメッセージにほかならない。もしかすると、単に踊りが下手で、センスが信じられないほど悪いだけかもしれないが、敢えてここではそう思い込んでおくことにしたい。
この曲に関しては、あと3つほど映像を貼っておく。ひとつめは少しばかり落ち着いたスタジオ・ライヴ。ふたつめは大会場でのステージから。音も良くないし、冒頭からマイク・トラブルもあったりするものの、演奏は圧巻だ。時間がなければ、これだけでも観て欲しい。みっつめは、これまでも何度か観てもらってきた2008年のライヴ。どれを観ても飽きない。この曲は、先日の来日公演ではアンコール一発目で演奏された。今夜はおそらく終盤だろう。なので、存分にこの沼グルーヴを堪能して欲しい。
3)Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)
チック最強の15曲も残すところ3曲。第三位は彼らの存在を世界に知らしめた2ndアルバム『ラウデン・アップ・ナウ』から。気がつけば、もはや10年前の曲だ。だが、少しも色褪せていない。タイトルに「ジュリアーニ」という言葉が使われている通り、この曲のリリックの内容は、かつてニューヨーク治安回復の一貫として、当時の市長ルドルフ・ジュリアーニが行った「キャバレー営業許可法」に対する異議申し立て。クソ風営法のおかげでクラブ・カルチャーが根絶やしにされても、ここ日本からは出てこなかったタイプの曲だ。「どいつもこいつも訊いてくる/踊るのがどうしてそんなに凄いことなんだ?って/クソが、俺が知るわけないだろ?/そいつがどれだけ最高なのか、どうにかわかってるだけなんだから」。ここには何ら政治的な妥当性はない。だが、これは生の声だ。大事なのは、重要なのは、守るべきは、こうした直感だ。自らの正しさを証明するために闘う必要なんかない。勿論、政治的な局面では闘うことも必要だろう。だが、表現においてもっとも大事なのは、キャント・エクスプレインな直感そのものを表現することではないか。
まずひとつめの映像を観てもらおう。ブラジルの音楽フェスでのライヴ映像だ。ここでの演奏はそれほど大したことはない。観客のノリがイマイチなせいもあってか、ニック・オッファーも力みすぎているし、演奏も本調子ではない。というか、ガタガタだ。見物と言えば、3分15秒辺りからの明らかにフェスのセキュリティたちを困らせているニック・オッファーのすっかり「自由」な行動くらいだろうか。なので、時間に余裕のある人は見て欲しい。そうすれば、この次に貼ってある、本調子の時の彼らの演奏との、歴然とした差をさらに楽しんでもらえるかもしれない。
では、彼らが本調子の時の演奏を観ておこう。彼らがいかに観客の力を自らの力に取り込むタイプのバンドなのかが、一目瞭然でわかる。現ラインナップでの映像が見当たらないのは残念だが仕方ない。バンドというのはどんな時も前を向いているものだから、最近のライヴ映像が新曲中心になるのは当然だ。
この曲に限って言えば、ファンクというよりはパンク。だが、いまだこの曲がチックというバンドの最重要レパートリーのひとつであることは間違いない。イントロでガツンと始めておいて、ヴァースが始まると少しばかり落とし、再び少しずつヒート・アップしていく構成が最高だ。1分25秒からの勇壮なホーン。この後からバンドは少しずつ演奏の熱量を抑えていく。1分54秒、それに合わせ、両手を高く掲げるニック・オッファー。会場を埋めたクラウドがそれに応える。もうヤバい。
3分12秒辺りから、バンドはさらに演奏の熱量を抑えていく。上げて下げて、上げて下げて。16のギター・カッティングに合わせ、バンドは次なる爆発のための土台を整えていく。焦らしに焦らす。そして、新たな展開を予告する4分25秒からの不穏なリフ。さらに焦らす。そして、遂にやってくる、この曲最大の聴きどころ――4分50秒からのユーフォリックな爆発。ニックが叫ぶ。「これがお前たちへのメッセージだ」。ためにため込んだ怒りが祝祭のフィーリングに姿を変える瞬間。爆発。跳べ。ここでは踊る必要はない。何もかも忘れて跳べばいい。「教えてやる/すべての抑圧から自由になること/音楽にまみれて、自分自身を失うこと/この瞬間、すべてを忘れること/これ以上のものなんて何もないんだから」。
