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  • スウィート・シング(2020) directed by Alexandre Rockwell by TSUYOSHI KIZU November 12, 2021 1
  • コレクティブ 国家の嘘(2019) directed by Alexander Nanau by TSUYOSHI KIZU November 12, 2021 2
  • これは君の闘争だ(2019) directed by Eliza Capai by TSUYOSHI KIZU November 12, 2021 3
  • モーリタニアン 黒塗りの記録(2021) directed by Kevin Macdonald by TSUYOSHI KIZU November 12, 2021 4
  • となりのサインフェルド(1989-1998) created by Larry David and Jerry Seinfeld by TSUYOSHI KIZU November 12, 2021 5
  • 正直に言って、アレクサンダー・ロックウェル監督のことは忘れていた。彼はジム・ジャームッシュと近いところで語られた90年代アメリカン・インディペンデント・シーンの控えめな輝きだったが、何しろ本作は25年ぶりの日本公開作だ。その間、華やかな場所と関係ないところでロックウェルは静かに小さな映画を作っていたという。本作にはそして、だからこそと言うべきなのか、人びとに簡単に忘れられてしまうものが映っている。貧しい家庭で生まれ、問題を抱えた両親に翻弄される姉弟の、ちょっとした逃避行。たったそれだけのことが一瞬一瞬を慈しむように収められている。ときおり甘美なカラーに色づくモノクロの映像は不遇の姉弟の生そのものだが、そのざらついた質感こそ、インディペンデント映画が立ち上げるリアリティだ。飲んだくれの父親のチャーリー・ブコウスキーのような風貌(演じるのは、最近は『ミナリ』で十字架を背負って歩く変わり者に扮していたウィル・パットン)からして、ここには忘れられたアメリカが存在することをよく表している。だが、ロックウェルはひとりでそれを見つめるのである……映画がそれを映さずにどうするのだと言わんばかりに。ある純粋な生の輝きがこの世にたしかに存在することを、あなたにそっと思い出させるように。

  • ルーマニアのライヴハウス〈コレクティブ〉で起きた火災事故。多くの死傷者を出したその出来事を発端として、ずるずるとルーマニアの医療汚職と政治腐敗を引きずり出すドキュメンタリーだが、恐るべきことに本作にはたんなる政治的主張よりはるかに大きなものが映りこんでいる。ナレーションを廃し劇映画のような編集のテンポで衝撃的な事実が明らかになっていく過程を追っているがゆえに、その周辺にいた人物たちの人生が決定的に変わる瞬間を克明に、そして「映画的に」捉えてしまっているのである。ほとんど暴力的なまでに。しかしながら利権が複雑に絡み合って生まれた根深い癒着もまた、不動のものではない。勇敢な人びとがその根を掘り起こしたときに生まれるダイナミズムそのものがここにはあり、本作がたどり着く結末がどれだけ絶望的なものだとしても、これを見てしまったわたしたちは変化が持つ根源的な力をすでに体験しているだろう。自分としては、今年観たなかでもっともパワフルなドキュメンタリーだった。なおルーマニアは医療機関の混乱と政治不信が続いており、新型コロナウィルスによる死者を多く出したことが報道されている。

  • ボルソナロ政権下のブラジルもまた、新型コロナウィルス対策に多くで失敗したと報じられる国の筆頭である。本作はその右派政権が誕生する以前の、サンパウロの貧しい若者たち(多くは高校生)が起こした学生運動を語るドキュメンタリーだ。彼らや彼女らにはバックにつく組織も資金源もなかったが、声を上げる勇気と自由への渇望があった。運動はバスの賃上げ反対から始まり、フェミニズムや性的少数者の権利の訴えを包摂し、やがて公立校閉鎖反対のための占拠となる。そこにはもちろん怒りも切実さもあるが、同時に熱いラップ・ミュージックも出会いも胸躍る共同生活もある。まるでラップのマイク・リレーのように当事者たちによって語られるナレーションも新鮮で、膨大なフッテージとともにエネルギッシュなアクティヴィズムを立ち上げる。現在のブラジルの政治的状況を思うと苦い気持ちにもなるが、ここで生のエネルギーを爆発させていた若者たちは、きっといまもそれぞれのやり方で闘っているのだろう。

  • 911から20年が過ぎ、様々な映画やドキュメンタリーが国家としてのアメリカの横暴を検証し続けているが、そのなかで『ラスト・キング・オブ・スコットランド』(2006)のケヴィン・マクドナルド監督がジョディ・フォスターとタハーム・ラヒムという名優を中心に据えた本作はとても手堅い一本。テロに関与したことを疑われた者たちを多く収容し、司法手続きなしに拷問や尋問をおこなったことで悪名高きグアンタナモ収容所に14年収監されていたモハメドゥ・ウルド・スラヒの手記の映画化だ。本作が示すのは、大衆の短絡的な欲望が肥大化したとき(ここでは、911のテロの首謀者が早く特定され裁かれること)権力機関がいとも簡単に人道的な要件をすっ飛ばすことの恐ろしさで、つまり重要なのは司法が人びとの欲望を抑制する機能を備えていなければならないということだ。もちろん基本的には911以降に暴走したアメリカの罪を訴える映画なのだが、自分にはスケープゴートを求める現代社会の恐ろしさも見て取れたのだった。

  • アメリカでは伝説的な扱いとなっている90年代を代表するシットコム『となりのサインフェルド』が、ついに全シーズンNetflixへ! と盛り上がってみたところで、日本に住むどれだけのひとが沸くのかはわからないけど……。ただ、自分は以前から『フレンズ』のような昔のシットコムを50代の恋人と過ごすときに「気楽に観られるもの」としてダラダラと流していたのだが(彼にとっては「懐かしいもの」)、こうした古いコメディが配信に入ることによって、ミレニアル世代やZ世代にとっては異なる世代の価値観に触れるきっかけになっているという。さらに自分が「おっ」と思ったのが、インターネット・ネイティヴ世代たるテクノ・アーティストのDJサインフェルドやロス・フロム・フレンズの登場で、彼らがリアルタイムでない時代のシットコムから名前を拝借しているのは、架空のノスタルジーを立ち上げる試みではないだろうか(彼らの作る音楽は優れてノスタルジックだ)。つまり、コメディがいまほど(よくも悪くも)政治的・社会的ではなかった時代の、何の身にもならない笑いがただ存在したということへの憧憬だ。基本的に主要登場人物4人がしょうもない意地を張り合って情けない目に遭うことを繰り返す『となりのサインフェルド』だが、いま観るとポリティカル・コレクトネスのラインがとてもユルく、だからと言って、わたしたちは現代的な観点からそれを断罪することはできない(なぜなら単純に過去の作品だから)。さらに本作にあるのは、「ま、何とかなるでしょ」という脱力した楽観主義で、観ているうちにジェリー、ジョージ、エレイン、クレイマーが繰り広げるくだらない日常は気楽に生きることのヒントに思えてくる。DJサインフェルドが失恋の傷を癒すためにこのシットコムをビンジしていたという話は、何かとても現代的なテーマを孕んでいるような気がする……たぶん。ちなみに本作を制作したコメディアンのラリー・デヴィッドはより風刺がエッジ―な『ラリーのミッドライフ☆クライシス』(原題:Curb Your Enthusiasm)を現在もHBOで制作し続けており、これを機会に日本にも全シーズン入ってきてほしいところ。

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