SIGN OF THE DAY

見えざるヒップホップの壁――ドレイク、
ポスト・マローン、ブロックハンプトン、
カーディ・B、カップケークなどを題材に
by MASAAKI KOBAYASHI April 25, 2019
見えざるヒップホップの壁――ドレイク、<br />
ポスト・マローン、ブロックハンプトン、<br />
カーディ・B、カップケークなどを題材に

ドレイクを筆頭にゼロ年代後半からキャリアを積んできたラッパーたちがポップ・シーン全体の顔となり、マンブル・ラップ以降の新世代ラッパーたちが毎年のように輩出され、その多くが大成功を収めることで、シーン全体の覇権をラップ/ヒップホップが完全に掌握した2010年代後半。世界中のメディアが「2018年はラップがポップになった年」と書き立てた。だが、果たして「ラップがポップになった」という言葉はどういった文脈で解釈すべきなのか。

前述のような2010年代半ばから今にかけての変化は、元来はコミュニティに根ざしていたヒップホップというカルチャーがその外側にも大きな拡がりを見せ、そのことによって、コミュニティ全体の多様化と分断をもたらすことになった。「ラップがポップになった」という言葉を、我々〈サインマグ〉はまずはそんな文脈において定義したい。

今現在、ヒップホップという言葉、あるいは、ラップという言葉の定義があらゆるところで混乱をきたしている。実際、個々の作家/ラッパー/プロデューサーたちにおける定義と、ヒップホップ・コミュニティにおける定義、あるいは、ここ数年の間で爆発的に増えたティーン中心の新たなファンダムにおける定義それぞれを照らし合わせようとも、正直なところ、きちんとした会話が成り立つとは到底思えない。つまり、かつて70年代~80年代にかけてロックが巨大な産業と化した時と同じようなことが今、ヒップホップ/ラップというジャンルにおいて起こりつつある。そんな風にも言えるだろう。

少なくとも、至るところで「見えざるヒップホップの壁」が存在するのは間違いないようだ。以下の論考は、こうした諸々の「2010年代後半的状況」を事細かに整理し、そこから現在のポップ・カルチャーにおけるヒップホップ/ラップの現在とこれからを浮き彫りにしようとする短期集中連載の第一回だ。書き手は勿論、本誌〈サインマグ〉の人気連載「<Ahhh Fresh!>ラップ/ヒップホップ定点観測」でもお馴染、小林雅明。是非お楽しみいただきたい。

この連載に伴って、小林をゲストに迎え、3回にわたって、彼の批評スタンス、これまでの彼の著作の紹介も含めた内容のポッドキャスト番組「POP LIFE: The Podcast」新エピソードがspotifyより配信中。また、現在の状況を用意することになった2017年の様々な変化をレポートした以前の連載「<Ahhh Fresh!>ラップ/ヒップホップ定点観測」を未読の読者は、改めてそちらにも目を通して欲しい。(田中宗一郎)

POP LIFE: The Podcast
#004 見えざる壁の越境のために
Guest:小林雅明


<Ahhh Fresh!>第1回
ラップ/ヒップホップ定点観測 by 小林雅明





>>>ポスト・マローンという「異物」が浮き彫りにした、見えざるヒップホップの壁

この1月に調査会社ニールセンが公表した2018年1年間のヒップホップ・アルバムのセールス(ストリーミング回数は、独自の換算方式をあてはめられ、セールス相応分として加算)の上位3作は、ドレイクの『スコーピオン』、ポスト・マローンの『ビアボングズ & ベントレーズ』、カーディ・Bの『インヴェイジョン・オブ・プライバシー』だった。

2005年の“ホワイト・アイヴァーソン”からポスト・マローンを支持してきた熱心なファン、さらに、それ以外のリスナーのなかにも、彼のアルバムが、このチャートに含まれていることに、なんともいえない微妙な違和感を覚える人がいるかもしれない。

「ヒップホップとは違う方向性を目指しているし、ヒップホップ・アーティストと同じ枠には入れてほしくない、なぜなら、現在取りかかっているのは、ロック、ポップ、カントリーといった他のジャンルの音楽なので、そちらとは会いたくない」

