SIGN OF THE DAY

ゼロ年代USインディにおける最重要人物、
スフィアン・スティーヴンスの作家としての
横顔を炙り出す13の質問。part.3
by JUNNOSUKE AMAI April 14, 2015
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ゼロ年代USインディにおける最重要人物、<br />
スフィアン・スティーヴンスの作家としての<br />
横顔を炙り出す13の質問。part.3

1. もし「スフィアン・スティーヴンスってどんな音楽をやってるの?」と10歳の少年/少女に尋ねられたとしたら、あなたならまずどんな風に説明しますか?

「国語」「音楽」「社会」「図工」、「音楽」「音楽」



2. スフィアン・スティーヴンスの作家としての音楽的特徴について説明して下さい。

弦楽器や打楽器、管楽器に鍵盤など多種多様な楽器を操るマルチ奏者であること。スティーヴンスの音楽性や作家性が、まずはそこに大きく起因するものであることは言うまでもなく。弾き語り色の濃いものやウィアードなエレクトロ作品『エンジョイ・ユア・ラビット』、ポスト・クラシカル風もあれば、『ジ・エイジ・オブ・アッズ』みたくコラージュめいたサイデリック音楽まで。よってディスコグラフィを通じて音楽的な傾向を探ることは難しく、逆に言えば、作品ごとに嗜好やコンセプトは明確。根底はフォーク・ミュージックの人であると思う。が、同時にフォーク・ミュージックを媒介とした実験と文化横断、あるいはルーツ回帰に振れたりと繚乱した2000年代以降の爛熟期を象徴する一人に他ならず。ただし、あくまで「シンガー・ソングライター」という体裁をとりながらこれほど音楽性の可動域が広いケースは稀だし、その音楽家として地肩の強さはやはり冒頭に記した所以によるかと。



3. スフィアン・スティーヴンスの登場と、彼の作品と影響力が伝搬することによって、彼以前/彼以降では、どんな変化があったのか、教えて下さい。

2009年のコンピレーション『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』は、スティーヴンスも参加したその面子が物語る通り、2000年代を通じたシンガー/ソングライターの台頭と「歌」の再興が同時多発的な潮流だったことを示す作品。フリー・フォークやモダン・アメリカーナ、あるいはブルックリン勢など、その潮流内では様々な支流や伏流が見られたなか、スティーヴンスへの注目とは一先ず、そうした分岐に橋を渡すようなアクセシビリティの高い音楽性。加えて、そこに何か契機点を見出すとするなら、その多様性や懐の深い作家性を担保するマルチタスクとハードワークが誇示されることで、従来的なシンガー・ソングライター像を更新した、とでも言おうか。弾き語りや宅録にとどまらず、時に大世帯のオーケストラを率い、なんなら映像や舞台演出も手がける。複数の楽器がこなせて当たり前。一人の音楽家が抱えるレイヤーの多さが、その表現の豊かさを測る指標のひとつに。

Sufjan Stevens / You Are the Blood




4. 彼が多くのカヴァー曲を残す理由、あるいは、そのセレクションとカヴァー自体の手法から見えてくる、作家としてのスフィアン・スティーヴンスの特徴について、出来るだけ具体的に教えて下さい。

『ミシガン』『イリノイ』の制作手法から窺えるのは、いわゆる“口承”的なものや行為にスティーヴンスが価値を置いているということ。たとえば、リサーチの一環でその街や土地に関して蒐集した同じ逸話でも、語り手によってそのディテールは微妙に異なるように。あるいは、その逸話自体、また聞きと語り直しを経る過程で実際の出来事とはかけ離れたホラであるとも限らないように。そうした“語り継がれる”ことの面白さ、そして視点や解釈によって変成していく“物語”を楽しむ姿勢。同様のスティーヴンスの関心は、そのカヴァーに取り組む動機とも通じるところがあるのでは。曲調のアレンジは元より、歌詞を変えてしまうこともままあるスティーヴンスのカヴァー術は、前記の作品においても自身の記憶や友人の話を混ぜ込み“造話”的なフォークロアを立ち上げていくアプローチと重なる。そこには、スティーヴンスによるカヴァー=歌い継ぐことの醍醐味が。

