ポップ・ミュージックの舞台が完全にネット上へと移行し、地理的な制約から解き放たれることによって、従来の形での音楽シーンやコミュニティが離散した2010年代後半。サウス・ロンドンという特定の小さな地場をベースに、アーティストたちが意識的にクローズドで濃密なコミュニティを育むサウス・ロンドン・シーンが脚光を浴びることになったのは必然だった。だが、時代は巡ろうとしている。イギリスの「辺境」=ワイト島出身のウェット・レッグは、ハリー・スタイルズからもラヴコールを受けるほど開かれたインディ・ロックを気負いなく鳴らすことで「今年の英国インディ最大の新人」となり、サウス・ロンドンの生え抜きであるソーリーは最新アルバムで濃密なアンダーグラウンド性からポップへと脱皮する過程を見せ始めた。音楽的/精神的にアンダーグラウンドに依拠することで強度を獲得するという時期を経て、英国インディはより開かれたポップネスを志向し始めているのかもしれない。イングランド北部のヘブデンブリッジ出身、メンバー全員10代というラウンジ・ソサエティの1stアルバムも、そんな時代の変化の機運を体現している。サウス・ロンドンの最重要レーベル/プロデューサー、〈スピーディ・ワンダーグラウンド〉のダン・キャリーに送ったデモでデビューが決まったというエピソードが物語るように、まさに彼らはサウス・ロンドン・シーンの熱気にほだされた新世代。ただ同時に、バンド結成当初はストロークスやアークティック・モンキーズのカヴァーをしていたというのが、彼らの特異点だ。実際、このアルバムはサウス・ロンドン・シーンとゼロ年代インディのハイブリッドと位置付けていい。サウス・ロンドンのバンドたちの共通言語であるポストパンクを基調としながらも、ときおり急激な曲調の転換でダイナミックにギターがドライヴする様子からは、初期アークティックへの憧憬も感じられるだろう。白眉はデビュー曲 “ジェネレーション・ゲーム”だが、こんなにアンセミックなガレージ・ロックを何の衒いもなく鳴らすメンタリティは、サウス・ロンドン勢には決して見られなかったものだ。ポストパンクやガレージ・ロックからエレポップやトーキング・ヘッズ風まで、1曲の中でも目まぐるしく曲調が変わるなど、乱雑に音楽性の風呂敷を広げるところはまだ粗削り。だが、その新世代的な感性と、音楽スタイルが固まりきっていないがゆえの自由さは、彼らの未来に無限の可能性が広がっていることを予感させる。(小林祥晴)
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ラップ・ゲームに見られるように、ある一定の様式の上で独自の表現を磨くこと、時にはそれを競い合うことが、特にポップ・ミュージックという領域にはある。ラップ・ミュージックから強く影響を受けているレゲトンも当然そうで、それはサウンドにおける保守主義を呼び込むことがあるものの、いっぽう積極的に既存の枠組みから外に出ようと試みるプレイヤーもいる(それもゲームの一環かもしれないが)。2022年のレゲトン・シーンにおいてもっとも刺激的な作品を送り出したラウ・アレハンドロは、まさにそういう表現者だ。ラテン・トラップへの原点回帰とそれを刷新する意気込みが感じられた『トラップ・ケイク VOL. 2』を挟んで届けられたこの『サトゥルノ』は、言ってみれば未来派レゲトンのレコードである。ここには(ザ・ウィークエンドがやったように)「人々が過去に夢見た未来」というレトロな未来主義やサイバーパンクのエレメントも感じられるが、とはいえラウの音楽は徹底してきらびやかで光沢を放っており、ハイパーポップのテクスチャーに通じるものすらある。『サトゥルノ』でラウは、シンセ・ポップからマイアミ・ベースまでを自分のものにしながら、つるつるした質感の音楽でもってレゲトンやラテン・ポップの未来を夢見、切り開こうと愚直な冒険をおこなっているのだ。これは前作『ヴァイス・ヴァーサ』とシングル“Todo De Ti”の成功を受けてのものだろうが(前作の一部の曲に参加していたケノービとミスター・ナイスガイがほぼ全曲のプロダクションを担っている)、それにしてもここまで振り切れるとは思わなかった。このレコードは、ラテン・ポップの枠内に限れば彼の恋人であるロサリアの『モトマミ』と並ぶ刺激と興奮をもたらしてくれた。土星のダンスフロアに行ってしまったラウは、次にどんなヴィジョンを見せてくれるのだろう?(天野龍太郎)