2016年の早い時点で、ヒップホップ専門誌〈XXL〉が毎年期待の新人(フレッシュメン)を特集する号の表紙の撮影に彼の参加を要請したところ、パブリテシティを通じて、彼はこう返答してきたのだった。後になってこの話が明るみに出たところで、当時20歳のポスト・マローン自身は、インスタグラム上で、ヒップホップという綴りをすべて大文字にして、自分は「ヒップホップ・アルバムを作っていて、そのプロモート用にヒップホップのミックステープも作った。疲れていて、6時間かけてニューヨークに行きたくなかった」と返答。



しかし、〈XXL〉誌編集長は、パブリシティからの最初の返答後、彼と真意を直接話すべくあらゆる手を尽くしたもののうまくいかず、マネージャーも一向に彼に話をつなごうとしなかったため、後からそう言われても、と激怒した。



この一件がきっかけとなったのか、ポスト・マローンは、自分は「ヒップホップ・アーティストとはみなされてない」のでは? との不安からくる被害妄想なのか、そう言われた時の予防線を張ったのか、2017年の11月にはポーランドの番組でこう語った。

「歌詞を味わいたいとか、泣きたいとか、人生について考えたいとかって時には、ヒップホップは聴くな。素晴らしいヒップ・ソングもあって、人生について考えたり、リアルなことをラップしているけど、今は、リアルなことを言ってる人はほとんどいない。俺は泣きたい時、腰を据えて気持ちよく泣きたい時には、ボブ・ディランを聴く。楽しみたい時とか、前向きな気持ちでいたい時、俺はヒップホップを聴く。楽しいから。ヒップホップは重要だ、喜びに満ちた、素晴らしいやり方で、みんなを一つにしてくれるから」

この発言を聞いて、こういう独自のヒップホップ観を持ち出してまで、ポスト・マローンとしては自分をヒップホップ・アーティストの枠に入れてほしいのだろうな、と受け取ることが出来る。ただ、同時に、ああ、ポスト・マローンは今のヒップホップ「も」あまり聴いてないからこういうことが言えるわけだ、とヒップホップ原理主義者(当然のことながら、激怒!)とまではいかなくとも、ヒップホップ好きを自認するようなリスナーなら即座に感じたはずだ。また、『ビアボングズ & ベントレーズ』からの先行カット“ロックスター”のリリック作りに、ノー・クレジットながら、コンシャスなヒップホップ・アルバムを出しているジョーイ・バッダスが関わっているのが事実だとしたら、両者はどういう関係なのだろうかと首を傾げずにはいられない。

Post Malone / rockstar ft. 21 Savage


ポスト・マローンは、この発言に至るまでの収録時間のあいだにビールを飲んでいた、と後から補足している。この発言が、「自分の演っている音楽こそが自分の考えている今時のヒップホップである」と正当化し、加えて、「だから、それを聴け」というメッセージだったら、ややこしすぎる。

さらに、2018年1月の〈GQ〉誌で「白人ラッパーっていうのは苦労が絶えないのを痛感している。俺はラッパーでいたくはない。音楽を作る人でありたい」と発言。ここでやはり振り出しに戻ったことになる。

振り返れば、最初から今に至るまで、周囲がポスト・マローンをヒップホップとして認める認めないと騒いでいないのに(〈XXL〉はとりあえず認めた形だ)、常に彼の側から「自分とヒップホップ」を妙に意識した発言を繰り返しているのは、そこに、見えざるヒップホップの壁があるからかもしれない。〈XXL〉の編集長が問題発生時に言ったように、「ポスト・マローンがどういう音楽を志向しようが、どうぞご自由に」なのだから。



>>>「ラップ・アルバムではない」ドレイクの『スコーピオン』が、それでもヒップホップ的である理由とは?

