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ADORE LIFE Savages (Hostess) by AKIHIRO AOYAMA
JUNNOSUKE AMAI
January 29, 2016
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ADORE LIFE

ロックの魅力を甦らせたウィメン・イン・ブラックは
カウンターカルチャーなき世で「愛」に思索を馳せる

「世界はかつて静かだった/今そこにはあまりにも多くの声が溢れている/その騒音が常に心を惑わせる」

サヴェージズのデビュー作『サイレンス・ユアセルフ』のアートワークには、バンドのポートレートと共に、ジェニー・ベス(Vo)の手による詩があしらわれていて、その詩は上記のような言葉から始まる。この詩は、サヴェージズからノイズだらけの現代社会に向けて送られた、鮮烈なマニフェストだった。性急なライヴ感と共に疾走する、骨身だけのポストパンク・サウンド。世界への憤りに満ちた、ジェニー・ベスの思索的かつ扇動的な言葉。それを鳴らすのは、全身を黒で固めた4人の女だ。ノイズばかりが織り重なる現代社会に抗うように、余計な装飾を一切排した彼女たちの音/言葉/佇まいは、長らく忘れられていたロックの持つカウンターカルチャー的な魅力を甦らせ、それは瞬く間に世界中へと伝播していった。

それから3年経ち、届けられたのが本作『アドア・ライフ』である。「人生を崇拝する」という意味のアルバム・タイトルと、真っ直ぐ上に突き上げられる堅く握られた拳。それがサヴェージズの新たなマニフェストの象徴だ。コペンハーゲン出身のエレクトロニック系プロデューサー、トレントモラーのミキシング参加などの新たなレコーディング環境下で練られたサウンドは、丹念なスタジオ・ワークによって洗練された音色に。音楽的にも、PJハーヴェイを思わせる“スロウイング・ダウン・ザ・ワールド”やハードコアなパンク・ナンバー“T.I.W.Y.G.”など、ポストパンクに留まらない参照点が垣間見える楽曲が増えた。ここで彼女たちは、禁欲的なアティチュードを用いて世界にただ抗うだけではなく、より肯定的な世界観へと足を踏み入れている。

本作のリリースに際してマニフェストとして発表された、「It’s About~」から始まる20行超の詩は、最後に「愛が答え」と締め括られる。この言葉はリード・シングル“ジ・アンサー”でも繰り返され、本作の他の楽曲でも「Love」という言葉が頻出することからも分かる通り、本作のもっとも重要なテーマは「愛」だ。とは言え、それは現代社会に対する違和感や憤りを叫んでいた前作から手を翻して、無邪気に愛の尊さや素晴らしさを称えるような、生ぬるい代物ではない。

例えば“サッド・パーソン”では、「愛は病気で/私が知る限りもっとも強い依存症/頭の中で起こっていることは/ヘロインを使った時の興奮と同じ」と歌われ、“T.I.W.Y.G.”でも「愛と関わるとこうなる/暗闇の中で迎える朝/嵐の目/神々から与えられた苦痛/薬もドラッグもない」と似通ったテーマのリリックが登場する。ここには、愛がもたらす苦痛、独占欲や嫉妬といったネガティヴな感情も込められ、「愛が答え」という確信に対する己の迷いや逡巡までもが包み隠さず曝け出されている。

冒頭の段で、サヴェージズ登場時の魅力を「カウンターカルチャー的」と書いたが、残念ながらロックがカウンターカルチャーだった時代は、とっくの昔に終わっている。あれだけ世界中で絶賛されたサヴェージズが大したフォロワーを生むことなく、ムーヴメントの牽引者ではなく孤高の存在として認識されていることも象徴的だ。いやむしろ、ロックだけでなく、カウンターカルチャーの存在自体がいまや過去のものになったという方がより正確なのかもしれない。では、カウンターカルチャー亡き時代に、ロックが出来ること、やるべきことはあるのか、あるとすればそれは一体何なのか? その問いに対して彼女たちの辿り着いた答えこそが、人類の歴史にとってもっとも普遍的かつ謎めいた「愛」について、思索を馳せることだったのだろう。そして、その成果である本作は、3年前と同様に、ロックという音楽にしか見いだせない魅力を再び我々に教えてくれる。

