所謂「インディ・ロック」が文化的なアクチュアリティを失い、商業的にも大敗を喫し、敢えて偽悪的に言えば、ファンダム全体が「負け犬同士が傷を舐めあう場所」(©テイラー・スフィスト。但し、意訳)と化してしまった2010年代において、スーパーオーガニズムだけが世界的な注目を集めた理由とは何か。フランク・オーシャンやヴァンパイア・ウイークエンドのエズラ・クーニグといった今もっとも信頼出来るトレンドセッターたちがいち早く彼らを発見し、その存在と音楽を世界に広めようとした理由とは何か。
一言で言うならそれは、現在の「マックス・マーティンが作り上げた分業制ポップ」以降の世界において、パンク&DIYアティチュードからの明確な回答を提示したからだ。それをインディやロックの側から成し遂げたのは、ベックでもなく、U2でもなく、言わんやリアム・ギャラガーでもなく、スーパーオーガニズムだったということ。
異なる国籍、民族、世代、文化的バックグラウンドを持つ8人のメンバーが知識とテイスト、文化的な違いを持ち寄り、互いの違いを否定するのではなく、むしろそのシナジーによって築き上げた集合知。独自のクリエイティヴィティ。その結晶が彼らの1stアルバム『スーパーオーガニズム』であり、世界各地におけるプロップスの高さなのだ。
そうした彼らの組織論とアティチュードは同時に、異なる価値観を認めあうこと、そして、豊かな「グローカルなコミュニティ」を育むことの大切さという批評的なメッセージとしても機能している。今まさにそれが世界的に失われつつあるからこそ、意識的な作家たちの誰もが躍起になって示そうとしている「開かれたコミュニティの重要性」を、彼らスーパーオーガニズムは存在と行動で可視化させてみせた。
彼らの音楽性やリリックの内容、それが生まれた経緯や文化的な磁場など、詳しくはこの後に〈サインマグ〉にアップされるインタヴュー記事に譲りたい。現在、読むことの出来る、彼らに関するあらゆる日本語記事/インタヴュー記事と比べても破格の発見と驚きがある内容になっている。是非そちらも楽しみにして欲しい。なるほど、こんな文化的な豊かさとスマートな視点があるからこそ、彼らの成功は可能になったのか、と納得してもらえるに違いない。
ここではまず、2018年のポップ・シーン全体を見通す俯瞰的な視点から、今年前半の重要リリース――ミーゴス、カミラ・カベロ、ジャスティン・ティンバーレイクそれぞれの作品やそこから透けて見えるトレンドについて語りながら、全体の中で彼らスーパーオーガニズムがどんなポジションにいるのか、あるいは、どんな特異性とオリジナリティを持っているのか、について考える鼎談を企画した。
主なテーマ、モチーフは彼らの音楽性――特にプロダクションの方向性についてだ。だが、会話は思わぬ方向にまで発展していくものとなった。参加パネラーは、映画、音楽、ドラマと現在のポップ・カルチャーを横断的に観察する評論家の一人である宇野維正、ポップ・カルチャーとインディの位相に常を意識的に捉えているライターの照沼健太、そして、司会兼3人目のパネラーは〈サインマグ〉の田中宗一郎が務めた。この鼎談からもスーパーオーガニズムの実相と、成功の理由が何がしか浮かび上がってくるに違いない。(田中宗一郎)
>>>「フランク・オーシャン以降」というタームが意味するもの
田中宗一郎(以下、田中)「ここ5~10年、ポップ・ミュージック全体のトレンドとして、ソングライティングではなく『プロダクション』こそがサウンドを更新してきたという流れがありますよね。そういった文脈において、スーパーオーガニズムをどのように位置づけられるのか? ということを今日は話していきたいと思います」
照沼健太(以下、照沼)「はい」
田中「このトレンドについて考える時に、“フランク・オーシャン以降”っていう言い方も出来ると思うんです。プロダクションの在り方も含めて、彼がもはや時代が後戻り出来ないほどいろんなものを変えてしまった。そこで、まずお二人には“フランク・オーシャン以降”という特定のタームについてどう感じているかをお伺いしたいです」
宇野維正(以下、宇野)「自分にとってフランク・オーシャンはあまりにも特別な存在で。言ってみれば、ネオ・ソウルにおけるディアンジェロみたいな存在なんですね。『ブラウン・シュガー』や『ヴゥードゥー』が出た時、周りがマックスウェルとかと一緒にする意味がまったくわからなかったんですよ。全然違うじゃんって」
田中「なるほど。その通りですね」