そんな彼は、2018年10月に公表されたグラミーの見解をどう受け止めたのだろうか。

グラミーは協議の末、『ビアボングズ & ベントレーズ』は全体に占めるラップの割合が51%を超えていないため、ラップ・アルバムとは見なすことはできない、と音楽の表現スタイルから判断したのだ。

これはやはり彼にとって歓迎すべき判定だったのだろうか。今やラップとそれ以外とをどこでどう線引きするのか、現実的にはかなり難しい作業であるはずだが、例えば、ギターをかき鳴らして歌う収録曲“ステイ”はポップ・ソングと考えるのが素直だろう。

Post Malone / Stay


別の言い方をすれば、2016年の彼(のパブリシティ)の考えを、ここに来てグラミーが受け入れてくれたことになる。ちなみに21サヴィッジをフィーチュアした“ロックスター”は、ラップ/サング・パフォーマンス部門と、レコード・オブ・ジ・イヤー部門にノミネートされ、収まるところにきれいに収まったように見える。それでも、ポスト・マローンが見せ続けてきた矛盾やどこか不自然なヒップホップやラッパーへの拘泥こそが、2018年にメインストリームで何がもっとも勢いを持っているのか、如実に示しているのではないだろうか。

ここで、アルバムに占めるラップの割合、という話が出てくると、ドレイクの一連のアルバムが、グラミー基準のラップ・アルバムに該当するのか少しだけ気になるかもしれない。『ビアボングズ & ベントレーズ』同様、『スコーピオン』もその部門にはノミネートすらされていないが(理由は不明)、それ以前の全てのアルバムがラップ・アルバム部門で候補となっている。

それでも『スコーピオン』からは、ポスト・マローン基準による今時のヒップホップ観には含まれていないヒップホップ観を聴き取ることができる。収録曲“アイム・アップセット”に至るプッシャ・Tに対する5年以上に及ぶドレイクのやり方を見ていると、70年代末に端を発するヒップホップの「しきたり」に忠実であろうとしている。それは、ラッパーがディスられたら、自分のリリックでディスり返すスタイルだ。

Drake / I’m Upset


例えば、ミーク・ミルの“ホワッツ・フリー”でのジェイ・Zの客演ヴァースが直ちにカニエ・ディスと受け止められたのもまた、ヒップホップの別の「しきたり」のせいかもしれない(し、ジェイ・Zとしても伝統に倣って聴かれ、誤解されて話題になることを想定していたのかもしれない)。

Meek Mill / What's Free feat. Rick Ross & Jay Z


「しきたり」とは言っても、客演ヴァースで誰かをディスるスタイルは90年台半ば以降に目立ってきた、比較的最近のものだ。恐らく、この曲を含むミークのアルバム『チャンピオンシップ』全体に通じるビート選びセンスが、90年台半ば以降の標準的なミックステープをレファレンスにしていることとも関係しているのだろう。

話をドレイクに戻すと、2018年を代表するヒット曲となった“ゴッズ・プラン”もミュージック・ヴィデオの映像が加わることで、自らの成功をストリートへ還元する、といったこれまた「しきたり」のひとつが簡潔に示されることとなった。

Drake / God's Plan


そこでの行動そのものは、今も昔もドレイク以外にも多くのヒップホップ・アーティストがおこなっている。ドレイクは、この映像そのものを「セルフボースト」といったヒップホップの伝統的な表現をするうえでの強力な武器にしている。しかも、それは「口からでまかせの自画自賛」ではなく、彼自身のリアルな姿だ。ヒップホップの精神を表す標語として90年代に定着した決まり文句に「キープ・イット・リアル」がある。これは、「常に自分であれ」あるいは「自分を偽るな」という意味だ。



>>>カーディ・Bが提示するSNS時代の「リアル」、そしてビヨンセとは違うエンパワメントの形

そう、カーディ・Bも「リアルなビッチ、フェイクなのは唯一おっぱい」とアルバム『インヴェイジョン・オブ・プライバシー』の1曲目“ゲット・アップ・10”で堂々と宣言している。この曲は「ストリッパーになるか、負け犬か」で始まっているが、彼女が19歳から23歳まで踊り子として生計を立てていた過去は、今や50セントがデビュー前に9発の銃弾を撃ち込まれた過去と、同じような効果を持っているようにも思える。

