こちらの連載企画を読んでもらえばわかる通り、既に15年にも及ぶ長いキャリアのなかで、カリブーことダン・スナイスは「多面体音楽生物」と名付けたくなるくらいに様々な音楽性を身にまとってきた。だが、その豊饒な音楽的道のりにおいて最も大きなターニング・ポイントとなったのは、やはり前作『スウィム』だろう。それまでは箱庭的なエレクトロニカの延長線上で様々に食指を伸ばしてきた感のあるカリブーだが、このアルバムからは活況を呈するポスト・ダブステップ以降のUKクラブ・シーンに傾倒。サマー・オブ・ラヴへとタイムスリップしたような前々作『アンドラ』ではやや時代との接点が見えにくくなってもいたが、『スウィム』では肉体性とモダンなサウンド・デザインを獲得し、再びシーンの前線へと舞い戻ってみせた。
その後、すっかりDJとしての活躍が目立つようになった彼は、新たにスタートさせたダフニという名義で完全フロア・ユースのダンス・トラックを次々と発表。2012年には既発12インチと未発表曲をまとめた『ジャオロン』という編集盤までリリースしていて、遠く日本から見ていても、「とにかく今のクラブ・シーンに夢中!」といった様子が伝わってくるのは微笑ましいほどだった。
カリブー名義では4年ぶりの新作『アワ・ラヴ』は、全体の半数近くでハウス・ビートを援用しているという意味では、『スウィム』以降の流れを汲む作品。しかし、フロア向けの曲はダフニで一旦やり切ったということなのか、このアルバムではむしろソングライティングとメロディに軸足が移っている。
「ビッグ・フェスティヴァル向けに書いた」と公言している“キャント・ドゥ・ウィズアウト・ユー”は紛れもないダンス・トラックだが、この曲で最も耳を引くのは当たり障りない4つ打ちのキックではなく、ドラマティックに高揚していくシンセサイザーのメロディと甘く切ないヴォーカルのリフレイン。幾つかの曲では最近のR&Bのプロダクションに影響を受けたと話しているが、おそらくそれに該当する“セカンド・チャンス”や“シルヴァー”なども、R&B的なグルーヴというよりユーフォリックなシンセと歌が主役だ。ダフニ名義の作品に近いトライバルな“マーズ”はやや例外的ではあるものの、本作を聴き終えた時に印象に残っているのは、総じてリズムではなく上モノの美しさだろう。
しかし、このアルバムはただメロディアスで心地よい、というだけではない。これまでは良くも悪くも「聴き流しやすい」作品を作りがちだったカリブーが、本作ではいつになくエモーションの深さを感じさせるのは特筆に値する。このアルバムでは初めて自分のヴォーカルに過度のエフェクトをかけるのをやめ、リリックでは意識的に意味のあるストーリーを描こうとしたというが、そのように自身の心情やパーソナリティを臆することなく押し出す姿勢に変わったことが、ある種のエモさを感じさせる結果になったのかもしれない(ちなみに、ライナーでは歌詞の内容からハートブレイク作と位置付けてしまったが、後半の失恋歌は「友達の話」だそう)。心情の吐露とは無縁に無邪気に音と戯れ、どこかこざっぱりとしていた初期の作風と較べれば、これはかなりの変化ではないか。
アーサー・ラッセルにインスパイアされ、音の位相を細やかに決め込んでいた『スウィム』に較べると、プロダクションの面白みは少ない。ビートもやや単調に思える。しかし、シンガー・ソングライター的な内面性を美しいメロディに昇華することに初めて成功した本作は、彼の作家としての確かな成長が刻まれた作品と捉えたい。
15年近くに渡るダン・スナイスのこれまでの歴史は、常に変化と共にあった。初期のマニトバ名義からカリブーへの改名。2007年作の『アンドラ』における、IDM~フォークトロニカから60年代風の生音サイケデリック・ポップへの変貌。2010年リリースの『スウィム』で見せたディープ・ハウスやテクノといった四つ打ち主体のダンス・ミュージックへの傾倒。そして、自分のDJセット用に製作したトラックをまとめたダフニ名義でのダンス・アルバム『ジャオロン』を挟み、前作から4年振りにリリースされたのがこの『アワ・ラヴ』である。
音楽的な面では、『スウィム』~『ジャオロン』の流れを汲むクラブ・ミュージックを基調として、『アンドラ』に顕著だったドリーミーなメロディ、初期作に通じる精緻なエレクトロニック・レイヤーなどが次々と顔を覗かせる、ある意味集大成とも言うべき内容となっている。翻って言えば、カリブーのディスコグラフィの中では、音楽的な変化による驚きが最も少ない作品のようにも思える。しかし、ここにも確実にダン・スナイスの4年分の変化は反映されている。それは音楽的な側面というよりもむしろ、もっと人間的な面での成長であり、変化だ。
本作における変化の端緒は、言葉の面でもっとも顕著に示されている。『アワ・ラヴ』というこの上なくシンプルなアルバム・タイトルや、1曲目の「あなたなしではやっていけない」というラインに代表される、かつてないほどにストレートな歌詞。これまでの作品では彼や彼女といった三人称が頻繁に使われていたが、本作では明確に二人称=Youの登場頻度が増え、IとYouの間にある関係性や物語が中心として綴られている。つまり、この最新作でのダン・スナイスは、これまで以上に自分ではない他者の存在を強く意識し、より直接的なコミュニケーションを図ろうと試みているのである。
ダン・スナイスが本作における影響として語っている点は、大きく言って2つある。1つ目は、『スウィム』のリリース後に誕生した娘の存在。娘の誕生は日々のライフ・スタイルに大きな変化をもたらしただけでなく、自分ではない誰かに捧げる無償の愛の存在を実感させたに違いない。しなやかでソフトな音像に統一された本作のプロダクションからは、父親となった今だからこそ内面から滲み出る慈愛のようなものさえ感じさせる。
もう1つの影響元は、DJやライヴ活動によって身に染みついたフロアの現場感覚である。『スウィム』の成功に伴ってクラブやフェスへの出演機会が大幅に増えたことにより、オーディエンスとプレイヤーの間で交わされる音とダンスを通じたコミュニケーションが彼に与えたインスピレーションは大きい。とは言っても、ここで追求されているのはダンス・ミュージックとしての機能性ではなく、より抽象的なフロアの多幸感であり、それが本作に一回り大きなスケールと開放感を与えていると言っていいだろう。
音楽性の違いはあれど、これまでのマニトバ~カリブーのアルバムはどれもダン・スナイスという孤高の天才の脳内を覗き見ているような、箱庭的で密室性の強い作品ばかりだった。しかし、本作はこれまでのどの作品とも違い、ダン・スナイスから様々な「あなた」に向けて届けられた、初めてのレコードなのだ。