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米国中心主義で言えば、BLACKPINKは「Y2.1K」だった。ケシャや『ウォッチ・ザ・スローン』といった2010年代初期のド派手なUSヒットとたびたび比較されてきたのが彼女たちのマキシマリズムである。それは、不穏なトラップやささやき歌唱が席巻した2010年代後半、バブルガムEDMを懐かしむポップ・ファンの安息地だった。そうして2022年、彼女たちの時代がやってきた。「コロナ明け」気分の国際市場はド派手を求めたのだ。『ボーン・ピンク』でグループの原点に立ち戻ったからこそ、時事性をそなえていたわけである。韓国の伝統楽器を取り入れながらリアーナや50セントを引用する“ピンク・ヴェノム”は、テイラー・スウィフトもレディ・ガガも踊らせた。クラシック・サンプリングのトラップ調“シャット・ダウン”にしても、Twitterがシャット・ダウンの噂が集団パニックを起こした際、ポップ・ファンを越えたミームになっていった。実験的な新世代グループと比べて王道がすぎる、との声もあるが、命題は果たしただろう。まず「K-POPをグローバルPOPにした」と評されるパク・テディ・サウンドの国際覇権。米国流に言うなら、難しく考えずただ盛りあがれるバブルガム・バンガーを今の潮流でしあげてみせた。それはそのまま、世界最強のガール・グループであることの証明だ。(辰巳JUNK)
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ファイアボーイ・DML、アイラ・スター、ラディポー、マヨークンとアフロビーツ/アフロ・ポップのシーンからは才能にあふれる若手がどんどん現れている。彼らの先輩と言っていいのが、ナイジェリアのスーパースターであるウィズキッドだろう。ドレイクとの共演は言わずもがな、アフロ・ポップの西欧世界へのアンバサダーとしての役割を担ってきた彼は、いち早くグローバルな注目を集めた。自身のレーベル、〈スターボーイ・エンターテインメント〉で同胞とシーンを作り上げていることも重要だが、それにしても出世作になった『Ayo』(2014年)の頃のことを思うと、彼はずいぶん遠くまで来たと思う。アフロビーツの隆盛に照準を合わせ、英米のシンガーを引き込みつつもソリッドだった『メイド・イン・ラゴス』(2020年)と大ヒットした“エッセンス”に続く新作が、この『モア・ラヴ、レス・エゴ』である。まずは“モア・ラヴ、レス・エゴ”というタイトルに集約されたメッセージ、シェンシーアらの客演陣に目を惹かれるものの、見事なのは折衷的なプロダクションで、そのユニークネスは今年リリースされた他のアフロビーツ・レコードと聴き比べればすぐにわかる。特に顕著なのが“バッド・トゥ・ミー”に象徴されるアマピアノからの影響。シェイカーやログ・ドラムなど、アマピアノのシグネチャー・サウンドを随所に聴くことができる。“Sgija”などの新たなスタイルに発展し拡散していくアマピアノの熱気を取り込みたかったのだろう、前作に続いて右腕になったP2Jとともに南アフリカのアマピアノとナイジェリアのアフロビーツの融合を試みている。ただ、そのオリジンやナイジェリアへの「輸入」をめぐって批判的な議論が起こったことは注記しておくべきだろう。とはいえ、この貪欲かつ洗練された音楽的冒険には目を見張るものがある。本国での人気はバーナ・ボーイに譲るだろうが、『ラヴ、ダミニ』よりも『モア・ラヴ、レス・エゴ』のほうがずっと興奮をもたらしてくれた。(天野龍太郎)