宇野「だから、“フランク・オーシャン以降”というのも自分は使わない言葉ですね」
田中「わかります」
宇野「ただ、それを踏まえて、強いて言うなら、ここ数年ポップ・ミュージックにおいてギターのプレゼンスが復権している背景には、やっぱり『エンドレス』(2016年)と『ブロンド』(2016年)の影響力がとても大きかったと思います。『エンドレス』の映像がいきなりApple Musicにアップされて、延々誰もいない空間を見せられた後、最初にフランク・オーシャンが出て来た時、彼はジーザス&ザ・メリーチェインのTシャツを着てたでしょ? あれは象徴的でしたね。『ああ、ジザメリなんだ』って腰が抜けた(笑)」
宇野「あの時の衝撃は一年半経った今もまだ続いていますね。で、レーベル名がキュアーの“ボーイズ・ドント・クライ”でしょ。実際のサウンド以上に、そこでやっぱり一つのムードが生まれた気がしていて。スーパーオーガニズムは、そのムードの中から出てきた存在だなとは思います」
田中「実際、まともな音楽家なら誰もが、2016年のフランク・オーシャンの作品はどうしても意識せずにはいられなかった。そうした磁場に彼らがいるのは間違いないということですよね。照沼さんはどうですか?」
照沼「僕としては、フランク・オーシャンは正解をなくした人、っていう感じですかね。クロスオーヴァーというよりは、境界を溶かした人っていう印象。彼の音楽は、常にビートがあって、ベースがあって、そこにフックがあって、っていうのとは違うじゃないですか」
田中「従来のポップ・ソングのおける紋切り型の決まり事から逸脱してる。と」
照沼「既存のサウンドのフォーマットを崩したんですよね。それがアンビエントR&Bと言われている由縁だと思うんですけど。もちろん、それまでもヒップホップがロックを参照することはあったじゃないですか。でも、フランク・オーシャンは、エリオット・スミスとかジーザス&ザ・メリーチェインとか、参照点がもっとアンダーグラウンド/インディ寄り。サウンド・プロダクションも、ブラック・ミュージックのゴージャスなプロダクションではなく、アトモスフィアで語るインディ的なプロダクションになっていて。そこが面白いなと思いましたね」
田中「確かに。メインストリームの大味なロックではなく、インディ・ロックなんですよね。じゃあ、『ブロンド』がリリースされる1~2年前から、オルタナティヴR&B、インディR&Bっていうタームが割と一般化していたと思うんですけど、そこと『ブロンド』の間にも大きな差があると思いますか?」
照沼「あると思いますね。『ブロンド』は2曲目からいきなりビートレスになるとか、ああいうのはすごく象徴的だなと。ローリン・ヒルとはまた違うギターの弾き語りがあったり」
田中「宇野さんの指摘にもありましたが、ギターが効果的に使われているんだけど、ギターのサウンドそのものが違うってことですよね?」
照沼「やっぱり僕としては、インディの感じがすごく入っている印象があります。インディはローファイな音質で語るところがあるじゃないですか。アリエル・ピンクがわかりやすいですけど、普通に録音したらもっといい音になるはずなんだけど、カセットテープで録音したようなザラッとした音にすることで伝わる感情があるっていう。そこに意識的な感じがしますね」
田中「宇野さんはどうですか? 宇野さんのテイストで言うと、例えば、ライはインディR&Bっていう文脈から出てきたし、ダニエル・シーザーはアンビエント寄りではあるけど、オーセンティックなR&Bからの流れに位置付けた方がしっくりくる。ただやっぱり、その辺りの作家とフランク・オーシャンのプロダクション、あるいは立ち位置には大きな差があると思います?」
宇野「そうですね。やっぱり同じ話になっちゃうんだけど(笑)、フランク・オーシャンはコンセプトの建て方からその打ち出し方から、全部が突出し過ぎていて。ただ、照沼さんの話を聞いて思ったのは、90年代頭にカート・コバーンがヴァセリンズとか少年ナイフとかボアダムスとかまで、当時の音楽リスナーの視野を一気に広げたじゃないですか。フランクもそれに近いことをやっているんだなと。しかも、それがブラック・ミュージックのサイドからっていうのは本当に強烈なことだった」
>>>2010年代における「コレクティヴ」の強さと意義
宇野「やっぱりフランク・オーシャンはオッド・フューチャーっていうコレクティヴから出てきたのがキーだと思うんですよ。ジーザス&ザ・メリーチェインにしろ、キュアーにしろ、よく考えたら彼の世代のものじゃまったくないんですよね」