その後、バンドの演奏はまた少しずつカーム・ダウンしていく。だが、もうひとつの爆発が待っている。7分13秒からのブレイクだ。ニック・オッファーは歌う。「Everybody cut, everybody cut, everybody cut, footloose」――。つまり、「引きちぎれ、解き放て、その足かせを引きちぎり、思うがまま、好き勝手にやれ」。
何故、この曲が、サイモン&ガーファンクルの“Me And Julio Down By The Schoolyard(邦題:僕とフリオと校庭で)”をもじったタイトルを持っているのか。そもそもサイモン&ガーファンクルの曲は、犯罪(おそらくはドラッグ)を犯した息子を、両親が警察に突き出す物語を扱っている。だが、息子は自分が悪いことをしたとは思ってはいない。彼は歌う。「僕は自分の道を行く/どうなろうと知ったこっちゃない/好きなようにやる」。そして、彼はこう言い残して、街を出て行く。「またいつか会おう、ボクとフリオと校庭で」。つまり、チックの曲は、この曲の主人公に対する直接的なオマージュなのだ。曰く、法律が禁じていることが必ずしも間違いとは限らない。だとすれば、俺たちはそれには従わない。勝手にやらしてもらうぜ、ということ。
参考までにサイモン&ガーファンクルの曲も貼っておく。権利がクリアになった本人たちの映像はなさそうなので、後年、ポール・サイモンが子供番組『セサミ・ストリート』に出演した時の映像、彼とスティーヴィ・ワンダーが共演した時の映像を貼っておく。焦らされるのが嫌な人は、さっさと次に。お楽しみはこれからだ。
さあ、お待たせ。焦らしに焦らした。申し訳ない。さあ、存分に観て欲しい。最高に最高だ。ところが困ったことに、このとっておきの映像は画面に埋め込むことが出来ないことがわかった。なので、このアンダーバーがついてる文章のリンクから飛んで欲しい。この曲は勿論、先ごろの来日公演では、ライヴ終盤の怒濤の沼ファンク攻勢の中で一気に全体のムードを変えるべくして投下された。今夜のフロアでは思い存分、踊って欲しい。何もかも忘れて、跳びはねて欲しい。「引きちぎれ、解き放て、その足かせを引きちぎり、思うがまま好き勝手にやれ」。
2)Intensify
もう最後の2曲だ。終わりは近い。これはファンからもつい見過ごされがちな1曲。彼らの1stアルバム『!!!』収録曲。その後のアルバムと比べれば、『!!!』はいまだ習作めいた1枚でもある。だが、この“インテンシファイ”だけは最強の1曲。チックのステージを存分に楽しむためには、知っておいて絶対に損はしない最重要曲のひとつだ。先の来日公演では、アンコール最後の1曲として演奏された。あまりに壮絶だった。あまりに素晴らしかった。
一回目のブレイク明けから、「Can you feel it intensify? Can you feel the lows go from mids to highs? Can you feel it intensify? Can you feel it grow from deep inside?」と、何度も連呼されるリフレイン。おそらくこれは、シカゴ・ハウス永遠の名曲――ラリー・ハードの“キャン・ユー・フィール・イット”へのオマージュでもあるだろう。彼ら自身が、愛とユニティというハウス・ミュージックの伝統に連なる存在だという声明でもあるはず。だが、パンク・バンドでもある彼らは、そこにタイトルの言葉を付け加えることで、自分たちなりのひねりを加えている。「力がみなぎるのを感じるか?/自らの内側から力が増していくのを感じるか?」――この曲は、ある事実を雄弁に語っている。つまり、我々は踊ることで力を得るということ。間違わないように。「音楽に力を与えられる」のではない。音楽をきっかけにして、我々は自らの力を最大限に発揮する。そう、この曲は、我々自身の内なる可能性の賛歌だ。
この“インテンシティファイ”は実際は7分近くの長尺曲だが、以下のライヴ映像では中盤で途切れてしまっている。本当なら、この後はハンドクラップに合わせて、「Can you feel it intensify?」という言葉が連呼され、さらなるクライマックスを迎えるはず。本当はお楽しみはここからなのだ。もし曲の全貌を確認したければ、まずは次に貼ってあるスタジオ・テイクを。ライヴ・テイクほどの凶暴性はないが、十二分にこの曲のポテンシャルを感じることが出来るはず。だが、出来ることなら、先に、その下の壮絶なライヴ映像を観てもらった方がいいだろう。残念ながら、中盤からのハイライト部分は収められていないが、パフォーマンスは最高。どこぞのお姉ちゃんも乱入して、えらい騒ぎだ。