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前作『ユートピア』と新作『フォソーラ』はアコースティックな音色が多用されているという共通点があるが、一方でその違いもはっきりしており、ある意味では姉妹作という位置づけができる。アルカとのコラボレーションとフルートの音色=浮遊感に特徴づけられるのが『ユートピア』だとすると、『フォソーラ』はビョーク自身の単独プロデュースがメインとなり、バスクラリネット六重奏の音色=接地感が際立って響き渡っている。低音域の存在による接地感はバスクラリネットに加えて、サブウーファーを揺らすビートによって形作られたものでもある。インドネシアのデュオGabber Modus OperandiのメンバーであるKasimyn、そしてFKAツイッグスやロザリアの楽曲を担当してきたエル・グインチョがビョークとともにビートメイキングを行っており、彼女の音楽の更新に一役買っている。本作はヴォーカルでもゲストを招いており、それがハムラヒルヅ合唱団やサーペントウィズフィート、ビョークの息子Sindriと娘Isadoraだ。ビョークの「楽器」と「歌」の両方の役割を持つようなヴォーカルが、彼らの歌唱とともに、単独で、もしくはストリングスや管楽器、ビートと並列することで圧倒的な個性を放つと同時に、家族をアルバムに招くことで彼女の母の死と繋がりがある本作が持つ意味性と密接に絡み合うことを可能にしている。誰とコラボレーションしようとも、恐るべき統一感を持ち、底が尽きることのないビョークのオリジナリティは今もぼくたちを戦慄させる。(八木皓平)
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本来、ナマズを指すキャットフィッシュは、オンライン・デートの世界で偽アカ、なりすましを意味する。『シアバター・ベイビー』という、アフリカ産の植物油脂で保湿クリームから整髪料までブラック・コミュニティで深く愛されている材料を入れ込んだ秀逸なタイトルのデビュー作から3年。ワシントン・DC出身のR&Bシンガー、アリ・レノックスは「年齢/性別/場所」と、これまた出会い系サイト、アプリでまず入力する情報欄をタイトルにした。J・コールの〈ドリームヴィル〉初の女性アーティストだけあり、言葉の効果的な使い方をよくわかっている。本作は、オンライン・デートを巡る性的欲求がテーマだ。90年後半から00年代前半に大きな盛り上がりを見せたネオ・ソウルを意識的に再現しているシンガーである。〈ドリームヴィル〉に所属しているプロデューサー、エリートとオーメンが8割を作っていたデビュー作はその点が話題になった。本作でもジニュワインやラフ・ライダーズらの名前をあえて出し、その時代への思い入れ、憧憬を表している。ジャーメイン・デュプリとブライアン・マイケル・コックスが作った“プレッシャー”と、オーガナイズド・ノイズとエリートの“アウトサイド”は、ネオ・ソウルから離れて当時のR&Bの香りを残しつつ、いまどきのテーマで2022年の曲になっている。アウトキャスト率いるダンジョン・ファミリーに思い入れがある人は、“アウトサイド”は必聴だ。ここ数年、ポップやヒップホップ、インディ・ロックまで取り入れるのが流行っているR&B界隈で、断固として「R&Bらしさ」にこだわるシンガーたちがいる。アリ・レノックスはその筆頭株。本作に参加しているラッキー・デーとクロエ、サマー・ウォーカーもその一派だ。一様に高い歌唱力を誇り、かつ捻りの効いたソングライティングができて聴き手を飽きさせない。ラッキー・デーとの“ボーイ・バイ”は、オンラインではなく実際に出会ったふたりの軽妙かつ軽薄な駆け引きが最高。クロエとの“リーク・イット”は、写真や動画の流出と体液をかけていてとことんセクシー。ちなみに、本作は大前提として、アリ本人が「自分もキャットフィッシュになることもある」とぶっちゃけているのだ。承認欲求より性的欲求を全開にするあたり、偽アカであろうと少なくとも自分に正直な生き方なのかもしれない。猥雑さを含めて、本来R&Bがもつ魅力が詰まった作品だ。(池城美菜子)
