『ブラック・パンサー』、『オーシャンズ8』、そして本作と、2018年はこれまで映画興行においてもマージナルとされてきた人々のレペゼン映画がヒットしています。2013年のベストセラー『クレイジー・リッチ・アジアンズ』の映画化は、ハリウッドで25年ぶりのオールキャスト・アジア人。とはいえそこに至るまでに、著者ケビン・クワンは主人公を白人女性にする提案を何度も断り、劇場公開にこだわってNetflixのオファーも却下。実際、アメリカで育った中国系二世の女性と、シンガポールの財閥を守る女性の価値観がクラッシュする話なので、ホワイトウォッシュは言語道断(その意味で邦題も残念)。しかも作りは徹底してエンタメで、初志貫徹の全米1位を飾りました。NYの大学教授レイチェルは明るく気さくなアメリカ娘。恋人の家族と会うためシンガポールに飛んだら、なんと彼が御曹司なのが発覚! 金と野心満々の人々に囲まれ、アイデンティティ・クライシス! そのドタバタと超富裕層のとんでもないリッチぶりがコミカルに描かれます。アジアの富豪の振る舞いには欧米エスタブリッシュメントの横面を張るところがあり、エキゾチシズムに加え爽快感も。原作がジェーン・オースティン文学に例えられるように、女性の細やかな心情描写が物語のハート。
同時に、Netflixの軽いラブコメのヒロインがアジア系の女の子、というのもフレッシュで嬉しい。こちらは原作がジェニー・ハンのYA小説『To All The Boys I've Loved』。ハンも主人公ララ・ジーンを白人にする企画を何本も断わったそうです。ララ・ジーンは恋愛小説好きで、片思いするたびに出さない手紙に思いを込めてきた高校生。その手紙がなぜか全部発送されてしまい……という他愛ない話ながら、出てくるキャラがみんな圧倒的にチャーミング。端々からララ・ジーンが韓国系だとわかっても(ちなみに演じるラナ・コンドルはベトナム生まれ)、それが特に強調されることもなく、良質なティーン・ムーヴィとしての魅力を放っています。最近のティーンものではお決まりのジョン・ヒューズ・トリビュートも登場。いまのキッズが名作『すてきな片思い』(84)を観ながら、「このキャラは差別的だよね」と会話し、それでも映画としては大好き!――という場面に泣きました。『13の理由』のようなシリアスさも重要だけれど、こんなふうにカジュアルな日常で何をどう認識するのか、見せるのも大事だと思います。
音に反応する「何か」に支配された世界で、静寂を守りサヴァイヴァルする一家。そこには開拓時代に戻ったような生活と、闘いがあります。実際、映像の工夫や伏線の回収の早さはモダンながら、どこかクラシックなアメリカ映画の趣も(引用はテレンス・マリックの『天国の日々』)。そこに「絶対音を立てない」というルールを持ち込み、映画館の観客に緊張を共有させたことで、優秀なホラー・ライドとなりました。緩急のあるダイナミズム、細やかな家族の描写とショッキングな場面の交差。監督/主演はジョン・クラシンスキー、共演に妻のエミリー・ブラント。ここにはブラントとともに育児をするクラシンスキー自身の緊張や恐怖も反映され、それが危険な外界に素手で立ち向かう父母像にリアリティを与えています。ただホラーのヒット作がつねに時代の恐怖を映しだすように、「静かな場所」には「声を上げたら抹殺される」といういまの不安も汲み取れるかも。長女を演じるミリセント・シモンズが『ワンダーストラック』(17)に引き続き、別格に素晴らしい。
二色に染め分けた髪、ポップな装いのアニエス・ヴァルダ。ゴダールのように決してサングラスを外さないJR。撮影当時87歳の映画監督と、33歳のアーティストのデコボコな旅は自由で楽しく、フランスの地方に住む人々の姿をアートとして映像と記憶に残していきます。二人が乗るのはフォト・トラック。ある場所と人に出会うと、彼らは顔を写真に撮り、現像して大きく引き伸ばし、その場でインスタレーションにします。すると普段は見過ごされているストーリーが立ち上がって、そこで暮らす人々に伝わる。工業地帯で働く人たちの集合写真や港湾労働者の妻の姿がストリート・アートになったときには、これまでの映画では感じたことのないパワーを感じました。控えめだけれどポジティヴで、親しみやすい美しさ。移ろいゆくものをいっとき形にするということ。『落穂拾い』(00)以降のアニエス・ヴァルダの近作も、これまでにない映画の領域という気がします。ドキュメンタリーというよりは軽やかなエッセイのようで、好奇心を持って人々を映しながら、それはヌーヴェルヴァーグ以前から活動してきた彼女の個人史を振り返るものでもある。本作でも後半はヴァルダの記憶をたどる場面が増え、その先に驚きの結末が待っています。『はなればなれに』(64)のルーブルの場面も再現。
ダフト・パンクら大勢のアーティストから愛される異端のアーティスト。ジャンルをまたぐ音楽性。かと思えばごくシンプルで美しいピアノ。挑発的なキャラクター。一時日本ではキッチュなマーケティングをされたこともあって、チリー・ゴンザレスというアーティストの情報はどうしても断片的で、一部の作品やライヴだけではなかなかイメージをつかみにくく、しかも彼自身変化しつづけている。私も初公演を観た時は正直、戸惑いました。でもこのドキュメンタリーを観れば、たとえそれが本作における彼の「パフォーマンス」であるとしても、一貫したコンテキストがつかめてくる。一切私生活を見せないという縛りはあっても、彼のルーツや背景、それぞれの局面での記録映像によって、チリー・ゴンザレスのデフォルメされた姿と個人が結びついてくるのです。なかでもケベックからベルリンに渡った頃、ピーチズとの前衛でアングラな映像がハチャメチャで最高。彼のバカバカしさやライヴであえて作る「居心地の悪さ」は、心に響くピアノ・ソロ作品と同じくらいパーソナルなものの発露なのだと実感できました。表層がすべて、なのです。