「ナチ発言」でカンヌを出禁になったり『ダンサー・イン・ザ・ダーク』撮影時のハラスメントについてビョークに告発されたりと何かと問題の絶えないラース・フォン・トリアーだが、デンマークが生んだ鬼監督がそれで丸くなるはずもなく、さらなる問題作を引っさげて帰ってきた。マット・ディロン演じるシリアル・キラーが「芸術的に」繰り広げる殺人とその告白を、残虐な描写も交えて2時間半延々と見せられる。倫理的にも完全にアウト。だがこれは、映画がポリティカル・コレクトネスに怯んで縮こまっている時代への確信犯的な挑発だろう。その証拠に殺人鬼ジャックは、自らの「作品」が反倫理的であるからこそ価値を持つことを恍惚と語る。それは明らかにトリアーの過去作への言及でもあるだろう。『ニンフォマニアック』ほどユーモアや衒学性が冴えているようには思わないが、それでも死体を車で引きずる場面でデヴィッド・ボウイの“フェイム”が軽快に流れたり、ボブ・ディランの映画『ドント・ルック・バック』のあからさまな引用があったりと、妙にキャッチーな部分もあるから余計にタチが悪い。積極的に薦められる映画ではないが、トリアーの複雑にねじれた作家性や破綻した芸術論に興味のあるひと、あるいは強権的な「正義」が猛威を振るうなか、それに抗する芸術の可能性を探りたいひとは必見。
クロスドレッサー(異性装者)であることを知られたことでヘイトクライムの被害に遭い、重度の障害とPTSDを負いながらも独創的なジオラマ・アーティストとなったマーク・ホーガンキャンプのドキュメンタリーを基にして、CGの名手ロバート・ゼメキスが劇映画化。面白いのはそのストーリーテリングで、彼が自らのトラウマを克服していく過程がジオラマ内でフィギュア人形たちによって繰り広げられる荒唐無稽な空想物語とシームレスに語られることである。彼が愛するG.I.ジョーのフィギュアはタフで古めかしい男の象徴だが、彼はハイヒールを履き、また強くて賢い女性チームと共闘する。ジェンダーのステレオタイプに対する人間の複雑な欲望を描いている点でも、また、暴力の被害者がどうやって被害者感情に囚われずに加害者に向き合っていくかを考えているという点でも現代的だ。戦闘員フィギュアのG.I.ジュリー役のジャネール・モネイがまたキッチュな魅力を振りまいていて、このシュールでファンタジックな映画にポップさを与えている。……総体としてはすごく変な映画なんだけど。ゼメキスと言えば、あの車も登場。
ロバート・レッドフォードの俳優引退作として注目された本作。といってもそれを大仰なものとしない、軽やかな風合いの小品だ。監督として『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』の気鋭デヴィッド・ロウリーをフックアップしているのも、サンダンス映画祭の主宰で若手を育ててきたレッドフォードらしい。75年にわたって盗みと脱獄を繰り返してきた実在のアウトローであるフォレスト・タッカーの晩年期に扮し、世間の常識に縛られることのなかった彼の生き様を顔に刻まれた皺と背中で語ってみせる。どうしたってイーストウッドの『運び屋』との比較は避けられないのだけど、どちらも晩年期だからこそ纏える軽やかさを湛えているのは興味深い。デヴィッド・ロウリーはそんなレッドフォードを生かすのに往年のアメリカン・ニューシネマのムードを持ちこみ、趣味のいいヴィンテージ・テイストでまとめた。シシー・スペイセク、ダニー・グローヴァーといったアメリカ映画の名優たちにケイシー・アフレックが応え、しかもトム・ウェイツまでいる。こういう映画を見ると、アメリカ文化の豊かな蓄積がちゃんと生きていることを実感できて心がホッとします。
親の問題はいつだって難しい。主演ブリー・ラーソン、監督デスティン・ダニエル・クレットンという、あのリリカルな『ショート・ターム』のタッグの新作は、2005年に刊行されたジャネット・ウォールズによる自叙伝の映画化。セレブ的成功を収めた彼女がじつは各地を転々とする過酷な幼少期を過ごしていたことを赤裸々に綴ったもので、おもにアルコール中毒でロクに仕事をしなかった父親レックス(ウディ・ハレルソン)との関係を軸に描く。『ショート・ターム』でもそうだったが、身勝手な大人に振り回される子どもたちは明確に犠牲者だ。だが、そこに愛情はなかったわけではなく、むしろあったことで彼女らは苦しむこととなる。ある種のヒッピー的な家族のあり方は、最近でもたとえば『はじまりへの旅』で描かれていたが、本作はそれを美化するのでもなく貶めるのでもなく、「過酷だがひとつの選択肢」として実情を誠実に映しているように見える。こうした特殊な家族の姿とそこに宿る物語は、格差が広がり学校教育システムが問われている現在、何か重要なヒントを与えてくれているのかもしれない。
6月はLGBTQの権利や自由を訴え祝福するプライド月間なので、最後はこのドラマ・シリーズを。もともとは70年代から続くアーミステッド・モーピンによるベストセラー小説シリーズで、90年代にはテレビ・シリーズになっているもの。ローラ・リニーら一部オリジナル・キャストが役を引き継ぎ、さらなる物語の続きが描かれる。……といっても、もとのストーリーを知らなくてもちゃんと2019年に観ても楽しめるものとなっている。それは、舞台となるサンフランシスコの下宿屋をLGBTQのコミュニティとして捉え直しているからである。オリジナルから登場するゲイのマイケルはすっかりダディになっているが(ゲイ・ドラマ『LOOKING』でイケダディとして登場したマーレイ・バートレットが脱ぎまくってます)、ほかにも、トランスやクィアのキャラクターができるだけリアルな姿で描かれている。世代もジェンダーもセクシュアリティも超えた人びとが、ときに反目したり傷つけ合ったりしながら、それでもそれぞれの事情を理解し合ってともに生きていくための共同体。それはたんなる商品化された多様性ではなく、マイノリティが生きていくために必要なものであるはずだ。