Sufjan Stevens / Free Man In Paris (Joni Mitchell cover)

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5. スフィアン・スティーヴンスの創作活動における音楽以外の部分――ヴィジュアルにおける表現の特筆すべき点、その特徴と、その意図について教えて下さい。

ブルックリンの高速道路を題材とした複合プロジェクト『The BQE』は、映像や視覚演出も織り込まれた大掛かりなライヴ・ショウもさることながら、目を引くのは、作品のインナースリーヴに施されたスティーヴンスによるアートワーク。それは、実際の高速道路や都市風景の写真の上にイラストやグラフィティがレイアウトされたもので、その鮮やかな色使いは、モノトナスでモノリスティックな無機物に活々とした鼓動を吹き込むような効果をもたらしている。同時に、そのアートワークが伝える着眼や発想は、スティーヴンスの音楽とも響き合うものだろう。視界のフレームを少しだけ、大胆に動かすことで見慣れたはずの景色を塗り替えてみせるスティーヴンスは、誰かや何処かの逸話や物語を、自らがストーリーテラーとなりその語り口や人称を変えることで、私たちの時代のそれとして翻案/変奏してみせる。そうしたメソッドはスティーヴンスによる様々な表現の随所に。



6. スフィアン・スティーヴンスの音楽創作以外の活動について教えて下さい。また、その活動はどんな意図、目的、特徴、そして、どんな波及的な結果をもたらしているのか。

『ジ・エイジ・オブ・アッズ』のライヴ映像を改めて見て思い出したのは、同じくシアトリカルなパフォーマンスで話題を呼んだ自身のライヴ演出について、ザ・ナイフのカリン・ドレイヤー・アンダーソンが語った「芸術様式における役割やヒエラルキーの変換」という言葉。スティーヴンスを始め奇抜な衣装を纏った演奏家やダンサーと様々な仕掛けで溢れ返ったステージ。舞台デザイナーやコレオグラファーらと作り上げられた『ジ・エイジ~』のショウは、さながらファンタジーの世界かカーニヴァルのよう。が、その一見して非日常的な祝祭空間は、文字通り総合芸術といった様相を呈して表現される、たとえば社会的/文化的な制度によって固定化された概念からの解放、あるいは、階層的な権威主義社会に対抗する人間中心のフラットな社会の姿を想像させる――連想の糸を手繰った個人的解釈では。これは“音楽創作以外”の活動ではなく“延長”と言った方が適切だが。

Sufjan Stevens Concert Trailer: Age of Adz / Prospect Park

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7. もし仮に、スフィアン・スティーヴンスという作家が何かしら「アメリカ」をレプリゼントしているとした場合、彼が代表する「アメリカ」とはどんなものか、について教えて下さい。

史実にも触れて作られた『イリノイ』について、スティーヴンスはしかし「まったくのでっち上げ」と語って憚らない。なぜならそれは、実在する舞台に自身の記憶や体験が少なからず投影された“フィクション”に過ぎないから。主眼はあくまでストーリー“テリング”に置かれている。そうした言わば他人の記憶や体験の上に入植されることで立ち上がる“ここではない、どこか”の物語――その語りの身振りに、たとえばアメリカが発見されて建国された経緯を重ね合せること。あるいは、開拓という名の歴史の“語り直し”とのアナロジーを連想すること。本人にとっては甚だ不本意な見立てであることは承知の上。むしろ、誰かの記憶や体験を私たちのそれとして想像せよ、と語りかけるような寓話性こそスティーヴンスの作品にはふさわしい。が、“物語る”とは常に一方的で、ある種、超越的な行為であるがゆえに魅惑的であることを、その圧倒的な創造力は知らしめてくれる。



