ディアンジェロとケンドリック・ラマーの年に、日本にceroがいたこと。日本で『Obscure Ride』が鳴っていたこと。それが、どれだけ心強かったことか。90年代~同時代のアメリカ黒人音楽のメッセージの表層ではなく、音の気分でもなく、「音楽の構造そのものをサンプリングした」という本作は、この国のポップ・ミュージックのフロントラインに打ち込まれた大きな杭として、これから5年後、あるいは10年後にも有効な野心的な音楽家たちの旗印となるだろう。ヒップホップやジャズも飲み込んでいくタフな胃袋と、それを具現化するタフな演奏スキルと、髙城晶平の見違えるようにタフになった歌声。渋谷系においてもっともエクストリームな存在であった小沢健二の鬼子的傑作『Eclectic』を、思想ではなく肉体で乗り越えることで、ようやく21世紀に時計の針を進めてみせた。さぁ、本当のお楽しみはこれからだ。(宇野維正)
今年の音楽シーンの全体図を語る上で、ディアンジェロやケンドリック・ラマーに代表されるブラック・ミュージックの隆盛は誰もが避けて通れないトピックに違いない。黒人音楽の歴史を敬意と共に再解釈する大胆さ、生演奏によるフィジカルな魅力の再発見など、音楽的な側面だけを取っても彼ら黒人アーティストが残した功績は大きかった。その影響はジャンルの垣根を易々と超えて、現代のジャズやビート・ミュージックともリンクするネットワークを形成しているわけだが、そこにも繋がる形でオーストラリア出身の非・黒人バンドという異端がブレイクを果たしたのは、今年もっとも予想だにしなかった出来事の1つと言えるだろう。彼らハイエイタス・カイヨーテは、人力から叩き出されるフリーキーなクロスオーヴァー・サウンド、ネイ・パームの未来的な佇まいとソウルフルな歌声によって数多くの同業者の賞賛を受け、遂にはプリンスやスティーヴィー・ワンダーといったレジェンドをも虜に。一気に全米で成功の階段を駆け上がっていった。以前よりも確実に風通しが良くなりつつある今の時代、音楽に説得力さえあれば、国境を超えるのは困難ではないことを、彼らの姿は証明している。(青山晃大)
ミゲルの実に独特な捉えどころのないエクレクティックなR&Bを聞くと、彼を現代のプリンスだと呼びたくなる気持ちもわかる。ロックから多くのものを得、ノスタルジックな感触を残しつつも新しく現代的で、リリックのテーマには性愛がかなり大きなウェイトを占める。自らギターを弾き、ビートも組む。なによりもミゲルの音楽にはサイケデリアがある。そう、ミゲルは現代のプリンスなのだ。“…ゴーイングトゥヘル”やそれに続く“フレッシュ”――後半、官能的なフェイクやファルセットが左右から覆い被さる、幻惑的で、ヒプノティックでさえある驚異のサイケデリック・ファンク――を聞くと、この『ワイルドハート』はテーム・インパラの音楽ともほど近い場所にあるのではないか、と思わせられる。一方、メキシコ系とアフリカ系双方の血を引く自らの出自に直接言及しながら「普通って何?」とこぼす“ホワッツ・ノーマル・エニウェイ”の内省が、彼を一層魅力的なシンガー/リリシストとして輝かせる。これはミゲルの最新作にして、現在のところの最高傑作だ。彼自身の『サイン・オブ・ザ・タイムズ』(と『ラヴセクシー』)を完成させるまでミゲルの快進撃は続くだろう。(天野龍太郎)
ダンス・ミュージックからエクスペリメンタルまで包含したエレクトロ・ミュージック一般のみならず、インディ・ロック、ハードコア、形式主義を超えて形式それ自体を問い返すブラック・メタル左派――その全てにここ数年、重たく影を落としているのがインダストリアルだ。SM、レザー・フェティシズムなどこのLP(2CD、92分)が纏っている記号は、現在のインダストリアル/ノイズのオリジンであるところの70年代後半から80年代におけるそれを否応なく想起させる。だが一方でプルリエントはインダストリアルの影響下に生まれた21世紀のハードコアやメタルから逆照射されたそのグロテスクな本質をえぐり出して見せる。これが「ニューヨーク・シティのサウンドトラック」だって? そんなローカルなものじゃない。これはリスナーに、そしてシーンに静かに、だが確実に衝撃を与えた2015年の最重要作だ。聡明なる〈サイン・マガジン〉の読者諸兄姉におかれましては是非ともこのアルバムをEDMと対置させ、ガール・バンドの『ホールディング・ハンズ・ウィズ・ジェイミー』(あるいはデフヘヴンの『ニュー・バーミューダ』)と並べてお聞きいただきますよう。(天野龍太郎)
2015年、すべての中心はこのアルバムにあった。ヒップホップを今一度ブルーズやジャズの歴史と接続させ、更新することで、音楽は歴史だという公理を証明した。と同時に、いち早くゼロ年代にブルーズとジャズをポップの最前線に取り込んだレディオヘッド2001年のアルバム『アムニージアック』へのオマージュを捧げることも忘れない。彼自身の半径5メートルのリアリティから眺めたパースペクティヴ――紀元前から大航海時代を経て、アメリカ建国からもう少しで250年、だが、今も不条理極まりない世界が広がっているという誰もが目を背けがちなパースペクティヴを提示することで、過去と未来を接続し、今を描き出した。社会で起こっていることと、1対1の恋愛の現場で起こっていることのアナロジーを使うことで、日常のあらゆるすべては政治であることを改めて示した。誰よりもポップ音楽というアートフォームの可能性を信じ、今も時代とそこに暮らす人々に対し、そのアクチュアリティがしっかりと機能することを証明した。ソングライティング、演奏、録音/プロダクション、リリックの内容/形式――すべてのパラメータにおいて、その他の作品を凌駕し、アルバムという単位がいまだ有効なタブローたりえることを示した。いくつもの解決される兆しさえ見えない問題を容赦なくえぐり出しながら、サム・クックやジョン・レノン、テイラー・スウィフトよりもさらなる説得力を持って、この言葉を口にした。「ALRIGHT」。こんなことが誰に出来た? いや、そもそも誰も挑戦さえしなかったのではないか。そして、勿論、このアルバムは、彼自身の同胞であるアフロ・アメリカンだけでなく、すべての人々に語りかける。あらゆる国家、あらゆる時代に暮らす、あらゆるカラーのすべてのニガーに語りかける。ねえ、日の丸ではなく、星条旗ではなく、このアルバムを旗として掲げるのはどうだい? 改めてリロイ・ジョーンズの言葉を借りよう。音楽とは歴史だ。もし仮に、自分はこの作品にどんな興味も持てないと言い張る者がいるなら、こんな引用を捧げたい。あなたに音楽を愛しているとは言わせない。(田中宗一郎)
「2015年 年間ベスト・アルバム 50」
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