「白人男性の怒り」がテーマなのでは、と言われるほど、数年来の反動もある今年のアカデミー賞。そこから漏れた女性たちの痛快な映画が二本あります。『ハスラーズ』の脚本/監督はローリーン・スカファリア。2008年のリーマン・ショック以後、ストリッパーたちがウォール街の男たちを騙して荒稼ぎしていた事件を元にしています。何より目立つのはリーダー役を務めるジェニファー・ロペスのスター・パワー。当時の「誰もが弱い奴から金を巻き上げようとしていた」ハスラーぶりと時代背景を描きながら、女性たちのシスターフッドの変遷をストーリーの軸にした上手さが光ります。カッコよく華やかで、インモラル。だからこそ、あの時代へのノスタルジアと虚しさ、余韻のほろ苦さも後を引く。ジェニファー・ロペスとコンスタンス・ウーの友情(というより愛情)の行方は、リアルかつメロドラマチックで泣けます。フィオナ・アップルの“クリミナル”や50セント、アッシャーといったアゲアゲな曲とショパンのピアノ曲など音楽のメリハリも面白い。スーパーボウルのジェニファー・ロペスによるハーフタイム・ショーを見る際のコンパニオン・ピースとしても必見。
2016年にFOXニュース社内で起きた、セクシュアル・ハラスメントによるトップ交代劇を映画化。ポイントはMe Too以前であることと、FOXニュースという最右派メディアが舞台であること。そして原題『Bombshell』が示すように、この事件は爆弾であると同時に、金髪グラマー美女たちの反撃でした。彼女らがそのタイプなのはもちろん偶然ではなく、FOXニュースでのし上がるにはその鋳型にハマらなければいけなかったから。実際にハラスメントを受ける緊迫のシーンよりも、むしろ彼女たちを作りだす過程=社内のメイク室/衣装室の描写が怖かったりします。ボディコンは戦闘服。女たちが代わりのきく兵隊として扱われるのを見ると、共感するのはむしろ日本のサラリーマンなのでは、と思うほど。セクシュアル・ハラスメントが性的な関係や職場にいる「いやらしい男」の問題ではなく、構造的なパワハラ、企業文化の問題であることもよくわかる。そのへんは男性脚本家と監督の貢献かもしれません。実在のキャスターを演じるのはシャーリーズ・セロンとニコール・キッドマン。シャーリーズはプロデューサーとして、撮影直前にスタジオが降りた際に別のスタジオと話をつけた実力も。
『ヘレディタリー』に続くアリ・アスター監督作。それ以前の短編もそうなのですが、彼の映画にはパーソナルな体験と強迫観念が根っこにあり、それがいわゆるジャンル・ムーヴィでは見られないような不安や恐怖を呼び起こします。奇天烈なようでいて、イヤ〜な感覚は普遍的。アスターと『ウィッチ』のロバート・エガース監督が延々とベルイマンの話をしているA24のポッドキャストでも、だんだん恐ろしさが募ってきます。本作では家族の悲劇以後、歪な関係が壊れかけているアメリカ人の男女が、スウェーデンの村の夏至祭を訪れ、その儀式の中心になっていくまでが美しく映しだされます。影のない明るい光、咲き乱れる花々、村の奇妙な造形。まるで映画そのものが儀式のように完璧な設計で進み、強烈なクライマックスへと向かいます。ホラーとも言えるし、これまでにないトリップがあるドラッグ・ムーヴィとも言える。主人公を演じるフローレンス・ピューが不実な恋人と悲しみから女性社会のなかで解放されるのも象徴的。恋人に振られた体験からこんな映画を生むとは、ちょっと他にない監督なのは間違いありません。
シーズン2もシーズン1同様、キュートで面白くて、全世代に見てほしいスクール・コメディ。モチーフは「セックス」、でもこのドラマではセックスを「あらゆる関係性における直接的コミュニケーション」の一つとして扱っているので、恋愛や性だけでなく親子や教師、仲間、一つひとつの関係がエデュケーションのきっかけとなる。そこがシーズン1より広がりつつ、さまざまなセクシュアリティが自然に存在するなかで展開します。だから、見る人によっていろんなメッセージを受け取れるのがいい。私は「性的同意」が特別なことではなく、あくまで人間関係の基本として描かれていること、それにシーズン2でアセクシュアルのキャラクターが出てきたことに感心しました。自分の前提は当たり前じゃないし、親しくなるには伝えないといけない。そして、セックスは人を完全にしない。音楽はT.レックスやヴェルヴェッツなど親世代にも優しめ。このシリーズと、ジャネール・モネイがナレーションを務める『“性”をダイジェスト』はNetflix性教育の二本柱です。必修科目。
昨年海外で公開され、話題になったドキュメンタリーが配信されています。フィクションより奇妙な事実であるばかりか、まるでジャンルが変わるように、真実を追ううちハートウォーミングなコメディから陰謀論まがいのスリラー、そして悲痛な心理劇へとトーンが変わっていくのが本作の見どころ。80年、大学で「瓜二つの他人」に出会った二人の若者。彼らは養子で別れ別れになった双子だったのです。メディアでその話題が騒がれると、なんと名乗り上げてきたのは三人目の兄弟。彼らはたちまち有名な「奇跡の三つ子」となり、80年代NYでもてはやされ、レストランを出店するまでに。しかし三人が養子縁組の際、何も知らされず条件の違う家庭に振り分けられたことを追求すると、彼らを含む子どもたちが実験に使われた疑惑が浮上します。60年代アメリカの心理学研究が、いかに傲慢だったか。双子や三つ子の神話めいた「繋がり」や相似性に魅了されるあまり、それぞれ人として違うことがいかに軽視されるか。出生によって翻弄された三人の人生は、メンタル・ヘルスのイシューにも大きく関わっています。