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  • 13th -憲法修正第13条-(2016) directed by Ava DuVernay by TSUYOSHI KIZU June 09, 2020 1
  • ルース・エドガー(2019) directed by Julius Onah by TSUYOSHI KIZU June 09, 2020 2
  • WAVES/ウェイブス(2019) directed by Trey Edward Shults by TSUYOSHI KIZU June 09, 2020 3
  • その手に触れるまで(2019) directed by Jean-Pierre & Luc Dardenne by TSUYOSHI KIZU June 09, 2020 4
  • ペイン・アンド・グローリー(2019) directed by Pedro Almodóvar by TSUYOSHI KIZU June 09, 2020 5
  • BlackLivesMatterについて考えるための近年における映像作品は、『ゲット・アウト』(2017)、『私はあなたのニグロではない』(2016)、『ビール・ストリートの恋人たち』(2018)、『ブラインドスポッティング』(2018)、『黒い司法 0%からの奇跡』(2019)など枚挙にいとまがないが、2016年に発表された――2016年9月の、大統領選直前のタイミングである――本ドキュメンタリーは、その背景の構造的な問題を端的に示している。監督は、のちに『ボクらを見る目』(2019)の制作、監督を務めるエイヴァ・デュヴァーネイ。Netflixで観られるのはもちろんのこと、現在(2020年4月~)Youtubeでも全編視聴可能なので(日本語字幕もつけられる)、このタイミングでこそ観てほしい作品だ。とりわけ本作において重要なのは、2010年代なかばのBlackLivesMatterを検証するために奴隷解放宣言にまで遡り、黒人を犯罪者に仕立て上げることで労働力を確保していた史実から明らかにしている点だ。そしてその後、ニクソン政権、レーガン政権、ブッシュ政権、さらにはクリントン政権下で形を変えながらその構造が温存され続けたのだと。そこには差別を利用することで莫大な利益を得てきた企業と、それと癒着してきた政治がつねに存在し、そしてこの映画のあとに誕生したトランプ政権以降もそうした構造が消えるどころか、ますます強権化している様をわたしたちは目の当たりにしている。そして2020年5月25日、白人警官に押さえつけられて「息ができない」と訴えたジョージ・フロイドが死亡した。殺害されたのである。BlackLivesMatterはその横暴と不平等との闘いであり……、本作に登場する発言を引用すれば、「特定のリーダーも拠点も存在しない活動だ。社会現象だから銃で止めることはできない。そこに希望がある」。

  • いっぽうで本作は、マイノリティが押しつけられがちな「優秀さ」というレッテルが引き起こす問題をあぶり出すサスペンス。BlackLivesMatter以前に作られたというJ・C・リーの戯曲をもとにしているが、驚くほど現代的な主題を孕んでいる。エリトリア出身の高校生ルース(ケルヴィン・ハリソン・Jr)は白人のカップルを養父母に持ち、学業にもスポーツにも秀でている「優等生」だが、歴史教師のハリエット・ウィルソン(オクタヴィア・スペンサー)とある事件を機に対立していき……というところから、「将来を嘱望された黒人少年」という像自体がいかにマジョリティ側にとって都合のいいものであるかを浮かび上がらせていく。(人びとはオバマの向こう側に何をみているか? を考えてみるといいかもしれない。)とりわけリアルなのは、「模範的に」振る舞わなければ社会から見放されてしまう現実をイヤというほど知っている教師ウィルソンがかえって抑圧的に振る舞ってしまうという構造で、ルースは本作のコピーにあるような「怪物」などではなく、ただただ社会のプレッシャーに押しつぶされそうなひとりの少年に、僕には見えたのだった。

  • そんな風に感じたのは、先にトレイ・エドワード・シュルツ監督による「ミュージカル」である本作で、まさにプレッシャーに押しつぶされようとしているケルヴィン・ハリソン・Jrの姿をハラハラしながら見ていたからかもしれない。ここで彼が演じるのは、レスリングの花形選手として期待をかけられた高校生タイラー。彼は父親につねに強くあることを要求され、弱音を吐くことが許されない。それが鬱屈として蓄積されていき、そして……。舞台をフロリダにしている点や色彩のタッチなどから連想されるのは『ムーンライト』で、同作以降の(黒人男性における)マスキュリニティ(男性性)を主題にしている。全編でいまのアメリカの若者が聴いているようなポップ・ミュージックが流れるのだが、タイラーがその「男らしさ」を誇示する場面でカニエ・ウェストやケンドリック・ラマーが流れるのは象徴的だ。映画は二部構成になっており、追いつめられたタイラーがある事件を起こすまでを描く前半と、妹エミリー(テイラー・ラッセル)を中心に家族がその事件に向き合っていく過程を描く後半とに分けられている。そして、そこで立ち上がる痛みや弱さ――「男らしさ」に抑圧された弱さ――に寄り添う音楽は、何よりもフランク・オーシャンの甘い歌である。

  • ダルデンヌ兄弟監督の作品が少し変わり始めたと感じたのは、『少年と自転車』(2011)辺りだっただろうか。よりシンプルな作劇で社会で起きていることの核心を突きつつ、それでいて人間の尊厳を諦めていないことをより前面に出しているような……同作以来の「少年」を主人公にした本作もまた、老齢の兄弟監督が現代社会とこれからについて真摯に向き合っていることを示すものだ。ベルギーに住み、過激なイスラム指導者の影響で次第に狂信的な考えに拘泥するようになった13歳の少年アメッド。少年はやがて自分の恩人であったはずの女性教師を「聖戦の標的」と見なすようになり、凶行に及ぶこととなってしまう。カメラはこれまでのダルデンヌ兄弟の作品同様に対象をただ辛抱強く追うばかりで、わたしたちは息を呑んで見守ることしかできない。どうか考え直してくれ、と。それはもちろん監督の想いでもある――この世界の混沌に対して、映画に何ができるだろうか。どこまでも静かにスリリングなラストで立ち現れるのは、そして、ダルデンヌ兄弟監督が映画をどうしようもなく信じているということだ。

  • 長年アルモドバルの映画を観てきたことが、こんなにも美しく祝福される幸福に涙を禁じえない。身体と精神の衰えに苛まれる老監督サルバドールは明らかにアルモドバル自身の姿であり、彼が自らの過去と根底から和解していく物語に最高のアントニオ・バンデラスとペネロペ・クルスーーアルモドバルの二大ミューズーーがいることに、どうしたって感傷的な気持ちになってしまう。映画を観ること、映画を作ることはサルバドール=アルモドバルにとって、欲望であり、教育であり、苦しみの源であり、愛する者たちと心を通わせることであり、傷つけ合うことであり、人生のすべてであったと……、たったそれだけのことが、アルモドバルの集大成とも言える完成度の脚本と演出で示される。「痛みと栄光」。――思えば、アルモドバルの映画はこの世界から抑圧されていた欲望を、どこまでも鮮烈な色彩とともに解放し続けてきた。この映画でアルモドバルは、自らを突き動かしてきた欲望それだけでなく、世界中のエロスを眩い陽光の下へと連れて行ってしまうのだ。

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