照沼「確かに」
宇野「それはたぶん、彼一人が特別に音楽に詳しかったわけじゃなくて、周りにいろんな人がいて、情報交換が出来る特殊な場所にいたことが大きいんじゃないのかな。そういう意味では、オッド・フューチャーってかつてのビースティ・ボーイズに近いと思っていて」
田中「なるほど。コレクティヴ性という意味において」
宇野「ビースティ・ボーイズは、マイク・ミルズとか、〈グランド・ロイヤル〉とか、〈X-LARGE〉とか、ああいうカルチャーの中でいろんな人と交流していたじゃないですか。ビースティ・ボーイズの3人は親がハリウッドでも名の知られた脚本家だったり、ニューヨーク・アート界の大物ディーラーだったり、もともとすごく文化資本の高い人たちだけど、自分たちのコレクティヴを形成する中でそれをストリートに広げていった。オッド・フューチャーもビースティ・ボーイズみたいなボンボン育ちではないにせよ、やっぱり似たところがあって。ある種、ボヘミアン的なコレクティヴを育んでいた。だから、その中からフランク・オーシャンみたいな存在が出てきたっていうのは、決して偶然でも、突然変異でもないと考えていて」
田中「なるほど。納得ですね」
宇野「(オッド・フューチャーの)タイラー・ザ・クリエイターが『フラワー・ボーイ』についてのヴィデオ・インタヴューで、シルヴァー・アップルズとかソフト・マシーンとかポーティスヘッドとかに影響を受けていると語っていたり、“ノーヴェンヴァー”っていう曲ではトレイシー・ソーンに歌ってほしかったとか言ってるんですよ」
宇野「タイラーは友達とポッドキャストの番組をやってて、『フラワー・ボーイ』が出るタイミングで一曲目に流した曲が山下達郎の“あまく危険な香り”だったんですよ。もう意味わかんないじゃないですか(笑)」
宇野「オッド・フューチャーの周りにはそんなレベルの音楽狂がゴロゴロいる。だから、自分一人では辿り着けないような場所にも行ける。無理やり繋げちゃうけど、スーパーオーガニズムもそういう意味では“フランク・オーシャン以降”というか、“オッド・フューチャー以降”という感じはしますね」
田中「その通りだと俺も思います。実際、スーパーオーガニズムはバンドと呼ぶよりもコレクティヴと呼んだ方がしっくりくるところがありますよね」
照沼「そうですね」
田中「現在の彼らはロンドンをベースにしていて、同じフラットに住んでいたりもするんですけど、そもそも出身地はバラバラ。ニュージーランド、韓国、日本、イギリス、オーストラリア。メンバー8人の関わり合い方から見ても、バンドというよりコレクティヴが一つの作品を出したという感覚が強い」
宇野「そうそう」
田中「じゃあ、コレクティヴというポイントでひとつ訊かせてください。現在、Spotifyによるグローバリゼーションが進むことで、音楽のトレンドが画一的になってしまう危険性も囁かれていますよね。ただ、その一方で、オッド・フューチャーやチャンス・ザ・ラッパー周りのシカゴ人脈、アトランタのトラップ・シーンとか、『ローカルな繋がり』が前景化しているのも2010年代後半の現象でもあると思うんですよ。つまり、誰もがそれぞれのローカル独自の価値観と美意識によって現代的なクロスオーヴァー音楽を作り出し、そのローカルなサウンドがユニバーサルになるという流れも同時に存在する」
照沼「はい」
田中「今後それは主流になっていくと思いますか? スーパーオーガニズムが出て来きたように」
宇野「思います、思います。ケンドリック・ラマーの〈TDE〉もだんだんそうなってきているじゃないですか。『ブラックパンサー ジ・アルバム』はそれの集大成的な作品のひとつだと思うし、今度、〈TDE〉はレーベル全体でツアーに出るでしょ? だから、今は新しいシーンを自分たちだけで作っちゃえるんだなっていう気がしますね。それは地域だけじゃなくて、レーベル単位でもあり得る」
田中「しかも、『ブラックパンサー ジ・アルバム』の場合、アメリカだけではなくて、ジョルジャ・スミスのような英国のシンガーも迎え入れてる。まさにそのサンプルのひとつと言うことですよね」
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映画『ブラックパンサー』は本当に傑作なのか?ーー
ブラック・ライヴズ・マター以降/トランプ政権誕生以降の
「ブラック・コミュニティ発ドラマ表現」を巡って
>>>スーパーオーガニズムは新しいのか? 懐かしいのか?
