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AFTER HOURS The Weeknd (Universal) by KOREMASA UNO
MASAAKI KOBAYASHI
May 20, 2020
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AFTER HOURS

「最高傑作」の宣伝文句に偽りなし。2010年代初頭のカルト・
ヒップスターからショービズ界の寵児への軽やかな/血の滲む転身

パンデミックが本格化し始めた2020年3月20日にリリースされた『アフター・アワーズ』。「ビルボード・アルバム・チャートで4週連続1位」「来年のグラミー最有力候補」といった北米発信の景気のいいニュースに目を奪われている隙に、本作のリード・シングル“ブラインディング・ライツ”はシャキーラ“ヒップス・ドント・ライ”(2006年)とエド・シーラン“パーフェクト”(2017年)が保持していた連続1位記録を更新して、ヨーロッパ全土のラジオ・チャートで21世紀最大のヒット曲となっていた。もしロックダウンがされていなかったら、きっとヨーロッパのどの国のどの街を訪れても、「もうええっちゅうの!」とキレたくほどあのペラッペラなシンセのリフを耳にすることになっただろう。

『スターボーイ』におけるダフト・パンク、『マイ・ディアー・メランコリー、』におけるゲサフェルスタイン。思えば、近年のザ・ウィークエンドのアルバム、EPのサウンドデザインを決定づけてきたのは、いずれもフランスのエレクトロニック・ミュージックのクリエイターだった。そこにそれ以前の彼のグローバル・ヒットチューンの多くを手掛けてきたマックス・マーティンを加えれば、「ミックステープ・シーンの寵児」「メトロ・ブーミン、フューチャーらサウスのプロデューサーやラッパーとの親交」といった北米カルチャーの文脈からは見落としがちな、ユーロヴィジョン的ショービズ・スターとしてのザ・ウィークエンドの側面が見えてくる。今どき珍しい「フィーチャリング・ゲストなし」という本作のストイックな流儀や、アクロバティックなエルトン・ジョンのフレーズの引用も、その文脈からすると腑に落ちるのではないか。

と、こんな書き出しになったのは他でもない。80年代前半のマイケル・マン作品やジョン・カーペンター作品のスコアからの強い影響、その鍵となったサフディ兄弟を経由してのダニエル・ロパティン(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)の起用(サフディ兄弟がダニエル・ロパティンと組む前から自作でタンジェリン・ドリームや冨田勲を使用していたことも重要なポイントだ)、アルバム・タイトルやミュージック・ヴィデオにおけるマーティン・スコセッシ作品のレファレンス、ジャック・ニコルソンからホアキン・フェニックスにいたるまでのジョーカー「ズ」へのシンパシーなどなど。これまで本作については様々な場所で様々な角度から書き尽くした気になっていたのだが、むしろ世界的には『アフター・アワーズ』現象を凌駕する、(きゃりーぱみゅぱみゅなどのTikTokチャレンジ動画も含めた)“ブラインディング・ライツ”現象が今も現在進行形で起こっている、という現実と向き合う必要もあると思ったのだ。

ちなみに本作でマックス・マーティンがプロデュースを手がけているのは“ブラインディング・ライツ”のほか、“ハーデスト・トゥ・ラヴ”、“スケアード・トゥ・リヴ”、“イン・ユア・アイズ”、“セイヴ・ユア・ティアーズ”と、見事にブライトサイド・オブ・アフター・アワーズな曲が並ぶ。ダニエル・ロパティンもソングライトに参加している大名曲“スケアード・トゥ・リヴ”は別格として、個人的には活動初期からの盟友イランジェロやメトロ・ブーミンが絡んだ曲のキックやスネアの重さと硬さにより快楽を覚える(クライマックスは“スノーチャイルド”から“フェイス”の流れ)のだが、本作を「2020年を代表するポップ・アルバム」たらしめているのは、やはりマックス・マーティンの的確な采配によってもたらされた軽やかさと柔らかさなのだろう。

いずれにせよ、デラックス版として後から追加された3曲の蛇足感、同じく追加されたあとに(Spotifyでは)リミックス版として分割された各リミックスの生煮え感をふまえても、オリジナルの14曲はバランスも完成度もストーリーテリング(といっても、色恋を重ねながらプライヴェート・ジェットに乗ったりオーヴァードーズで病院に運ばれたりしてるだけだけど)も完璧。「ザ・ウィークエンド最高傑作」の宣伝文句に偽りなし。パンデミックによってワールド・ツアーで本作コンセプトの発展形を見ることが当分叶わないのは残念だが、ザ・ウィークエンドはそれを補って余りある成果を手にした。