文:青山晃大

鋼色のラヴ・ストリームス

スリーター・キニーのディスコグラフィでたとえると、デビュー・アルバムの前作『サイレンス・ユアセルフ』が『ディグ・ミー・アウト』なら今作は『ザ・ウッズ』、だろうか。もっぱらジョイ・ディヴィジョンを引き合いに出された登場時からすれば、今作を聴き終えて残る耳触りはスワンズかバースデイ・パーティのそれにも近い。ソリッドでファストなポストパンクにスタイルの軸足を置きながら、ポスト・メタルやニュー・インダストリアルも横目に上積みされた音全体の重量感。モダン・ロックの先鞭をつけたアラン・モウルダーやフラッド辺りのプロデュース・ワークも想起させつつ、不協和音とギター・ノイズが織りなすサヴェージズのモノクロニズムは銀残しのように荒々しさと深い奥行きを増した。リード・トラックに選ばれた2曲――ミニストリーが演奏する“黒い天使の死の歌”を思わせる“ジ・アンサー”とサヴェージズ流のサッドコア“アドア”は、そうした今作の傾向を雄弁に伝えて余りある。

もっとも、音楽の志向じたいに方向性の大きな変更があるわけではない。前出の2曲が物語る飛躍や発展も、あくまで『サイレンス・ユアセルフ』の延長線上にある。その証左は、サヴェージズ以前/以外のキャリアにも基づく彼女たちの硬軟巧みなソングライティングや演奏を示していた過去の“ウェイティング・フォー・ア・サイン”や“ストライフ”に当たれば明らかだろう。『サイレンス・ユアセルフ』はスタジオ・ライヴを録音した作品だったが、対して、よりラウドでインテンスなサウンドを求めて曲作りがスタートしたという今作はいわば、そうしたライヴのテンションやダイナミクスをも通常のスタジオ・ワークを通じて再構築し得た作品、という評価もその出来栄えにはふさわしい。そして、“スロウイング・ダウン・ザ・ワールド”のようなロッカバラード風も様になるグルーヴィで胆力にあふれた演奏は、やはり場数を重ねた経験と鍛錬の賜物と言うべきか。とりわけ、その手綱を握るしぶとくて粘り強いドラミングを始め、かたや“ジ・アンサー”や“T.I.W.Y.G.”ではソー・ハリスのように叩きまくるフェイ・ミルトンのプレイの手数と幅は括目に値する。

『サイレンス・ユアセルフ』に引き続きプロデューサーを務めるジョニー・ホスタイルは、もはやサヴェージズの第五のメンバーといっていい存在なのだろう。なかでもジェニー・ベスとの関係はサヴェージズ以前に遡るほど長く、そのホスタイルも参加するプロジェクト、HTBでベスが追求する歌唱とスポークン・ワードを往来するような唱法は今作でも“アイ・ニード・サムシング・ニュー”等で聴くことができる。さらに、今作では新たにデンマークのエレクトロニック・アーティスト、トレントモラーの名前がミキサーにクレジットされていることも興味深い。トレントモラーといえば、ロウやブロンド・レッドヘッドのメンバーを招いて話題を集めた一昨年のアルバム『ロスト』が記憶に新しいが、そこで提示されていたミニマル・テクノやインダストリアル、トリップホップ等へと横断する志向は、今作が披露するサウンド面の多様性にも少なからず影響を及ぼしているのかもしれない。スロッビング・グリッスルとスラッジとクラウト・ロックを節足化した“サレンダー”は今作の白眉だが、“メカニクス”の沈降し漂うようなダーク・アンビエントも得難い。あるいは、前出の“スロウイング・ダウン・ザ・ワールド”しかり全編を通じて底上げされた演奏力の背景には、昨年作品化されたボー・ニンゲンとの素晴らしいコラボレーションも思い起こされて然るべきだろう。

今作でジェニー・ベスは「愛」について歌っている。そのことは今作で見せる彼女たちの新たな側面――そういう意味では今作はアイスエイジの『プロウイング・イントゥ・ザ・フィールド・オブ・ラヴ』と並べられるべきなのかもしれない――なのだが、しかし、トゥーマッチなラヴ・ソングの類はここでは周到に回避されている。歌詞こそストレートだが、愛という「結果」ではなく「過程」へのひたむきな考察が、何層にもレイヤーを重ねレンジを広げたサウンドとの相乗、あるいは相克を通じて示唆されている。「私は人生を崇拝している/あなたはどうなの?」と喉をかきむしって最後、轟音のなかへと消える“アドア”を聴きながら、映画『ポーラⅩ』で血の濁流に呑み込まれて流されていく恋人たち、ギョーム・ドパルデューとカテリーナ・ゴルベワの姿を想った。

文:天井潤之介

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