田中「じゃあ、ここ5~10年、フランク・オーシャンの存在がどの程度作用したのかのはさておき、実際にヒップホップ/ラップ、R&B、ロック、インディのプロダクションの垣根が壊れてきた。ただ、それとスーパーオーガニズムの関係については、どう考えていますか?」
宇野「垣根は壊れてきていると思います。ただ、スーパーオーガニズムに関して言えば、ちょっと懐かしさもあるんですよね。誰もが指摘することだと思うんですけど、自分の世代だとセイント・エティエンヌとか(1st『フォックスベース・アルファ』は1991年リリース)」
宇野「あと、今の若い子にはこの感覚がいまいちわからないかもしれないけど、アヴァランチーズが出てきた時って、最初は『今時こんなことまだやってるの?』っていう感覚があったんですよ。もちろん彼らの1stアルバム『シンス・アイ・レフト・ユー』(2000年)は素晴らしい作品なんだけど、サンプリング・ポップという手法自体はもうとっくに旬が過ぎていたんですね。でも、彼らはその手法をとことん突き詰めて、なおかつ、その後に全然作品をリリースしなかったことで神話化していった」
宇野「アヴァランチーズはロンドンでもニューヨークでもなくて、オーストラリアの田舎者じゃないですか。あれは、オーストラリアというポップ・ミュージックの辺境に住んでるからこそ生まれた音楽だった。で、セイント・エティエンヌとアヴァランチーズの間にはコーネリアスもいるわけなんだけど、あの辺の流れを思い出させるという意味では、スーパーオーガニズムは在り方としては面白いけど、音楽的にはむしろ懐かしい感じがしますね」
照沼「アヴァランチーズっぽいっていうのは、僕も思いました。オーストラリアっぽいなって」
宇野「スーパーオーガニズムにはオーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本出身のメンバーがいて、まぁ、カルチャー全体から言ったら田舎者じゃないですか。たまたま今はロンドンを拠点にしてるけど、ロンドンに出てきた田舎者の集まりなんだろうな、って。まぁ、自分みたいな辺境中の辺境、もはや世界のポップ・ミュージックにおいては秘境となってしまった日本に住んでる日本人には言われたくないだろうけど(笑)」
照沼「ハハハッ!」
田中「でも、ここ10年で文化的にも政治的にも日本こそが世界一のド田舎になってしまったのは事実だからね(笑)。ただ、主流じゃない出自を持っているからこそのアドヴァンテージは確実にあったのでは? ってことですよね」
照沼「そう思いますね」
>>>2018年初頭におけるポップ音楽のトレンドとは?
