チャーリー・XCX“ボーイズ”に合わせ、鬱憤を晴らすように踊りまくるサラリーマンの集団。クラブの椅子席には酔い潰れた女。男たちのなかでも良心的な一人が、彼女をタクシーで送っていくが——そんな場面で始まる『プロミシング・ヤング・ウーマン』。Netflix『ザ・クラウン』のカミラ役、『キリング・イヴ』シーズン2の脚本家で知られるエメラルド・フェネルの初長編監督作です。ある事件によって人生を変えられた女性、キャシー(キャリー・マリガン)の復讐劇は、何よりもレイプ・カルチャーの現実を突きつける。それはキャシー個人の物語ではなく、「前途ある若い男性」が裁判で放免されることをもじったタイトルが示すように、性暴力を容認する社会の構造。登場人物は男女を問わずその加担者です。甘くキュートなプロダクション・デザイン、女性シンガーによるポップ・ソングの多用も、文化によるシュガーコートを示唆するのかも。実際、ある場面ではブリトニーの“トキシック”の不吉なトーンが際立っています。ここではキャシーが恋愛に再生を求めても、観客が彼女の意趣返しを求めても、エメラルド・フェネルは与えてくれない。最後の展開にもかなりモヤる。ただ、それはこの映画をすかっと消費させようとしない強い意志なのかもしれません。キャリー・マリガンの演技の冴えはもちろん、ボー・バーナム(『エイス・グレード』監督)の「理解ある恋人」役が怖い。
ブローティガンの小説『愛のゆくえ』をはじめ、中絶のために旅をするストーリーが多いのは、それがいまだタブーだから。17歳のオータム(シドニー・フラナガン)はいとこのスカイラー(タリア・ライダー)にしか妊娠を打ち明けられず、親の同意が必要なペンシルバニアからニューヨーク・シティへと向かいます。オータムの義理の父、二人が働くスーパーの店長、中絶反対派の医師。周りには彼女たちを絶望させるような大人ばかりで、オータムが無口な理由がだんだんわかってくる。彼女は大きな孤独を抱えているのです。長距離バスで、ホテルにも泊まらず夜を過ごすNYで、ティーンエイジャーたちが過ごす時間の長さ。スカイラーはオータムに比べて外交的で、女性としての魅力を利用する術も知っていますが、彼女がそれを覚えた経緯も考えさせられてしまう。観る方はただ、二人の痛みを共有するしかありません。監督は『ブルックリンの片隅で』(2017)でゲイの若者の生活をリアルに描いたエリザ・ヒットマン。暗闇と人工的な光で埋められた画面が、最後に一瞬だけ変わります。
モノクロの美しい映像や題材によって、キュアロンの『ローマ/ROMA』(2018)をふと思わせるものの、この映画にノスタルジアはなく、人々の苦痛をロマンティシズムで覆おうともしません。1980年代のペルーで子どもを出産する先住民の女性、ヘオ(パメラ・メンドーサ・アルピ)。けれど無料と言われた産院で、赤ん坊はいきなり彼女の手から連れ去られてしまう。夫とともに警察や裁判所を回っても、有権者番号のない夫婦は門前払いされるだけ。メスティーソの新聞記者、ペドロ(トミー・パラッガ)だけが事件を調べはじめます。人身売買、人種差別、政府の腐敗、テロ組織、そして同性愛者の葛藤まで。さまざまな出来事とそれを生んだ状況が絵画のようなスタンダード画面に映され、でもあくまで厳格に綴られていきます。深い哀感とともにペルーの社会を描くのはメリーナ・レオン監督。歌を歌い継ぐのは、名前も忘れられた人々だという主張が静かに伝わってきます。
ココ・シャネルその人についての55分のドキュメンタリー。2019年の本作では女性をコルセットから解放し、革命を起こしたデザイナーとしてのプロフィールだけでなく、そのために彼女が取った手段や計算といった側面も描かれています。数多い恋愛やセレブな交友関係もそれに準じている。おそらくもっともスキャンダラスなのは、第二次世界大戦中/戦後のナチスのシンパとしての顔。よく知られた曖昧な関係だけでなく、文書や証言によって彼女の行動と役割が明かされます。その前後にはユダヤ人のビジネス・パートナーとの軋轢もある。それによってシャネルの闘いの意味が薄められることはないものの、複雑さも語られるべき女性だったことがわかります。晩年は「時代遅れ」とされたことなど、いまでは書き換えられた事実もある。個人的には、フランス人からすると「機能美によってアメリカで売れたデザイナー」という見方があることにはっとしました。史上有数の成功をつかんだ、どこまでも孤独な女性像。
北欧の犯罪ミステリからは新たな傾向が生まれてきます。デンマーク作品『インベスティゲーション』の題材は、切断された女性の死体が発見された有名な事件。ただこのドラマはそのセンセーショナリズムに徹底的に抵抗する作りになっている。被害者の職業や事件の経緯は説明されるものの、彼女の姿は映されず、ドラマにありがちな死体へのフェティッシュも一切なし。殺人者に至っては、顔どころか名前も出てきません。だいたい快楽殺人、連続殺人の動機や心理を探るのは、そこに興味深いものがあるからではなく、人々が見たがるから。大抵は非人間的で浅薄なものしか出てこない。現在の「犯罪を消費させない」という流れに沿うなら、この禁欲的アプローチに納得します。ただこれまではそうしたドラマにおいても刑事や警官のキャラクターを立たせていたのが、『インベスティゲーション』ではそれも最小限に抑えている。ソーレン・マリン演じる捜査主任の娘との関係は描かれるものの、基本は少しずつ進展する捜査、煩雑な手続き、新たな手がかりなどの過程が淡々と映されるだけ。でもそこから、関係者や遺族の心情が浮かび上がってきます。普段見ている犯罪ものがどれほどお手軽に作られているかを再認識させる一作。