文:宇野維正

幾度となく繰り返される「今までの俺とは違う俺」という主題は、
ザ・ウィークエンドという主体を「今までと同じ俺」に縛りつける

「もしも俺がオーヴァードーズになったら、俺のすぐそばで、きみもオーヴァードーズになってほしい」と本作中盤の収録曲“フェイス”でザ・ウィークエンドは歌う。この数曲前に収められた“スノーチャイルド”では、過去にあった白い粉との関係をひきずっている。これらを聴いて、いまもまだ彼は、こういうこと歌ってるんだ、と安心するリスナーがいたら、それは、ミックステープ時代以降の(特に2作目『ビューティ・ビハインド・ザ・マッドネス』以降の)彼のアルバムをあまり聴いたことがないのかもしれない。

今回のアルバムで、もちろん彼はミックステープ時代に回帰などしていない。特に2作目のアルバムに始まり、もちろん2018年のEPにおいても、毎回必ず打ち出されているのは「今の俺はもう今までの俺とは違う」との思いだ。彼の曲を聴く限り、不特定多数の相手とのキメセクに流されてしまいそうなところのある2作目、ポップ・スターとして自分を強く意識した3作目(『スターボーイ』)、特定の一人の女性への愛と別れを経験したEP(『マイ・ディアー・メランコリー、』)、またひとりぼっち(もちろん2作目以前とは種類が異なる)になってしまったと始める4作目、と毎回違う精神状況が歌われている。ひとしきり盛り上がったあと(熱い恋愛関係が消え去ったあと)の「アフター・アワーズ」に、悪夢で目覚めたり、不眠症に悩まされたりしたくない。アルバムでは終盤に収められた表題曲では、そう歌い、全体の基調をリスナーにおさらいさせる。

今となっては、あまりにも有名な話だが、デビュー・アルバム『キッス・ランド』の予想外の低調なセールスに心底ショックを受けていたザ・ウィークエンドは「あんた、世界一ビッグになりたいんでしょ」と、所属レーベルのアーバン部門のA&Rのトップにけしかけられ、「マジ世界一ビッグになりたいっす」と答えると、アリアナ・グランデの楽曲への客演がただちにセッティングされたのだった。この瞬間に「今までの俺とは違う俺」化計画がスタートしたことは間違いない。この時、売れっ子プロデューサーのマックス・マーティンを押さえたのも、このA&Rのトップで、彼女に「世界一ビッグになれたら、こういう曲を何曲もほしい」と打ち明けたザ・ウィークエンドは、マーティンの制作曲“キャント・フィール・マイ・フェイス”が全米No.1になると、次の『スターボーイ』では3曲が、4作目となる本作では5曲が彼のプロデュース曲となっている。

例えば、そのうちのひとつ“ハーデスト・トゥ・ラヴ”に敷かれたドラムンベース(の鳴り)が、新しい試みとして印象に残らないとしたら、ドラムンベース云々がどうこうではなく、同じマックス・マーティンが全面的にプロデュースしたテイラー・スウィフトの2017年作『レピュテーション』収録の“ダンシング・ウィズ・アワ・ハンズ・タイド”の一種の発展型として聴いてしまっているからかもしれない。

同じくマーティン制作による“スケアード・トゥ・リヴ”では、ダニエル・ロパティンも曲作りに関わってはいるものの、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの古参のファンが特段熱い支持で迎えていないのは、前作および2018年のEP『マイ・ディアー・メランコリー、』でのダフト・パンクやゲサフェルスタインが関与した時と似ている。

その“スケアード・トゥ・リヴ”ではJUNO-60の、“ブラインディング・ライツ”ではリンドラムやDX-7の音色や響きを強く意識したサウンド・プロダクションを施している。これについても、思えば『キッス・ランド』の頃から試みられていたことで、「今までの俺とは違う俺」とは言い切れない。また、前者では“僕の歌は君の歌”の歌メロの一部が、後者では“テイク・オン・ミー”を誘発させるリンドラム色濃厚なドラム・パターンが組み込まれていて、同じ引用でも、前作におけるザ・ロマンティックスとティアーズ・フォー・フィアーズのヒット曲と、さらには今から10年近く前にサンプルしていたスージー・アンド・ザ・バンシーズやコクトー・ツインズの楽曲と比べるたら、「これどこかで聴いたことある」率を格段に引き上げたものとなっている。これまたマーティン制作曲である“セイヴ・ユア・ティアーズ”に至っては、歌詞がちょっと似ているポスト・マローンによる“サークルズ”よりも、1981~83年にかけて世界各国でヒットしたF.R.デイヴィッドによる“ワーズ”のほうがサンプルでもインタポレーションでもないのに、誘発されるどころか、始終ちらついて仕方がない。