田中「じゃあ、年明けから3月にかけて、メインストリームで大きなリリースが幾つかありました。カミラ・カベロ、ジャスティン・ティンバーレイク、ミーゴス。一旦スーパーオーガニズムから離れて、2018年初頭のプロダクションのトレンドに話題を移しましょう。この三作について、何かしら話しておきたいポイントはありますか?」
照沼「さっきタナソウさんが言っていたSpotify以降の音楽の画一化という問題がありますけど、インターナショナルな基準通りの音楽だと、無味無臭じゃないですか」
田中「そうなっちゃう危険性は常にあるんですよね」
照沼「だから、インターナショナルな基準を意識しつつ、どれだけコレクティヴや地域、もしくはアーティスト本人の“癖”を出していくのか? っていうのが新しい音楽やムーヴメントが作られていく際に重要だという実感が最近あるんです。だからこそ、カミラ・カベロとかジャスティン・ティンバーレイクの新しいアルバムは、インターナショナルな基準に独自の“癖”や“訛り”を入れ込むことに意識的なんじゃないかなと」
宇野「どちらも地域というか、自分のルーツに根差していることを武器にしていますもんね」
田中「おっしゃる通りだと思います。ハヴァナ出身のカミラはカリブ海のサウンドを取り入れている。で、ジャスティン・ティンバーレイクはサウス・トラップとアメリカ南部の音楽を合体させたっていう」
照沼「そうですね。ロックンロールであったり、ゴスペルであったり、カントリーであったり」
宇野「トラップとカントリーが“サウス”というキーワードで繋がるんですよね。ただ、あのアルバムは海外メディアでは賛否両論っていうか、否が多いんでしょ? あれは何なんでしょうね?」
田中「とにかく〈スーパーボウル〉のハーフタイム・ショーの評判が悪かったんですよ。あれも大きかったんじゃないか」
宇野「わかりますけどね。あれは、プリンスのホログラムを登場させる準備をしていたこともあって、やる前からケチがついちゃいましたから」
田中「ただ今回のアルバムのコンセプトは明快だと思います。ひとつには、東海岸のリベラル的な発想でリベラルな人たちに語りかけるレコードではなく、全方位に語りかけようという意識がある。それって、去年から今年にかけてのトレンドだと思うんですよ。で、ジャスティンの場合は、南部出身である自分が、東海岸的な白人ではない、サウスのブラックであったり、サウスのホワイト・トラッシュに語りかけられる方法というのは何だろう? っていう問題意識があった。そのポイントにおいては大正解だったんですけど」
宇野「そうなんですよね。あとは、ああやって踊って歌えるスーパースターが今はちょっと逆風というか」
田中「ジ・エンターテナー的なポジションというか」
宇野「自分はまさにそこに心を打たれたんですけどね。〈スーパーボウル〉の時、彼はめっちゃ必死な顔だったじゃないですか。何の余裕もなくて。遠目で見るとパフォーマンスは完璧なんだけど、寄りで見ると本当に必死で。彼はマイケルでもプリンスでもない普通の人なのに、彼らと同じようなことをやらなきゃいけないところにまで自分を追い込んでいるんですよね。ジャスティンはめっちゃいい俳優だし、いろんなことを成し遂げていて、敢えて今あれをやる必要はないんだけど」
田中「実はそうなんですよね」
宇野「でも、それを引き受けているヒロイズムとストイシズムに自分は心を打たれちゃいましたね。今はみんな、その役割を降りちゃったじゃないですか。ケンドリック・ラマーはちょっとスーパースター感あるけど、ドレイクもフランク・オーシャンもカニエ・ウェストも、基本的にはフラフラ歌うだけで」
田中「まあ、例外はブルーノ・マーズくらい?」
宇野「ああ、そうか。ブルーノがいますね」
田中「ブルーノ・マーズって、ソングライターとしてもプロデューサーとしても優れてはいるんですけど、やっぱり最強なのはパフォーマーとしての部分なんですよね。エンターテナーとしてステージに登場した時のポテンシャルが半端ない」
宇野「うん、ちょっと違う重力圏にいるような感じね」
田中「そうそう。正直、その一点において、今の彼と対等に勝負出来る人はいないと思います」
宇野「でも、まさにそのブルーノ・マーズが、『来年はアトランタで〈スーパーボウル〉の決勝だから、初のラッパーのハーフタイム・ショーが観たい。なんなら俺がプロデュースするよ』みたいなことを言って、話題になっていて。あれは冗談ではなく半分本気だと思うんだけど、ああいうハーフタイム・ショーも、これまではみんなビヨンセみたいに踊りまくっていたけど、そろそろフラフラとラップする人たちが出てくる時代になるんだろうな、っていう気がしますね。そういう時代背景がジャスティン・ティンバーレイクの逆風になっているとしたら、ちょっと気の毒(笑)」
照沼「そうですね」
>>>ミーゴスがトラップの「次」に打ち出すものは何か?
