今、目の前にある現実といかにして向き合うのか? それをどんな風に乗り越えようとするのか?ーーあらゆる作家の特性というのは、その対処の身振りによって規定される。ベック・ハンセンの新作『カラーズ』の素晴らしさもまた、そうしたアングルから語ることが出来るに違いない。では、2017年における現実とは何か。ここでは以下の二つの事象を挙げてみたい。
①分断と衝突の時代
②マックス・マーティン以降、Spotify以降のポップ・ミュージックの世界
①については言わずもがなだろう。後世までブレグジットとトランプ政権が誕生した年として記憶されるだろう2016年を経て、この2017年、世界はありとあらゆる場所で局地的な衝突と分断が巻き起こっている。そして、『カラーズ』はこうした現実に対するベックからの回答だ。端的に言えば彼は、すべての人々に等しく語りかけるという、本来の意味においての「ポップ」を目指すことで、こうした現実を乗り越えようとした。詳しくは以下の対話に目を通して欲しい。
②について簡単に説明するなら、2010年代におけるポップ・ソングの大半は、マックス・マーティンに代表される北欧系プロデューサーたちが編み出した「トラック&フック」と呼ばれるメソッドによって徹底した分業制度で作られている。テイラー・ウェストやアリアナ・グランデ、ウィークエンドといったポップ/R&Bアーティストのみならず、元オアシスのリアム・ギャラガーに至るまで。多ければ1曲に十数人のソングライターとプロデュースが名を連ね、曲の骨格となるトラックとフック/コーラスにおけるヴォーカルやウワモノのメロディを組み立てていく。大方のロック・バンドがシーンの表舞台から姿を消しつつあるのは、「バンド」という制約によって、こうしたシステムの機能性と効率性に押されてしまっているところも大きい。こうした現実を乗り越えようとするベックのアイデアについては、こちらの記事に詳しい。
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こんなベックを待っていた! マイケル・
ジャクソンも真っ青? 分業制ポップ全盛の
時代を再定義する新たな傑作『カラーズ』
今作『カラーズ』においてベックが選択したのは、ソングライティングからプロダクション、大方の楽器の演奏に至るまで、以前の彼のバンドのギタリストでもあるグレッグ・カースティンとほぼ完全二人体制によって、アルバム1枚を作り上げるというスタイル。正直、このアルバムと似通ったスタイルで作られた別のレコードを挙げるのは難しいのではないか。
つまり、ベックは分業制ポップの時代を再定義する、新たなプロダクションのスタイルを提示した。つまり、彼は目の前の分業制ポップの時代という現実から目を反らし、言葉の通じる気の置けない仲間たちに向けて語りかけるインディ・レコードを作るのではなく、真っ向からそれを乗り越えるアイデアを形にするということ。凡百の作家に比べれば、もうそれだけで称賛に値するのだが、言ってみれば、ここまでの話はアティチュードの話。態度の話。では、結果としてはどうか?
誤解を恐れずに言うなら、この『カラーズ』はベックにとって初の脱オルタナティヴ・アルバムであり、ベック(とグレッグ・カースティン)にしか作れない、2017年における「ポップ」という概念を再定義するレコードになった。『カラーズ』の最たる特徴は、単にポップで、アップリフティングなダンス・レコードというだけではない。きちんと耳を澄ましてほしい。①多彩な曲構成、②幾重にも組み合わされたヴォーカル・メロディ、③異常なまでの情報量を持った緻密かつ濃密なプロダクションにこそある。
①については、グレッグ・カースティンと二人で練り上げたプロダクションこそ現行のポップと似通った部分(特に的確にエディットされたリズム・トラック)があるとは言え、ソングライティングそのものは現行のポップのスタイルに楯突くような、元来フォーク作家でもあるベックのスタイルが貫かれている。
そして、②。マックス・マーティン以降の世界では、ひとりのヴォーカリストがライヴの現場ですべてを歌うことが不可能なほどヴォーカル・メロディが対位法的に詰め込まれている。他のどの要素よりもヴォーカル・メロディによる「フック(=コーラス=日本で言うサビ)」を際立たせることに主眼が置かれている。
果たしてベックは、そうした潮流に向き合いつつ、①と②二つのポイントにおいて自らの独自性を提示した。これについては、アルバムからのリード・シングルでもあった“アップ・オール・ナイト”を例に取ってみよう。この曲の構成は、イントロ→ヴァースA→プレ・コーラスA→コーラスA→ポスト・コーラスA→間奏→ヴァースB→ブリッジ→コーラスB→ポスト・コーラスB→ポスト・コーラスC→アウトロ。
