SIGN OF THE DAY

何がすごいの?どこが新しいの?今年、
全米No.1に輝いた唯一のインディ・バンド、
アラバマ・シェイクスのすべてを
解説させていただきます:後編
by TSUYOSHI KIZU
SOICHIRO TANAKA
December 20, 2015
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何がすごいの?どこが新しいの?今年、<br />
全米No.1に輝いた唯一のインディ・バンド、<br />
アラバマ・シェイクスのすべてを<br />
解説させていただきます:後編

何がすごいの?どこが新しいの?今年、
全米No.1に輝いた唯一のインディ・バンド、
アラバマ・シェイクスのすべてを
解説させていただきます:前編



6. 米国のポップ・シーンにおけるゼロ年代半ばから10年代半ばにかけての時代はインディ・バンドの時代でもありました。インディという価値観が広く発見され、それが一般化した時代でもある。ただ、この『サウンド&カラーズ』という作品の存在が、そうした流れに何かしら影響を及ぼす可能性があるとしたら、それはどんな変化だと思いますか? あるいは、2015年にこの作品が産み落とされ、それが広く受け入れられたという事実は、どのような時代の変化を表象しているのでしょう?

木津:インディが一般化した10年だったというのはその通りだと思います。ただ、自分の見解としてはアーケイド・ファイアがグラミー賞を獲り(2011年)、そしてボン・イヴェールがグラミー賞を獲ったあたり(2012年)で段階的に少しバックラッシュがあったような気がするのです。アーティストだけでなくリスナーの側でもちょっとインディ・スノビズムが復活したというか、前編で書いたようなUSインディ・ロックがコンセプトや複雑さに寄りすぎる感じは、この辺りから強くなったように感じます。本人たちの意図は別として、アニマル・コレクティヴの『メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン』(2009年)と『センティピード・ヘルツ』(2012年)の世間的な受け入れられ方の差には、いろいろと思うところがありました。 アラバマ・シェイクスが登場したとき(EPが2011年、デビュー・アルバムが2012年)には、そのあっけらかんとした佇まいがかえって新鮮に思えました。まだ当時は「武骨」という評価が当てはまるような荒削りさもありましたが、そんな姿も魅力的に映りました。そして彼女らは紛れもないインディ・バンドでした。それはインディ・スノビズムのことではありません。自分たちの足場にしっかりと立ち、DIYの精神で表現をしようとすることです。彼女らはそのことを思い出させてくれました。

そして『サウンド&カラーズ』では武骨さの代わりに、彼女たちは洗練を選びました。それは音楽的な成長と充実を志しながら、インディのアティチュードを貫くことはできるのだ、という素朴な表明のように感じられます。

田中:10年近く続いたインディの時代の終焉。と敢えてぶち上げたいところですが、正直わかりません。というか、俺は批評家であって、腐れ予想屋ではない。なので、一つ目の質問――この作品がここ10年のインディの時代にどんな変化を及ぼすか?――に対する答えは「知ったことか!」です。

ただ10年代初頭からつい最近まで、ポップ、ヒップホップ、R&B、インディのどれもが興味深く、それぞれの混じり具合やバランスを含めて、とても健康的だった米国のナショナル・チャートが2015年になってから急激につまらなくなった。EDMの勢いが落ち着いてきた(興行という面からすると、ラスヴェガスがカジノの街からEDMイヴェントの街に変わりつつあるという異常事態も含め、むしろ勢いを増しています)のに反比例して、所謂ボーイ・バンドを筆頭にメジャー資本によって作られた退屈なロック・バンドが目につくようになった。そうした兆しの中では、ディプロとスクリレックスがプロデュースしたジャスティン・ビーバーのトラックは、去りゆく時代の最後の残り火なのか、新たな兆候の始まりなのか、にわかには判断がつきません。

Skrillex and Diplo / Where Are Ü Now with Justin Bieber

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ただ、そうした潮流の中で、この『サウンド&カラーズ』という作品の存在はひときわ輝いています。なので、改めて二つ目の質問に答えるなら、どこか不穏な変化の兆しの中、その輝きをいっそう際立たせる希望、そんな風に言いたい。いずれにせよ、時代は螺旋状に変化していくもの。そして、いくつもの蓄積が飽和状態になった時に瞬間的にすべてが変わる。雪なだれ式に変化が加速するものです。その時にこそ、この2015年の初夏において、『サウンド&カラーズ』という作品が何を意味していたのか? その答えがはっきりするのではないでしょうか。