Cardi B / Get Up 10


そして、彼女の人気は、2018年であっても、リル・キムやトリーナやフォクシー・ブラウンが示したようなセクシュアリティで男を手玉に取るタイプの女性ラッパーが求められていること以上に、ビヨンセが巻き起こしたのとは違う形のエンパワメントが求められていたことの表れではないのだろうか。

もちろん、ビヨンセは今現在に至るまで、さまざまに模索しながら、一部から批判を浴びながらも、エンパワメントを一大テーマとして育て上げ、シアトリカルに訴えかけるところまで築き上げた。ただ、それが壮大になる一方なので、疲れたリスナーも多かったのでは。

それでも、ビヨンセは2018年には、夫ジェイ・Zを担ぎ出し、ブラック・プラウドやブラック・エクセレンスを唱え、ブラック・ピープルに対するエンパワメントをテーマに据えた『エヴリシング・イズ・ラヴ』をリリースしている。だが、これは「リッチなブラックセレブ夫婦がなにか言ってるよ」と微かな嫌悪感さえ抱かれてしまうような、リスナーを選別してしまうリスクが高い仕上がりである上に(試しに同じテーマを庶民目線で取り上げた、同じくジーン・グレイとクエレ・クリスの夫婦による、タイトルまで似ているヒップホップ・アルバム『エヴリシング・イズ・ファイン』を併せて聴いてみたら面白いだろう)、ビヨンセの近作に入りきれなかったような音楽性の楽曲も積載されている。

ビヨンセが特に音楽表現において何をやるにも大見得を切らなければいけなくなってしまったのとは逆に、SNSでの人気やセレブなラッパーを目指すリアリティ・ショーで頭角を表してきたカーディが自然体(豊胸を除く)で、汚い言葉のまま、自身の経験からエンパワメントを説くほうが、リスナーも気楽だろう。しかも、彼女のラップを聴かずとも、間接的であれ直接的であれ、彼女にまつわる情報がSNSを中心に至るところに溢れていれば、彼女の存在そのものに安心感さえ覚えるだろう。そこも2018年らしいところなのかもしれないが、カーディの場合、その言動やキャラをリリック以外から仕入れて初めてアーティストとしての実像をつかませようとしている、そんなタイプのアーティストだ。




>>>カーディ・Bが目を向けない問題意識を掬い上げるカップケーク

その一方で、彼女と対極にあるのがカップケークだ。性的な面ではカーディ以上に何も包み隠さず、まる出しである(表現はいちいち凝っている)とはいえ、カーディが多くの男性ラッパーと同じように作品内では一切関心を示さないLGBTQにまつわる問題意識を明確にし、2018年に発表した2作のうちの一つ『Ephorize』収録の“クレヨンズ”は、「女と女なら『いいね(yup)』、それが男と男になると『キモい(yuck)』ってなに?」と始まる。

CupcakKe / Crayons


また、もう一作『エデン』を締めくくる“A.U.T.I.S.M”では、表題通り、自閉症の子供たちにぴったりと心を寄り添っている。同じエンパワメントでもカーディとは全く違うところを向いている。しかも、アルバムのライムとビートだけで十二分に完結している。これだけあれば、彼女自身に関するの追加情報は特に求めることもないだろう。

CupcakKe / A.U.T.I.S.M




>>>ブロックハンプトンが自称する「ボーイバンド」というレッテルが見えにくくするもの

何事もあけすけなカップケークがいまひとつ話題にならないのと同じように、ブロックハンプトンの通算4作目のアルバム『イリデスンス』がビルボードのアルバム・チャートで首位に立った時、ヒップホップ・メディアでは「オープンリー・ゲイのメンバーを中心とするヒップホップ・コレクティヴが初の全米No.1」という観点から「大きく」取り上げられるようなことはなかった。

中心人物であるケヴィンは、レディオヘッドの“ヴィデオテープ”をサンプルした“テープ”では、慌ただしくライムし始めると「男性ストリッパーにベリーダンスしてほしい、俺と俺のボーイフレンドのために、ザッツ・エンタテイメント」と言っている。