うーん、残念。この後が最高なのに! この後が壮絶なのに! なので、この後の最高の盛り上がりは、実際のエレクトラグライドの現場で、あなたたちの力で作り上げて欲しい。「力がみなぎるのを感じるか?/自らの強度が増しているのを感じるか?」――このバンドからの呼びかけに、盛大なハンドクラップで応えて欲しい。
1)Heart of Hearts
もう最後の1曲になった。チック最強の15曲ベスト1。最後はやはり最高傑作『ミス・テイクス』から。先の来日公演では、当然のごとく本編最後に演奏された。最初に見てもらうのはビデオ・クリップ。映像自体はラフなライヴ映像を編集したもの。レーベル的にも、キャッチーなコーラスを持った“マスト・ビー・ザ・ムーン”よりも、遥かに予算の抑えたクリップを作るという判断は当然だろう。確かにこの曲は派手さには欠ける。劇的な展開があるわけではない。ひたすら泥濘に足を取られながら、ズブズブと進んでいくドロ沼ファンク。だが、このままずっと続いていて欲しい。と感じずにはいられない「何か」がある。そして、このバンドの真骨頂はまさにここにある。ここにはダンス・ミュージックの神髄がある。
この曲、本来は6分台の長尺曲だが、クリップは3分台にエディットしてある。正直、物足りない。クリップが終わる瞬間のブレイク直後からがまさにこの曲のハイライトだからだ。なので、お次はジョン・ピュー在籍時のライヴ映像を観てもらおう。音は良くないが、臨場感たっぷり。この時期、『ミス・テイクス』リリース時の彼らは間違いなく最初の全盛期を迎えていた。
ニックとジョンの絡みも最高だ。1分57秒から自らの乳首をひっぱって、観客にアピールするピューも嫌いではない。そして、ブレイク明け4分12秒からの凄まじい爆発。クラウドに向けて両手を高くかかげるニック。4分27秒からジョンはニックの股間に顔をうずめ、マイクを別のものに見立てた下品極まりないパフォーマンスを見せる。それに応えるように今度はニックがマイクをお尻の谷間に突き立てる。だが、この圧倒的な音の洪水の前では、正直、こうしたパフォーマンスはどーでもいい。結局ところ、司祭は司祭でしかない。重要なのは音楽だ。ステージを眺める暇があるなら、踊れ。目をつむって、ガシガシ踊れ。5分24秒からのコーダ部分も壮絶。最高。本当にここに居合わせたかった。面倒だが、これもこの文章のリンクから飛んで欲しい。
最後にもうひとつ観ておこう。先ほどの映像に比べると、会場が小さいせいか、良くも悪くも音がクリアなせいか、少しばかり臨場感には欠ける。演奏も中の上と言ったところ。だが、今回の〈エレクトラグライド〉ではさらに素晴らしいパフォーマンスが体験出来るかもしれない。勿論、鍵を握っているのは、あなただ。
お疲れさまでした。このクソ長かった三部構成の原稿ももうこれで終わりです。それなりに楽しんでもらえたろうか。だが、あなたが〈エレクトラグライド〉の現場で味わうだろう最高の体験に比べれば、こんなもの、粗大ごみ以上の価値もない。何度でも言う。チックのライヴにおいて、もっとも重要なのはニックのダンスではない。彼らのサウンドとグルーヴだ。何度でも言う。だが、彼らはきっかけにすぎない。音楽は媒介にすぎない。最高の空間を生み出す最大の鍵を握っているのはオーディエンスだ。最高の夜を本当の意味で司るのは、あなたたちクラウドだ。今夜、巨大な群生生物がうねうねと身体をくねらすような、壮絶な眺めのダンス・フロアが生まれることを誰よりも楽しみにしている。下らない普段のしがらみがすべてドロドロのグルーヴの中に飲み込まれ、とんでもない歓喜が立ち現れる、永遠と瞬間がひとつになったダンス・フロアが生まれることを確信している。鍵は君だ。忘れえぬ最高の夜にしよう。
「〈エレクトラグライド〉を120%楽しむための!!!(チックチックチック)、最強の15曲 part.1」
「〈エレクトラグライド〉を120%楽しむための!!!(チックチックチック)、最強の15曲 part.3」