だが、このすべてのパーツの中で、同じヴォーカル・メロディが歌われるのはコーラスAとコーラスBのみ。二度のヴァースはまったく別のメロディ・デリヴァリー。しかも、それぞれ一度しか出てこない。プレ・コーラスAとブリッジはそもそもそのパート自体、たった一度きり。残りのポスト・コーラスA、B、C、3つのパートについてもすべて違ったメロディが当てはめられている。
この曲はたった3分10秒。そのコンパクトなサイズに彼はいくつものヴォーカル・メロディを持ち込んだ。有史以来、こんな構成を持ったポップ・ソングはおそらく始めてなのではないか。是非、改めて自分自身の耳で確かめて欲しい。
おそらくここには所謂トラック&フック・メソッドによって作られた分業制ポップ以上に、昨今のもうひとつのポップ音楽の世界の覇権を握るラップに対する対抗意識もあったに違いない。数小節の和声の円環の中で、客演を含めた何人かのラッパーがそれぞれのリリック・デリヴァリーで描き出すフロウの違いによるカラフルさは、間違いなく2010年代のポップ音楽における最大の特徴のひとつだ。マルーン5、テイラー・スウィフト、アリアナ・グランデを筆頭に多くのポップ・アーティストがフューチャーやミーゴス、ケンドリック・ラマー、リル・ヨッティといったラッパーを客演に用いるのは、彼らのファン・ベースを取り込もうとしているだけではない。間違いなく、そこには音楽的必然があるのだ。
だが、ベックはそれをも超えたかったに違いない。つまり、ソングライティングよりもプロダクションが重視される時代にグレッグ・カースティンとの協力体制によってそのマナーに寄り添いながら、と同時にソングライティングの伝統を進化させること。「曲構成」というパラメータにおいては、この“アップ・オール・ナイト”はかのビートルズでさえ果たしたことのない新たなトライアルに挑戦した革新的なポップ・ソングなのだ。
つまり、総じてこの『カラーズ』は「単にポップなアルバム」ではないということ。本当なら、収録曲10曲それぞれについて、事細かに彼のアイデアと野心の痕跡を指摘したいところだが、そこは読者であるリスナー諸氏の楽しみに譲ることにしたい。
ただ、上記のようなポイントは、大方のカジュアルなリスナーにとってはどうでもいいことだ。実際、ベックが『カラーズ』というアルバムが目指した地平は、筆者のような所謂音楽ナードの戯れ言とは対極にあったと言っていい。それを説明するには彼自身のこんな言葉がもっとも適切だろう。「だってさ、6歳の子が音楽を聴くのって、僕や君が音楽を聴くのとは全然違うだろ? 僕らの場合は、チャーリー・パーカーからヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ストゥージズみたいな音楽も全部知ってて、そういう音楽を心から愛してる。でもそれとは別に、ものすごくピュアな音楽、とにかく明快な音楽もあるってこと。それってものすごく作りにくいんだけど。でも、だからこそ、僕はそういう音楽に惹かれてるんだ」。
つまり、この『カラーズ』という作品は、これまでのベック作品ーーさまざまな音楽からさまざまなリファレンスを掻き集めてきて、まったく違う新しい音楽を作り出すという90年代的なポスト・モダニズムの象徴だったベック作品とはまったく違っているということ。これまでのベックの全ディスコグラフィーの中でも、唯一まったく違う位相のレコードと言ってもいいかもしれない。
因みに、“アップ・オール・ナイト”が昨年秋にサッカー・ゲーム『FIFA 17』のサウンドトラックとしてリリースされた時にはポスト・コーラスCのパートはなく2分台の曲だった。以下のベックとの対話は、ベック・ハンセンが昨年夏の〈フジ・ロック〉でのヘッドライナーを務めるべく日本の地を踏んだ際に行なわれたものだが、この時点ではアルバムはいまだ完成とはほど遠い状態。例えば、アルバム4曲目に収録された“ディア・ライフ”の印象を決定づけているイントロのラグタイム風のピアノは存在していなかった。つまり、彼はこの1年間、この曲をひたすらリコンストラクションし続けたのだ。
当初、予定されていたリリースが1年も延びた理由はおそらくはこうしたところにあったのだろう。③に到達するまではそれだけの時間を擁したということなのかもしれない。では、ベックとの対話を楽しんで欲しい。
取材の時点では、①アルバム・タイトルはいまだ未定。②アルバムはグレッグ・カースティンとベック自身の共同プロデュースという情報だけで、当時すでにリリースされていた“ワウ”以外はソングライティングにおいてもグレッグ・カースティンとの共作という情報はいまだ届いていなかったことを断っておきたい。
「ふう……まだ昨日の疲れが残ってるなあ。もうツアーに出て7週間になるんだ。今日が最後なんだけど。明日は家に帰って、で、その次の日にまたスタジオに入るっていう(笑)」
●アルバムのタイトルは決まったの?
