観るとツナギが着たくなる映画。キャラのヘアやファッションを真似たくなる映画は、おしなべて傑作なのです。「高校生活最後の一夜」という、『アメリカン・グラフィティ』(1973)、『バッド・チューニング』(1993)、『スーパーバッド』(2007)と青春映画の名作を生んできたフォーミュラの最新版では、ビーニー・フェルドスタインとケイトリン・デヴァーの二人が弾けます。いい大学に入るため高校生活を勉強に費やした彼女たちは、遊び人の同級生も名門大学に入学すると知り、「失われた4年間を取り返す」ことを決意。呼ばれていないパーティに突撃します。ケイトリン演じる女子がレズビアンだったり、新しいシスターフッドが提示されたり、いまっぽいポイントはたくさんあれど、個人的にいちばんぐっとくるのは二人が「自分や他人を規定するもの」を壊していくところ。アイデンティティを脱ぎ捨てることで、リッチ・キッズ、シアター・キッズ、クール・キッズといった枠組みのせいで見えなかったそれぞれの素顔が見えてくるのです。それが最高にキュートで、おかしくて、優しい。『エイス・グレード』(2018)でも『セックス・エデュケーション』(2019~)でも、いまのキッズものは「スクールカースト」と呼ばれる設定が古臭くなったことを実感させてくれます。俳優オリヴィア・ワイルドが監督デビュー作にこのストーリーを選び、アニメや水中撮影、長回しと、とにかくやりたいことを詰め込んだ感じも楽しい一作。みんな、パーティクラッシャーになろう。
これは『スーパーバッド』などのコメディで登場し、シリアスな俳優として名を挙げ、ビーニーの兄でもあるジョナ・ヒルの初監督作。自分が育った90年代LAで、スケートボードにのめり込む少年の姿を描いています。思春期に、家族や学校からはみだしていく部分を受け止めてくれる世界を見つけること。そこには危険もあるけれど(特に親目線だとヒヤヒヤします)、彼は初めて自分なりの視点を持ち、世界を体験します。その感触をすくいとり、当時の音楽、ゲーム、Tシャツ、すべてを真空パックしようとするジョナ・ヒルの監督としてのシグネチャーは明確。物語ではなく、ムード、フィーリングなのです。そしてそれを体現する俳優たち。本作の少年たちは一人ひとりに孤独感とエネルギーがあって、その個性だけで引き込まれます。ジョナ・ヒルが今後ソフィア・コッポラのように、「美意識で映画を作る」方向に進むのかどうか、興味がそそられる映画。
スケーター・キッズはなぜスケーター・キッズになるのか、彼らはどう大人になっていくのか。『mid90s ミッドナインティーズ』の題材をさらに突き詰め、中流がなくなり、貧しい家庭に暴力が蔓延する現代のアメリカを背景にしたのがこのドキュメンタリー。ただ、そこにあるエモーションは70年代のスケーター文化を描いた『Dogtown & Z-Boys』(2001)からずっと一貫しています。つまり自分ではどうしようもない家庭の事情や世間のルールに縛られたキッズが、スケートボードを通して身体やテクニックという「コントロールできるもの」を見つけ、それによって解放され、仲間とシェアする喜び。だからこそスケーターのフッテージには自由と快感が満ちているのです。本作は中国からの移民であるビン・リューが10代の頃から撮っていた映像に、故郷の友人キアーとザックへの取材を重ねた、ごくパーソナルな初監督作。人種の違う三人が仲間となり、お互いのなかに自分を見ながらも、人生との向き合い方で決定的に別れていく。その痛み、悲しみ、そして強さに心を揺さぶられます。ごく個人的なポートレートが、さまざまな要因で分断され、壊れたアメリカを映し出すのも圧巻。暴力にフォーカスしたところにビン・リューの勇気と知性を感じます。
自分がジャック・ロンドン原作の映画にハマるなんて想像もしませんでした。彼の自伝的小説の舞台を20世紀ナポリに移した『マーティン・エデン』。大河ロマンの味わいと、主人公になりきったルカ・マリネッリの魅力に浸る129分。労働者階級の船乗り、マーティン・エデンは令嬢エレナと知り合い、文学に傾倒し、働きながら独学で作家を目指します。恋と苦悩、社会主義への傾倒、そして成功をつかみながらも芸術性を見失っていくアーティスト像。古風でダイナミックな物語ながら、ピエトロ・マルチェッロ監督は昔のイタリアの記録映像をサンプリングのように挟み、繊細でモダンな映像作品にもなっている。どの場面にもワイルドな美しさがあるのです。『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(2017)や『オールド・ガード』(2020)でも話題になった主演のルカ・マリネッリは、どんな役でも強度を持つ俳優。本作では前半と後半で様変わりする男性を野性的に演じています。昨年のヴェネツィア映画祭で『ジョーカー』のホアキン・フェニックスを差し置いて男優賞を受賞したのにも納得。
『ボルグ/マッケンロー』(2017)や『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』(2019)など、ここ数年のインディ映画でキャリアを復活させたシャイア・ラブーフ。そのきっかけともなったのが、『ハニーボーイ』の脚本。元々は依存症のリハビリ施設で、子どもの頃の自分と父親の関係を振り返って彼が書きはじめたものだとか。オーティスは人気シットコムの天才子役。彼とステージパパの二人がモーテルで暮らす生活と、すべてがフェイクの撮影セットが交互に登場しながら、オーティスの時間軸も交錯します。その二重性に重なるのが、「痛み」も「愛」と受け取ってしまう父と息子のダブルバインド。いま俳優として自らの父親を演じるシャイアからも、その錯綜が伝わってきます。幼い頃のオーティスにノア・ジュプ、青年になったオーティスにルーカス・ヘッジズ、モーテルに住む少女役にFKAツイッグスと、周りも才気あふれる若いキャストが揃っています。愛憎含むストーリーに、アルマ・ハレル監督によるファンタジックな映像がよく似合っている。