>>>2015年のベスト・アルバム5枚
>>>2015年のベスト・トラック5曲
2015年の総論的なものを、というのがこの原稿の趣旨なのですが、大晦日に紅白歌合戦を大笑いしながら観たおかげで2015年がいったいどんな年だったのかまったく思い出せません。まともな大人が考えているとは思えないあまりにもガラパゴスで幕の内弁当的ななんでもありの悪ノリ演出にひどい眩暈を覚えながらも心底楽しんだのですが、おかげで洋楽がすべて吹き飛んでしまいました。そんなわけで個人的なフェイヴァリット5作にはJ-POPアルバムを2つ、忍ばせています。
とりわけSEKAI NO OWARIの『Tree』の完成度の高さには驚かされました。センシティヴでピュアでナイーヴな態度を隠さないリリックも含め、セカオワの音楽はチャイルディッシュだと言えばそのとおりで、そしてそれこそが彼らの魅力の1つなのだと思います。“RPG”や“スノーマジックファンタジー”に象徴的なように、大太鼓と巨大な2枚のクラッシュ・シンバルを打ち鳴らしてマーチする彼らの音楽はオーケストラ的というよりも学芸会的で、吹奏楽的というよりも「吹奏楽部的」。なのですが、アルバムの最後に置かれた“Dragon Night”のリリックを聞いてみましょう。「人はそれぞれ『正義』があって」という導入部分は素朴な相対主義です。が、そこで冷笑を浮かべようと言うのではありません。一旦の棚上げをしよう――“Dragon Night”はそう唱えています。決してわかりあうことのできない他者と「友達のように踊る」こと。「のように」というのがポイントなのでしょう。「誰もが『友達のように踊る』ことができればこんな血なまぐさいことなど……」と去年は何度思ったことか。とはいえそんな感傷こそ、子供っぽいものでしょう。相対主義と問題の棚上げではなにも解決しません。一方を優先することで他方が苦しみを強いられる、それこそが政治なんだ、というようなことを亡くなった竹田圭吾も書いていました。
マーライオンの『マーtodaライtodaオォォォン!!!』は『吐いたぶんだけ強くなる』、『ボーイミーツガール』から連なる三部作として選びました。唐突に発表されたラップ・アルバムで彼は徒手空拳でインディ・ミュージック・ビジネスの闇に挑んだり、ティーンネイジャーの頃の記憶や何気ない日々の出来事を優しい手つきで慈しんだりしています。「子供の頃一緒に遊んでたマンションの女の子/今じゃもうギャル/生粋のギャル/話したいけど話すことがないよ」(“ボーイミーツガール”)。マーライオンのむき身の、センチメンタルな言葉にはハッとさせられます。そこには彼にだけ許された真実性のようなものが宿っているように感じられるのです。ぜひ『マーtodaライtodaオォォォン!!!』をKOHHの『DIRT』とを聞き比べてください。語るべきことを自らの言葉で語ろうとする2人の若者の音楽として。「今日のハイライトを決めるのは僕たち/これからの展開全部ハイライトになる」(“メロウ記念日”)――マーライオンはそう力強く言ってみせます。
ベスト・トラックのほうも上位2曲はJ-POPです。大森靖子は西野カナ、miwa、大原櫻子、chay、SHISHAMOといったフィメール・シンガー/バンドのオルタナティヴとして自覚的に振る舞いはじめているように思います。言うまでもなくそれは「そういったオルタナティヴを求める層を顧客に」といったマーケティング的な目的では決してなく、大森靖子という歌手の表現の先鋭化としてあることは“マジックミラー”――おそらくアダルトヴィデオ用語から取ったと思われるタイトル――を聞けば瞭然でしょう。「あたしのゆめは/君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを/掻き集めて大きな鏡をつくること」という素晴らしいフックは、小沢健二の『LIFE』から20年後の今、大森靖子はかつて歌われた“LIFE”をあらゆる面で反転し、20年前には歌われなかった“LIFE”を歌おうという宣言に他なりません(「オザケン枠」として紅白に出場すべきだったのは星野源ではなく彼女だったのです)。
大森靖子とはまた別の道を歩むフィメール・オルタナティヴ・ポップ・シンガーであるところの柴田聡子。大森靖子が裏なら、柴田聡子は裏の裏――ということは表? それはともかく、まるで即興詩人のような手つきで言葉と言葉をアクロバティックに繋ぎ留めて編まれたリリックは幻想的で、少しクレイジーで、ストレンジで、でも日常的で、誤解を恐れずあえてこの形容詞を使えば、恐ろしいほどにガーリー。「目にみえるものすべてサファイア、ルビー/さんご・ダイヤモンド・パール・プラチナ」……。彼女にしか書けそうにない、そして彼女にしか歌えそうにない瑞々しい言葉と歌は2015年、際立って輝いて聞こえました。
さて。2015年といえば、アップル・ミュージックをはじめとした本格的なサブスクリプション・サーヴィスの到来です。個人的な話で恐縮ですが、昨夏、百数十枚の7インチ・レコードを盗まれる被害に遭ってしまい、それをきっかけに「モノも信用できない! 信用できるのはクラウド上のアーカイヴだけ!」との結論に至りました。というのは言いすぎですが、その経験がますますアップル・ミュージックへの依存を深める結果に(とはいえ相変わらずレコードは買い続けています)。これら定額制のストリーミング・サーヴィスが将来的に音楽の流通方法を含めた音楽ビジネス全体やアーティストと作品のあり方にどのような影響を及ぼすかどうかは5年、10年経ってみないとわからないところで、それがネガティヴなものでないよう祈るばかりですが、まあ、なるようにしかなりません。
と、紅白歌合戦の衝撃で2015年の洋楽に関する記憶がデリートされてしまったがためにJ-POPについて、しかもそのサウンドではなくリリックについてばかり書いてしまいました。聡明なる洋楽ファンであるところの〈サイン・マガジン〉の読者の皆さんには大変申し訳ない……。のですが、こういった洋楽中心のメディアをチェックしているリスナーがセカオワやマーライオン、大森靖子、そして柴田聡子を同じJ-POPとして聞くことに何かしらの意味があるんだ、ということをここで問うておきたかったのも本心です。思えば「ポップとは何か? そしてそのオルタナティヴとは何か?」と作品と自分自身に問いかけながら音楽や映画に向き合ったのが僕の2015年でした。その結果として上のリストを見ていただければ、と思います。2015年も新しい音楽を聞くことはひたすらにおもしろかった。2016年もきっとおもしろいにちがいありません。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
「〈サインマグ〉のライター陣が選ぶ、
2015年の私的ベスト・アルバム5枚
&ベスト・トラック5曲 by 渡辺裕也」
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「2015年 年間ベスト・アルバム 50」
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