「ボン・イヴェールと私。そして、あなた」
特別エッセイ:ありきたりなひとりの男が
ボン・イヴェール愛を獲得するまで:前編
5) 2015年ウィスコンシン、2010年日本
それから6年ほど経って、僕はジャスティンの故郷であるウィスコンシンでその歌を聴いていた。彼が地元町オークレアで主宰した音楽フェスティヴァル〈Eaux Claires〉に無謀にも乗りこんだからだ。日本からテントを担いで行くのはさすがにキツかった……が、どうしても僕は行かなければならなかった。バンド同士の友情で集められた、ナショナル、スフィアン・スティーヴンス、スプーン、サム・アミドン……出演したミュージシャンたちは、そこでは言わば「喜ばしき冬」で、その共同体の現在を見たかったからだ。
そのフェスティヴァルは一言で言うと関わったすべての人たち――アーティスト、スタッフ、そしてオーディエンス――が、ジャスティン・ヴァーノンという人が生み出したコミュニティに参加し、それを祝福するものだった。僕はそこに加われたことが誇らしかったし、それにジャスティンは何ひとつ変わっていなかった。2万人のオーディエンスに向けて、「グッド・ジョブ!」と人のいい笑顔を見せていた。
それは2010年にヴォルケーノ・クワイアとして来日したときに見たのと同じ笑顔だ。その持ち主は、穴の開いたスニーカーを履いてノシノシと歩き、ちょっと知っている日本語をすぐ嬉しそうに口にするような……つまり、思っていた以上に豪放で、ちょっと心配なぐらいにナイス・ガイだった。が、ファルセットとバリトンを使い分けつつ自分の声にエフェクトをかけ、長身を揺らしながら歌うその姿を見て、彼が音楽を自由に発想する豊かな才能に恵まれたミュージシャンであることはすぐにわかった。
「すごいショウでした」、ライヴが終わってから拙い英語で話す僕に彼は「ありがとう」と日本語で言う。「いつかウィスコンシンに行きたいです」と伝えると、「ぜひ来てよ!」とニカッと笑った。
その頃からジャスティンはカニエ・ウェストやジェイムス・ブレイクとコラボレーションをするぐらい人気者になったし、2ndアルバムを経てなんとグラミー賞まで獲ってしまった。
だが彼は誠実であり続けた。グラミー賞のスピーチで「僕はこの会場にいない才能のあるひとをたくさん知っています。だから、この会場にはいない才能のある人びとに感謝します」と話す彼――学校の先生のような地味なスーツを着ていた――の姿を見て、僕はテレビの前でひっくり返った。
ウィスコンシンで見たジャスティンは何にも変わっていなかったけれど、でも、彼が奏でる「喜ばしき冬」はさらに大きな、懐の深いものになっていた。英国のフォーク三姉妹であるザ・ステイヴスを従えつつ、ライヴの一曲めで演奏された“ヘヴンリー・ファーザー”はシンセが微妙に上下する不思議な浮力を持ったナンバーで、もはやファルセットが美しい素朴なフォーク・ミュージックなんてものから遥か遠くまで来たことを示している。
6) still alive who you love
すこし遡ろう。その、世界中で評価された2ndアルバム『ボン・イヴェール、ボン・イヴェール』(2011年)は、ヴォルケーノ・クワイアを経たポストロック的なアプローチによってより複雑でスケールの大きな音楽性を手にした作品だ。挙げればキリがないが、とくにサックス奏者/ドローン・ミュージシャンのコリン・ステットソン、ストリングス・アレンジャーのロブ・ムースといった卓越したミュージシャンたちを引き入れることで、そのコミュニティ性をさらに高めている。
7) 盲目の子どもたちのゴスペル
ボン・イヴェールが大きくなりすぎたことによって、ジャスティンはバンドの活動からやや距離を置き、コラボレーションやサイド・プロジェクト、それにプロデューサーとしての活躍を見せていくことになる。なかでも特筆すべき……というか、ジャスティン・ヴァーノンがどういう人間かを示しているのは、ザ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのアルバム『アイル・ファインド・ア・ウェイ』(2013年)のプロデュースだろう。
このメイキングのドキュメント映像を見ていると、僕は何度となく涙ぐんでしまう。そこにはただただ理想的なコミュニティがあるからだ。1940年代に盲学校で結成されたゴスペル・グループの「新作」に、現代的な音響を与え、それを可能にする音楽仲間を集め、「人びと」の歌として再生してみせること……。
ジャスティンはボブ・ディランの『ショット・オブ・ラヴ』収録の“エヴリィ・グレイン・オブ・サンド”のカヴァーに参加しており、ディランのディスコグラフィのなかで忘れられがちなこの曲は、彼にとって「自分の人生の暗い時期を支えたくれた」歌だという。それはだから、すべての盲目の子どもたちのための霊歌なのだ。これもまた「喜ばしき冬」ではないとどうして言えるのだろう?
8) still very lovable
去年僕がウィスコンシンまで行ってボン・イヴェールを観たのはじつは、もうその物語を終わらせにかかっているのではないかと思ったからだ。山小屋の歌からはずいぶん遠いところまで来たし、何より地元のステージというのが出来過ぎていた。が、アンコールで新曲が披露されたとき、それは続くことを僕は知った。
ジャスティンは力強い足取りで――あの、ノシノシとした豪快な歩みで、相変わらず前に進み続けているのだ。今回のアジア・ツアーの報にははじめ驚いたが、ボン・イヴェールというコンセプトを新たな場所へと動かす決意の表れだろう。もう一度、“フォー・エマ”の歌詞を引用しよう。
「今も愛すべきひと/たくさんの嘘も全部含めて」
「旅をした/光を探し求め/数多の見知らぬ道を/永遠に過ぎ去った/エマの影を想いながら」
「エマへ」と綴られた手紙は、やがて発話者が不明瞭になって終わっていく。彼は彼の傷を、誰の胸にも眠る「今も」愛すべきものとして鳴らしたのである。だから、そう、あなたはもう気づいているだろう。僕やあなたがこのコーラスに加わることで、この歌のハーモニーは完成する。物語は続いていく。2016年の日本で……その歌と出会って、8回目の冬に。
ライヴでハイライトを演出する代表曲“スキニー・ラヴ”は、「強くあれ」という歌だ。僕もまた、何かや誰かを好きになることを恐れていただけだ。誠実という表現が退屈ならば、それは彼の勇敢さだと言い換えてもいい。僕はこの勇敢な男と勇敢な歌と出会えたことに「今も」感謝している……失った愛の傷を隠すのでもなく癒すのでもなく、あなたと分かち合うことで、新しい季節が訪れることをその歌は教えてくれる。その大きな手は、迷うことなく差し出されている。
「ボン・イヴェールと私。そして、あなた」
特別エッセイ:ありきたりなひとりの男が
ボン・イヴェール愛を獲得するまで:前編