ポップとラップが全盛の今、インディ・バンドは何を作ればいいのか? 多くのアーティストがその問いの前で立ち尽くしている中、2018年前半にもっとも理想的な回答を打ち出すことに成功したのはアークティック・モンキーズと、このチャーチズだった。チャーチズ3年ぶりのニュー・アルバム『ラヴ・イズ・デッド』には、そう断言したくなるほどの手応えがある。
結論を急ぐと、このアルバムは、初期からのインディ・ファンの期待に応えつつも、アリアナ・グランデやカミラ・カベロに熱狂するポップ・リスナーや、マシュメロやチェインスモーカーズといったポストEDMのオーディエンスにも届くポテンシャルを秘めた、理想的なバランスのポップ・ソング集――そんな風に言っても過言ではない。
これまですべての楽曲をセルフ・プロデュースしてきたチャーチズだが、今回は初めて外部プロデューサーを起用。全13曲中9曲でグレッグ・カースティンと共作し、エド・シーランを手掛けたスティーヴ・マックとのコラボも1曲ある。セイント・ヴィンセントやフー・ファイターズを例に挙げるまでもなく、ロック/インディ・アーティストがポップ・プロデューサーを起用するのは近年の傾向のひとつ。その意味では、『ラヴ・イズ・デッド』における「ポップ」への冒険も、方法論自体は極めて正攻法だと言っていい。だが、その成果には目を見張るべきものがある。
幾つかの曲を具体的に見ておきたい。新作からの最初のリード・シングルとなった“ゲット・アウト”は、比較的これまでのチャーチズに近い印象を与えるエレクトロ・ポップ。だが、60台前半までテンポ・ダウンしたBPMと、それを倍速でも感じられるようなアレンジは、ここ最近のヒップホップとも緩やかな共振を見せている。と同時に、いつになくアンセミックなヴォーカル・メロディは、全米ヒット・チャートを追いかけているようなリスナーの心もつかむだろう。
そして、スティーヴ・マックとのコラボで作られた“ミラクル”は、ビッグ・フェスで大観衆が熱狂する姿が目に浮かぶ強烈なバンガー。おそらく、この曲が一番ファンを驚かせたに違いない。コーラスでハーフ・テンポに落ちるところといい、リード・ヴォーカル以外のパート(この曲ではシングアロング系のコーラス)がもっとも印象的なフレーズを担う構成といい、EDM以降のダンス・ミュージックに対するチャーチズ流の回答だと位置づけられる。
これを聴いて、セルアウトだと騒ぐ頭の固いインディ純粋主義者は放っておけばいい。『ラヴ・イズ・デッド』は、チャーチズが既存のファン・コミュニティの外側へと、様々な手を尽くし、積極的に語りかけようとしているアルバムだ。彼らはインディ出身というアイデンティティを保ったまま、ポップ、ポストEDM、ヒップホップなど、幾つものクラスタへと積極的に橋をかけようとしている。インディ衰退の原因のひとつが、インディ・コミュニティに自閉して自家中毒を起こしていることだとすれば、チャーチズはまさに2018年に作るべきアルバムを作り上げたと言えるだろう。
このような方向性に彼らが意識的に向かったことは、『ラヴ・イズ・デッド』というタイトルからも窺える。ローレン・メイベリーの言葉を借りれば、これは「共感の死」という意味。つまり、このアルバムは、音楽に限らずあらゆる局面で分断と対立が起こっている時代へのリアクションだということ。リリックも基本的には個人のリレーションシップをモチーフにしながらも、相互理解の難しさや、自分が一方的に正しいと思い込むことの危うさについて歌っている。今の時代に、どのようにして壁ではなく橋を作るのか?――それを音楽と言葉の両面から問いかけようとしている『ラヴ・イズ・デッド』は、現代的な課題に正面から向き合って生まれた傑作だ。
それでは、ここからは、本人たちとの対話でこの素晴らしいアルバムを更に解きほぐしていこう。(小林祥晴)
●僕の解釈では、『ラヴ・イズ・デッド』は「分断と衝突の時代に対する、アンダスタンディング(理解)もしくはエンパシー(共感)からの回答」と位置付けられるのではないかと思いました。あなたたちとしては、こういった捉え方にはどの程度納得が出来ますか?