「いや、まだなんだ。決めようと思ってたんだけど、この7週間ツアーが続いてて、時差ボケがすごくて、寝てないんだよね。だから、今の自分が信用できなくて(笑)。でもいくつか候補はあるんだ」
●ここ何年か、わりとずっとサンローラン着てるよね?
「うん。僕の体に合うの、あれだけだから。あ、でも、今日のは違うよ。これはスウェーデンで会った人が作ってくれたやつ」
●サンローランのどういうところが一番好きなの?
「彼(*デザイナーのエディ・スリマン。2016年4月に退任)はすごくいい友達だし、僕も彼も同じような場所から出てきた気がするんだ。僕は音楽を作って、彼はものを作ったり写真を撮ったりしてるけど、同じ言葉で話してる、っていうか。共生的な関係なんだよね。でも同時に、それが一時的なものだってことも僕はわかってる。彼は一時的なものとして服を作ってるから。彼、ついこの間サンローランを離れたけど、長くはやらないはずだって僕にはわかってた。だからこそ……この瞬間が特別なものだって気がするんだ。僕がレコードを作る時もその時、ある瞬間のサウンドトラックを作るような気持ちで作ってる。で、彼はその時に人が着るものを作ってるんだ。ユニフォームとして(笑)」
●じゃあ、これまでも君がそれぞれの時代のサウンドトラックを作ってきたっていう文脈で言うと、一つ前のレコードは『モーニング・フェイズ』っていうタイトルが示すように、夜から朝に変わっていくフェーズをキャプチャーした作品だった。だとすると、新作はどういう時代のどういう空気をキャプチャーした作品だと考えてますか?
「ほら、まさにそこに命、ライフそのものがあるように感じられるグレイトな曲、グレイトなアルバムってあるよね。生きてる感覚、そのフィーリングが音楽やサウンドの中で爆発してるような。つまり、それこそが今回のレコードのインスピレーションだったんだ。そうした感覚を音楽という表現の中にとらえること。だから、一つのエモーションだけじゃなくて、生きることそのもののエモーションを捉えようとしたレコードだね。僕としては“セレブレーション・ミュージック”って呼びたい。ただ、特に何か特別なものをセレブレートしてるわけじゃない。生きることの表現として音楽をセレブレートしてるだけなんだよ」
●なるほど。
「ただ、それが何かって聞かれると、すごく説明しにくくて」
●と言うと?
「これはパーティ音楽じゃないし、ポップ・ミュージックでもない。その間のどこかにあるようなものっていうか。生きることの苦しみもあるんだけど、それをその瞬間の喜びにしていくような音楽なんだ。実際、僕らみんなが愛するようなグレイトな音楽には、そういうメカニズムがあると思うんだ。聴く人を思わずにっこりさせるようなところがね」
●つまり、喜びと背中合わせの苦しみも含めて、祝福しようとしてる音楽ってこと? イン&ヤンのような状態をセレブレートしてる?
