出生時の名前は、ヴァーナー・ウィンフィールド・マクブライア・スミス4世。5歳の時にろくでなしの父親と別れてマック・デマルコを名乗り、地元カナダのエドモントンでも札つきのワルになるが、女手ひとつで自分とバレエ・ダンサーの弟を育ててくれた母親には感謝しているらしい。現在は“キキ”というあだ名のガールフレンドと一緒に、ブルックリンのアパートで同棲中。最近はツアーでなかなか会えずに寂しいそうだが、そんな彼の毎日を30ドルで買ったという安物のギターと、前歯の隙間から漏れる煙のような歌声で綴ったのが、この『サラダ・デイズ』というアルバムだ。普段はボンクラを演じているが、最愛の家族や恋人への想いも、自分の恥部さえも隠そうとしない彼のそんな姿に、誰もが惹かれてしまうのだろう。YMOの大ファンで、先日もテレビで『ガキの使いやあらへんで!』のパロディを披露していたこの男の音楽は、日本のリスナーにこそ訴えかけるはずだ。(清水祐也)
まるでこれ自体が一つの意志を持った生命体のような音楽だ。苦しみや悲しみを抱え、怒りに震え、喜びを伝える。生きている証が脈動していく、これはそんなアルバムだと言っていい。日本古来の民謡、ルーマニアのドイナ、ポルトガルのファドといった伝統歌を継承しながら、エレクトロニクスやストリングスを大胆に取り入れた新たなヴォーカル・ミュージック。音楽性を乱暴に分析するとそうなる。だが、彼らが何よりも望んでいたのは、作り手である自分たちの手を離れて、作品自体が自立することだった。自分とよく似た誰かではなく、自分とはまったく違った他者と会話を重ね、ぶつかり合うことで、意識がみるみると活性化されていくように、このアルバムは秘境の地の音楽との邂逅によって、生命を与えられ、あたかも作品そのものが歌い、奏でているかのように聴こえる。本作の主役は岸田繁、佐藤征史、ファンファンではなくTHE PIERなるアウラ。音を鳴らして発信するその魅力的な生命体が奏でる壮大なストーリーがここにある。(岡村詩野)
何かが決定的に変わったわけではない。様々な楽器を持ち込み音色の幅を広げ、抑揚の効いた演奏がメロディを磨き、ロネンフェルトの歌声は焼き鞣したように低音の凄みを増した。尺を伸ばし、饐えたグランジからゴシック・アメリカーナ、地を這いずるロッカバラードまでソングライティングはドラマチックに駆けるが、その軸足はハードコア・バンドとしての雛型に置かれていることに今も大きな違いはない。それでも、アイスエイジというバンドと新たに出会い直すような目覚ましさがここにはある。コペンハーゲンのアンダーグラウンドで揉まれた先鋭性に、〈マタドール〉から大海に放たれ場数を踏んだ貫録が備わった。至極真っ当なキャリア・ステップに相応しいロック・レコードであり、王道的とさえ言っていい。〈NME〉は先日ロンドンで行われたライヴを、1976年のピストルズにさえこれほど魅了され興奮させられることはなかった、と伝えた。そういうアイコニックなアルバムだ。(天井潤之介)
今年デビューした英国インディ・ギター・バンドでは、最大の成功を収めたアルバム。その事実を、あなたはどう受け止めるだろうか? ここでは、バーズやラヴ、初期ピンク・フロイドなどサマー・オブ・ラヴ世代からの影響は勿論、そのルーツや枝分かれの先にあるフリー・ジャズやクラウト・ロックやイタリアン・プログレまでも飲み込んだ、サイケデリック音楽の奥深い歴史が幻想的に乱反射している。12弦ギターの甘い旋律で幕を開けるアルバム冒頭から最後の一音まで、何もかもがスタイリッシュで、ため息が漏れるほど美しい。中途半端にモダンな味付けは無粋ということなのか。おそらく意図的に、わかりやすい「新しさ」だけは周到に回避されているが、その判断の的確さも含めて唸らずにはいられない。センスが良いとはこういうバンドのことを言うのだろう。エディ・スリマンが目をつけてしまうのも、残念だが仕方ない。詰まるところ、このアルバムが投げかけているのは、「新しさってそんなに大切なの?」という問いだ。むしろ、そんなオブセッションから解放された先にこそ、豊饒な音楽の喜びが広がっているのではないかと、本作は語りかけてくる。(小林祥晴)
アニマル・コレクティヴを起点とする2000年代のブルックリン勢が広義のフォーク・ミュージックを再定義したとするなら、2014年の日本でそれを成し遂げたのが、このアルバム。そう断言することに何の躊躇もない。森は生きているの2ndは、膨大な音楽的含蓄によって歴史という土壌を力強く踏みしめながら、恐れを知らぬ冒険心によって大輪の花を咲かせている。目を見張るべきは、緻密さと大胆さを圧倒的に増したプロダクションの凄まじさ。考え抜かれた一音一音の位相や音色は、幾度となく聴き手に鮮烈な覚醒を促すと同時に、夢と現の間で揺らめくような幻想的な手触りをも与えている。最早これをアメリカーナやはっぴいえんどの子供たちという言葉で閉じこめてしまうのは難しい。そうしたこれまでの英知を噛み砕いた上で、2014年の新しい音楽を彼らは発明した。ここに広がるのは、間違いなくまだ誰も見たことがない新しい光景だ。
だが、彼らはこれみよがしに難解さをひけらかし、耳目を集めることを良しとはしない。ともすれば、ただの心地よい音楽として聴き流すことも出来るほど、さり気ない。それは、このアルバムをどのように聴くかはリスナーひとりひとりに委ねたい、という意志の表れでもあるだろう。と同時に、派手な装飾を散りばめなくとも、この音楽的な達成に気づいてくれるはずだ、という我々への信頼でもあるに違いない。果たして、彼らからさりげなく投げかけられたこのメッセージは、どれだけの人々に届いただろうか? どこまでも誇り高く、とても厳かに佇むこのアルバムは、また誰かがその真価に辿り着くことを、ただ超然と待ち続けている。(小林祥晴)
「2014年 年間ベスト・アルバム50」
はこちら。