ローレン・メイベリー(以下、ローレン)「歌詞の内容に関して言えば、そういうことに結構影響されてるんじゃないかな。特に、今みんなが感じている悲しみや失望よね。必ずしも答えが見つかるわけではないけど、そこを深く掘り下げようとした。その重みや幻滅を抱えながらも、希望を持ち続けて前に進もう、っていう思いを表現していると思う」
●では、そういったテーマと音楽的な部分を、それぞれ微分しながらじっくりと訊かせてください。
ローレン「うん」
●今回のアルバムを聴いて一番最初に気づいたのは、これまでよりもテンポ・ダウンした曲が多いということです。アルバムのオープナー“グラフィティ”はBPM80ですし、“ミラクル”と“ゲット・アウト”はBPM62ですよね。
イアン・クック(以下、イアン)「その倍とも言えるけどね」
●そう、倍速でも取ることが出来る。これは今まであなたたちがやったことのないテンポだと思いますが、それは意識的な判断だったのでしょうか?
マーティン・ドハーティ(以下、マーティン)「意図的ではないけど、制作上での判断ではあるね。曲作りの際、テンポに関して決め事があるわけじゃないんだ。よくあるパターンとしては、まず曲のデモを作る。で、それを一旦置いて、今度は頭の中で曲に合うテンポのイメージを描く。そして、またデモに戻って、最初に再生した時に自分が想像していたより『早いな』、あるいは『遅いな』と感じたら、思い描いていたものに合わせて調節するんだ。やってて楽しい実験だね」
イアン「さっきも言ったように、“ミラクル”と“ゲット・アウト”は倍の速度でも取れると思うんだ。例えば“ミラクル”は……(歌いながら手拍子を早める)。わかるよね? どちらとも取れるんだよ。同じ曲だけど、ギアの入れ替えが出来る感じが気に入っている。そのテンポの双対性から生まれる緊張感があると思うから」
●リリックにしろサウンドにしろ、優れた表現というのは、いろんな解釈に開かれているものだと思います。今、イアンがテンポの感じ方の違いを示してくれたように、テンポ・ダウンすると、いろんな形でリスナーが自由にリズムを取ることが出来ますよね。そういった部分での挑戦もあったんじゃないですか?
マーティン「現代のポップ・ミュージック――クラブ・ミュージックにも言えることだと思うんだけど、ここ10年くらい、所謂ハイエナジーの4つ打ちビートからみんな離れていっているよね。今、クラブに行くと、昔と比べて半分くらいのテンポの曲に合わせて、みんなが踊っている。それに気づかないところで影響を受けているのかもしれないな。意識的なものでは絶対にないけど、今の話を聞いて、もしかしたらそうなのかな、と思ったんだ」
イアン「ヒップホップからの影響というのもあるよね」
マーティン「そうだね。ダンス・ミュージックよりヒップホップのリズム・プロダクションの方が、今は主流になっているから」
●あなたたちが2016年に2nd『エヴリ・オープン・アイ』を出して以降、R&Bやヒップホップは特にテンポ・ダウンが進んでいますよね。BPM55、60とかまで来ている。そこに対する対抗意識もあったと思いますか?
マーティン「もしかしたら無意識に反応していたのかもしれない。僕たちがスタジオで制作をする時、意識的に『今、こんな感じの音楽が流行っているから、それを取り入れてみよう』っていうことは絶対にしないんだけど」
●ええ。
マーティン「とは言いつつも、一人の音楽ファンとして、当然そういう音楽もたくさん聴いているわけで。いつの間にか、それが自分の意識の中に浸透していて、曲を作る際に影響として出てきているのはあると思う。どんな作品だって、何らかの形で何かしらに影響を受けているわけだからね」
イアン「でも、“フォーエヴァー”や“グレイヴス”はその真逆だったりするよね。あれはストレートなインディ・ディスコ・トラックだから」
●では、ローレンの歌詞のデリバリーについて訊かせてください。テンポ・ダウンした曲に歌詞を乗せる時に、何かしらの違うアプローチが出てきたところはありますか?
ローレン「曲のテンポが歌詞を書く上で影響したとは思わないな。むしろ、テンポが速い曲の方が難しいくらいだった。実際の作業としては、まず曲を書いたらデモを録って、一歩離れてみるの。ヴォーカル・メロディにきちんと余裕を持たせたいし、焦った感じにはしたくないから。ただ、歌詞の内容に関しては、テンポは関係ないと思ってる」
●あなたたちは今回のアルバムで初めて外部のプロデューサーを起用していますよね。グレッグ・カースティンが8曲で関わっていて、“ミラクル”のプロデュースはエド・シーランも手掛けたスティーヴ・マックです。もしインディの純粋主義者が「チャーチズがポップに日和った」と指摘してきたら、それにはどう答えますか?