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2017年、17才でウサイン・ボルトを讃えた“レジェンド”がヴァイラル・ヒット、人気リディム「Ouji」使いの“バーニング”で高校生のうちに名を挙げたコフィー。ディプロの相棒、サウンドシステム、ブラック・チャイニー出身のウォルシー・ファイアが手がけた“トースト”で島外まで人気を博し、2019年のEP『ラプチャー』で最優秀レゲエ・アルバムを最年少、女性初で受賞した。いい意味で性別不明な(=少年ぽい)よく通る歌声と、DJと歌を器用にスウィッチするスタイルが目印。コフィーの兄貴分ともいえるクロニクスやプロトジェとともに、レゲエ・ルネッサンスと呼ばれるムーヴメントの一翼を担う。2022年はレゲエの当たり年でもあった。この潮流のアーティストの良作が多く出た、幸せな年だったのだ。まず、3月にコフィーの待望のデビュー・アルバム『ギフテッド』。秋に前述のプロトジェのトリロジー、タイム・シリーズの最終章『サード・タイムズ・ザ・チャーム』と、カバカ・ピラミッド『ザ・コーリング』がドロップされた。後者は、ボブ・マーリーの末っ子、ダミアン・マーリーがエグゼクティヴ・プロデューサーを務めている。アラフォーのプロトジェとカバカ・ピラミッドは、22才のコフィーとは世代が異なるものの、ラスタファリズムを土台にしたルーツ・レゲエに軸足を置きつつ、ヒップホップ、R&Bを聴いて育ったのは同じ。韻の踏み方、デリバリーがほかのジャンルとシームレスであったり、ジャマイカン・マナーから外れないポップな曲も作れたりする。『ギフテッド』では、頭の“x10”からボブ・マーリー“リデンプション・ソング”を敷くサーヴィス精神を発揮。コフィーは前世紀からの伝統的なダンスホールDJのスタイルをきちんと取得しつつ、タイトル曲や“ウェスト・インディーズ”ではプラダやバレンシアガ、パテック・フィリップといったハイ・ブランドの名前を出すいまどきの若者である。パトワではなく、英語で歌っている割合も多め。ロゴが付いている服はほぼ偽物だった、ひと昔前のジャマイカのいい加減さを愛していた筆者としては少し寂しいが、ファッション・アイコンでもあるコフィーが最先端のモードにごく自然に袖を通すのは喜ぶべきなのだろう。エド・シーラン×ジャスティン・ビーバー“アイ・ドント・ケア”のリミックスにクロニクスと参加したり、J・ハスやジョン・レジェンドの客演をしたり、ハリー・スタイルズの前座を務めたりと大忙しである。「あまりにも事が早く進んでいたから、パンデミックで動きが止まって少し安心した」と本音を洩らすあたり、好感度大。当時の気持ちを歌った最後の“ロックダウン”に至ってはダンスホールから大きな影響を受けているアフロビーツを取り入れていて、その軽やかさに脱帽した。(池城美菜子)
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俺は虫けらだ。デンゼル・カリーは目を閉じたまま笑っていた。レイ・ミステリオのようにかぶったマスケラ。仮面の奥は盲目の虫けらだ。溶けた目の中で未来を見てた。目が見えないまま歩き続けた。黒いジョン・ウェインを気取って歩き続けた。時代劇と西部劇の相互影響に感化されて歩き続けた。ロバート・グラスパーのルバートする鍵盤に乗って歩き続けた。鋭い痛みが麻痺するまで歩き続けた。最悪から最悪へと歩き続けた。続けること、続けることがすべてだ。息継ぎなしで塗りつぶす16小節。寡黙な声が饒舌を繰り返す。ライムの襞からビバップが聞こえる。カウボーイの諦念が急流を切り抜ける。“ジョン・ウェイン”はDJスクリューのように遅く重たく、“エンジェルズ”ではケリー・リギンスがダビーなブレイクビーツを叩く。“サンジューロー”はトラップ・ビートで、“ザトーイチ”ではドラムンベース。あらゆるリズムを溶かしながら、デンゼル・カリーは歩き続ける。ファック・ベンツ、ファック・ポルシェ。高級車を呪って、スターウォーズの戦闘機(X-Wing)に自らを託す。それはただのオタク趣味ではない。マチズモが命取りになる黒人社会において、ナードであることは防衛手段だ。マックは27歳になれず、パックは26歳になれず、ビギーは25歳になれなかった。カリーは生き延びるため、三船敏郎と勝新太郎とジョン・ウェインとスパイク・スピーゲルのキメラとなって歩き続ける。虫けらの死骸の山をすりぬけて歩き続ける。最悪から最悪へと歩を進める。快楽と災厄は同時にやってくる。天国と地獄はあまりに似ていて区別がつかない。時代のサインは未来の道しるべになってはくれない。そして今日も、我々は歩き続ける。FUCK THE WORLD、いざ、最悪の方へ!(伏見瞬)