8. スフィアン・スティーヴンス作品における宗教的な側面について教えて下さい。あるいは、彼自身の宗教的なスタンス、バックグラウンドについても。

スティーヴンスがクリスチャンであることは知られた話であり本人も認めているところ。歌詞に散見できる聖書の引用しかり、クリスマス・アルバムの制作しかり。だが、自身の信仰心や宗教観について公に語ることに躊躇いを見せるのは、それがあくまで個人的な問題であり、アーティストとしての問題とは慎重に峻別されているからではないか。音楽は、物語ることはスティーヴンスにとって宗教的な道具や作法ではない。とくにクリスマス・アルバムについては、文字通り(信仰の伝承も意図された)賛美歌集というより、それこそ土地々々に残る民謡や童謡を集めたソング・ブックにも近い趣を感じてしまうのは、スティーヴンスがかつて児童向け書籍の販売の仕事をしていたという逸話に引き摺られているからか。あるいは、信仰というもの対するその思慮深い態度は、スピリチュアリズムや宗教的な話題が身近な環境で生まれ育ったことも影響しているのかもしれないけど。

Sufjan Stevens / I'll Be Home For Christmas

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9. 作家自身の出自や民族、生い立ちを、その作家の作品性に接続して、何かしらの答えを導き出すという考え方そのものには諸手を挙げて賛成は出来ません、と前置きした上での質問です。彼の出自や生い立ちが彼の作品に明らかに影響を与えただろうポイントについて、出来るだけ具体的に教えて下さい。

ほどなく離婚した実父と実母との記憶。引き取られた先での実父と継母との生活。やがて訪れたオレゴンでの実母と継父との交流。スティーヴンスのストーリーテリングとはいかにして育まれたものなのか。そのことを考えるとき、スティーヴンスが、たとえば新たな環境に順応するために、あるいは失われた時間を繕うために、どれだけの言葉を尽くして物語りを重ねたのだろうか、と想像する。そこで交わされるやり取りは、“語り手”としてスティーヴンスの態度をより注意深く繊細なものにさせたかもしれない。そして、同時にその過程は、“聞き手”としてのそれを育んだレッスンでもあったのだろう。その居る場所々々で知り合う友達や集う親戚の話に耳を傾けることは、後の制作手法に通じる、ある種のオーラル・ヒストリーの実践の下地となった、という見方もできなくない。そうして語りと聞き取りの機会を多く得た出自や生い立ちは恵まれていた、と言ったら言い過ぎか。



10. スフィアン・スティーヴンスという作品における「想像力」において、あなた自身がもっとも有効性があると感じ、あなた自身がもっとも感銘を受けるポイントについて、出来るだけ具体的に教えて下さい。

『ミシガン』や『イリノイ』といった言わばパラレルワールドの年代記。『セヴン・スワンズ』における聖書を借りた神との対話。祝祭と闇が織りなす『ジ・エイジ・オブ・アッズ』はさながら創世記の語り直しといった趣も。ともかく、その想像力に共通して窺えるのは、安易に現実の写し鏡の役割を果たすのではなく、むしろ、どこまでも推し量り、思い描くことに徹するためのものであるということ。ここまでの設問の繰り返しにもなるが、そうしてスティーヴンスが紡ぐ物語、そしてそのストーリーテリングはあくまで想像力を新たな想像力の糧とするように展開されるがゆえに、時に私たちをシュールな時間旅行へと連れ出し、時に祈りにも似た深い沈思黙考へと促す、のかもしれない。それは、現実の複雑性を内側から食い破ることのできるだけの多様性と奥行きを誇った想像力、とでも言おうか。そしてその達成のためには頭と手足を動かす労力を惜しまぬ姿勢に何より感銘を受ける。