ローレン「私自身、十代の頃は、好きだったバンドに対して『セルアウトした』って失望していたことがあった。でも、セルアウトっていう概念は、鳴らす音楽そのものよりも、アーティストの姿勢や考え方に対するものだと昔から思ってる。私は、ポップな音楽を作りながらも、品格を持ち続けて、人の興味を刺激する作品を作ることは可能だと考えてるの。ポップ・ミュージックはどれも薄っぺらで、生身の感情がないものだと決めつけるのは、本当に陳腐な考え方よね」
●その通りだと思います。
ローレン「このバンドには、これまでだってずっとポップの要素もあって、オルタナの要素もあった。大ヒット作品を手がけたプロデューサーと手を組んだと言っても、例えばグレッグはベックの作品もやっているし、フー・ファイターズやアデルといった多彩な作品に携わってる。それって彼の作曲家、ミュージシャンとしての素質を表していると思う。つまり、彼はすごく好奇心旺盛で、それぞれのアーティストやバンドをどうしたらさらによく出来るか、幅を広げることが出来るかって考えている人で。決まったポップの型に嵌め込もうとする人ではないの」
●ええ、グレッグはまさにそういう人だと思います。
ローレン「私たちがビッグなポップ・スターたちが既にやってきたことをやっても、何も得るものがないのはわかってる。私たちとしては、自分たちが何かを学べる人、しかもポップの世界も熟知していて、私たちをそこに嵌め込もうとしない人と組みたいと思ったの」
マーティン「僕は人が何と言おうと気にならないしね」
イアン「そうだね」
マーティン「僕たちの音楽は、自分たちがやりたいことをそのまま足していったものであって、それ以外の何ものでもないんだ。プロデューサーがそれまでどんな作品を手掛けてきたかは関係ない。誰かが僕たちの制作に加わるとするなら、まず僕たちが100%しっくりと来て、刺激を受けて、興奮させられる相手じゃなきゃいけない。最終的に、出来上がった音楽を発表するかどうかは、自分たちの目指す方向性と主義主張に基づいて判断を下してる。誰と仕事をするか、どういう作品を作るか、それをいつ発表するか。それは全て、僕たちが決めればいいことで、外部の声はあまり気にならないんだ」
ローレン「アルバムを聴いて、その内容で判断してくれたらいいな、って思ってる。アルバムを聴けば、これまでの作品よりも極端にポップだったり、とんでもなく落ち着いちゃってる、なんてことはないでしょ? ただ、このバンドに元々あった側面をより追求しているだけで。結局のところ、何で音楽を作っているかというと、自分の気持ちを表現したり、人に伝えたいからであって。そっちの方が、どこのスタジオで誰と作ったか、っていうことよりも重要だと思う」
イアン「その通り。みんな、音楽を聴いて自分が好きか嫌いかを判断すればいいと思う。それ以外は全てエリート意識の俗物根性でしかないよ」
●ローレンの言う通り、グレッグはいろんなアーティストと、いろんな違うアプローチで仕事をしていますよね。あなたたちやベックとの仕事はすごく理に適っていて、成功していると思いました。一方で、フー・ファイターズとの仕事は、迷った結果、上手くいかなかった印象です。リアム・ギャラガーのレコードには、若干のセルアウト感も覚えました。あなたたちは、グレッグが他のバンドとやっている仕事をどう見ていますか?
ローレン「それは、アーティストがそれぞれのキャリアにおいて、どういう状況にいるかにもよると思う。例えば、フー・ファイターズはこれだけ長くやってきたんだから、自分たちが作りたい作品を好きなように作る権利がある。もし彼らにないとしたら、他の誰にあると言うの? しかも、フー・ファイターズはずっとバンドとして活動しているわけで、延々と『ワン・バイ・ワン』と同じものを作り続けるわけにはいかないし、『ザ・カラー・アンド・ザ・シェイプ』のような作品ばかり作り続けるわけにもいかない。それに、彼らはもう売れる心配なんてする必要ないわけだから、単純にミュージシャンとして表現したいことを表現しているだけだと思う。だからこそ、グレッグは優れたプロデューサーなんだと思うけど」
●グレッグは、アーティストがやってみたいことを引き出すのが上手いということ?
ローレン「彼は現場に入る時に、アーティストが何をしたいかをとにかく訊いて、それに答えてくれるから。もちろん、私たちはフー・ファイターズのレコーディング現場にいたわけじゃないけど、彼の場合、『君たちはこういう音楽を作るべき』って勝手に処方したりしない。相手の話を訊いて、答えを導き出そうとするの」
●なるほど。
マーティン「グレッグにとっては、スタジオの中で何が起きているのかを理解すること、アーティストが何をしたいのかを理解することが重要なんだ。しかも、彼がすごいのは、アーティストに主導権を持たせてくれることで。そうなってくると、プロデューサーの出番というのは限られるよね」
ローレン「プロデューサーによって、やり方は当然違うと思う。アーティストのために曲も書いて、どういう作品を作るべきかを指導したり、強く提案するプロデューサーだって中にはいる。でも、私たちにとってのプロデューサーは、自分たちの方向性をさらに発展させるのを手伝ってくれるような、相性のいいコラボレーターを見つける、っていう感覚ね。ラジオで掛かる曲を提供してくれる注目のプロデューサーを雇うっていうスタイルとは違うの」
●2010年代は、マックス・マーティンから始まって、複数のプロデューサーやソングライターを招集して作品を作るという分業制のプロダクションが隆盛しました。その結果、ネガティヴな側面としては、同じようなサウンドが山ほど毎週リリースされることになった。その一方で、かつてのブリル・ビルディングや〈モータウン〉の時代と同じように、職業作家たちがしのぎを削って作ることで、ポップが著しい進化を遂げているというポジティヴな見方もあります。実際、そういった最近の動きをあなたたちはどう見ていますか? そういった時代の状況が新作に何かしらの影響を与えているところはあるのでしょうか?