Alabama Shakes / Future People

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7. 『サウンド&カラーズ』という作品のリリックを考える上で、言及すべきポイントのひとつは、どの曲も基本的にはラヴ・ソングという形式を守っているということです。彼らがラヴ・ソングという形式を選択している理由、あるいは、それによる効果について、あなたなりの所感を教えて下さい。

木津:まずは何よりも「人びとの歌」たらんとするためだと思います。そこでは彼女たちのパーソナリティや個人的なテーマよりも遥かに、様々な人間の様々なシチュエーションに当てはまるようなラヴ・ソングを歌っているように聞こえます。前作のアラバマ・シェイクスの代表曲に“ホールド・オン”がありますが、「持ちこたえろ」というのは、ソウルやブルーズが何度も何度も繰り返してきたフレーズでした……その聴き手には、持ちこたえなければならない現実があったから。それをアラバマ・シェイクスは再度繰り返しながら、現代を生きる女の子が歌うラヴ・ソングへと変換している。

Alabama Shakes / Hold On (KONK Session)

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たとえば本作『サウンド&カラーズ』の“ギヴ・ミー・オール・オブ・ユア・ラヴ”。ここでは、主人公の女の子が自分の知らない悩みを抱えている相手に対して少し心配しながらも、ちょっと勝ち気に「あなたの愛をすべてちょうだいよ!」と言ってのけています(そして轟くヘヴィなギター!)。この威勢のよさはいかにも現代の女の子……でありながら、つまるところ「心を開いて」と言っているように聞こえるのです。「あなたがうちひしがれていても、心を開いて、愛を見せて」……それはソウルの良き伝統としての甘いラヴ・ソングを現代のイカしたインディ・ロックとして鳴らす、アラバマ・シェイクスの姿勢そのものです(ちなみにさっきの女の子は“ミス・ユー”で「あたしってあんたのもの? あんたのものよ!」と強引に宣言しています)。

Alabama Shakes / Gimme All Your Love

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僕の本作のフェイヴァリットのひとつは、野外の大きなライヴ会場で大切なひとと聴くにふさわしいアコースティックでスウィートなバラッド、“ディス・フィーリング”です。ここでは必ずしも色恋沙汰が歌われているわけではありません。けれども、「やっと見つけたこの気持ちを奪わないで/自分さえ望めば……うまくいくんだって」、それはやはり「愛の歌」だと僕には思えるのです。

Alabama Shakes / This Feeling (live from Musical Chairs)

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田中:ポップ音楽は、例えば、一部のブリットポップや大方のJ-POPのように自らの出自、自らの暮らしや文化を過剰にレプリゼントしたり、そこに特化しすぎた場合、その外側からするとジャーゴンと化してしまう危険を孕んでいます。特定の時代や場所に暮らす人々にだけに向けたものになってしまい、むしろ分離や軋轢を生んでしまう場合さえある。勿論それはそれで価値がなくはない。ただ、ポップ音楽には間違いなくユニバーサル・ランゲージたりえる瞬間が存在するんです。異なる出自、異なる価値観を持った人々の間の対話のプラットフォームになりうる可能性を秘めている。

アラバマ・シェイクスはそうした地平を目指しているバンドなわけです。だからこそ、彼らはラヴ・ソングという形式に敢えて固執するのではないか。何故なら、ラヴ・ソングという形式こそがやはりユニバーサル・ランゲージたりえるから。勿論、彼らの場合、すべてが純粋なラヴ・ソングというわけではなく、ありきたりな恋の歌ではないと思います。その一部は神に対するラヴ・ソング――ゴスペルの伝統に繋がるものもある。ただ大半のリリックは、何かしら人と人とのリレーションシップをモチーフにしたリリック。そうした形式は、どんな国に暮らす、どんな属性の人間でも何かしら自分についての歌、あるいは、自分自身に語りかけてくる歌と感じることが出来る。それが彼らのリリックと特徴なのかな、と。