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1stシングルの“ウェルカム・トゥ・ヘル”を聴いた時は思わず笑ってしまった。なんなんだ、この間抜けな8ビートは。しかも冒頭、ジョーディ・グリープがうなるように吐き出す「Listen!」は「えらそうに!」と聞こえる。前作『カヴァルケイド』(2021年)からほとんど時間を置かず、マキシマリズムと複雑化の果てにブラック・ミディが選んだのは突き抜けたユーモアだった。背景にはピーター・ガブリエルがいた頃のジェネシス、ジェスロ・タル、ジェントル・ジャイアント、そしてカーディアックスなどの芝居がかった、どこか馬鹿馬鹿しいプログ/ゾロのレコードが透けて見える(それと、なぜかタンゴ)。彼らの音楽を聴いていると、映像的な断片が浮かんでは消えていくように感じる。レスリング(アー写を見よ!)、ナンセンスなドタバタアニメ、スプラッター・ホラー、戦争映画、海賊映画、中世や近世の復讐劇、港町の騒がしい酒場で繰り広げられる舞踏と乱闘……。しかも、それらは切り刻まれたあげく、低解像度のデータにむりくり圧縮されて、あっちこっちにランダムに貼りつけられ、奇妙で薄気味悪い絵画のような図像をなしている。“ウェルカム・トゥ・ヘル”についての「早送りしたバッグス・バニーのように『プライベート・ライアン』のノルマンディー上陸作戦のシーンを再生した1兆BPMの暴力」という評は、なんだかよくわからないが言い得て妙だ。いびつさも不協和音もなんのその、それらはまるまる太った実を荒野の中で実らせる彼らにとっての肥料でしかない。疲れ知らずのブラック・ミディは、炎に包まれた地獄のリングの上を誰も追いつけない速度でぐるぐると走り回っていて、その遠心力で今にもリングごと空に飛んでいってしまいそうだ。ただただクレイジーで痛快。くそったれが。bmbmbm……。(天野龍太郎)
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俺は虫けらだ。私は虫けらだ。Awichほど、今の日本で「物語」を引き受けているミュージシャンはいない。女性であること、沖縄出身であること、アフリカン・アメリカンの夫を殺されたシングルマザーであること。自らの出自と経験をストーリーラインの中で語り抜けるAwichは、「物語」の力を徹底的に利用しているようにもみえるし、実際「物語」によって彼女のプロップスは急速に上がっていっただろう。しかし、そのストーリーテリングには一つのねじれがある。Awichが引き受けるのはすべて、「物語」を奪われた人々、社会構造のなかで虫けらのように存在を無視された人々の物語だ。30代のシングルマザーの生活が、基地と隣り合う沖縄の生活がどれほど黙殺されているか。誰にも見守られない状況ほど、人の生にとって悲惨なものはない。シンセが跳ね、ハイハットが左右に飛び交う中、Awichは巻き舌気味に声を吐く。「体に絡みつくRespect」。悲惨から抜け出す物語を、揺るがない喉で冷たく響かせる。“口に出して”では、性的挑発者としての女性を冷たく演じる。「舐めてもないのに何イってんの?」。そのIcyなフロウが、物語の過剰な拡散を防ぐ。私たちは物語なしに生きていけない。自身の物語を、他者に共有しないではいられない。だが同時に、物語を他者に利用されるわけにはいかない。無視された物語を語りつつ、熱に浮かれた共感を拒むこと。Awichが『Queendom』で行っているのは、物語という魔物を愛するための、実践的なエデュケーションに他ならない。(伏見瞬)
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2022年 年間ベスト・アルバム
21位~30位
2022年 年間ベスト・アルバム
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2022年の年間ベスト・アルバム、
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