つまり、こうした曲作りのアイデアはアルバムごとに変わらず一貫しているのに対して、ネタとして選ぶ曲を、ポップ・ソングとして過去に成功した実績が桁違いに大きいものへスライドさせ、アイデアを強化しているとも言える。そもそも、これは、90年代半ばに、ラップ・ソングをポップ・チャートに乗せるべく、ディディ(ショーン・コムズ)がとった戦略にかなり似ている。それを2020年に強化しているのは、ラップ・ソングが割拠するポップ・チャートの上位にポップ・ソングを食い込ませるためなのだろうか。

アイデア源に関して、ついでに言えば、最初のミックステープ3部作で注目された頃、ザ・ウィークエンドはザ・ドリームから、自分の真似をするな、と暗に釘をさされたことがあった。二人はその後手打ちを済ませたが、ザ・ドリームが最初にブレイクした時期に押し出していたマイケル・ジャクソンやプリンスへのあからさまな憧憬を、ザ・ウィークエンドがポップ・スターとしてブレイクし直すきっかけとなった2作目と3作目に織り込んでいたのを思い返すと、ザ・ドリームは慧眼の持ち主だったとも言える。

その2作目からの大ヒット曲“キャント・フィール・マイ・フェイス”と、ザ・ウィークエンド自己最大ヒット記録更新中の“ブラインディング・ライツ”は、どちらもマックス・マーティン制作曲だ。前者が、女性への欲望をドラッグにたとえ(もちろん、その逆も可)極度の酩酊状態を表現したものであるのに対し、「脚光」や「栄光」などに象徴される様々な「光(lights)」を浴び続ける男が安らぎを求める様が歌われる後者には、どぎつい裏の意味はないだろう。深読みしたとしても、数年前に、警官を殴った際、ザ・ウィークエンドが押し込まれたパトカーの回転灯の、あるいはその現場となったラスヴェガスの街の目映いほどの「灯(lights)」くらいなものだろう。奇しくも、そのヴェガスでの逮捕劇が起きたのは、2015年1月。つまり、夏リリースの2作目の完成に向け、レーベルの全面的なバックアップのもと、「今までの俺とは違う俺」化計画がまさに始動していた頃である。

もしかしたら、その計画は、本作では、目にも鮮やかな赤いジャケットや新たなヘアカットに適用されたのだろうか。ここ数ヵ月で目にしたザ・ウィークエンドは、きまってその赤いジャケットを着ているので、それ以前の彼のいでたちを知っていると、まるでコスチュームや制服であるかのようにも見える。しかも、その格好のまま、2015年に騒ぎを起こしたラスヴェガスを舞台に“ハートレス”以下、本作収録曲の一連のミュージック・ヴィデオは撮られている。

No.1ポップ・スターの座を得ることと引き換えに「今までの俺とは違う俺」が初期設定された2作目の1曲目(“リアル・ライフ”)で、ザ・ウィークエンドは、「俺はずっと同じ俺、絶対変わらない」と歌っている。ここまで書いてきたように、単に「今までの俺とは違う俺」といっても、彼のこれまでにあてはまる局面はいくつもあるし、「絶対変わらない俺」についてもそれは同じだ。それらの矛盾する局面が同居しているのが、ザ・ウィークエンドの音楽世界ではないだろうか。例えば、2018年のEPで愛の痛みに耐えかねた彼はラスト曲で「昔のように」と断ってから、ドラッグに手を伸ばしてしまう。本作のラスト曲“アンティル・アイ・ブリード・アウト”では、ミュージック・ヴィデオのなかでも、感情的に「今までの俺とは違う俺」になりきれない俺の苦痛が嵐と化して吹き荒れる。

ヴィジュアルも交えて本作に接すれば接するほど気になってくることがある。レーベルによるセッティングで始まり、ここまで続けてきた音楽スタイルの面で「今までの俺とは違う俺」へと、十八番のミックスト・ヴォイスとファルセットの歌声の切り換えのように、彼はしなやかに舵を切れるのか。そもそも、アルバム4作目にして、赤いジャケットを着込むのは窮屈ではなかったのだろうか(もちろん、2作目ではなく4作目だからこそ窮屈であっても着ることができた、との見方もあるはずだ)。“イン・ユア・アイズ”のミュージック・ヴィデオには、彼を赤いジャケットから鮮やかに切り離してくれる女性が登場するのだ。

文:小林雅明

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