11. 作品の形式とニュアンスという点において、スフィアン・スティーヴンスという作家に何かしら近いものを感じる音楽家、映画作家、小説家の名前を挙げて、その理由についても教えて下さい。

周到なコンセプターにして、その制作過程に窺えるコレクター的な性格。仮にスティーヴンスにおける「聞き取り」と「造話(語り)」を「サンプリング」と「コラージュ」に置き換えるとするなら、強引だがマトモスに何かしら近いものを感じなくもない。両者の音楽性はまったくの別物だし、後者には具体的な政治的/社会的メッセージ性を前者は自身の作品に表立って盛り込むタイプのアーティストではない、だろう。それはさて置き、たとえば自身が影響を受けた人物(ウィリアム・S・バロウズ、ラリー・レヴァン、三島由紀夫etc)を楽曲ごとの題材としたマトモスのアルバム『ザ・ローズ・ハズ・ティース・イン・ザ・マウス・オブ・ア・ビースト』は、さながら具体音が語りかけるオーラル・ヒストリー的な趣向もなきにしもあらず、というか。その場合、物語というより“絵巻”に近いが。似たようなことはマシュー・ハーバートなんかについても言えそう。

Matmos + Horse Lords / Rag for William S. Burroughs




12. 作品における主張、考え方、メッセージというポイントにおいて、スフィアン・スティーヴンスという作家に何かしら近いものを感じる音楽家、映画作家、小説家の名前を挙げて、その理由についても教えて下さい。

スティーヴンスの表現に主張やメッセージを感じる場面があるとすれば、それは6問目に答えた内容の通り。その信仰の問題しかり、基本的にスティーヴンスの表現とは殊更に共感を誘ったりリアクションを期待したりするものではなく、個人のきわめて内的な欲求に根差したものという印象がある。もしくは、『イリノイ』の“カム・オン! フィール・ザ・イリノイ!”が歌う工業化/産業化されたアメリカ社会の相貌、そこに漂うそこはかとないペーソスに、たとえばジャック・ホワイトが故郷のデトロイトについて語る際に漏らす哀しみと諦念が入り混じった複雑な感情、あるいは、ホワイト・ストライプスの『エレファント』にしたためられた企業倫理に骨抜きにされたカルチャーやコミュニティ(the death of the sweetheart)への思慕の念を重ねて見ることができるかもしれない。ただ、スティーヴンスもホワイトも、そのことを特別声高に叫ぶようなことはしないのだけれど。



13. もし仮にスフィアン・スティーヴンスという作家が、日本国籍を持っている、あるいは、日本語を話すネイティヴだったと仮定した場合に、彼ならこの2015年において、どんな作品を作っただろう? どんな音楽性、どんなリリックの内容、そこに秘められたメッセージ/考えはどんなものになるだろう? あなたなら、どんな風に想像するか、について教えて下さい。

だとしたら個人的に聴いてみたいのは、たとえばタモリの『タモリ3-戦後日本歌謡史-』みたいな作品。並木路子から石原裕次郎や加山雄三、ピンクレディーやサザンや山口百恵まで戦後35年間のポップ・ソングを、政治経済や社会風俗ネタのスキットを織り交ぜながらパロディ化し尽くした、その戦後70年ヴァージョンのような問題作。「歌/声」に刻まれた時代の体験や記憶。それらを丹念に聴き/聞き取り、その思慮深く大胆な想像力を借りて新たに歌い/語り直される物語は、もしかしたら、今の私たちが辿り得たもう一つの70年間の姿かもしれないし、いずれにせよ、それはマジカルでスペクタクルな光景の悲喜劇となるはず。スティーヴンスがイタコ役となり、口寄せする庶民や大衆と呼ばれる人たちの諧謔や批判、機知と皮肉のありありとした相貌。その聴後感は、きっと耳に愉しく、あるいはすこぶる耳が痛い。そんな作品になったりするのだろうか。

タモリ / 戦後日本歌謡史






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