神に近づくことができるのは誰なのか。前科者であることを隠し、ある田舎村で「司祭」になり代わっていく青年の姿を通し――実際に起きた事件から着想を得ているという――、そのような大きな問いを掲げるポーランド映画。少年院で信仰に目覚めたダニエルは、人生の早い段階で普通の生き方を外れてしまったことでむしろ組織や儀礼の慣習に囚われない言動によって信徒の心を掴み、村人たちの信頼を勝ち得ていく。「偽物」が「本物」よりもその本質に肉薄していくという物語は様々な映画で繰り返されてきたことだが、本作ではさらに、村という閉じたコミュニティに青年が深く関わっていくことでいっそう複雑さを帯びてくる。彼が過去に村で起きた事故の悲劇の真相を追うなかで「加害者」と「被害者」が否応なく交わっていくのだが、そのどちらも救い(「神」)を必要としているという点で接近していくのである。そして「加害者」にはもちろん、ほかならないダニエルも含まれている。だからこの醒めた眼差しに貫かれた映画は、それぞれがそれぞれの立場からお互いを糾弾する社会にあって、だからこそそれを超越するものとしての宗教が切実に求められる様をあぶり出しているだろう。主演のバルトシュ・ビィエレニアの演技の迫真に物語の駆動部を預けているところも肝が据わっていて、気鋭監督によるずしりとした重みが残る一本。
そのヤン・コマサ監督の次作にあたるのがこちらで、打って変わってインターネット社会の闇を描いている……のだが、立場が異なる者同士が否応なくある状況に飲みこまれていくという点では共通しているかもしれない。主人公は論文の盗作が大学にバレて退学させられてしまった青年トマシュ。その後彼はSNSを利用してインターネット世論を狡猾にコントロールする企業に勤めるようになり、そこで頭角を現すことによって、片想いしていた上流階級の娘と近づこうとするのだが……。背景にはポーランド社会の急速な右傾化があり、移民排斥、人種差別、性的少数者の権利の毀損、先鋭化する反エリート主義といった現代的なトピックが並んでいく。のだが、トマシュ本人は特定の政治的信条を持たず、その空虚さによってこそゲームの支配者になっていくところが恐ろしい。そしてリアルだ。憎悪はそれを持つ人間ではなく、それを操る人間によって増幅され、やがて暴動への欲望へと帰結する……。ある意味では『ジョーカー』への東ヨーロッパからの応答と言えるが、ソーシャル・メディアのディテールが入り組んでいるところに本作の説得力がある。HBOでドラマ・シリーズ化が決定しているとのこと。
前科者が社会に戻るなかで、しかし本当にそこに「還る」ことが可能なのかを問うているという意味では、西川美和監督の本作も同様だ。監督にとってはじめて原案を持つ作品で、佐木隆三の『身分帳』をもとに13年ぶりに出所した男を中心に描いている。西川監督は1990年刊行の原作を現代に翻案するにあたって、ヤクザ組織が現代日本社会でどのような立場にあるかを念頭に置いたそうだ。そして、元ヤクザが「還る」場所はいまの日本に……ない。本作で描かれている、世間からはじかれた人間がそれでも個々の繋がりによって社会性を快復していく過程は、温かいようでいて現代日本の貧しさを突きつけている側面もある。だからこそ個人が他者とどう真剣に向き合うか(向き合えるか)という姿勢そのものが問われているし、本作もまた、そこに何かを明るいものを見出したかったのではないだろうか。初期にはシニカルさが目立った西川美和作品だが、演出の余白が増えていることも含めて、作家としての成熟がたしかに感じられる。
洗練されたオフビートとでも言おうか、その風変わりなタッチからチャールズ・チャップリン、バスター・キートン、ジャック・タチなどと比較されるエリア・スレイマン久々の新作(僕はタチを一番感じます)。イスラエル国籍のパレスチナ人という特殊なアイデンティティを持つスレイマンの作品は、代表作『D.I.』(2002)などシュールで脱臼感のあるユーモアと、一人称のエッセイを三人称的に語るとでもいうような不思議な異化作用を特徴としているが、本作でも新作映画を売り込もうとしている映画監督(スレイマン本人が演じる)の日常と旅のスケッチを音量のあまり大きくない笑いとともに描き出す。故郷ナザレの退屈な日常と、パリとニューヨークへと至る旅の道程が並べられるが、それらはスレイマン的ユーモアによって統合されていく。そして「映画監督」はパリとニューヨーク=外国に、異文化ではなくパレスチナそのものを見出していくのである。どこに行っても変わらない、ではなぜ自分はパレスチナで暮らすのか――。そういう意味で本作もまた、現代に「還る場所」が存在するのかを問うている。ショットひとつひとつのデザイン性の高さにもやられる。
コメディ・ホラー『ザ・スイッチ』の公開延期が残念な方は、みんな大好きニック・フロスト&サイモン・ペッグ(以下ニッペグ)によるこちらのテレビ・シリーズをどうぞ。今回はニッペグのイチャイチャこそ控えめなものの、とにかくニック・フロストのかわいいおっさんぶりを愛でているだけで時間が過ぎていく。さらに今回はかわいい爺さんとしてのマルコム・マクダウェルまで出てきます。ノリはいつもニッペグ風味というか、超常現象を解決するチームが仲良く楽しくやっているというユルいもので、そこにもちろんギーク・カルチャー要素も朗らかに入ってくる。そうしたオタクっぽさを、卑屈にではなく、かといって過剰に内輪ノリになるのでもなく、素朴に謳歌できるのが彼らのチャームでしょう。面白くなるのは次のシーズンからという気がしなくもないけど、まあいまは、かわいいニック・フロストをみんなで観ましょう。