いきなり身も蓋もないことを言ってしまうと「年間ベスト」って何なんだ。なんのためにやってんだこれ。ふと我に返って大元から考えたら何も書けなくなって、少しばかり話題になっていた音楽ライターや評論家の男女比率を調べた記事なんか読んでたら息が苦しくなって慌てて抗不安薬でやり過ごすうちにずいぶん日が経ってしまった。
毎年いろんな媒体から頼まれてるのもあるし、習慣もあるし、もちろん選ぶこと自体はやぶさかではない。「albumoftheyear.org」とか「ネットの音楽オタクが選んだ~」シリーズみたいな「年間ベストのアグリゲート」を見るのも大好き。でも、ふと我に返る。あれ? これってそれぞれの個人やメディアの価値基準が“端末”になってるってことじゃない? そんな風に「主体」と「ネットワーク」の関係について考え続けていたのが、自分にとっての2019年だったのかもしれない。
というのも、最初に2019年によく聴いた曲、自分の印象に残った作品をまとめてリストを見返してみたら「えー、これヒット・チャートどおりじゃん」ということになってて驚いたから。ビリー・アイリッシュ、リル・ナズ・X、ポスト・マローン、リゾ、トーンズ・アンド・アイ……。つまりポップ・カルチャーというものが明らかにミームと共に駆動するようになったのが2019年で、自分はそのミームと一緒に楽しく踊っていたつもりだったけど、いつのまにか背後からミームにがっちりと絡め取られていたということなのかもしれない。危うい危うい。
なのでそのリストは破棄して選び直した。で、これはいつも考えてることだけど、僕が「年間ベスト」を選ぶときには、評価とか、権威とか、そういうものから可能な限り離れたい。他者の視線からもできるだけ自由になりたい。あえて知名度の低いものを上位に持ってきて「“わかってる”感」を出すみたいなのが一番クソだと思ってる。だけど「ただ単に好きなものを並べる」という無邪気な感じにできない自意識も当然ある。いろいろ考えたあげくこの原稿の想定読者を「2029年の自分」として選び直した。
予感として2020年代はなかなかしんどいディケイドになっていくように感じている。「AI」という言葉はもうすでに30年前の「IT」のように意味が希薄化して氾濫してしまっていて、その先で本質的に社会の動脈を変えるのはおそらく「SI(Swarm intelligence、群知能)」を応用したテクノロジーで、それは基本的には良いことだと思っているのだけれど、そうなったときにじゃあ自分はどうするの? というと、なんだかんだ言ってやっぱり丁寧に折り畳まれた喪失を大切に握りしめているだろうなという気がする。そんな気分にフィットする作品がいくつか選ばれています。
〈サインマグ〉のライター陣が選ぶ、
2018年のベスト・アルバム、ソング
&映画/ドラマ5選 by 天井潤之介
「〈サイン・マガジン〉のライター陣が選ぶ、
2019年の年間ベスト・アルバム、
ソング、ムーヴィ/TVシリーズ5選」
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「2019年 年間ベスト・アルバム 50」
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