Brockhampton / Tape


彼はアルバム収録の他数曲でも、普段の自分のまま、気の向くままにリリックに載せている。だからといって、彼は社会におけるゲイの市民権向上を訴えるとか、自分自身をゲイ・コミュニティの代弁者と捉えてほしいとかいうスタンスはとっていない。〈コーチェラ〉でのステージングにも投影されていたように、現在は13人を数えるメンバーからなるブロックハンプトン自体が様々な人種(や文化や主張や嗜好)で構成された、いわばアメリカの縮図のようなものだから、ケヴィンだけが目立つことがあっては逆に変だ。

彼はソロ作を出したあとの2011年の年明けに、英〈ガーディアン〉にこう語っていた。

「(ジャスティン・)ビーバー、ロード、ワン・ダイレクションの名前が挙げられたら、自分もそこに名を連ねたい。と同時に、リル・ウージー・ヴァートの名前が出てきたら、そこにも自分の名前が並ぶようになりたい。自分がいるのは両者の中間といったところ。両者を一つにまとめた存在になりたい」

これはソロとしての彼の理想だが、ブロックハンプトンとしても、その延長線上にある「ボーイバンド」を自称(自負)。2017年に発表した8話からなる彼らが主役のウェブTVシリーズも『アメリカン・ボーイバンド』と名付けられた。

Brockhampton Makes Good TV | American Boyband


「ボーイバンド」と言えば、商業主義主導でレーベルが作り上げた青少年グループを指すのが一般的だが、そういった既成イメージを覆すこと自体がブロックハンプトンのひとつの目標となっているのだ。しかし、これは、考えすぎかもしれないけれど、彼らの場合「ボーイバンド」と自称し、メディアがますますそれを好んで取り上げてきたことで、ヒップホップのグループであることが見えにくくなり、結果的にゲイのメンバーがいる事実さえも隠されてしまうのではないだろうか。

ちなみに、ゲイ関係のウェブサイトでは「オープンリー・ゲイのメンバーを中心とするヒップホップ・コレクティヴが初の全米No.1」という見出しのほうを好んでいる。愚直なまでに「常に自分であれ」あるいは「自分を偽るな」という「キープ・イット・リアル」な精神を完全に表に出して活動しているグループだけに、ここだけはどうにも引っかかってしまう。



>>>ドレイコ・ザ・ルーラーの事件が映し出す、2つのヒップホップのリアル

そして、2018年は、この「キープ・イット・リアル」の決まり文句が誰も予期しなかった形で使われることが予告された年として記憶されることにもなるだろう。2017年に多くの作品を発表し、ロス・アンジェルス出身の新進ラッパーとして注目されていた24歳のドレイコ・ザ・ルーラー。彼は2018年はじめに銃の所持で拘留され、3月に保釈されるも、その数ヶ月後には、彼だけでなく、ラップ・コレクティヴ、ザ・スティンク・チームに属する仲間の数人と一緒に、2016年発生の殺人事件に関して第一級殺人未遂及び事件の黒幕であるとの容疑がかけられ、保釈が認められず現在も勾留中だ。ドレイコによれば、それは全くの人違いであり、彼の弁護士によれば、彼の成功を妬む者に嵌められたという。

問題はここから先だ。年末に検察側が彼の裁判で、彼の楽曲のリリックを重要な証拠として使用すると大真面目に言い出したのだ。ラッパーあるいはヒップホップ・アーティストなら「キープ・イット・リアル」ですよね、というわけだ。

ところが、すぐ目の前にいる人たちに向かって話しかけるような調子でライムするドレイコのリリックの最大の特徴は、自分で作った造語を挟み込み、ギャングスタ・ライフを戯画化している点にある。それもまたヒップホップのリアルであることを、ドレイコの弁護側は説得力をもって主張しなければならない。

見えざるヒップホップの壁の内側で、二つのヒップホップ観が死闘を繰り広げることになるのは避けられない。これに困惑したドレイコ・ザ・ルーラーは「いっそ音源を全部ネットから下げるか」と口走ったものの、さすがに「俺はラッパーでいたくはない」とは言わないだろう。

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