例えば、ケンドリック・ラマーのリリックやスキットには、いくつもの固有名詞が頻出し、聴き手はその固有名詞が選ばれた必然について学び、その文脈を理解する必要がある。それぞれのリスナーが学ぶこと、知識を蓄えること、そして、何よりもそこから一人一人が考えることを強いているわけです。このことは、トマス・ピンチョンの小説がとんでもない量の固有名詞の洪水によって読み手の足を止め、何度も立ち止まらせ、ストーリーラインやプロットを追うことよりも、どんな時代にも人類の歴史がどれだけ醜悪極まりないものであったか、その詳細について知ること、それを知るには時間が必要だと理解すること、そして、自らの責任と贖いについて考えることをパフォーマティヴな形で促そうとするのにも似ています。つまり、ここには作家自身は明快な正解を提示するつもりはない、それを導き出すのは聴き手の思考と行動に託されているという前提があるわけです。これもひとつの方法。というか、選択。

ただ、アラバマ・シェイクスのリリックの場合、それぞれの曲のナレーターが暮らす時代や場所はことさら特定されていない(これは、彼らの音楽がまぎれもなく特定の時代や場所と繋がっているのとは好対照を成しています)。それゆえ、彼らのリリックはいつくもの文脈に置き換えることが出来る。つまり、そこから社会的/政治的な文脈をくみ取ることも可能だし、それぞれのリスナーが暮らす場所や時代における固有の物語として置き換えることが出来るわけです。そして、これもまた今を描くことにおいて、何かしら有効な方法なのは言うまでもありません。余談ながら、ケンドリック・ラマーとアラバマ・シェイクス、その丁度中間辺りにある形式を選び取ったのが、『AFTER HOURS』以降のシャムキャッツと言えるかもしれない。リリックの固有性と普遍性のバランスというのは、その形式において、いくつものヴァリエーションがある。形式って大切なんだな、と改めて感じます。



8. 作者の死が高らかに宣言されて半世紀近くが経つ今、作品について語る際に、何かしら作家のパーソナリティやアイデンティティを持ち出すことはあまり気乗りがする行為ではありません。と前置きした上での質問です。アメリカ南部という彼らの出自、人種と性別が混在したバンド編成は、彼らの作品に対して、どの程度、どのような影響を与えているのでしょう。

木津:僕はアラバマ・シェイクスの、「音楽の趣味がクールだと思った高校の同級生で組んだバンド」だというエピソードが大好きです。そこにはその言葉以上の意味はなかったでしょう。男子も女子も関係なく、黒人も白人も関係なく、音楽の趣味があったから声をかけた、じつに現代のアメリカのキッズらしい態度です。だけど、その後白人の男子たちは「スラム街にある」ブリタニーの家のパーティに招待されるという経験をしています。そしてそれが素晴らしかったと、バンドは誇らしそうに口にします。きっと彼らはそこで高校の教室では経験することのない、人種の違いによるバックグラウンドの隔たり、人種差別が根強い南部としてのアラバマ州の社会背景や歴史といったことを、身を持って感じたに違いありません。だけど、いやだからこそ、同じ音楽で興奮できる喜びを噛みしめ、そのことを誇らしく思ったのではないでしょうか。アラバマ・シェイクスの音楽には歴史への敬意があり、そしてとてもスウィートです。その甘さは、自分のなかにあった他者や他のコミュニティへの壁が溶けていく様子を表現したものに違いありません。

田中:う~ん、困ったな。この手の話、要するに、作家の出自やアイデンティティ、どんなコミュニティに所属しているか?についての話をするのは、幼少期に60~70年代の大阪――無知と貧困からいまだ抜け出せず、高度成長期による恩恵がさらなる格差を生み出し、弱い者がさらに弱い者を虐げるという複雑な差別構造が長年続いたおかげで、「結局のところ、人は生まれた場所や境遇といった過去からは逃れることは出来ない」という感覚がべっとりと染みついた場所で育った人間からすると、本当に苦手なんです。だって、ポップ音楽のもっとも素晴らしい点は、優れた表現に向き合うことで、作家や聴き手のパーソナリティやコミュニティ、社会的な属性を軽々と越えていくところじゃないですか。違う? KOHHを聴いたりすると、そもそもは半径5メートルのリアリティをレペゼンしたいたはずの音楽がいきなりユニヴァーサルなものへと跳躍する瞬間を感じて、最高の気分になるんだけど。これだな、つて。この北米でもバズりまくった韓国のKeith Apeのトラックに、4分20秒から登場する彼のラップを目の辺りにしたりすると、特に。