「そう。このレコードは『イエーイ、何もかもがパーフェクトだぜ!』みたいな場所から出てきたんじゃない。そういうんじゃないんだ。喜びを見つけようとする音楽だけど、大変なこと、失望、苦しみ、痛みも失敗もあるってわかってる。でも、『それでもやっぱりセレブレートしよう』ってことなんだ。だから、勿論、イン&ヤンでもある。と同時に、『クソひどいことは全部忘れよう』っていうんでもない。ひどいこともちゃんと見よう、それでも実感や生きているフィーリングを何とか見出そう、そしてそれを音楽の中に持とう、ってこと。そもそもそれが僕らのコンサートのインスピレーションだし、このアルバムのインスピレーションにもなったんだよ」
●なるほどね。
「グレイトなレコードって、タイムレスな喜びの感覚があるよね? 例えば、『レッツ・ダンス』や『スリラー』、ピーター・ゲイブリエルの『So』ーーどのレコードにもどこか暗さがあって。注意深く聴くと、どこか悲しさや怒りがあるんだ。本当にいろんなものがあるんだけど、最終的にはとてもアップリフティングで楽しいものになってるんだよね」
●じゃあ、この作品にこういうアングルはありますか? ここ数年でアーケイド・ファイアやボン・イヴェール、そして、君の『モーニング・フェイズ』がグラミーを受賞した。ある意味、メダルを与えられたわけだけど、と同時に、むしろ傍流に押し込まれた部分もなくはないと思うんですね。「取りあえず認めてあげたよ」みたいな。
「ふむ」
●ただ今回のレコードは、そもそも一般的には傍流と思われているだろうプリンスなり、デヴィッド・ボウイなり、ピーター・ガブリエルに繋がる系譜が王道なんだ、ってことを証明しようとしてるレコードなんだーーそんなアングルが僕なりにはあるんだけど、君自身のヴァージョンを聞かせてください。
「僕が感じるのは、そういう80年代のレコード、あと『サージェント・ペパーズ』みたいな60年代のグレイトなレコードもそうなんだけど、とにかくすごく野心的だってことなんだ。パワーの頂点にあったアーティストが最後までアクセルを踏み切ったっていう。なんにせよ、彼らは全部やりきったんだよ(笑)。でも、僕の若い頃っていうのは、野心的であることが受け入れられない時代だった。いつだって速度制限があって、それより速く走るのが許されなかったんだ。だから、若い頃、僕が何か思いついても、それをそのままやるのは許されなくて、ちょっとトーンダウンしなきゃいけない気にさせられた(笑)。でも、今の僕はもうそんなのどうでもいい心境になったんだよ。多分、世の中がもうちょっと緩くなったっていうのもあると思う」
●その「緩くなった」というのは、具体的に言うと?
「例えば、『俺はレッド・ツェッペリンが好きだ』とか、『俺はマドンナが好きだ』って言っても許されるようになったし、同時に、そういうのが好きな人がアーケイド・ファイアを好きでもかまわないってことになったってこと(笑)。つまり、『何がよくて、何がダメなのか?』っていうルールがなくなったんだよ。だろ? 実際、ここ5年くらい、僕がいたのはそういう場所なんだ。そこで『自分はどういう音楽を作りたいんだろう?』ってずっと考えてた。『でも、そんなの、みんな気に入らないんじゃないか、自分は頑張ろうとしすぎなんじゃないか?』とかね」
●なるほど。
「でも、このレコードに関しては、とにかくより野心的になろうと自分をプッシュしたんだよ。例えば、以前は曲を作っては仕上げる前に、『この作りかけの感じがクールじゃん』ってなることがあったんだよ。中途半端なのがいいってね」
●わかります(笑)。
「でも、今はアイデアがあったら、ちゃんと最後まで仕上げて、できるだけベストなものにしようとしてるんだ。そのせいで仕事量はずっと増えたし、自律が必要になってきた。実際、その方がいい曲になるのかどうかさえ、僕にはわかんないんだけど」
●でも、どうしてもトライしたかった?