マーティン「そういった音楽シーン全体の状況と、このバンドは別ものだと思ってる。僕としても、今のLAのライターたちのシーンっていうのは、現代の〈モータウン〉のようなものだと思っているんだ。で、それは、僕たちがやっていることとは一線を画すものだと見ている」
●ええ。
マーティン「マックス・マーティンはこの時代を代表する才能の持ち主だし、音楽史にその名を刻むだろうね。ただ、あの世界は僕たちと全然関係ないあっち側で起きていることで、僕たちはこっちで活動してる。とは言っても、今のシーンには垣根がないから、時々交わることもある、っていうね」
●なるほど。
マーティン「もしかしたら、僕たちもその世界(ポップ・シーン)に片足を突っ込んでいるのかもしれないけど、そのやり方に迎合するつもりはないね。もしこのアルバムを聴いて、チャーチズの作品に聴こえないって言う人がいたら、いつでも反論する用意はある。これは紛れもなくチャーチズの作品だし、チャーチズの最終形とも言えるから。なぜかって言うと、こういう作品を作りたいっていうのが僕たちの核にあったからね」
●じゃあ、この二組の例はどうですか? どちらも僕は大好きなんですけど、まず一組目はチャーリー・XCX。彼女はロンドンのレイヴ・シーンから出てきて、〈PCミュージック〉みたいなアンダーグラウンドのレーベルとも一緒に活動している。そのアウトプットとして2017年には2枚のミックステープを出しましたが、今はポップ・スターとしての自分の役割を意識したアルバムを作ろうとしています。
イアン「うん」
●で、もう一組はパラモア。彼らは2000年代を代表するエモ・バンドでしたが、今はベック・バンドでベースを弾いていたジャスティン・メルダル・ジョンセンと組んでオリジナルなポップをやっている。『ラヴ・イズ・デッド』は、この二組が今やろうとしていることに近いんじゃないか、というのは穿った見方でしょうか?
イアン「それは、変化という観点で、っていうこと?」
●僕がこの3組に共通していると思うのは、話が通じる限られた人たちだけではなくて、自分と意見が違うかもしれない人たちにも語りかけようとしている、っていうことです。そういう意味では、すごく野心的だとも感じています。
ローレン「もし自分たちとパラモアに何か共通する部分があるとしたら、ツアーを積極的に行うこととか、ファンとの交流を大切にするようなバンドの活動方針だったり、感情を思い切り曲に込めているところだと思う。私たちの音楽はエモではないけど、感情を伝えることを大事にしているところは同じじゃないかな。個人的には、新作よりも、前作のパラモアの方が断然ポップだったと思うけど。新作はむしろテーム・インパラやフリートウッド・マックの影響を感じる。だから、メインストリームに受け入れられようとしている意図は全く感じないし、むしろ今のパラモアはこれまでよりも少しレフトフィールドじゃないかって感じるくらい」
●チャーリーに関してはどうですか?
「彼女がポップとオルタナを上手く融合させているところには敬意を払うけど、その2組と自分たちが同じ道を歩んでいるとは思わないし、自分たちを他と比較すること自体が健全ではないと思う。みんなそれぞれ目指すものは違うから」
●ええ、もちろん。
ローレン「私としては、例に挙げられたのが女性ヴォーカルばかりだっていう点も興味深くて。私たちの音楽はチャーリー・XCXともパラモアとも全く違うから、女性ヴォーカルっていう共通点がなければ、この会話はそもそも成立しなかったでしょ? 音楽の世界で、ある程度高いレベルで活動出来ている女性はまだ少ないからこその比較だったのかもしれないけど。答えをまとめると、その2組の音楽性は私たちとは全く違うけど、どちらも尊敬しているアーティストってこと。パラモアのことなら何でも訊いて。どんなクイズでも答えられるから(笑)」
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トランプ政権発足以降、#MeTooの時代に
こそ生まれたチャーチズ新作『ラヴ・イズ
・デッド』を本人たちとの会話から紐解く