Keith Ape / 잊지마 (It G Ma) feat. JayAllDay, Loota, Okasian & Kohh


ただ実際のところ、特にこの島国におけるポップ音楽の受容を見る限り、ポップ音楽はむしろ人々をいろんな属性ごとに分断させるために機能していると思わざるをえない。いくつものクラスタという寄生虫がポップという大いなる幹を蝕んでいるように感じられる。もしかすると、僕自身もそうした愚行に一役買っているのかもしれない。ただいずれにせよ、作家の出自やパーソナリティから、表現をタイプキャストして、何かしらのレッテルを貼り付けることは、とても醜悪な行為であり、表現に対する冒涜です。作家が自らの出自やコミュニティを意識することと、受け手がそれと表現を結びつけようとすることとはまた別の話ですからね。勿論、これはファッキン・ジャーナリストならずとも、我々がもっとも無邪気に犯してしまいがちな間違いでもあります。

優れた表現に出会うことで、受け手は自らの属性から自由になる――特に音楽の場合。要するに、それを聴いた瞬間から昨日までの自分ではいられなくなってしまう。そして、作家もまた表現に向かうことでありとあらゆる因果律から解き放たれる。表現とは、どんな時も変化の触媒であり、無限の可能性を鼓舞するものだと思うのです。いわゆる因果律と呼ばれるもの全般に対する僕の立場は、突如として空からヒキガエルの大雨が降ってくるのは神の仕業ではない、ただの偶然にすぎない――に尽きます。それゆえ、この質問に対する答えは、アラバマ・シェイスクスのメンバーが白人だろうが黒人だろうが、性別やら国籍が何だろーが知らねーよ、いいから、俺に音楽を聴かせてくれ、といったところでしょうか。



9. 2015年前半を象徴する2枚のアルバム――ケンドリック・ラマーとスフィアン・スティーヴンスというアメリカの作家による作品が、全体として何かしら告発的なトーンや何かしらの混乱のフィーリングを持っていたことに比べると、『サウンド&カラーズ』には部分的には同様のネガティヴな側面を捉えていながらも、むしろ胸を高まらせるような興奮や期待が前景化されている。何よりもアルバムを聴き終えた後に広がるのは、穏やかな安堵感と言うべきフィーリングです。もしこうした視点に倣うとするなら、この作品はこの2015年という時代やそこに暮らす人々に対し、結果的に何を投げかけているとあなたなら考えますか?

木津:「穏やかなフィーリング」と言えば、タイトル・トラックでありオープニング・トラックである“サウンド&カラー”がそれを端的に表現しています。

Alabama Shakes / Sound & Color

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ヴィブラフォンの柔らかなアルペジオ、一歩一歩踏みしめるようなドラミング、どっしりとした弦の低音、不安や弱さといった表情を見せながらも取り乱さず、心を落ち着けるように発話されるブリタニーのヴォーカル。そこで彼女は「音と色」と繰り返しながら、「人間に触れたい」と歌います。音と色はわたしたちが知っている以上に多彩で豊かなのだと――まさに「音と色」の幅を広げたアルバムでアラバマ・シェイクスは主張するようです。そしてその音と色は、「人間」の比喩なのでしょう。曲の終わりで呟かれる「Life in sound & color」の優しさは、多様な生が穏やかに共存することへの願いです。

田中:こうした類いの質問に対する答えとして、僕がもっとも適切ではないと感じるのは希望という曖昧な言葉です。勿論、彼らの作品に触れることで、そこから何かしらの希望を感じる分には構わない。実際、彼らの存在そのものが希望でもあると僕自身も感じます。しかし、彼らが鳴らしているのは、もっと明確なもの。

半音や微分音の揺らぎを含んだメロディと声、魅力的な倍音を存分に鳴らす生楽器の音、さまざまな反響、そして、不断のビート。そして、そこから匂い立つのは、抑えきれないエキサイトメント、胸の高まり。予感や予兆というよりは、もっとはっきりとした輪郭と色彩を持った、まるで手に取ることが出来そうなダイレクトで生々しい感覚です。間違いなく、今、ここに「それ」がある、という実感です。

ヴォーカル音楽が醸し出すフィーリングというのは、常にリリックの意味とサウンドが時に拮抗しあい、時に溶け合うことで生まれるものです。特にアラバマ・シェイクスの場合、その二つが互いに身を捩るようにして、ひとつの調和を奏でようとしていることが特徴です。例えば、彼らが「私のすべての悲しみの果実」という言葉を歌う時、あるいは、彼らが「プライド」という言葉を歌う時、そこには誰かの尊厳や誇りが無残にも踏みにじられたという歴史的な感覚が立ち上がります。