田中「じゃあ、ミーゴスの『カルチャーII』に関してはどうですか?」
宇野「今回の作品はすごく重要だと思うんですよ。モホークス“ザ・チャンプ”という大ネタづかいの“ステア・フライ”が象徴的だけど、脱トラップというか、オールドスクール系の曲にも手を広げてるじゃないですか。あれだけデカい存在になったトラップが今後どうなるのかと思ったら、ここにきてヒップホップの歴史を取り込み始めたっていう」
宇野「これまでトラップにおけるヒップホップの歴史との断絶というのはよく言われてきたことで、中でもミーゴスはその矢面に立ってきた。でも、“ステア・フライ”でさらっとそこを取り込んでみせた。その無敵感に完全にヤラレちゃってますね」
田中「なるほど。照沼くんはどうですか?」
宇野「照沼さん、『カルチャーII』について『初期ビートルズみたい』ってツイートしてましたよね。真意はよくわからないけど、なんだかすごく腑に落ちた(笑)」
田中「照沼くん、その心は?」
照沼「理由は二つあるんですよ。一つは、あのサウンドのドタバタ感がビートルズの1st『プリーズ・プリーズ・ミー』みたいだと感じて。初期のビートルズはロックンロールを曲解している感じがあったと思うんです。リンゴ・スターのドラムが大きいのかもしれないですけど、スウィングすべきところが前のめりでドタバタしているみたいな。そういう誤解による新しいエネルギーみたいなものが、僕はまさに“ステア・フライ”だと思いました。確かにオーセンティックなヒップホップになってきているけど、何か違う」
宇野「乗りこなせてないからね(笑)」
照沼「(笑)」
田中「確かに照沼くんが言っているように、ビートルズの1stアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』みたいな感覚はあると思います。『カルチャー』の方は『ウィズ・ザ・ビートルズ』みたいにフォーカスが絞れているんですよ」
照沼「そうですね」
田中「実は『プリーズ・プリーズ・ミー』ってジョン・レノンが完全に自信をなくした時のレコードなんですよ。エルヴィス・プレスリー以来のロックンロールに対する確固たる愛情と興味を失ってしまい、シェリルズやミラクルズーー当時の新しいリズム&ブルーズに気持ちが行ってしまってる過渡期だから、他の3人のプレゼンズの方がむしろ際立ってる。ジョージ・ハリスンのギターはチェット・アトキンスから受け継いだカントリー・スタイルだし、ポール・マッカートニーがラテン風味をガンガン持ち込んできたり。でも、やっぱり大名盤なわけです」
照沼「ええ」
田中「だから、今回のミーゴスもいい意味でフォーカスが絞れていないレコードだと思うんですよ。オーセンティックなヒップホップに向かっているものもあれば、“ナルコス”みたいにメキシコや南米のサウンドを持ち込むようなこともしてる」
田中「そういう文脈からすると、ビートルズを基準にすべてを判断しているような僕のような人間からしてもも『カルチャーII』=『プリーズ・プリーズ・ミー』というアングルは共有出来ますね」
照沼「あと、僕が初期ビートルズっぽいと感じたもう一つの理由は、三人の男が立ってマイクを回していくことのスター性ですね。やっぱりバンドで一番大事なのはルックスだと思っていて。立ち姿がかっこいい、っていうことに尽きると思うんですよ。“バッド・アンド・ブージー”のミュージック・ヴィデオはただファミレスで歌っているだけだけど、それだけでかっこいい」
宇野「ミーゴスはそこが本当に奇跡的。彼らは何にグッとくるかって、あのバンド感なんですよね。ヒップホップのグループで、2枚以上アルバムが全米1位になったアーティストって5組しかいないんですよ(ビースティ・ボーイズ、ア・トライブ・コールド・クエスト、ボーン・サグズン・ハーモニー、D12、ミーゴス)。基本的に、ヒップホップは売れたらソロになっちゃうから。ウータン・クランですらそうだった。これだけ歴史があるのに、1位に2枚送り込めるグループがほとんどいなかった。でも、ミーゴスならこの先もどんどん歴史を更新していく気がする」
田中「なるほど。納得ですね」
宇野「面白いのは、あのアルバムは豪華なゲストが結構参加しているのに、ゲストの曲がほとんど話題になっていないこと(笑)。それもスーパースター・バンドたる由縁ですよね」
照沼「確かに。ドレイクが参加した“ウォーク・イット・トーク・イット”も、どこがドレイクなんだっていう」
田中「2013年にドレイクが“ヴェルサーチ”にヴァースを加えることでフックアップしてくれた時とは大違い(笑)」
宇野「そうそう。ドレイクが参加しているのに、みんなミーゴスのことしか見ていない。どれだけスターなんだよ! っていう」
田中「まさに『今、俺たちこそがトップなんだ』ってことを証明したアルバムなんですよね。クエイヴォの別な呼び名の『班長(Huncho)』宣言」
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鼎談:宇野維正×照沼健太×田中宗一郎
日本の次世代ポップ・アイコンは欅坂46平手
友梨奈とスーパーオーガニズムのオロノだ!