「とにかく“すごく野心的になる”っていうのが僕がずっとやりたかったことなんだ。だって、さっき話した『スリラー』とか、ああいうレコードっていうのはめちゃくちゃに野心的で、ものすごく才能に溢れた人たち、パワーの頂点にあったアーティストが作ったレコードだからね。きっとみんなどこかで、『レコードを作るんなら、最後まで全部やろう、できるだけエキサイティングなものにしよう』っていう心境に達するんじゃないかな。失敗するかもしれないけど、少なくともトライしてみようってね。だから、このレコードのスピリットはそういう感じ。『自分ができること以上のもの、よりビッグなものを作ってやろう』って」
●例えば、ここ最近のスフィアン・スティーヴンスの活動を例に取ると、彼は常に本当に素晴らしいものを作ってる。ただ、たとえ彼自身が望んでることじゃなかったとしても、結果的には、どこかこれまで彼を支えてきたコミュニティに向けて語りかけているように感じることもあるんですね。
「ふむ」
●で、君の言う「野心的」っていうのは、例えば、自分からジャスティン・ビーバーの隣に、ブルーノ・マーズの隣に分け入っていくことさえも辞さない野心ーーそんな風に考えてもいいのかな。勿論、基本的にはクリエイティヴな野心について話してくれれるのは、わかってるつもりなんだけど。
「うん、キャリアっていう意味じゃない。例えば、『ヒットを飛ばしてやるぞ!』とかね。僕はもっと抽象的な話をしてるのかもしれないな。そう、僕ら、ポリスとツアーしたことがあるんだけど。10年くらい前にポリスの前座をやったんだ。うん、あれがいい例かもしれない。ほら、ポリスにはものすごくグレイトで普遍的な曲がいくつかあるよね? 彼らがそれを演奏しはじめると、空間が開くような感覚があってさ。突然、その空間がもっと大きくなって、まるでみんながその中にいるような感じになるんだよ。まるで魔法みたいでさ(笑)」
●うん(笑)。
「勿論、これまでの僕にも他のバンドにも、僕自身が大好きだって言える“小さい曲”っていうのはいくらでもあるんだけど、それとはまたまったく別物なんだよね。ある種の本当にすごい曲にはまるで永遠に続くような素晴らしいところがある。僕、去年ポール・マッカートニーと一緒にプレイする機会があったんだけど、『ラバー・ソウル』から2曲やったんだ。ポール・マッカートニーの曲って、本当にその部屋の空気を変えちゃうんだよ。彼ってその道の達人っていうか」
●わかります、わかります。
「で、僕が思うのは……ここ10年くらいでどんどん曲が小さくなっていっちゃったってこと。ある意味、人間ってそういうもので、曲を作る時にはただ周りにいる人たちのために作ってたりするんだよね。でも歳を取ってくると、『みんないる』ってことに気づくんだよ(笑)。別にレコードを売ろうとしてるとかって話じゃないよ。それにもう、そんなの意味ないし。だろ? 誰もレコード買わないから。ただ、現実の世界って、それとは全然違うんだ。う~ん、なんて言えばいいんだろう……とにかく違うんだ(笑)」
●(笑)。
「ほら、例えば、いろんなミュージシャンがプレイするイヴェントとかに出演するだろ? そこにはジャック・ホワイトからイーグルス、ニール・ヤングまで、あらゆる人たちがいるわけだよね。でも、そこにいきなりスティーヴィー・ワンダーみたいな人が出てくると、もう全部ガラッと空気全体が変わるのがわかるんだ(笑)。その理由は明確でさ。つまり、彼がすべての人たちに向けて歌ってるから」
●すごくよくわかります。
「それって、もはやクールであることを超えて、ロックンロールであることさえも超えちゃってるんだよ。だろ? もうとにかくまったくの別物なんだ。だから、今回の僕はそういう音楽にインスパイアされたってことなんだと思う。ビートルズやデヴィッド・ボウイがやるような音楽をやろうと思ったんだ」
●なるほど、なるほど。
「勿論、その方がずーっと大変なんだけど。実際、本当に難しい(笑)。だって、自分の頭の中から出ていって、全世界に向かわなきゃいけないからね。それにある意味、自分を他のものにゆだねることでもある。要するに、かっこつけて、エゴイスティックになることの真逆だよね。つまり、それって、ただ一人の人間になることだから。そう、一人の人間として音楽を作ること――」
●どういうこと?
「だってさ、6歳の子が音楽を聴くのって、僕や君が音楽を聴くのとは全然違うだろ? 僕らの場合は、チャーリー・パーカーからヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ストゥージズみたいな音楽も全部知ってて、そういう音楽を心から愛してる。でもそれとは別に、ものすごくピュアな音楽、とにかく明快な音楽もあるってこと。それってものすごく作りにくいんだけど。でも、だからこそ僕はそういう音楽に惹かれてるんだ。おかげで大仕事なんだけど(笑)」
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分断と衝突の時代にすべての人々を社会の
外側へと誘う究極のポップ『カラーズ』の
真価をベック本人との会話で紐解く:中編