でも、どんな曲の中でも必ず、そうした感覚をビートと和音、メロディがかき乱していく。そのぎこちない身振りは、偉大なる佐野元春のリリックを引用するなら、「システムの中のディスコティック」に捕らわれたままの彼/彼女が、それでも「このソウルを激しくシェイクしたい」と願う、だからこそ存分に歌い、踊る、そんな風に映ります。そして、実際に個々の曲が鳴っている数分の間には、彼らはそれを実現させます。必ず。

佐野元春 / コンプリケイション・シェイクダウン

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つまり、彼らの音楽が投げ掛けているのは、シェイクすること――ありとあらゆるスタティックな悲しみや諦念、断絶や境界を揺り動かし、かき混ぜ、聴き手の誰もがそれぞれのソウルを沸き立たせることではないか。何かしらの理想へ向けて踏み出す、喜ばしき受難へと身を投げ出す勇気なのではないか。

このアルバムのどこかに穏やかさがあるとすれば、命を燃やしつくした者だけが得ることが出来る、自分自身が出来ることは取りあえずやりきった、という何かしらの達成感なのではないでしょうか。そこでは、どんな敗北もつまずきも意味を成さない、そんな満ち足りたフィーリングなのだと思います。



10. もし仮に、アラバマ・シェイクスという作家が何かしら「アメリカ」をレプリゼントしているとした場合、彼らが代表する「アメリカ」とはどんなものなのか教えて下さい。あるいは、もし仮にこの島国に暮らす人々が、海の向こうの国で産み落とされた『サウンド&カラーズ』という作品をどうしても聞かなければならないという必然があるとしたら、それはどんな理由によるものでしょう。

木津:さきほどの質問と同様、多様な生がごちゃごちゃと混在しながら、それでもある「コンセプト」によって穏やかに共存しようとするアメリカです。そして、そのことは「自分さえ望めば……うまくいく」と信じさせてくれるものです。だからこそ、ぶっといベースの隙間が最高にグルーヴィーな“ドント・ワナ・ファイト”でブリタニーは聴き手をゆっくりと踊らせながら、「これ以上戦うのはごめんよ」と言います。それは力を誇示して他者と戦ってばかりのアメリカももう一方で知っているからでしょう。

Alabama Shakes / Don't Wanna Fight (T in the Park 2015)

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いま日本で、多くのひとが自分の知らない他者に恐怖し、その反動として他者を攻撃し排斥するムードが漂っていることに不安を覚えているのは僕だけではないでしょう。だからアラバマ・シェイクスは、好戦的な態度を解きほぐすような逞しくも甘い音で、日本にいるわたしたちにも「あなたの愛をありったけちょうだい」と歌っています。

田中:今、果たして大文字のアメリカはどこにあるんでしょうね。いくつもの間違いを犯し続け、罪を重ねながらも、18世紀最大の発明であり、19世紀終わりの奴隷解放宣言によって遅まきながらも自らの贖罪を認め、20世紀半ばの公民権運動の勝利によってしかるべき場所へと歩を進め、音楽の世界においてはジャズ、リズム&ブルーズ/ロックンロール、ヒップホップ、ハウスと現代における多くのポップの雛形を生み出すことで、いくつもの対話と融和の礎を築き上げてきたアメリカは。

正直、僕にはわかりません。ただ、この『サウンド&カラーズ』は、アメリカという偉大なるコンセプトとそこから産み落とされた表現に何度となく打ちのめされ、鼓舞され、自らを省みるヒントを与えられてきた人間からすると、まぎれもなくアメリカだ、という気がします。

Merry Clayton / Lift Ev'ry Voice & Sing


ただ、日本人がこのアルバムをどうしても聴かなきゃならない必然なんて特にないと思いますよ。自分が日本人であることがそんなに大事だというなら、長渕剛でも聴いた方が遥かにいいと思う。特に薦めはしませんが。でも、日本人である以前に個人でありたいと感じている人々、あるいは、もしかすると、もはやカビが生えてるのかもしれない世界市民というアイデンティティをいまだ自分自身に感じている人々にとっては、このアルバムは目に見えないホームたりえるかもしれない。どこにも属したくない、世界中いたるところが帰る場所なんだ、と感じている人々にとっては。




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